本名純
立命館大学国際関係学部教授

概要

 日本とオランダ支配を経て1949年にハーグ協定で成立したインドネシアは、スカルノとスハルトによる長期の権威主義政権が1998年まで続き、その後、民主化への移行期を迎えた。移行期の混乱を乗り越え、2004年の直接選挙の導入後は民主政治の安定期に入り、民主大国として知られるようになった。また、非エリート出身で庶民派の親しみやすい印象のジョコ・ウィドド大統領は、2014年の就任以来、2期目となる現在も国民から高い人気を誇る。経済面でも目覚ましい成長を遂げ、グローバルサウスの中でもインドと並んで注目を浴びるインドネシアは、国内政治の安定性とも相まって国外からも連携協力先としての関心が高い。
 しかしその一方で、インドネシア政治において権威主義的特徴が表れ始め、民主主義の後退が近年指摘されている。主な特徴として、反ジョコウィ政治勢力の去勢、市民社会運動に対する圧力、チェック・アンド・バランスへの制度的攻撃という3つが挙げられるが、注意深く見ると、これらは専制主義への回帰の兆しではなく、あくまでも民主主義の枠内での質的低下だと考えられる。本章では、「民主主義」の形式を維持しながらも、ジョコウィ政権の3つの権威主義的特徴が生み出す弊害を指摘する。その上で、民主主義の後退が今後のインドネシア政治、そして対外関係に及ぼす影響を確認していく。

アジアの「民主主義」
第1章インド―権威主義革命と「世界最大の民主主義国」の行方―
第2章シンガポール―シンガポール政治の変容と将来:緩やかに進む民主化への道―
第3章パキスタン―ポピュリスト政党後の政党連合政権、軍部の影響力―
第4章フィリピン―グローバル化とフィリピンの政治変動―
第5章タイ―タイの今とこれから―
・第6章インドネシア―インドネシアの今とこれから―
・第7章ミャンマー(近日公開予定)
・第8章ベトナム(近日公開予定)
・総論(近日公開予定)

INDEX

はじめに

 日本とオランダ支配後の1949年に、インドネシアはハーグ協定によって成立したが、その後民主化に至るまでには約半世紀という時間を要した。スカルノ時代、スハルト時代という長年の権威主義政権を経て、1998年から2004年までの6年間は民主化の移行期であった。移行期には混乱状態が続いたが、2004年の直接選挙の導入以降、安定した民主政治が行われている。経済的にも目覚ましい発展を遂げ、インドネシアのGDPは2050年にアメリカ、中国、インドに次ぐ世界第4位になると予測されている。発展途上国というイメージから脱却し、著しい成長をみせるインドネシアは、グローバルサウスの中でもインドと並んで注目を浴びている国である。安定した政治で国民からも高い支持を得るジョコ・ウィドド大統領が率いるインドネシアは、ビジネス面においても国外から連携協力を求める声は多い。そのようなインドネシアに対して、日本が他国との競争に勝ち抜き、どの分野でどのようにインドネシアと協力関係を結ぶのかが、今後の日イ関係の最重要課題となるだろう。

 他方、インドネシア国内の状況に目を向けると、「安定した民主主義大国」という評価とは異なる権威主義的特徴や民主主義の後退が、近年指摘されている。親しみやすさと庶民派のイメージで国民から圧倒的な人気を誇るジョコ・ウィドド政権下で、一体何が起きているのか。そして、その民主主義の変容が、今後のインドネシア政治や対外関係にどのような影響を与えうるのか。本章では、直近の5年間におけるジョコ・ウィドド政権2期目(20192024年)における変化を確認しながら、今後のインドネシアの政治動向や国内における政治的争点を検討する。また、民主化への移行を完了し、安定した民主政治の中で生じた新たな課題が日本に示唆するものは何かを探る。

1.主要政党と野党、その動き

ジョコウィ政権に対する政治的評価

 インドネシアにおける民主主義の実態を検討するにあたり、まず重要となるのは、現政権がどう評価されているかである。10年を迎えるジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権に対し、国民がどのように見ているか、そして国際社会やアカデミズムはどう評価しているのか。

 インドネシアには、比較的に精度の高い世論調査を行う機関が複数存在する。その多くが、ジョコウィの支持率の高さを示してきた。例えば、20237月の調査では、81%の回答者が現ジョコウィ政権を高く評価すると答えている(注1)。この結果は一時的なものではない。政権発足時から一定して非常に高い支持率を維持しているのが、ジョコウィ政権である。多くの有権者が、ジョコウィ大統領は清廉潔白、かつ庶民派で人々に親しみやすい政治を行っているという印象があると見られる。ジョコウィ自身、非常に親しみやすいルックスで、常に笑顔で村人の中に入って一緒に泥にまみれるようなパフォーマンスを得意とする。庶民派で普通の農民のような外見をした初めての大統領という「売り」をジョコウィ自身も認識している。強い大統領というよりも、一般大衆に近しい大統領で、ジョコウィ自身も「ストロングマン」をアピールしていない。ただし、経済が悪化した時にジョコウィの人気も低下する傾向があり、インフレ率が5%程度上昇すると、それに対する物価上昇で国民の不満が高まり、政治不信につながる。いかにして経済的な課題、特にインフレに対して注意を払うかがカギとなる。

 では、国際的な評価はどうか。外交・戦略研究のサークルの中でも、ジョコウィ政権の評価は非常に高い。これはグローバルサウスの民主国として、インドネシアというアイデンティティーが国際的にも定着しつつあるためである。米中対立の中で、東南アジア地域がいわば外交上の草刈り場のような状況になっているものの、同地域で最も安定した民主政権を挙げるとすると、フィリピンやミャンマー、タイではなく、インドネシアとなる。また、インドネシア外交が高く評価される傾向も増えている。2023年にインドネシアのバリ島で開催されたG20サミットでも、強いリーダーシップを発揮し、渦中のロシアとウクライナの両国を入れて共同宣言を可能にしたことが評価された。外交の場面でも民主大国インドネシアに対する高評価が定着している。

 その一方で、学者、特に政治学の研究者や市民社会からは、否定的な見方が強い。各国の民主主義を測るさまざまな指標で、インドネシアにおける民主主義の後退(Democratic backsliding)が明らかになっている。民主化の歴史を振り返ってみると、まず民主化移行期である1998年から2004年までの6年間は、非常に混乱した時期で、大統領が3回交代し、ハビビ大統領、ワヒド大統領、メガワティ大統領の3人が、それぞれ政権を担った(表1)。その後、ユドヨノ時代を迎え、2004年から2014年までの10年間は非常に安定した政治が行われた。しかしその後、ジョコウィ時代に入り、民主主義の停滞が顕著に表れる。V-DemVarieties of Democracy)研究所が提供する民主主義指標に関するデータを見てみよう(図2最大値1の民主主義指標で、ユドヨノ時代には最高値が0.55であったものの、ジョコウィ時代に入って下落し、2023年度には0.36と約0.2ポイント(つまり20%)低下している。

 高い支持を誇るジョコウィ政権で、なぜ民主主義度が急に下がっているのか。ジョコウィ政権の1期目は2014年から2019年の5年、そして2期目は2019年から2024年の5年間となる。2期目の開始時である2019年から民主化度が0.46へと大きく後退し、2023年は0.36と急速に悪化している。特にV-Demの指標の中でもElectoral componentという選挙に関わる部分は数値が高いが、選挙以外の部分、特にLiberal要素が著しく低下している。

表1 歴代政権

(出所)筆者作成

図2 インドネシアにおける民主化度の推移

(出所)V-Dem資料(Version 14)に基づき筆者作成

 なぜ人気が高いジョコウィ政権で、民主主義が後退しているのか。特に2期目となる2019年以降の急激な後退について、どのような説明が可能か。実は民主主義の後退は、ジョコウィ人気の高さの裏返しとして起きている事象でもある。ジョコウィ政権が支持される理由として、従来の政治エリートではない「庶民派の大統領」というイメージを維持し、既存の既得権益のエリートからの圧力にも屈しない自立したリーダーシップを発揮していると人びとに認識されていることが挙げられる。そもそもジョコウィは、政党、軍、宗教における指導者ではなく、そして高級官僚でもなかった。政界入りする前は、普通の一般人として地方で家具店を営んでいた。直接選挙の時代に入り、ジョコウィの人気に目をつけた政党に担がれ、ジョコウィは初めにソロという中部ジャワ州の小都市の市長に就任する。そして、ジャカルタ州知事を経て、大統領に就く。国民に人気があるという1点で政党に担がれ、とんとん拍子に地方から国レベルのリーダーに上り詰めたのである。直接選挙の時代に人気を維持してきたというのがジョコウィの持つ資本であり強みである。

 インドネシアでは、市長や県知事、州知事など地方の首長や、大統領に立候補する場合、独立候補は認められず、議会に一定の議席を持つ政党に推薦され擁立されることが条件になっている。そのため、政党の論理としては、党首や党の地方支部長が立候補する場合もあるが、映画俳優など既に人気がある人物を擁立するケースも珍しくはない。この現象自体は、民主主義の進展であり、ジョコウィはまさにその代名詞であった。しかし、そのような形で選ばれた大統領もしくは州・県知事には、同時にジレンマが生じた。有権者から選ばれたのは自分自身だが、擁立したのは政党であるため、その政党から様々な制約や圧力を受けることになる。この構造を持つ選挙制度であるため、ジョコウィをはじめ、個人の人気で選ばれた各地の州知事や県知事は、いかにして党の制約や既存エリートからの圧力などに屈せず、自律性を維持しながら自らの自由度を高めて政権運営を行うかに注力するようになる。これが彼らに共通する権力維持の発想となる。

 大統領になる前年の2013年に、筆者が初めてジョコウィにインタビューを行った際に、ジョコウィは「今の政治家はエリートばかりで市民の声を直接聞こうとしない。時代遅れのエリート政治だ。こういう政治を変えないと国も変わらない」と訴え、「プラボウォも他の党首も自分の人気の高さに脅威を感じているだろう」と自信満々だった。しかし、いざ政権奪取すると、思った通りには物事が進まない現状に直面する。ジョコウィが所属する闘争民主党の党首メガワティ元大統領は、ジョコウィのパトロンとして強力な圧力をかけてくる。メガワティとしては、ジョコウィを任命したのは自分であり、ジョコウィは自党の党員に過ぎないという意識があるため、ジョコウィに対して様々な要求を突きつけた。特に閣僚人事において、メガワティが人選をすると主張したために、ジョコウィとの対立が顕在化した。なかでも、国家警察長官の人事に関して、側近を長官ポストに置こうとするメガワティに対して、ジョコウィが絶対に認めないという激しい対立があり、結果的にジョコウィ自身も圧力に屈して譲歩する展開となった。

 このことが大きな教訓となり、ジョコウィはその後、圧力を回避するための政治戦略を築いていく。まず解決すべき課題として、メガワティが強い発言権を持つ闘争民主党への依存の軽減が挙げられた。政権発足当初は、与党が少数政党連合で構成されていたため、メガワティが与党第1党の党首として大きな存在感を放ち、圧力をかけやすい構図があった。そのメガワティの影響を抑えるため、ジョコウィは様々な政党に連立政権への参加を積極的に呼びかけ、より大きな与党連合の形成を企てた。こうしてメガワティの存在感を薄め、個別の圧力を弱めるという政治戦略の構想を実現させたのである。大統領就任当初は、巨大連合政権を作らないと断言していたジョコウィだが、180度方向を転換する形となった。今では国会に議席を持つ9つの政党のうち、8つが与党に参画している(詳細は「2.どのような勢力と政党が結びついているのか」で説明)。

 次にジョコウィは、治安機構を掌中に収めることに目を向ける。大統領になったものの、政党や宗教団体の指導者ではないジョコウィには、自在に動かすことができる組織を持っていなかった。そのため、軍や警察のように、指揮1つで動く統制のとれた組織に強い魅力を感じていたジョコウィは、縁故人事を駆使して組織の掌握に乗り出す。自らの出身地であり、市長の経験もある中部ジャワ州のソロ市のネットワーク(ソロコネクション)を重視し、自分に忠誠を示す人物を積極的に幹部に採用してきた。このような縁故人事で、国軍の司令官をはじめ、陸軍や警察の上層部に忠誠的な人材を配置し、治安機構を掌握していった。

行政権力の拡大による民主政治空間の圧迫

 大規模な与党連合を形成して行政部門を掌握し、そして治安機構を掌中に収める。こうした行政権力の拡大Executive aggrandizement)がジョコウィ政権下で顕著に見られ、その影響が民主主義の後退につながっていった。具体的にどういうことか。3つの現象、すなわち反ジョコウィ勢力の去勢、市民社会運動に対する圧力、チェック・アンド・バランスへの制度的攻撃を見ていきたい。

①反ジョコウィ勢力の去勢

 民主主義の後退の特徴として、まず民主的な政治空間の圧迫が挙げられよう。ジョコウィ政権下では、反政府勢力に対する弾圧が顕著になった。例えば、ジョコウィに批判的な急進的イスラーム保守派団体のHTI(ヒズブット・タフリル・インドネシア)やイスラーム強硬派組織のイスラーム防衛戦線(FPI)には、解散命令が下された。通常、社会組織の解散には、司法が要否の判断を行うべきだが、上記のケースでは政権が独自にイデオロギーの危険性を主張し、解散命令を出す展開となった。この出来事は、行政権の乱用によって、結社の自由が攻撃を受けた象徴的なものとなり、民主的ルールの軽視だと批判された。この軽視を抑止できない原因として、国会における野党の無力化が指摘されてきた。与党連合が肥大化したため、国会で政府の方針を批判する野党機能が形骸化したのである。野党であるイスラーム系保守政党のPKS(福祉正義党)に対してさえも、その支持層を切り崩すために政権側が「PKS支持者は過激派」または「PKSはアフガニスタンのタリバンと緊密」といった言説を流布した。過激派というレッテルを張って反政府勢力を牽制してきたのである。

②市民社会運動に対する圧力

 民主主義の後退とされる2つ目の現象は、市民社会の表現や意思の表明に対する弾圧が加速している点である。フェイクニュースやオンライン上の誹謗中傷の取り締まりを目的としたITE法(情報及び電子商取引法)という法律を武器化し、政府に批判的な活動家の行動を牽制してきた。実際に2016年から2020年までの4年間で、およそ800人がITE法の下で訴訟の対象となっている。そのうちの約9割が禁固刑まで受けている。政府批判を行えば、ITE法による取り締まりを受けるため、口を閉ざせざるをえないジャーナリストが急増した。インドネシアの各地で、表現や意思の表明を犯罪化すべきでないという抗議デモが頻繁に行われてきた。

 また、市民社会の運動として、特に環境保護に関する活動が活発に行われているが、そこでも政府による弾圧が強まっている。ジョコウィ政権は、大規模開発事業に注力しており、数多くのメガプロジェクトが進行している中で、開発に対する批判や抗議運動を環境系NGOが率先して行っている。国際空港の建設をはじめ、「第2のバリ」を目標に掲げた観光開発や、ウォーターフロント計画、首都移転、コバルトやニッケルの鉱山開発など、多岐に渡る大規模プロジェクトで、環境問題は避けて通れない。しかし、開発に伴う環境問題への調査や、開発への批判自体が弾圧の対象になってきた。環境系NGOを犯罪扱いする事例が頻発しており、政府の強権的姿勢が顕著に表れている。政府系インフルエンサーやbot機能を利用し、インターネット上において活動家への個人攻撃が盛んに行われてきた。サイバーブリング(Cyber bullying)といったサイバー空間でのいじめや、ドキシング(Doxing)と呼ばれる個人を特定する情報を本人の同意なく収集し、オンライン上で晒す行為、そしてSNSアカウントの乗っ取りなどが、活動家たちへの攻撃として典型的である。多くの場合、警察もしくはインテリジェンスのサイバー工作部隊がこのような攻撃を行い、当局は否定しているが、イスラエルの企業が開発したスパイウェアを使用しているとも言われている。世論調査を見ると、「公に自分の意見を言うことが怖い」と答える人が多数になっている。

③チェック・アンド・バランスへの制度的攻撃

 民主主義の後退に関する3つ目の現象は、チェック・アンド・バランスの骨抜きであり、これもジョコウィ政権下で深刻な問題になっている。インドネシアにおける民主政治のガーディアン(守護神)と評されてきた汚職撲滅委員会という独立機関がある。権力者の不正や汚職を暴く機能を担ってきた。しかし、行政の権限が拡大する中で、2019年にジョコウィ政権が法改正を行い、汚職撲滅委員会の独立性を低下させ、弱体化させて、政権のツールにする動きが出てきた。これに対して大規模な反対デモが起きたが、それを物ともせず、汚職撲滅委員会の委員長に悪名高い人物を就かせて、政権のツールとしての汚職撲滅委員会を利用しようするようになった。この汚職撲滅委員会の弱体化は、チェック・アンド・バランスの骨抜きの代表例である。

 また、先述の通り、与党連合の肥大化により、国会内のスーパーマジョリティーを確保し、現在90%に迫る議席が政権与党の管理下にある。そのため、国会が行政のチェック機能を果たさなくなっている。野党の存在が意味をなさなくなり、様々な議論が不十分な状態で、問題をはらむ未完成な法案が続々と立法化されていく。その1例が首都移転法である。さらに、行政の課題を立法府が真剣に取り上げないことによって、例えば、シビリアンコントロール(文民統制)の形骸化が目立つようになる。1998年にスハルト政権が崩壊し、国軍の政治からの撤退とシビリアンコントロールの整備が、インドネシアの民主化の象徴的な改革だったが、それが再び骨抜きにされようとしている。例えば、軍とは無関係の農業や建築業といった非軍事部門に軍人を積極的に出向させるなど国軍の非軍事的役割の拡大を許可する動きが活発化している。また、民主化移行期の2004年に成立した国軍法に関して、厳しい規定を削除することを目的とした法改正も行われそうである。さらに、チェック・アンド・バランスの骨抜きは、憲法裁判所への影響も免れない。実際、憲法裁判所の長官はジョコウィ大統領の義弟であり、2024年の大統領選挙において、ジョコウィの息子が副大統領候補として出馬する際に、選挙法の年齢制限を憲法裁判所がむりやり緩和して出馬を可能とさせた。そのことが、大統領のネポティズムだとして、市民社会から強い批判を受けた。

 このように民主主義ではあるものの、権威主義的傾向を強めているのが今のジョコウィ政権である。この政権に特有な権力固めは、連立する政党を掌握し、自らの政策を実現させる点にあるが、インドネシアにはどのような政党が存在し、どの勢力と結びついているのか、次に説明する。

2.どのような勢力と政党が結びついているのか

 1967年から1998年まで30年以上続いたスハルト独裁政権の崩壊以降、インドネシアの政党数は著しく増加している。権威主義の象徴であったスハルト政権時代は、ゴルカル党、のちに闘争民主党となる民主党、そしてイスラーム政党の3政党のみ存在していた。スハルト政権が崩壊し、民主化へと進む中、政党活動が活発化し様々な政党が結成された。選挙で4%以上の得票率が得られない場合は、次回選挙への出馬は認められないという選挙法の下で、現在議席を有する政党は9つに留まる。

闘争民主党

 1つ目の主要な政党は、今のジョコウィ大統領が所属し、メガワティ元大統領が率いる闘争民主党である。闘争民主党はナショナリスト政党とも呼ばれ、宗教や民族など特定のアイデンティティーに基づくものではなく、インドネシアが多様な民族を包摂し、多様な宗教も包容する1つの大きなナショナリズムの国だとアピールする特徴がある。元々はスカルノ元大統領が結成した党から発展した政党で、伝統的に総投票数の約20%を獲得する基盤がある。インドネシア政治の1つの軸を担っている。

ゴルカル党、グリンドラ党、民主主義者党、ナスデム党

 2つ目は、スハルト時代に結成されたゴルカル党である。既得権益の保護に注力するビジネス志向の強い政党で、スハルト時代に村レベルまで組織を作り上げた基盤がある。現在、ゴルカル党は第3党で、第1党が闘争民主党である。そして3つ目の政党は、スハルトの娘婿であるプラボウォ・スビアントが党首を務める第2党のグリンドラ党である。プラボウォは大統領候補として、2014年と2019年に大統領選でジョコウィと戦っている。元々ゴルカル党に所属していたプラボウォが離党して、グリンドラ党を結成した。大統領になるために、富豪のプラボウォが結成した個人政党と言われている。2度の大統領選を戦うことで、大統領候補としての人気と共に、グリンドラ党の支持率も高まった。つまり、同じ政党の大統領候補と議員候補に有権者が投票するというコートテール効果によって、グリンドラ党自体の人気も高まり、議席が増加してきた。4つ目の民主主義者党は、ユドヨノ元大統領が結成し、グリンドラ党と同様に個人政党である。2004年にユドヨノ元大統領が出馬する際に、この政党を基盤にした経緯があり、今も存続している。現在ユドヨノの息子が党首を継いでおり、いまだに個人政党の域を出ない。5つ目のナスデム党は、「メディア王」と呼ばれるスルヤ・パロが設立した政党で、グリンドラ党と同様に、ゴルカル党から派生した政党である。同党も、グリンドラ党や民主主義者党のように個人政党の性格を強く帯びている。

イスラーム系の民族覚醒党、福祉正義党、国民信託党

 その他、イスラーム系政党が3つ存在する。当初はイスラームということで多くの票を獲得すると期待されていたが、実際のところイスラーム系政党全体で見ても、得票数が投票総数の20%程度である。イスラームという特徴だけでは、票を獲得できないことが明らかになっている。

 インドネシア政治においては、政党の制度化が脆弱であり、政策や公約で選挙を戦うというよりも、党首の人気やパフォーマンスで集票する傾向が強い。どの政党も積極的に他の政党との政策や選挙公約の違いに訴えかけることはしない。テレビの討論会でも、政策の違いについて議論になることもなく、争点にさえならない傾向にある。

 また、議会選挙に関しては、中選挙区制度を採用しているが、1つの選挙区に同じ政党から複数の立候補者が出るため、党内での競争が起こる。そのため、党の政策や理念よりも、中選挙区で自分がいかにトップに立つかということに注力するため、公約や政策による戦いにはならない。つまり、個人での戦いになるため、集票のためにどのように「ばらまき」を行うかが焦点となる。それはどの政党であっても同様である。有権者もそのことを理解しているので、様々な政党等から金銭を受け取る。

3.直近の選挙

 2019年の大統領選挙は、ジョコウィにとって2期目をかけた戦いだったが、対抗馬のプラボウォ・スビアントとの接戦になった。2014年選挙でもジョコウィと戦ったスハルトの元娘婿で退役軍人のプラボウォは、選挙戦略として、いかに自分をナショナリストで強いリーダーと見せるかに力を注いできた。庶民で温和で優しく、線が細いジョコウィのイメージに対抗する形で、プラボウォは強いリーダー像を打ち出した。結果的に得票率約55%のジョコウィが、得票率約45%のプラボウォに10%差で勝利した。そのような熾烈な選挙戦を制した経緯があるものの、現在のジョコウィは、プラボウォに対して「プラボウォは非常に変わった。今は全面的に信頼を置いており、自分の後継人として、次期大統領になっても問題がない」と筆者とのインタビューで述べた。

 ジョコウィは、プラボウォを自分の陣営に取り込むことで、社会の分断を解消し、インドネシアの団結を強めたいという意識があったと思われる。しかし、プラボウォを支持していた勢力の中には、ジョコウィに取り込まれていくプラボウォに「裏切られた」との思いを強く持つ者もいた。ただし、この5年間プラボウォはジョコウィから様々なことを学んでおり、以前のような「ストロングマン」のアピールは影を潜めている。今は温和で優しく、みんなの話をよく聞く年配のおじさんというイメージに修正を図っている。

2024年大統領選挙

 2024年2月14日に大統領選挙が行われた。その結果、プラボウォが次期大統領として勝利を得た。選挙そのものに関しては、ユスフ・カラ前副大統領の言葉が象徴的である。彼は、今回の選挙を「これまでで最悪」と評価した。その理由は、ジョコウィ政権によるプラボウォ支持と、他候補陣営に対する脅迫だと訴える。その評価は正当であろう。上述のように、ジョコウィ大統領は、プラボウォの大勝を実現すべく、息子のギブランを副大統領候補にし、草の根のジョコウィ信奉者たちをプラボウォ支持に導いた。大統領の中立性は低く、その結果、中央と地方で、政府や警察が大統領の意を汲んで、対抗馬の選挙戦を妨害してきた。過去の大統領選で、現役大統領が後継者のために選挙介入することはなかった。その意味で異例の展開であり、選挙の正当性の低下と民主主義後退の定着が懸念されよう。

 その懸念は、プラボウォという個人的な要因にも助長されている。気が短く怒りっぽい性格はよく知られているし、過去の言動癖からも、彼が民主主義や言論の自由や法の支配といった価値に関心が薄いこともわかる。フィリピンのドゥテルテ前大統領や、「アルゼンチンのトランプ」ことミレイ大統領のような下品で厚かましい性格でないのは救いだが、3者には右翼ポピュリストとしての類似性があり、民主的で正当な政府批判に対してどういう反応をするかは未知数である。

 その危うさを見事に隠したのが、今回の選挙だった。プラボウォは、過去20年ずっと大統領選挙に挑んできた。04年選挙では、ゴルカル党から出馬を試みたが党内選挙で負けた。09年は、闘争民主党のメガワティ党首の副大統領候補となったが負けた。14年と19年はジョコウィと戦って負けた。いずれの選挙も、元軍人の決断力とナショナリズムを売りにした。特に対ジョコウィでは、プーチンに引けを取らない「ストロングマン」を演出した。

 その歴史を知る人たちから見れば、今回のプラボウォは別人だ。生成AIでアニメ化された彼のアバターがダンスをし、それをTikTokで注目を集めるSNS選挙戦は、有権者の約6割を占める若年層にターゲットを絞る戦略だった。過去の対ジョコウィ戦で行った、憎悪とヘイトと偽情報による「分断選挙」と真逆な、愉快でハッピーで政治色の薄いキャンペーンに徹した。

今後の動向

 プラボウォは人が変わったのか。そんなことはありえない。ただ、彼の過去や性格がどうであれ、大統領の国家運営は、もっと構造的な要因によって規定される。その理解が重要であろう。プラボウォは、今後インドネシアの民主主義を破壊し、専制主義の道を歩もうとするのか。欧米メディアでは、そういう懸念も示されてきた。しかし、構造を見れば、いかにそれが難しいことかすぐに分かる。そもそも大統領が変わっても、政財界のエリート地図はほとんど変わらない。彼らは、政治的な競争を通じて、様々な既得権益を獲得してきた。民主主義の停止は、彼らから競争を奪うことに他ならず、誰もそれを望んではいない。仮にプラボウォが血迷っても、彼らは全力で抵抗するであろう。推測であるが、プラボウォは健康面の不安もあり、これから新たに大きな政治の変革を行う気力はないように思われる。スハルトの娘婿としてスハルト時代を復活させるような野心は、10年前は持ち合わせていたかもしれないが、今は皆無であろう。大きな変化ではなく、ジョコウィ政権から継続した路線を踏襲し、5年後に多くの人からプラボウォ政権に対して良い評価を得ることに、より高い関心を持つであろう。

 また、基本的なインドネシアの目指す方向や外交政策などの既定路線にも大きな変化はないとみられる。なぜなら、2045年までにインドネシアの先進国入りを果たすというビジョンが政治エリートに共有されているからである。特に、生産と輸出の拡大は必須であり、そのための資源開発の川下化政策(注2)を進めてきた。例えば、ニッケルを使用して電気自動車を造る場合、その産業を加工度が高い産物が提供される川下のほうまで下ろしていくことが、インドネシアのミッションだと彼らは訴えてきた。その経済ビジョンを、人口ボーナスが活きている今の時期に定着させるべきだとジョコウィもプラボウォも主張してきた。

 国内政治においても今のジョコウィモデルが確立しており、プラボウォが大統領になったとしても、同様の手法で安定を維持すると考えられる。そのため、ジョコウィと同じように大規模の与党連合を作ることが予想される。その意味で、どれだけ選挙を行ったとしても、結局は選挙後に与党と野党に分かれて戦うわけではないため、プラボウォ政権下でも垂直的なアカウンタビリティーの形骸化が続くと思われる。

4.対外関係

 2024年10月以降のプラボウォ政権も、ジョコウィ政権が確立した現行の外交路線を継続していくであろう。開発を進めていくために中国からの大きな資本が必要であり、今後も経済分野においては中国との協力関係が維持される。ただし、安全保障面では、南シナ海での経済権益で中国との対立があるため、日本・アメリカ・オーストラリアとの連携が必須となる。中国と日本・アメリカのどちらか一方の側につかないというこれまでの外交方針に変わりはない。

 経済的な展望については、さまざまな経済予測がでており、2050年にインドネシアがGDPで、アメリカ、中国、インドに次ぐ世界第4位になると言われている。近い将来、インドネシアが経済大国になることは、疑いの余地がない。そのときにインドネシアとの協力関係において日本が求められているのは、日本側の変革であろう。日本の意思決定が非常に遅く、特にビジネスの現場ではインドネシアにとって、この意思決定の遅さは大きな不満となっている。日本におけるボトムアップという従来の企業文化を変えることは難しいが、これだけ大きな経済規模を持つインドネシアとの連携を模索するのは日本だけではない。インドや中国、韓国などの競争相手が増えるなか、この競争の時代に日本の企業文化が通用するかといえば、明らかに通用しないだろう。

 そのため、意思決定の方法を日本も変えていかねばならず、そしてリスクを取るという発想も必要になってくる。様々な国家規模のプロジェクトを見ても、日本の投資は、リスク回避、リスク最小化を前提としている。他方、多少のリスクを取っても決断するのが中国・韓国のビジネスであり、その決定の速さで重要な案件を次々と獲得していくため、必然的に日本が遅れを取る。その状況を打破するには、リスク回避主義からリスクと責任の両方を取る意思決定への変革が重要になろう。

 また、インドネシアと日本との政治的な関係においては、今後も共通の戦略的価値がある。アジアで最古の民主主義国家である日本と、そして東アジアで最大規模の民主主義国のインドネシアという2つの民主主義国が協力を深め、地域における民主主義の価値の普及や維持について発信していく意義は十分にある。

*本稿は2023年8月の研究会報告を元に、2024年2月のインドネシア大統領選挙後に加筆したものである。

参考文献


Lembaga Survei Indonesia, “Survei Nasional: Peta Kompetisi Pilpres dan Sikap Publik Terhadap Isu-Isu Nasional,” 1-8 Juli 2023, p.14.

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)本名純(2024)「アジアの「民主主義」第6章インドネシア―インドネシアの今とこれから―」NIRA総合研究開発機構

脚注
1 Lembaga Survei Indonesia, “Survei Nasional: Peta Kompetisi Pilpres dan Sikap Publik Terhadap Isu-Isu Nasional,” 1-8 Juli 2023, p.14.
2 産業において、資源を提供することを川上産業、加工度が高い産物を提供することを川下産業と呼ぶ。川上に位置する資源をそのまま輸出するのではなく、インドネシア国内で川中や川下へと資源加工プロセスを構築し、中間財または完成品を輸出することで産業構造の高度化をねらう。資源加工製造の育成と雇用を含む地方経済の向上を目的としている。

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