宇野重規
NIRA総合研究開発機構理事/東京大学教授
重田園江
NIRA総合研究開発機構上席研究員/明治大学教授
渡辺靖
NIRA総合研究開発機構上席研究員/慶應義塾大学教授

概要

 NIRAフォーラム2023「テーマ2:日本人の価値観に合った政策展開を―コロナ政策から得る教訓―」では、日本のコロナ政策についての人々の意識について、討論を行った。
 政策に対する評価は、人々の価値観によって影響を受ける。パンデミックなどの緊急時に、政府の政策に従って国民が納得して行動を変えるには、日本人の価値観に合うように政策を展開する必要がある。その前提となるのが、科学的な知見に基づいた世論形成だ。データの作成・解釈という国民のデータリテラシーを高めていくことが求められる。
 一方で危惧すべきは、メディアの影響力である。印象的な映像等があると、科学的な裏付けがなくても個人の価値観を変えてしまう。伝統メディアはセンセーショナリズムな方向に流れず、複雑な情報を分かりやすく伝える役割を果たすべきだ。
 さらに、専門家の知見を国民に発信し、政策に反映させるには、狭い範囲の専門家たちの意見を聞くのではなく、専門家の知見を総合化できる人材が求められる。
 コロナ禍を一過的なもので済ましてはならない。起きた事象や発生プロセス、政策の効果などをしつこく検証・分析していくことが必要だ。コロナ禍を教訓として、日本人の価値観に合うように政策を展開することは、リスクへの対処能力を向上させることにつながる。

INDEX

NIRAフォーラム2023「テーマ2:日本人の価値観に合った政策展開を-コロナ政策から得る教訓-」参加者


・五十嵐文 中央公論編集長
・磯野真穂 文化人類学/医療人類学者
・宇野重規 NIRA総研理事/東京大学教授
・重田園江 NIRA総研上席研究員/明治大学教授
・梶谷 懐 神戸大学教授
・鈴木俊彦 日本赤十字社副社長/東京大学公共政策大学院客員教授
・西山圭太 東京大学未来ビジョン研究センター客員教授
・松田晋哉 産業医科大学教授
・渡辺 靖 NIRA総研上席研究員/慶應義塾大学教授
(敬称略・五十音順)

 新型コロナウイルスの世界的流行は世界をー変させた。感染拡大を防ぐために、諸外国がロックダウンやマスク着用の義務化を実施する中、日本は国民への「自粛」要請を基本とする感染症対策を採用した。発生から約3年が経過し、自粛要請の内容は緩和され、新型コロナウイルスは5類に移行した。コロナ禍の政策を振り返り、政府の政策はどう受け止められたのか、人々の反応から日本社会の特徴をどう捉えるべきか、議論すべき時が来ている。

 NIRAフォーラム2023「テーマ2:日本人の価値観に合った政策展開を―コロナ政策から得る教訓―」では、様々な立場でコロナ政策に関わった専門家に参集してもらい、日本のコロナ政策についての人々の意識について討論を行った(注1)

弱者保護を望んでもロックダウンまでは望まない日本人

 昨年、NIRA総研では「自由と平等」をテーマに研究プロジェクトを立ち上げ、議論を重ねてきた。日本人の自由や平等に関する価値観を把握するため、コロナ政策を事例として取り上げ、「コロナ禍の政策と行動についてのアンケート」調査を行った。まず、本会合の冒頭で、宇野より、アンケート調査のデータを踏まえて、問題提起を行った。

 アンケート調査では、次のように、日本人の自由や平等に対する意識を把握する上で参考となる、いくつかの興味深い結果が得られた。

 第1に、日本人は、自由の制限に対して許容的であるということだ。調査結果によると、パンデミックなどの緊急事態における政府による行動制限に関して、半数の人が「自粛」要請が望ましいと考えている(図1)。日本人は、自由と平等どちらを選ぶかと言われると自由を選ぶ人の方が圧倒的に多いが、一方で、日本人が自粛を支持していることが分かる印象的なデータだ。また、自粛以外の2つの方法-行動を禁止する「ロックダウン」と、行動の禁止や自粛要請を行わない「自由」-とでは、「ロックダウン」を望む人の方が「自由」を望む人よりも多い。

 第2に、行動制限に関しては、経済活動への影響を最小限にして「経済活動を優先する」という意見よりも、重症化しやすい高齢者などの「弱者の保護を優先する」という意見の方が多数となったことだ(図2)。年齢別にみると、加齢に伴い、「弱者の保護を優先する」という意見が多くなる。これは、高齢者の重症化率が高いことから納得のいくものだ。

図2 パンデミックにおける行動制限の考え方

A:経済的な不安をもたらすことがあっても、社会全体で行動制限をし、重症化しやすい人々を最大限守るべきである。
B:重症化しやすい人々を多少リスクにさらしても、社会全体での行動は制限せず、経済への影響を最小限にするべきである。

 第3に、自分が自粛している人は、他人も同様な行動をとってくれるだろうという期待が高いことだ。アンケートで、マスク着用要請が出ている時に、他人がどの程度の割合で要請に従うことを期待するかを聞いたところ、他人の行動に対する期待度については、65%もの人がマスクの着用を「ほぼすべての人」に期待していることが明らかとなった(図3)。

図3 マスク着用要請時、他人への期待感

 ただし、それが行き過ぎると他者への同調圧力につながることも示唆された。自粛要請を支持する理由として、「大多数の市民は善良であり、市民の良心を活かすのが民主主義の根幹である」という論点に賛同した人ほど、それ以外の論点に賛同した人よりも他人がマスクを着用することへの期待が高くなった(表4)。マスク着用への期待を、同調圧力の1つだと考えれば、市民社会への期待と社会への同調圧力が表裏一体の関係にあることがうかがわれる事例だ。

表4 自粛派で「ほぼすべての人にマスク着用を期待する」と回答した割合

 これらのアンケート調査から明らかなように、コロナ政策の評価は人々の価値観によって影響を受け、国民が納得して行動を変えるには、日本人の価値観に合うように政策を展開していかなければならない。コロナ対策の経験から何を学び、どういう政策をとることでより良い政策形成につなげていけるのかを議論することが必要となる。こう述べて、問題提起を締めくくった。

 宇野の発言に加えて、研究プロジェクトに関わってきた、ヨーロッパ思想を研究する明治大学教授の重田園江と、アメリカ思想を研究する慶應義塾大学教授の渡辺靖からは、以下の点について指摘をした。

 重田が挙げたのは、アンケートの質問を考える際は「自由かロックダウンか」、「経済優先か弱者保護か」という二項対立をいかに解釈するかという点である。調査結果からは、明確に意見が分かれている訳ではなく、どちらかというと、かなり緩やかに分布しており、これは、ある意味で日本的な特徴だと述べた。これに関連して、渡辺は、日本人の自由が、アメリカのリバタリアンにみるように原理原則にこだわるものではなく、メディアの報道や世間の反応をみながら状況を変えていくものであり、日本人の自由と平等に対する曖昧な意識が現れていると強調した。

政策調整の基礎となるデータ形成が必要

 コロナ禍初期の厚生労働省の事務次官で、現在は日本赤十字社の副社長を務める鈴木俊彦氏は、発生から第2波の収束までのほぼ9カ月間、事務方のトップとしてコロナ感染症と向き合った。鈴木氏は、政治家は国民の声を政策に反映するように努力しており、だからこそ、科学的な知見に基づいた世論が形成されることが重要であると指摘し、当時の状況を次のように振り返った。

 コロナの正体がわからないなかで、さまざまな利害の衝突が生じる。例えば、活動したい若者と罹患したくない高齢者という個人と個人の衝突、そして、営業を継続したい事業者と感染を抑えたい一般の人々という個人と社会の衝突などだ。政策当局者は、なるべく両者が衝突しないように、外出や営業などの「規制」、雇用や医療費の「助成」、ワクチン接種体制などの「整備」という手段を、さながら、つまみを動かすように強弱を調整して最適点を探すことになる。状況が刻々と変わる中で、国民の反応を考慮し、総合的に判断しながら、この調整作業を繰り返していた。

 さらに、鈴木氏は、コロナによって仕事を奪われ、生活が立ち行かなくなる人が増加しており、こうした影響が今後社会の至るところでボディーブローのように効いてくる可能性があると警鐘を鳴らした。90年代のバブル崩壊後の就職氷河期に社会人となった世代は、今もなおその影響を引きずっている。今回のコロナ禍による影響が長期化しないように、人々の意識をそろえて、足腰の強い社会を作る必要があるという鈴木氏の指摘は、説得的である。

 次に、日本のコロナ政策に精通している産業医科大学教授の松田晋哉氏は、コロナ禍において日本の医療システムの課題について、アメリカの対応と比較しながら、日本は現場の力をさらに発揮できるようなシステムづくりに継続して取り組む必要があることを、次のように強調した。

 日本では、データを作る、データを解釈する、というデータリテラシーをどう高めていくかを考える必要がある。感染者の疫学情報、病床の利用状況、予防接種の状況などを把握するシステムや、接触者へのアラートを通報するシステムがバラバラに作られ、相互の連携が不十分であった。その原因は社会保障番号が整っていないことにある。危機管理時に社会保障番号が使えないというのは致命的な欠点だ。ネットワークを形成するには、まずはその意義を共有することであり、国がリーダーシップをとって整えていく必要がある。

トップの言葉による一瞬での方針転換

 自粛政策の日本とは対照的な対応をとったのが、ロックダウンを実施した中国である。中国経済を専門とする神戸大学教授の梶谷懐氏は、中国では、当初、コロナ禍で生存と自由とが対立しているかのような構図が出来上がっていたが、その対立の構図が短期間の間に変化したと解釈することができると、以下のように強調した。

 中国の国民は、ゼロコロナ政策の下でのロックダウンを支持し、生存のためなら自由が制限されることを受け入れていた。それが可能であったのは、人々は生存しているからこそ自由を求めるのであり、生存と自由は対立しえないものだが、中国では生存か自由かを対立させることで国民を納得させることができたためである。

 しかし、その後、オミクロン株が広まり感染者数が急速に増加したことから、人々がゼロコロナ政策を重荷に感じ始めるようになる。202211月に、ウルムチ市での火事で逃げ遅れた人々が出たことや様々な地域で白紙革命が起きるにつれ、非常に厳格なロックダウンの方がコロナよりも弊害が大きいという認識が人々の間に広がっていった。そうした変化を感じ取った中央政府は、12月に新10条を発表し、ゼロコロナ政策の放棄に至った。

 こう述べた後、梶谷氏は、これは、コロナによる「許容されない死」が「許容された死」へと変化したことの証左だと指摘した。つまり、感染症によって死ぬことが人々に許容されるようになった。中国では10日間ぐらいの間でそうした意識の変化が起きたが、日本ではそれがゆっくり起きているというだけの違いではないか、と主張した。

SNSは台頭するものの、メディアが与える影響は依然として大きい

 パンデミックの中で、メディアが社会に与える影響は計り知れない。日本では、諸外国と比較して、新聞や雑誌などの伝統的なメディアに対する信頼度は高いといわれている。今回のコロナ禍で、新聞や雑誌などの伝統的なメディアはどのような対応を取ったのか。

 『中央公論』編集長の五十嵐文氏は、個人の行動選択を決めるのはどのような情報に接しているかが鍵になるとし、今回のコロナ禍においては、特に、反ワクチンなど科学的根拠の薄い情報やデマ、陰謀論が蔓延しやすい状況にあったと述べた。そうした危機的状況の中にあってこそ、伝統メディアは複雑な情報を分かりやすく伝える役割を果たすべきであることを強調し、次のように語った。

 コロナの感染者急増時やウクライナ戦争の開戦直後には、新聞各社のニュースにはアクセスが集中した。これは、人々が正しい情報や信頼できる情報を欲した時に、組織的な取材網や経験の蓄積を持つ新聞社の発する情報を頼りにしたものと思われる。一方で、デジタル空間では「正しさ」より「刺激」が注目を集めるため、伝統メディアの影響力が低下しており、結果としてフェイクニュースなどの拡散が助長されている面もある。伝統メディアの信頼回復は急務であり、そのためには、SNSのようにセンセーショナリズムな方向に流れないこと、科学者らとも協力してデータジャーナリズムを強化することが重要だと考えている。

 他方、パニックを鎮めるために一時的に取られた対応が恒常的に続くことへの懸念を示したのが、医療人類学者の磯野真穂氏だ。科学的に根拠が乏しいことが明らかになった政策であっても、それが何らかの形でパニックを鎮めたことに寄与したとみなされると、それが年単位で継続してしまう。またそのパニックのきっかけは、メディアが流すセンセーショナルな映像やテキストだ。

 例えば2001年9月、BSE(狂牛病)に感染した少女の映像がNHKスペシャルで報道され、また国内初のBSE感染牛が発見されたことを契機に、国内のパニックを鎮めるための、牛の全頭検査が行われた。若い牛を検査してもウイルスをキャッチできないため科学的には意味がないと言われていたにも関わらず、この検査は10年間続いた。同様にHPVワクチンも、副反応報道が集中的に報道されたことを契機に、積極的勧奨の差し控えという措置がなされ、それは2013年から2022年まで継続した。メディアが流す印象的な映像やテキストに引っ張られ、それらが示す最悪な結果を避けるためであれば、どのような長期的な弊害も厭わず、場合によっては膨大な予算も消化される。今回のコロナ禍に関しても、有名人の死を1つのきっかけとした看取りや葬儀の過剰なリスク対策などで同様の傾向が見られると指摘した。

 さらに続けて、このような仮説を提示した。過剰適応を収めるきっかけの1つに外圧あるいは主に欧米諸国との対応の差がある。BSEの全頭検査の際は、牛肉をめぐる米国との貿易摩擦。HPVワクチンの際はWHOによる勧告、欧米諸国での接種の恒常化があった。コロナ対応の変更についても、通常の生活をすでに取り戻している海外諸国と国内差は明らかであった。因果関係を見極めることは難しいものの、政策変更の要因について考える際は、参考にすべき要因であると思われる。

専門家を特定し、知識を総合化する

 渡辺は、緊急事態には専門的な知識・知見を国民に与えていくことが重要だと述べる。

 専門家たちの知見を基に、政策的な基盤を用意して、メディアがそれを伝えていく、というシステムが求められる。この時、決して政治が科学に優先してはならない。このシステムがなければ、今回の例でいうと2年後も3年後も日本社会だけマスクをしているというような状況にもなってしまう。

 問題は、専門家とは誰なのかということだ。コロナ禍では専門家と称する人がたくさん出てきたが、信頼に値するのかどうかは一般市民には判断ができない。メディアあるいは政府の知見が問われる。専門家が特定できて、その知見をうまく発信、政策に反映できれば、日本社会は、自粛をベースに対応できるのではないだろうか。

 これに関連して、専門家たちの意見を総合化できる人材が必要だという、東京大学未来ビジョン研究センター客員教授の西山圭太氏の以下の指摘は重要だ。

 福島原発事故でも、専門家と呼ばれる人はたしかにいたが、その知見を総合化できる人は十分でなかった。状況が刻々と変わる中で、必要な知見を調達して総合化する力を行政は持つべきだが、それが政策領域を問わず不足していると感ずる。その結果、狭い範囲の専門家の話だけを聞くことに、時間が費やされる事態があちこちで起きていると感じる。原発では事故後には汚染水の処理が重要な課題になったが、それは原子力やエネルギーの分野の専門性だけでは対応できないものであった。

 また、西山氏は、アカデミアの側にも専門家の守備範囲を狭く設定してそれを極めるのが正しいという風潮があるという。専門性を高めるという点では必要なことではあるが、クライシスが発生した時に真に必要なのは総合化である、と強調した。

 会合での議論を聞き、コロナ禍を一過的なもので済ましてはならず、起きた事象、その発生プロセス、政策の効果などをしつこく検証し、分析していく必要があることを痛感した。

 そして、次の緊急事態発生時に、個人個人や社会全体にとってバランスのいい判断をできるようにする。その判断の基礎となるのは自由、平等といった基本的価値である。日本人の価値観に合うように政策を展開することは、人々と政府との結びつきを強化し、政府に対する信頼向上につながる。ひいては、われわれが直面する課題やリスクに対処する能力を向上させることになる。日本社会がどうやって様々なリスクに向き合いながら、自分たちの社会の良さを発展させていけるのか、引き続き考えていく。

宇野重規(うの しげき)

NIRA総合研究開発機構理事。東京大学社会科学研究所教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。専門は西洋政治思想史、政治哲学。

重田園江(おもだ そのえ)

NIRA総合研究開発機構上席研究員。明治大学政治経済学部教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。専門は政治思想、ヨーロッパ政治社会思想史、現代思想。

渡辺靖(わたなべ やすし)

NIRA総合研究開発機構上席研究員。慶應義塾大学環境情報学部教授。ハーバード大学大学院博士号取得。専門は、アメリカ研究、文化政策論、パブリック・ディプロマシー、文化人類学。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2023)「日本人の価値観に合った政策展開を―コロナ政策から得る教訓―」NIRAオピニオンペーパーNo.71

脚注
1 NIRAフォーラム2023「テーマ2:日本人の価値観に合った政策展開を―コロナ政策から得る教訓―」は2023年2月4日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構

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