北太平洋学術交流会議北海道「懸賞論文」コンテスト
優秀賞
北太平洋地域協力の枠組み構築に向けて:対話から行動へ
−市民の視点からの提言−関原 彪![]()
1.はじめに
アジアのみならずアメリカにおいても、世界の政治と経済の中心舞台が、これまでのアメリカとヨーロッパから、アジア太平洋地域へ移ると予想されている 1)。20世紀後半の驚異的な東アジアの経済成長、アメリカにおけるカリフォルニア州をはじめとする西海岸地域の経済的発展が、世界における環太平洋地域の比重を高めることにつながっている。
「北太平洋地域」とは、どのような地域を指すのだろうか? 他の地域、たとえば東南アジア、東アジア、北東アジアなどの概念も、必ずしも明確な概念規定があるとも思えないが、「北太平洋地域」という概念はさらに馴染みも薄く、共通認識はなさそうである。文字通り解釈すれば、北太平洋地域は赤道以北の環太平洋地域ということになるのかもしれないが、ここではフィリピンなどのASEAN地域を除いた、日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、アメリカ合衆国からカナダに至る地域、ということで論を進めることにしたい。
情報通信・交通運輸技術の飛躍的進歩は、資源、農産物、工業製品、サービス、さらには資本の世界的規模での流通を可能とし、大きな経済的効果をもたらすとともに、文化的な面でもかつてない規模で交流が進んでいる。国境という障壁の低下を意味する「グローバル化」は、ある意味では不可逆な出来事であり、叡智を集めてコントロールする限り、広く世界中の人々にとって大きな恩恵をもたらすものである。また地球環境問題の深刻化は、前向きに考えれば、国際社会に協調の必要性を教えている 2)とも言える。グローバル化の趨勢は、主権国家の意味も改めて問い直している。
しかしながら、すべての「障壁」が取り払われることが理想ではあろうが、特に人の移動について、最後まで何らかの制約が残るであろうことは、世界各地でみられる移民に反対する動きをみても明らかである。またグローバル化のもたらす恩恵に浴せない人々、その弊害に直撃される人々の中には、ナショナリズムへの回帰願望もうかがわれる。
平和と安全保障の問題、大量破壊兵器の拡散防止などに加えて、地球温暖化対策、エマージング・ウィルス対策など、各国が単独では不可能で、協調して取り組むべき課題は山積している。世界的あるいは地域的な協力、政府間あるいは民間レベル、あらゆる種類の協力の必要性は、今後ますます高まるであろう。
国連をはじめIMF、世界銀行、WTOなど国際機関の機能不全も懸念される中で、国際機関は、その目的を常に問い直し、その正当性を十分に説明する必要があろう 3)。対象とする国あるいは国民の意見が反映されていない 4)などという批判があるなら、すみやかに改められなければならない。とくに地域に密着して、固有の問題に取り組む地域協力の組織は、世界的な組織にまさる民意反映の仕組みを備える必要がある。
2.北太平洋地域の現状と地政学的特徴
北太平洋地域の現状は、残念ながら波静かなものとは言いがたい。朝鮮半島における対立、台湾海峡における潜在的緊張など、世界の中でも緊張状態にある地域の一つである。第二次大戦の戦後処理ともいうべき日ロ間の平和条約が未解決であることなど、正常な関係に必要な最小限の条件整備も進んでいない 5)とも指摘されている。
北朝鮮の核兵器開発とその拡散が、現時点における世界の大きな懸念の一つであるが、域内の大国であるアメリカ、ロシア、中国の間で、冷戦後基本的対立関係が解消し、部分的な意見の不一致はあっても大局的には協力関係が築かれつつあることを考えれば、暴発に対する警戒は怠ることは出来ないとしても、脅威を封じ込めることは十分可能であろう。
北太平洋地域の最大の地政学的特徴は、言うまでもないが、地球上最大の面積を持つ太平洋によって隔てられていることだろう。そのためもあって、近年に至るまで、他地域と比べて、それほど緊密な交流はなかったといえるだろう。中国、朝鮮半島、日本の一衣帯水ともいわれる交流の歴史、アメリカ大陸の先住民のルーツは氷河期にベーリング陸橋を通ってシベリアから移住したこと、ペリー提督率いる米太平洋艦隊による近代日本の開国、日清・日露・日米の戦争など、濃密な接触があった地域・時代もあるが、全体として北太平洋地域の有史以来を振り返るならば、関係はそれほど濃くはなかったといえる。
交流の歴史が相対的に希薄であることに加えて、この地域は他の地域と比較して、民族、言語、歴史、経済、社会などの歴史的構造に共通点があまりないことが指摘される。また、北太平洋地域の国々は、経済的な発展段階に大きな隔たりがあり、それに加えて、国家のよって立つ理念にも大きな違いがある。自由と民主主義、基本的人権などの価値観、宗教などの倫理観についても、隔たりは大きいといわざるを得ない。換言すれば、多様性に富むということでもある。共通点があるとすれば、それぞれの国の中では、部族的な対立ないしは内戦といった混乱は少ないことだ。教育レベルが比較的高いことも共通している。この地域の多くの国においては、国内における意見の衝突よりは、異論が許されず、抑圧されているところに問題があるのである。
中国、北朝鮮、韓国、日本という範囲で考えれば、共通の基盤は大きいものがあるが、逆に過去の歴史を克服して、未来志向の行動に結び付けるには、それぞれの国、とくに日本の努力が求められよう。日本政府は過去の歴史について、繰り返し反省の言葉を表明しているにもかかわらず、近隣諸国の理解得るには至っていない理由がどこにあるのかを、我々は深く考える必要があるだろう。過去の歴史に対する認識は、各国で完全に一致することは望むべくもないが、それぞれ独自の歴史観に閉じこもっていては、国際的な理解も進まず、良好な国際関係は築けないだろう。ある程度の歴史観の共有は、平和志向を持つ国際社会に不可欠であること 6)を、日本人は深く心に刻むべきである。
この北太平洋地域に構想される新しい枠組みは、域外の何らかの勢力に対抗することを目的としない点が、他の地域と違う大きな特徴であろう。EU、NATO、ワルシャワ条約機構、ASEANなどこれまでに構想され存在する地域的枠組みは、明示されているか否かは別として、域外に存在する何らかの脅威に対抗するものであった。換言すれば、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、日本、カナダ、アメリカ合衆国を包含した北太平洋地域に対する脅威は、その域外に存在するのではなく、むしろその域内にあるとも言えるだろう。
20世紀の最後の10年に、市場主義経済と民主主義について大方の理解と同意は得られたように見受けられるが、その蓄積は乏しく、基盤はかなり脆弱なものと考えざるを得ず、それを大前提に、この地域の協力の枠組みが構想されなければならない。共通の基盤、価値観が乏しいことを考えれば、合意が見出せるところから、着実に成果を積み上げる必要がある。迂遠であり、時間はかかろうとも、「アジア的コンセンサス形成」が求められる。 地域的枠組みが成功するためには、国境を越えた協力関係が必須である。国境という障壁が目立たないものになることは、平和な世界の理想ではあるが、BSE、SARSの問題をみても、国境が意義を失うまでには、世界の現実は至っていない。国境という仕組みのプラス面を生かしつつ、国境を越えた協力関係の着実な前進を考えるべきである。
新しい枠組みの提言
この地域全体については別として、少なくとも東北アジアということで考えると、これまでにも幾つかの提案がなされている。森嶋通夫・ロンドン大学名誉教授は「東アジア共同体」を提案し 7)、姜尚中・東大教授は「東北アジア共同の家」を提唱 8)している。両者に共通するのは、「大東亜共栄圏」構想などの過去の歴史の反省を踏まえて、中国、朝鮮半島、日本を中心とする東北アジアにおけるインフラストラクチャーの整備、経済運営、安全保障について考察していることである。後者では、アメリカも視野に入っているようであるが、あくまでも東アジア地域を中心にして、ヨーロッパ、ASEANなどで先行する仕組みを、東北アジアにも適用しようという提案と考えられる。
ここで考察しようとする北太平洋の地域協力の枠組みは、これらに加えて、広くアメリカ、カナダという太平洋の対岸も含んでいる。構成地域が広がることは、その性格にも影響を免れない。活動の密度が薄くなることは否定できないが、それによりもたらされる多様性は貴重な財産である。「小異を捨てて、大同につく」精神を生かし、出来るところから着手する意味で、できるだけ具体的な提案を試みたい。
地域協力を考えるとき、経済協力を抜きにしては考えられないというのが、現代の常識だろう。この地域でも経済協力の必要性と重要性が低いわけでは決してないが、すでに二国間での協力関係もかなり進んでいること、世界規模あるいはAPECなどの地域協力の仕組みなど、協力関係がすでにあることなどを考慮して、ここでは敢えて触れない。
(1)係争地区の共同管理・開発
国境を巡る紛争は、古来から戦争の最大の原因である。経済活動のグローバル化は、国境の意味を相対的に減少しつつあるとはいえ、国境を巡る紛争は今後も国家間の紛争の大きな要因であり続けるだろう。北太平洋地域においても、日露間の北方領土をめぐる対立、日韓の竹島をめぐる主張、日中台間の尖閣諸島をめぐる紛争など、懸案は未解決のまま残されている。またスプラトリー諸島をめぐる中国、ベトナム、フィリピンの係争も表面上の平穏は保っているが、根本的な解決とは言いがたい。領土問題は、隣国からとれば、隣国はその分失う、「ゼロサム・ゲーム」と言われる 9)。グローバル化に拮抗する動きとして、ナショナリズムが諸国の中でむしろ強まる傾向もあり、領土をめぐる妥協は容易ではないと考えられる。帰属問題に論争があるところは、多くは過疎ないしは無人であり、周辺の専管海域における潜在資源などを別とすれば、それほど利用価値が高いとはいえない。そのために国と国が対立し、本来あるべき協力関係が損なわれ、あまつさえ流血の事態を招くなどは、まさに愚かなことと言わねばならない。
10年以上にもわたって交渉による解決の目途がつかない問題については、50年とか100年とか期間を区切って、懸案の地域を共同開発地域として、共同管理・開発することを提案したい。この地域に新しい協力の枠組みができるならば、それがその任に当たるのである。もちろん国連でも良い訳だが、地域に密着した機構がより適切であろう。
日ソ間の北方領土問題を具体例として考えれば、平和条約を棚上げにした数十年にわたる交渉でも解決はつかず、両国の協力関係に阻害要因となっているのは否定できない。現在居住している16000人 10)ともいわれるロシアの人々の受けるマイナスを上回るプラスを、北海道より更に遠隔の地にもたらすことは、これからの日本にとっては大きな負担だろう。日露両国が主権問題を棚上げし、協調あるいは競争して投資し、開発を進める方が、現在ならびに将来の住民の生活水準の向上につながることは疑いない。そして、それは北海道、シベリアなど両国の近接地域にとっても、より大きな波及効果をもたらすだろう。
歴史を振り返れば、領土が金銭的対価により割譲されることも稀ではなかった。この地域でも、1867年にアラスカは、720万ドルでロシアからアメリカに割譲された。当時の米国の連邦予算は3億5700万ドルであったという。その譲渡については、さまざまな批判があったようだが、世界的な視点から見れば、資本の効率的な投入により開発が進み、大きなメリットがあったことは否定できないだろう。短期的に資源を浪費することは愚かであるが、資源を眠らせておくのも賢明とはいえない。北方領土問題について「領土をカネで買うというような卑しい発想は、日本人の品格を貶めるだけである」という意見 10)も一理はあるが、国の「面子」を離れて、世界あるいは地域という広い立場から、領土を人々の福祉と生活水準の向上に活用することを考えるべきではなかろうか。
五十嵐武士・東大教授も、「端的にいって、領土紛争の取り扱い方は、国際関係を発展させる重要な可能性の一つである。つまり、領土をいずれかの国に明確に帰属させることに固執するのではなく、関係諸国が経済発展のために当該地域を共同で開発し、紛争の種から共通の利益に転化することができれば、友好関係を育てる基盤にすることもできよう」、と説いている 11)。領土問題は「ゼロ・サム」の関係という発想を転換して、「ウィン・ウィン」の関係にすることが、今後の世界における大きな課題である。この地域における新しい協調関係が、具体的な成功例を提供し、世界的な潮流を生み出すことが強く望まれる。
(2)軍縮と信頼醸成措置
冷戦が終結して10年以上経過したが、この地域では「平和の配当」を十分に享受しているとは言い難い。国家予算に占める軍備費の比率も十分抑制されているとはいえず、むしろ軍事費の膨張が周辺諸国の不安を招いている例も見受けられる。軍事費は言うまでもなく、国民の生活水準の向上、福祉につながることのない消費である。権威主義的な体制が、自らの体制を保持するため、国民の生活水準を犠牲にすることは、厳しく批判されなければならない。ましてや、国民を飢餓の淵に追い込むなどということは、決してあってはならないことである。戦後の日本の驚異的経済成長の主要な要因の一つは、日米安保体制の下で、軍備に割く予算が少なかったことである。経済的に繁栄している国でも、国民は飢餓の淵をさまよっていないとはいえ、軍事費が国民の生活水準の向上に使われるべき資源を浪費していることに変わりはない。
第一次世界大戦の非戦闘員をも巻き込んだ惨禍に衝撃を受けた国際社会は、国際連盟を結成し、主要国の軍縮に取り組んだ。それに対し、第二次世界大戦は第一次大戦を上回る惨禍を招いたにもかかわらず、国際社会は国際連合を作ったが、国際連合は軍縮には必ずしも熱心に取り組まなかった 12)。それは戦争終結間もなく、米ソ間の冷戦が発生したこともあるが、それとともに、ホロコーストを招いたことへの反省が、抑圧からの解放を目指す戦争の意義を認める欧米の思想につながり 13)、それが軍縮に消極的な風潮を招いたのではないかとも言われている。
9・11のテロ以降、戦争もしくは紛争の性格が変わったと指摘される。「非対称の脅威」と呼ばれる 14)実態のはっきりしない反社会的テロ組織の暴力をいかに抑制するかが、国家間の戦争の防止と並んで、あるいはそれ以上に重要な今後の課題となると考えられる。「ならず者国家」もさることながら、「ならず者」そのものが問題になる。国家間の紛争がなくなると楽観することもできないが、資源あるいは市場を求めての侵略行為は、少なくとも理性的な政府にとって、現実的な手段ではなくなったといえるだろう。国民の生命・財産を守る上で、国家に代わる武装集団による武力行使への対応の比重が高まる趨勢にある。
それらをテロ行為と呼ぶならば、その特徴は、武力そのものの破壊力もさることながら、武力行使される場所、時間がテロ集団の手に握られていることだ。国家間の戦争にも奇襲攻撃は歴史上数多くあったが、テロは奇襲攻撃そのものである。したがってテロによる奇襲に対しては、武力による抑止と並んで、その土壌を根絶する予防処置が有効となる。
さらにまた、テロと並んで、核兵器、化学兵器、生物兵器など大量破壊兵器の拡散が大きな問題となっている。核兵器、化学兵器、生物兵器それぞれに性格は異なるが、共通するのは兵士、民間人を無差別に殺戮する目的で使用されることだ。瞬時にして情報が世界中に伝わる現代社会において、民間人を大量に殺戮する兵器を国家が使用することは、報復はもちろんとして、国際的非難、制裁を考えるだけでも、殆ど不可能であろう。それでも使用可能と判断するならば、それは理性的判断能力を欠いた無責任テロ集団だけである。
道義的問題を問わないとしても、国家が大量破壊兵器を国家目的の達成のために国家が大量破壊兵器を使用するときは、数発の攻撃では線香花火にも等しく、現実的な戦力とは到底言い難い。予想される敵対勢力の反撃に対して、継続的に使用できる能力を持ってこそ戦力といえる。その意味では、冷静に考えれば、数発の大量破壊兵器を保持しているということだけでは、国家が国家に対する威嚇にはなり得ない。数発の大量破壊兵器が威嚇になると考えるとすれば、それは自らの組織の継続を考慮しないテロ集団でしかない。
大量破壊兵器の拡散の問題は、反社会的集団への拡散の防止を優先して考慮すべきであり、国家の戦力としては「張子の虎」として、冷静に対応すべきである。武力による威嚇は、何を脅威と感じるかという点で、優れて心理的な一面を持っており 15)、それが意味を持つのは、受け取る側の心理・姿勢にも関係する。その意味で、日本のいわゆる「核アレルギー」も、感情的反応に繋ながらないように見直すべきだろう。盲目的に恐れ、うろたえることが、威嚇の有効性を高める結果を招くとも言える。
冷戦が終結した今となっては、核兵器を大量保持を基盤とする、いわゆるMAD(相互確証破壊)戦略はまさに「前世紀の遺物」となった。ピンポイント攻撃を狙う精密誘導兵器が主流となりつつある現在、無差別大量殺戮兵器は「時代遅れ」以外の何物でもない。ある程度の抑止力までも性急に否定することには、安定性を損なう危険も存在するが、人類を何回も抹消しうるといわれる現在の核兵器保有量は、全く無用である。むしろ今後、確実な保管のコスト、安全な廃棄のコストに、現在の保有国は大いに苦しむであろう。最近の旧ソ連の原子力潜水艦の廃棄に、脅威を受ける対象であった日本が資金協力をするという、ある意味では理不尽な構造が、核兵器の処理の困難さを象徴している。
原子力発電も含めて、核技術は人間には分不相応な技術であるという指摘もある 16)。廃棄に要するエネルギーは、莫大なものがあろう。核戦略は最早その意義を失い、負担のみを残している。今こそ、核兵器を含む大量破壊兵器、そして通常兵器をも含めた段階的軍縮に踏切るときである。最近のイラク戦争では、半径1キロにも及ぶという広範囲で殺戮を可能にする新型爆弾の配備も報道された。無差別大量殺戮という意味では、通常兵器との境界も曖昧なものとなりつつある。当然通常兵器の軍備縮小も含めて考えるべきである。
大量破壊兵器を保持している主要国のアメリカ、ソ連、中国の3カ国を包含するこの地域は、軍縮の問題についても大きな役割と責務を担うことは間違いない。技術力と経済力はあっても、大量破壊兵器を持たず、通常兵器についても輸出しないという立場を堅持する日本は、軍縮問題においても主導的立場にあることを自覚すべきである。
軍縮と並んで真剣に考慮されるべき課題は、信頼醸成措置であろう。信頼醸成措置は、軍事情報の公開化または透明化といった、互いの行動の予測可能性を高める機能を果たす措置で構成される。軍事力の制限を目的とするものでないことから、軍備管理よりも取り組みやすいといわれる 17)。軍事活動の事前通告、軍事情報の年次交換、危機軽減、交流、視察、査察、制限措置などにより、奇襲攻撃の防止、偶発戦争の防止、政治的圧力を目的とした軍事力使用の防止などが効果的に達成されることは、欧州安全保障協力機構における実績が証明している。潜在的な軍事衝突の危険性に比較して、信頼関係に乏しいといわざるを得ないこの地域においては、信頼醸成措置は真剣に検討されるべき課題である。
(3)市民交流の組織化
情報・通信技術を基盤とするネットワークの飛躍的成長は、これまでの国際関係の舞台に新しいアクターを加えた。昨年からのアフガニスタンの復興の過程でも明らかになったように、NGOの活動を抜きにして、紛争地域における社会の安定、安全の確保は望めないといっても過言ではない。これからの良好な国際関係の進展のためには、政府の努力だけでは十分ではなく、さまざまな市民グループの参加が必須である。しかしながら、東アジア地域では国際的な友好関係の構築は国の仕事という先入観念もいまだ根強いものがある。その結果、この地域はアメリカ、日本など一部を除いて、市民グループの意識が必ずしも高くなく、長年の社会的習慣などにより、それを育てる素地にも必ずしも恵まれていない。しかしながら、国境の壁を越えた地域協力が進展するためには、その重要な基盤の一つは市民の意識と協力にあることは間違いない。健全な市民グループの活動は、地域協力の発展のための必須の条件である。
この地域における市民の交流を図る具体案として、各国持ち回りで、「文化的なイヴェントの開催」を提案したい。シンポジウムでも、映画でも、音楽でも、展覧会でも、スポーツでも、その中味は問わない。むしろそれらを組み合わせ、総合したものが適切かもしれない。この地域の市民グループ、NGOが広く参加する、できれば各国千人規模で参加する機会を作ることによって、現在必ずしも世界に向けて開かれているとはいえない国に、世界の情報が流れ込む機会を作るべきであろう。「話せばわかる」と盲信することは危険ではあるが、「話さなければ分からない」のも事実である。
最近のSARSの感染に見られるように、国境を越えた交流に伴うリスクを十分に認識することは必須であるが、それを恐れて障壁を高くし、市民の交流の阻害要因を作ることは、長い目で見ると禍根を残すことになるのは間違いないだろう。我が国でも最近「観光立国」を唱導する意見があるが、単に経済効果を求めるのではなく、国際理解の促進という視点を含めた政策立案が求められる。
(4)エネルギー問題・地球環境問題
エネルギー資源の確保と、そのコインの裏側である地球環境問題は、最大のエネルギー消費国であるアメリカ、膨大な人口を抱え将来の消費大国である中国、世界のエネルギー資源大国であるロシア、自国内にエネルギー資源を持たず、かなりの消費量に達する日本を抱えるこの地域にとっては、忽せにできない重大な課題である。石油資源の枯渇は、21世紀後半には現実の課題となる公算が高いことを考えれば、時間的余裕はあまりない。対処を間違えば、エネルギー資源の確保をめぐる争いは、この地域においても戦争の火種となる危険性も否定できない。21世紀の前半は、化石燃料にエネルギー源の大部分を依存しなければならないことを思えば、省エネルギー技術、既存の油田の寿命の延長技術、オイルシェール、海底メタン鉱床の活用技術など、各国が協力して取り組むべき課題は多い。ソーラーセル、風力発電などの太陽エネルギーはエネルギー密度が薄く、大規模なエネルギー源としては期待しがたいが、ここでは風力発電の利用を強調したい。風力発電の先進国がデンマーク、ドイツ、アメリカなど高緯度地域であることは、偶然ではない。効率的な発電に必要とされる年間平均風速を確保できる立地は、日照不足の高緯度地域に豊富なのである。そして風力発電のエネルギー密度が薄いことは、民生用電力以外の利用が困難であり、原子力発電などと違って核技術拡散の懸念もなく、送電線網などのインフラに問題のある開発途上国への支援策としても適していると考えられる。
化石燃料に代わる大規模かつ究極のエネルギー源として期待される核融合は、技術開発が早いか、石油資源の枯渇が早いか、微妙な問題である。それだけに手遅れにならないためにも、この分野で先行する技術を有する、アメリカ、ロシア、日本の各国の協力が必要であるともいえる。原子力発電については賛否両論あるが、ある程度は原子力発電に今後とも依存するとしても、耐用年数のきた原子力発電施設の廃棄は避けて通れない問題であり、環境汚染を招かない廃棄処分が大きな課題である。今後の地域協力の大きなテーマであると考えられる。ノウハウの蓄積を共有財産とすることなどは、すぐにでも可能だろう。
地球環境問題は、21世紀の世界が抱える最大の問題の一つである。地球温暖化については、科学的根拠が確定していないという一部のアメリカなどの批判は間違いとはいえないが、ここ数年で科学者の意見も化石燃料の使用などによる温暖化の可能性は高いという方向に収斂しつつあるように見受けられる。科学的根拠の不確実性を言い訳に、問題への真剣な取り組みを躊躇するときは過ぎ去りつつある。先進国、開発途上国ともに協調して、それぞれ可能な範囲で最大限の努力を払わなければならない。
アメリカという現在のエネルギー消費大国、人口において群を抜き、生活水準の向上により将来のエネルギー消費大国が確実視される中国を包含するこの地域は、地球環境問題についても重要な位置を占める。省エネルギー、環境保全などさまざまな関連技術を有する日本の貢献に対する期待と責務は大きい。
おわりに
利害・意見の衝突に際して、西洋は争点を明確にして、議論と妥協により決着をつけることを好み、東洋は争点の先鋭化を避けながら合意を形成し、時として時間が解決してくれることを待つことを好む傾向がある。共通の基盤に乏しい北太平洋地域においては、この「東洋の知恵」を活用することを忘れてはならないだろう。
「国益」とは「国際的利益」であり、国際的利益すなわち国益なのだということが分かってきたのが、20世紀の一番大事な「発見」だと言われる 6)。それぞれの国益を無視して、国際的な利益に基づいて行動するというのは、理想主義に過ぎるだろう。しかし各国が国益を追求するばかりであれば、紛争は絶えず、国際的な協調の枠組みも成り立たないだろう。国益と国際的利益のバランスをいかにとるか、各国政府の叡智が必要とされよう。それとともに、地域の人々の連帯意識が、各国政府を協調へと向かわせるであろう。
太平洋の名前の由来は、1513年スペインのバルボアがパナマ地峡に入り、ヨーロッパ人として初めて穏やかな大海原を望見したところから命名されたといわれる。太平洋が真に「平和の海」として、この地域の人々の交流に末永く役立つことを祈ってやまない。
以上
(注釈・参考文献)
1) 松田武「このままでよいのか日米関係」東京創元社。1997年。 2) 森嶋通夫「日本の選択」岩波書店・同時代ライブラリー。1995年。 3) ジョセフ・S・ナイ「アメリカへの警告」。山岡洋一訳。日本経済新聞社。2002年。 4) ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授は、世界銀行で開発途上国の支援に協力した経験から、「IMFの決定権は先進国に握られており、恩恵を受ける開発途上国の声は反映されていない。『代表権のないところに課税なし』が、IMFの現状である」と批判している。Joseph E. Stiglitz; ”Globalization and its Discontents”. Penguin Books. 2002. 5) 猪口孝「アジア・太平洋世界」(21世紀の世界政治2)。筑摩書房。2002年。 6) 入江昭「平和のグローバル化へ向けて」NHKライブラリー。2001年。 7) 森嶋通夫「日本にできることは何か」岩波書店。2001年。 8) 姜尚中「東北アジア共同の家をめざして」平凡社。2001年。 9) 孫崎享「日本外交現場からの証言」。中公新書、1993年。 10) 安全保障問題研究会編「変わる日ロ関係」文春新書。1999年。 11) 五十嵐武士「日米関係と東アジア」(1999年3月、東京大学出版会。 12) 佐々木芳隆「新秩序への道」。中央公論社。1995年。 13) 藤原帰一「戦争を記憶する」。講談社新書。2001年。 14) 「非対称の脅威」とは、「通常戦力で圧倒的に優勢な米国との直接対決を回避し、米国の弱点を、核・生物・化学兵器やテロで攻撃したり、情報ネットワークや環境を破壊する工作により、米国の軍事力とは非対称の分野で優位に立とうとすること」と、米国防報告では定義されている。久江雅彦「9・11と日本外交」。講談社現代新書。2002年。 15) 坂本義和「新版・軍縮の政治学」。岩波新書。1988年。 16) 池内了「科学は今どうなっているの?」。晶文社。2001年。 17) 佐渡紀子:「信頼醸成措置」。吉川元編「予防外交」第6章。三嶺書房。2000年。
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