柳川範之
総合研究開発機構(NIRA)理事/東京大学大学院経済学研究科教授

概要

 安倍政権が掲げる名目GDP600兆円の目標を達成するためには、名目GDP成長率年3%程度を着実に実行していかなければならない。そのためには、情報技術や人工知能などの進展を背景とした、世界規模で起きている生産構造の大きな変化の動きを積極的に取り入れ、新しい時代にふさわしい社会経済システムをつくり出す事が不可欠だ。そのカギとなるのは「イノベーションインフラ」の形成である。
 クラウド・コンピューティングの発達により、企業を立ち上げるためのセットアップコストは大幅に低下した。クラウド・ソーシングなどネットを活用した外部委託が容易となり、人材や生産設備を自社で抱える必要がなくなった。またクラウド・ファンディングなど資金調達手段は多様化し、ネットによる販路拡大が容易となった事で初期段階から国際市場を意識した販売戦略を立てられるようになった。こうしたソフト面でのインフラを整備していく事で、画期的なアイディアを具体化・製品化し世界中に提供するような急成長企業の持続的な創出が可能となる。またこうしたインフラを有効活用するためには、失敗を許容しチャレンジを積極的に進める仕組み作りをし、多様な人材の参入を促すことも必要となるだろう*

INDEX

世界で起きている構造変化

 2015年9月、安保法制成立後に安倍総理は新三本の矢を発表し、名目GDP600兆円を目標に掲げた。この段階では期限は明言されなかったが、その後、2020年ごろまでの目標とされた。内閣府の公表目標である名目GDP成長率年3%程度を着実に実行することができれば、これは達成不可能ではない。しかし、多くの民間予測では、名目成長率は1%前後とされ、そのとおりだとすれば名目600兆円はかなりハードルの高い目標であるといえよう。

 なにより大きな課題は、この高い目標を実現させるための具体的手段、道筋がまだ明確ではないことである。一億総活躍国民会議などでさまざまな検討が行なわれ、対策も打ち出されつつある。が、どのような方策を用いてこの高い成長率を実現させるのか、そのためには何が必要なのかを明確にし、それを着実に実行していかなければ達成はおぼつかない。

 いままで、0~1%あたりで推移していた成長率を、3倍にも上る3%に引き上げていくことは、容易なことではない。しばしば、短期的な景気刺激策や需要拡大策が提案されがちだが、企業側の生産性を大幅に向上させていかなければ、持続的な成長は実現できない。そのためには、規制改革等を迅速かつ大胆に行ない、新たな参入企業を促すことが、当然不可欠だ。しかし、それだけでは十分ではない。もっと抜本的な変革を引き起こし、成長率を大きく引き上げる政策を実行できなければ、この目標の達成は難しい。

 ただし、大きな追い風もある。じつは世界的にみれば、情報技術(IT)や人工知能(AI)の進展を背景に、生産構造に大きな変化が生じていて、生産性を大きく向上させることが可能になりつつある。その結果、世界では急速に企業価値を増大させる企業が相次いでいる。その動きを日本も積極的に取り入れることだ。

 この変化をたんに一時的なベンチャー企業ブームが起きていると捉えるのは、事態を過小評価することになりかねない。いま起きているのは、もっと抜本的な構造変化だ。それは、起業に関するハードルの劇的な低下であり、極端にいえば、たった1人でも、自分のアイディアを具体化・製品化して世界中に提供することができる時代の到来である。現在、世界中で起きている変化は、その端緒とみるべきだ。しかし残念ながら、日本ではこの変化に付いていけているとはいえず、このままでは世界から取り残されることになりかねない。

 この大きな変化を日本にも取り入れるためには、新しい時代にふさわしい社会経済システムをつくり出さなければならない。そのためには、本稿で説明するようなイノベーションを持続的にもたらすための知的インフラの形成が重要であり、政府はこの点に注力すべきである。また、その知的インフラを有効に活用するために、失敗を許容しチャレンジを積極的に進める仕組みづくりをして、多様な人材の参入を促すことも必要だ。

アメリカでは急成長企業が急増している

 成長率を高めるためには、企業業績を飛躍的に伸ばしていく必要がある。とはいえ、いままで業績向上をめざして多くの企業が努力してきた結果が現在であり、人口も減っていくなか、そのような業績の急上昇を生み出すことは簡単ではなさそうにみえる。

 しかし、上で述べたようにアメリカではまったく異なった様相が実現しつつある。業績が指数関数的に急成長していく企業が続出しているのである。そのなかには、最近「ユニコーン」企業と呼ばれているものも含まれる。ユニコーンとは、未上場ながら、評価額が10億ドル以上の企業を指す。その代表格が、Uberである。

 Uberは米サンフランシスコ発祥の配車サービスであり、インターネットを使って、空いている車の情報を流すサービスを提供している。特徴的なのは、一般の個人が自家用車を用いて客を運べるようにした点にある。自家用車は多くの時間は使われずに眠っているし、空き時間にその自家用車を使ってサービスを提供したい人も多くいたことから、提供者、利用者双方にメリットが生じるサービスとなった。そして、フェイスブックを用いて運転手の評価がされる仕組みにより、品質に対する信頼感を担保している。設立は2009年3月で創業6年余りにすぎないものの、積極的な資金調達と世界展開を続けており、評価額は500億ドル、日本円にして約6兆円といわれる。企業価値だけでみれば、その規模はたとえば三菱商事や日本航空等をはるかに超える。

 また、12月4日のブルームバーグの記事によれば、Uberは新たに21億ドルの資金調達をし、評価額は625億ドルに達するとのこと。たんなる配車サービスにとどまらず食品の配送なども手掛け、将来的には自動運転を利用したサービスも検討していて、また、アジアとくに中国への投資を積極的に行なっていると報じられている。

 ユニコーンというのは、そもそもめったに見られないという意味で名付けられたものだが、最近では多くのユニコーン企業が出現しており、急速にその数を増やしている。UberのほかにもAirBnB、SpaceX、Dropboxなど多くの企業が、創業から短期間で業績を飛躍的に伸ばしている。

 AirBnBは、個人の所有している空き家や空き部屋を、個人の利用者に貸し出すサービスで、インターネットを通じて情報を流すと同時に、やはり部屋の評価、利用者の評価がネット上でなされることにより品質を担保する仕組みになっている。UberとAirBnBは個人の十分に利用されていない資産を貸し出して有効利用する仕組みを提供しているという点で、共通する部分が多い。このような仕組みはシェアリング・エコノミーなどという名前で最近呼ばれており、急成長企業のビジネスモデルとして注目を集めている。

 AirBnBについては、日本での展開にあたっては、それが旅館業法に抵触する場合があるのではないかといわれ議論を呼んでいたが、東京オリンピックを控え外国人観光客の急増が見込まれることもあり、民泊として一定の規定を設けて、このようなサービスを認める方向に議論が進んでいる。日本だけではなく、世界各国での規制の変更を促すような動きにつながっている点でも大きく世界を変えつつある。

 また、SpaceXはPayPalの創設メンバーだったイーロン・マスク氏が設立したロケット打ち上げ会社であり、この会社だけでなく、宇宙開発関連はいまや急成長の見込める大きなビジネスになりつつある。Dropboxはオンライン上にデータを保存しておけるサービスであり、ファイルを利用者間で容易に共有できることから、さまざまな共同作業の効率性を高めるのに貢献しているといわれている。

 このように、現在急成長をしている企業は、狭い意味でのIT企業だけではなく、かなり多岐にわたっている。また、未上場企業だけでなく、前出のイーロン・マスク氏が代表を務める電気自動車メーカーのTesla Motorsのように、すでに上場をしている製造メーカーもあり、Tesla Motorsの時価総額は300億ドルに達している。企業価値だけではなく、当然なかで働く従業員の収入もかなり高収入になっている。

 さらに注目すべきは、このような動きはアメリカだけではないという点である。中国のXiomiは中国のアップルともいわれているスマートフォンメーカーであるが、企業価値は500億ドルを超える。『日本経済新聞』によれば、中国全体でのユニコーン企業は、1.130億ドルの企業価値総額である。また、インド、スウェーデン、ドイツ、英国等でもユニコーン企業が育ちつつある。それに対して、日本にはまだ1社も存在しないのが現状だ。

表1 世界のユニコーン企業の企業価値ランキング
(2015年10月現在)

(出所)CBinsghtのデータを基に作成

バブルかもしれないが見習うべき点がある

 もちろん、ここでの評価額は、投資家あるいは市場の評価であり、そこには将来の成長に対する過度の期待や場合によってはバブル的な要素が含まれている可能性もある。超金融緩和が続いているなか、有力な投資先を求める資金が、可能性を追い求めるあまり、ネット上の夢物語のようなアイディアに多額の資金を供給している可能性もあるだろう。FRB(連邦準備制度理事会)が金利を引き上げたあとは、これらの企業の評価が大きく低下すると予想する論者もいて、現状のような高い評価がどこまで続くかはかなり怪しいのが実態だ。

 しかし、将来大きな可能性があると判断された企業が、アメリカに、そして世界に多数出現しているのは事実である。かつて、グーグルやアマゾンに対しても、投資家の過剰期待が、小さなアイディアに過大な評価をしているだけだと考えられたこともあった。けれども実際には、彼らはあっという間に世界的大企業になっていった。たとえ評価の5割しか実現できなかったとしても、これら企業の規模は大変な大きさになる。この点にしっかりと目を向け、学ぶべき点は積極的に取り入れていくべきだろう。また、かつてのITバブルのころと様相が異なる点は、ネット上のビジネスだけではなく、製造現場等、現実の経済活動に大きな影響と成長をもたらすような企業が多く現れてきている点であろう。

 残念ながら、わが国には、現段階ではユニコーン企業は存在しない。同じように超金融緩和が続いているにもかかわらず、このような企業が発生していないことは大きな問題だろう。このような指数関数的に急成長していく企業ができるだけ多く輩出していくこと、それがわが国の成長率を大きく押し上げる原動力になりうることは間違いない。

なぜ急成長が可能なのか

 それでは、最近になってなぜ急成長をみせる企業が急激に増えてきたのだろうか。ベンチャー企業が輩出するうえでのシリコンバレーの強さはすでによく知られており、アメリカで有力なベンチャー企業が出てくること自体には驚きはない。しかし近年、これほどの急成長を遂げる企業が世界で相次いでいる点は、それだけでは説明できない。また、アメリカだけでなく、他国でも増えている点を考えると、たんにシリコンバレーの優位性だけが原因とも考えられない。じつはここには、2つの構造的な理由がある。そして、この点こそが、わが国でも急成長を遂げる企業を出現させ、経済全体で生産性を向上させる大事なポイントでもある。

「イノベーションインフラ」の整備

 注目すべきポイントの第1は、イノベーションをめぐる構造が大きく変化し、アイディアを具体化し、イノベーションを引き起こすことが、いままでよりもはるかに容易になってきている点だ。最初にも述べたように、極端なことをいえば、1人の優れたアイディアさえあれば、世界市場を相手に製品やサービスを簡単に提供できる時代になりつつある。製造業でさえ、大きな設備やそれを実現するための多額の資金や多くの人材が必要なくなりつつあり、数人のグループで世界を相手に、巨額のビジネスができるようになってきているのだ。この構造変化を、わが国ももっと取り込んでいく必要がある。

 それでは、具体的には何が変わってきているのか。簡単にいえば、ITの革新によって、以下のように、企業を立ち上げるためのコスト(セットアップコスト)などが劇的に変化しているのだ。

 ①クラウド・コンピューティング(以下、クラウド)の発達によって、システム関連の設備投資や開発を自前でする必要がなくなった。そのため、セットアップコストが大幅に低下した。

 ②クラウド・ソーシングやクラウド・ワーキング等のネットを使った外部委託の利用可能性が大幅に高まった。その結果、社内に多くの人材や生産設備を抱える必要がなくなった。

 ③ネットを通じた資金調達であるクラウド・ファンディング等、多様な資金調達手段が可能になり、資金調達が容易になった。

 ④ネットを通じた広告、販売によって販路を急速に拡大させることが容易になった。その結果、かなり初期の段階から国際市場を意識した販売戦略が容易に立てられるようになった。

 とくにクラウドの与える影響は大きい。クラウドは、ごく簡単にいえばコンピュータやサーバーのレンタルサービスである。従前のようにサーバーを企業側にもってくる形のレンタルではなく、クラウド提供会社の施設に置いたまま、企業はそのサーバーを借りてデータ等を保存できるようにしている。インターネットの発達によってネットを通じてアクセスできれば、サーバーの場所はどこでも良いからだ。これによって、大きなデータを収納しておくサーバーを自前で調達する必要がなくなり、初期投資コストが大きく低下する。

 ただし、現在ではクラウド提供会社が提供しているのは、たんなるデータの収納場所だけではない。それぞれの会社に必要な、ソフトウエアやIT関連のさまざまなシステム等も一体になって提供するようになってきている。その結果、新規参入企業であっても、IT関連の高度なサービス提供体制を比較的簡単に構築できるようになっている。いま、世間で注目を集めているフィンテックビジネスも、このクラウドを活用することで可能になったものが多いといわれている。

 もちろん、クラウドサービスの利用には利用料が掛かる。しかし、これは利用に応じて支払っていくフローの支払いである。そのため、まだ事業がスタートしていないうちから巨額の支払いをする必要がなく、事業をスタートさせやすい。

 本稿では、これら①から④を「イノベーションインフラ」と呼ぶことにしよう。ここでいうインフラは、空港や道路といったハード面でのインフラではなく、ソフト面でのインフラを指している。今後イノベーションを促進し、生産性を飛躍的に上昇させていくうえでは、このようなソフト面でのインフラこそが重要だ。

イノベーションインフラのメリット

 「イノベーションインフラ」の充実は、セットアップコストを大きく低下させる役割を果たす。セットアップコストが低下すると新規参入が容易になる。資金集めや人材集めに大きなコストを掛けなくても、比較的簡単に会社をつくり、もっているアイディアを形にすることができる。これは、イノベーションを実現し、生産性の伸びが高い事業を実現するうえで、大きなプラスになる。とくにクラウドが新規参入促進に与える影響は大きく、OECD(経済協力開発機構)が昨年発表したレポート等でも取り上げられている。

 もちろん、その参入が失敗に終わることも多いだろうが、失敗しても大きなコストを掛けて参入していないので、退出も比較的容易である。退出とまでいかなくても、環境の変化に応じた方針の転換が比較的楽にできる。つまり柔軟性が高くなるのだ。これは環境変化のスピードが速い現代においては、大きなメリットである。

 また、たんにセットアップコストが下がるだけではなく、規模を簡単に大きくしたり小さくしたりすることも容易になっている。急拡大する必要が生じても、その分はクラウドの利用を増やせばよいだけだし、人材も外部の人材を集めれば良いからだ。やや学術的な言い方をすれば、固定費が変動費化することにより、規模がきわめて可変的になってきている。

 その一方では、グローバル化によって、マーケットが世界全体に急拡大している。一部地域で成功したら、それを容易に世界全体に広げていくことが可能になった。それと呼応する形で、ネットを通じて世界全体に広告、宣伝活動を行なうことが可能になり、国際展開とそれに伴うマーケティングの費用は大きく低下している。その結果、世界市場のような巨大マーケットに対しても、少人数でも比較的容易に販売できるようになり、最初から世界市場を意識した企業戦略が立てやすくなっている。

 このような環境が整備されてきたことが、急成長する企業が続出している、大きな構造的な要因である。

 しばしばみられる大きな誤解は、急成長をもたらすのは、天才的な経営者がいるからだという思い込みである。たしかに、スティーブ・ジョブズのようなカリスマ経営者がいたことが、今日のアップルを生み出している大きな要因になっているのは確かだろう。しかし、現在業績を急拡大させている企業は、必ずしもそのような経営者によって支えられているわけではない。天才経営者がいなくても、指数関数的に伸びていく企業が出現する。それは言い換えると、イノベーションインフラを充実させれば、天才的な経営者がいなくても、大きなチャンスがあるということだ。

イノベーションインフラを創り出せ

 もう1つ特筆すべきなのは、新しい急成長企業のなかには、イノベーションインフラの充実、改善に役立つような製品、サービスを提供している企業がかなり存在するという点である。つまり、新しい企業がイノベーションインフラをさらに改善するという形で、イノベーションインフラの拡大再生産が生じている。

 アマゾンは書籍等のネット販売の会社だと思われがちだが、現在の収益源のほとんどは、クラウドにある。アマゾンのクラウドを利用することで、起業家は安価にデータベース等のシステムを構築することができる。アマゾンのこのサービスが可能になったことにより、企業のスタートアップがいままでよりも格段に容易になった。そのインパクトは大きい。

 また、グーグルが提供しているさまざまなサービスやシステムそして資金が、多くのスタートアップ企業を支えていることもよく知られている事実である。アマゾンもグーグルも少し前までは、急成長のベンチャー企業と思われていた企業だが、これらの企業が積極的にイノベーションインフラを整備し、それをビジネスの柱に位置付けている点は注目に値する。そして、マーケットもそのようなサービスを評価して、高い株式価値を付けてきた面がある。

 アマゾン、グーグルほどのインパクトはないにしても、近年の急成長企業のなかには、イノベーションインフラの改善につながるようなサービスを提供している会社がかなりある。先に述べたDropbox等も、その一例だ。多くの急成長企業やIT企業は、高い収益性や成長可能性が注目されがちだ。しかし、経済に与える本質的な影響という点からすれば、その会社のサービスがイノベーションインフラを改善させ、結果として多くの優れた企業をその後に生み出すことができるという点のほうが、ずっとインパクトが大きく重要かもしれない。

 このようなサービスが果たしている役割は、日常生活で生じてきた変化を振り返ってみるとイメージしやすいかもしれない。たとえば、少し前まで書類の整理やスケジュールの管理等の事務作業には、多くの人手とスペースを必要とした。しかし、いまやそれらの作業のほとんどは、スマートフォン1台さえあれば十分な時代になっている。多くの棚を使い、場合によっては人手を使って整理していた書類やデータの管理は、スマートフォン上のアプリを使うことで、簡単に1人でできてしまう。その意味では、さまざまなアプリの開発は、日常生活や日常業務の効率性を格段に向上させてきた。

 これらの変化は、一言でいえばITの進化である。ただし、その一言で片付けてしまうと、本質は十分にはみえてこない。重要だったのは、多くのソフトやアプリが開発されてきた点である。グーグルやアップルがプラットフォームとして機能し、そのうえに多くのソフトやアプリが開発されたからこそ、利便性のある環境が整えられたのだ。

 同様なことが製品開発やイノベーションについてもいえる。新しい事業の開発やイノベーションはそれ自体重要なことだ。しかしもっと重要なことは、それらが開発されたことで、開発の土壌(インフラ)の整備に役立ち、新たな開発が格段にやりやすくなっている点、これこそがいま起きている重要な変化である。

多様な人材の参入

 急成長を遂げる企業が相次いでいる、もう1つの大きな要因は、多様な人材が参入してきている点である。この点はシリコンバレーではいままででも観察されてきたことであるが、上記のようにセットアップコストが低下して退出コスト、方向転換コストが低下したことで、よりその動きが促進されている。アイディアさえあれば世界マーケットを相手に仕事ができるということで、多様な人材が参入している。

 そして、多様なやる気のある人材が起業や開発に集まることで、相乗効果が生まれ、より優れたアイディアを生み出す結果となっている。さらには、過去に成功した起業家が、メンターとして新しい起業家に有益なアドバイスをしたり、アイディアをもった起業家同士を結び付けたりといった役割を果たしている点も見逃せない。これは、人材レベルでのイノベーションインフラが整備されてきたともいえる。

 このような人材のネットワークの形成は、日本でも少しずつは進んでいるが、まだまだ手薄であり、日本において急成長企業を創出する上で検討すべき重要なポイントだろう。

日本でもイノベーションインフラの整備を

 日本でも最近はスタートアップ企業が増加してきているが、アメリカのように急成長企業が次々と出現しているような状態ではない。それは、日本ではまだまだ上記の2点が実現できていないからだ。日本でも、イノベーションインフラを整備して、多様な人材が急成長する企業に集まってくるようにする必要がある。

 いままで述べてきたように、いまやイノベーションインフラは、優れたアイディアをもった人びとが起業をし、会社を大きく発展させていく上での重要な土台である。また、優れたイノベーションインフラが整うことで、それがさらに優れたイノベーションインフラを提供できる企業を生み出すという好循環の構造をもっている。つまり、プラスの波及効果が大きい。したがって、これに対しては、政策的支援を積極的に行ない、大きな波及効果を経済に与えることに一定の意義があると考えられる。

 もちろん、日本でなくても海外で整備されるのであれば、それで十分ではないかという考え方もありえよう。しかしながら、日本人がいきなり海外で起業することが現実的にはなかなか難しいことを考えると、日本でイノベーションインフラを整えることは、日本で意義のあるスタートアップを増やし、急成長企業を創出していくうえでやはり重要と考えられる。さらには、そのイノベーションインフラを積極的に生かすためには、労働市場改革を断行し、本来大きなチャンスがあるはずの分野に、多様な人材が参入できるような環境を整える必要がある。

 ハード面でのインフラ整備も重要ではあるが、今後は、イノベーションインフラのようなソフト面でのインフラも積極的に整備し、急成長企業をできるだけ日本から創出していくことが求められよう。それは、名目600兆円というGDP目標の達成にプラスというだけでなく、世界全体で大きく変化しつつある生産構造に、後れを取らないための必要不可欠な戦略である。

柳川範之(やながわ のりゆき)

NIRA理事。東京大学大学院経済学研究科教授。博士(経済学)(東京大学)。専門は金融契約、法と経済学。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)柳川範之(2016)「急成長企業を創出せよ」NIRAオピニオンペーパーNo.21

脚注
* 本稿は、月刊誌『Voice』(PHP研究所)2016年6月号に掲載されたものをもとに加筆・修正等を加えたものである。

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