企画に当たって

宇野重規

地域に広がる哲学カフェ

対話の場に生まれる新たな政治の回路

宇野重規

NIRA総合研究開発機構理事/東京大学社会科学研究所教授

KEYWORDS

哲学カフェ、市民参加、新たな政治の回路

 最近、日本各地であらためて「哲学カフェ」の活動を目にすることが多くなっている。哲学カフェの試み自体は、1992年にフランスのパリで始まったものであり、哲学者マルク・ソーテの『ソクラテスのカフェ』がよく知られている。日曜日の11時にバスティーユ広場のカフェに集まった人々は、哲学者とともに多様なテーマを語り合った。それは哲学を象牙の塔から解放し、普通の市民が、自分たちの関心を自分たちの言葉で語り合う機会を持つことを意味した。

 このような哲学カフェについては早くから日本でも紹介され、さまざまな実践も行われてきた。興味深いのは、哲学カフェが日本社会に定着しただけでなく、地域における住民参加とも結びついて展開していることである。あるいはそこに、地域が抱える課題や社会の変化を見いだすこともできるかもしれない。地域において対話が希薄化し、社会的分断が広がる時代において、哲学カフェは新たな可能性を切り開くことが期待される。今回の「わたしの構想」は「地域に広がる哲学カフェ」と題して、多様な実践を展開している研究者や市民の声を届けたい。

社会の1市民として問い、語り、そして皆で聴き合う

 日本に早くから哲学カフェを紹介すると同時に、大阪大学などでの実践を行なってきた哲学者の鷲田清一氏は、「哲学カフェとは、見知らぬ者同士が、自分の持つ属性とは関係なく1市民として、この社会で生きている中で体験したことを語り、意見を述べ、そして他者の話を聴く場である」と定義する。背景にあるのは、地域社会や労働組合などの中間団体の機能低下であり、今こそ「パブリック・オピニオンを最小の規模から作り出していく試み」が求められていると指摘する。

 哲学対話において、「聴く」ことの重要性を説くのが、作家の永井玲衣氏である。大切なのは、「参加者の『問い』を皆で聴き合うこと」であり、「問いとは、分からなさという弱さの開示であり、抵抗であり、他者を求める言葉だ」という。死刑制度を論じるにしても、直ちに「賛成か、反対か」を問うのではなく、「償うとは」など、そもそもの問いから対話を進める。「部分的であっても他者と自分の重なりを知り、その複雑さに身を置けるようになる」のが対話の意義であると永井氏は説く。

さまざまな現場で、対話の実践が進む

 東京大学共生のための国際哲学研究センターの堀越耀介氏は、いわゆる「教育困難校」での経験から、多くの子は勉強ができないのではなく、そもそも学ぶ機会がなかったと指摘する。「勉強は本当にしなければいけないのか」など、粘り強い対話から、「子どもたちが自分の言葉を手に入れ、自分の考えや言葉を信頼できるようになった」と報告している。コミュニケーションの変化は組織の変容をも生み出す。アカデミアの哲学もまた当然、変わらなければならない。

 大阪大学では、大学院生の共通教育として対話の場を授業に組み込んでいる。COデザインセンターの八木絵香氏は、「異分野の専門家とコミュニケーションを取れない者が、専門性を持たない人とコミュニケーションを取りながら社会にある問題に取り組めるとは考えられない」という。どのような選択であれ、自分が正しく、それ以外の選択は間違っていると人は思いがちである。分断を深化させない、異質な見解に耐える「知的な体力」の涵養かんようが必要だろう。

 市民の立場から、市民参加型のアートフェスティバルを開催してきたのが、「きゃさりん」こと横井史恵氏である。現在は川崎市武蔵新城で「大人の哲学カフェ」を開いているという。友達同士や職場では、それぞれの価値観に踏み込む対話の機会は多くない。「人間関係そのものを深めることなく、テーマについての対話だけを深める、その気軽さが現代の人々の需要に合っている」という指摘は貴重だろう。哲学カフェは信頼できる政治家選びや行政への働きかけにもつながると横井氏は強調する。

現代の新たな政治の回路に

 地域社会や労働組合など、伝統的な中間団体の機能が低下するなか、思えば、民主主義の基盤にあるはずの対話の機会が、いつの間にか失われつつあるのだろう。知識を持つものがそれを開陳するのが対話ではない。1人ひとりの言葉にならない不安や不満を口にできる場、「賛成か、反対か」を直ちに求められるのではなく、より根底的な「そもそも」の問いを語り、聴いてもらえる場が今こそ必要である。「哲学カフェ」が現代の新たな政治の回路になりつつあるのかもしれない。

識者に問う

なぜ哲学カフェの活動が広がっているのか。社会にどのような意義をもたらすのか。

鷲田清一

安心して異なる意見を出し合える場で、デモクラシーが育まれる

鷲田清一

哲学者/大阪大学名誉教授

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中間団体の機能低下、専門家への失望、民主主義のレッスン

 哲学カフェとは、見知らぬ者同士が、自分の持つ属性とは関係なく1市民として、この社会で生きている中で体験したことを語り、意見を述べ、そして他者の話を聴く場である。参加者は職業も肩書も伏せたまま、パーソナルな体験をパブリックに、丁寧な言葉遣いで話していく。小難しい専門用語は使わない。対話にあたっては、互いに話を遮らずに聴き、何を言っても頭ごなしに否定されたりはしないという安心感が重要である。参加者は、この場で新たに得た視角を咀嚼そしゃくして自分の中に取り込み、自分の考えを組み立てなおすきっかけとする。こういった場を開こうと、われわれは哲学カフェを始めた。

 哲学カフェのような存在が求められるのには、時代的な背景がある。1つには、地域社会も労働組合も中間団体として十分に機能しなくなった結果、人々が結集して世論を作り出し、社会運営に物申すことができなくなってきたという事情がある。今やわれわれは、選挙で1票を投じるくらいでしか、政治に関わらなくなった。そうした中で、もう1度、自分たちが直面している問題とは何か、どんな解決があるのかを、自分たちで考えていこうという意識が芽生えてきた。

 また、専門家に対する失望も、哲学カフェが広がった背景にある。東日本大震災で原発事故が起きた際、専門領域を越えて総合的に語りえた専門家はほとんどおらず、専門家への不信感が募った。これをきっかけに、専門家任せにせずに自分たちで考えてみようという動きが広がった。その後、環境破壊、気候変動など取り扱う問題が拡大していく。

 哲学カフェの直接的な意味は、自分たちが抱えている問題を専門家任せにするのではなく、自力で、互いに関心を交叉こうささせながら語り合うことにある。これは、中間団体が痩せ細った中で、パブリック・オピニオンを最小の規模から作り出していく試みでもある。

 昨今、「せろん」と称される民衆感情ポピュラー・センチメントで他者を攻撃する人が目立つ一方、パブリック・オピニオンである「よろん」で動く人は少ないし、そのための場もない。しかし、パブリック・オピニオンをきちんと持ち、他の人たちとともに活動していきたいと思う人は確かに存在する。哲学カフェの意味は、対話で「よろん」を得た人々が、自分の活動の場でそれをどう生かしていくかにもある。哲学カフェは、社会活動あるいは政治の営みにつながる一連の過程の初発の部分を担っており、民主主義のレッスンともいうべきものとしてある。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

鷲田清一〔2014〕『哲学の使い方』岩波新書

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なぜ哲学カフェの活動が広がっているのか。社会にどのような意義をもたらすのか。

永井玲衣

「そもそもの問い」「聴き合える場」が信頼を築く

永井玲衣

作家

KEYWORDS

聴き合える場、記号化ではない人との向き合い方、信頼を築く営み

 哲学対話は、開く人によって作り方が異なるのが魅力だ。私が試みているのは、「誰もが自分の哲学をしている。それを表現し聴き合う場を一緒に作りましょう」というスタイルだ。スキルや知識よりも、「聴く、待つ、信じる」という態度を重視していて、誰でも始められる。ファシリテーターやルールという言葉は使わない。場を管理して何かを生み出そうとするより、「あなたの話を聴かせてもらう者」として存在するようにしている。

 大切にしているのは、参加者の「問い」を皆で聴き合うこと。不安や苦しみ、好奇心、怒りといった心に煮えたぎるモヤモヤを、まとまらないままでも言葉にしてもらう。それが「問い」だ。問いが参加した人々をつなげるのは、問いとは、分からなさという弱さの開示であり、抵抗であり、他者を求める言葉だからだ。

 また、いきなり「死刑制度に賛成か、反対か」「核兵器を持つべきか、持たざるべきか」と問うのではなく、意見が合わなくても、「そもそも償うってどういうこと?」「核兵器を持つと強い国と言われるけど、そもそも強い国って何?」のように「そもそもの問い」から始めることで、対話を進めてみる。対話によって、「賛成か、反対か」という単純な2項対立を超えて、部分的であっても他者と自分の重なりを知り、その複雑さに身を置けるようになる。それが対話の意義であり、対話が他者や社会の信頼を築く営みである理由だ。

 日常の生活の中では、人を「先生」や「部長」など役割や属性という記号で見てしまいがちだ。しかしそれは、人が非人間化されてしまう危うさを伴う。他者を、非人間化した記号で見る先には〝地続き〟で戦争や虐殺がある。対話は、記号化ではないやり方で人と向き合う時間や体験だ。対話の場で人は、肩書を外した1人の人間として立ち現れる。聞きたくないことも暴力で解決せず、耐えて許し合いながら、互いの「問い」を聴き合い、一緒に言葉を育てる。対話とは、粘り強い営みだ。

 今の社会には「聴き合える場」が少なすぎる。哲学対話がブームとして消費されることを心配している。私は対話の後、「次はあなたが対話の場を作って」とお願いしている。多くの人が対話を必要としながら、なぜ少ないのか。哲学対話に限らず、読書会や福祉の集まりでもよい。気軽に聴き合える場を増やしていくことが重要だ。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

奥田知志〔2025〕『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた』西日本新聞社

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なぜ哲学カフェの活動が広がっているのか。社会にどのような意義をもたらすのか。

堀越耀介

哲学対話が教育現場、ビジネス組織の意識変化を醸成する

堀越耀介

東京大学共生のための国際哲学研究センター上廣共生哲学講座特任研究員

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自分の言葉、そもそもの問い、哲学の更新、生き方としてのデモクラシー

 いわゆる「教育困難校」の生徒との哲学対話が、私のキャリアの始まりだ。すぐに分かったのは、多くの子は勉強ができないのではなく、親の介護や自身の不登校のために学ぶ機会がなかったということ。いろいろなことを考えざるを得ない環境で生きてきた子どもとの対話では、実にさまざまな問いが出てくる。学校になぜ行かなければいけないのか、勉強は本当にしなければいけないのか――。問いを抱いていても、それを考える機会がない。そうした子どもと毎週のように哲学対話を5年ほど続けていると、中には研究力の高い大学に進学する生徒も出てきた。進学は分かりやすい成果だが、変化の核心は、子どもたちが自分の言葉を手に入れ、自分の考えや言葉を信頼できるようになったことにある。

 変化という点では大人も同じだ。近年、イノベーション創出や人材育成などの問題を抱える大企業の幹部から、ビジネス領域で「大人のための哲学対話」の研修を依頼されるようになってきた。多くのビジネス人材は、問題解決の思考、すなわちHOWを問うのは得意でも、WHYやWHATという「そもそもの問い」を立てることに課題があるという。「そもそも成功とは何か」と切り出しても、「どうやったら成功できるか」の話になってしまう。哲学は、意味や概念をクリティカルに考え続ける。正解は1つではなく、回答に間違いもないため、哲学的な問いの前には全員が対等だ。対話の中で次第に「考えたい、だから問う」という空気が醸成され、「そもそも」の話ができるようになっていく。コミュニケーションの変化は、やがて組織の変容を生む。それが、ビジネス領域の哲学対話の醍醐味だいごみだ。加えて、ビジネスパーソンの多くは、選挙で投票行動の中心を担う人々でもある。彼らが哲学対話を通じて変わることで、より包摂的で民主的な社会の実現に寄与することを期待している。

 アカデミアの哲学もまた、新しい「知」に出会い、変わらなければならない。例えばカメラを開発する技術者は、哲学における写真論には必ずしも明るくないが、同時に哲学の側も開発現場で考える人たちの「知」を知らない。哲学がヒエラルキーの上位にあり、それを下に広げていくのではなく、現場の暗黙知や身体知を包摂して考察し、哲学を更新していかねばならないことが、いま哲学者たちに突き付けられている。新たな「知」を包摂し変化していくことは、真の「知」の探求であり、生き方においてデモクラシーを実践することに通じる。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

「特集:哲学教育/哲学対話」『思想』2025年10月号No.1218, 岩波書店

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なぜ哲学カフェの活動が広がっているのか。社会にどのような意義をもたらすのか。

八木絵香

異なる価値観が共存する状態に耐える「知的な体力」を対話で養おう

八木絵香

大阪大学COデザインセンター教授

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自分の専門性の相対化、異質な見解に耐える、「小さな政治」の場

 大阪大学COデザインセンターでは、大学院生の共通教育として、「対話」を重視した授業を行っている。背景には、同じ大学に所属する専門分野が異なる大学院生同士ですら、相互理解が難しいという事情がある。異分野の専門家とコミュニケーションを取れない者が、専門性を持たない人とコミュニケーションを取りながら社会にある問題に取り組めるとは考えられない。まずは専門が異なる他の大学院生と意思疎通する作法を学ぶ必要がある。

 この授業で、異分野の大学院生同士が議論すると、議論は容易には収束しない。彼らがそれぞれ身に付けた知識以上に、専門家としての作法に無自覚なままに、議論を続けようとするからである。やり取りが続く中で互いの違い、そしてそれが何に由来するのかを意識して初めて、院生たちは自身の思考の癖に気づき、他の考え方それぞれの価値観や合理性の存在を実感する。また、自分の専門性を相対化し、異なる考え方をする他者を、同じコミュニティーで共存する存在として認識できる。

 もっとも、共存すること、すなわち、異なる価値観の存在を許容することは、時として心理的な負担をもたらす。さまざまな自然災害や、福島原子力発電所の事故、コロナ禍における諸課題などを巡って、大きな分断がおこってきたことが示すように、苦しい選択であるが故に、自らは「正しい」選択をしており、それ以外の選択は間違っていると考える心性が人にはある。とはいえ、どこかで踏みとどまらなければ、分断が進むだけになってしまう。互いを理解不能な他者として扱い、対話自体が成立しなくなる危険は避けるべきだ。

 分断を深化させず、自分とは相いれない異質な見解に耐える「知的な体力」を養うためには、対話というプロセスが助けになる。唯一の正解を追い求めるのではなく、互いの考え方の「ずれ」を、対話を続けながら丁寧に解きほぐしていくことで、矛盾する価値が同時に存在する曖昧な状況に耐える力を持てるようになる。

 こうした対話を増やすことは、民主主義の形成と維持にも貢献する。民主主義は、私たちの手がなかなか届かない高い次元でだけでなく、日々の生活の中で対話しながら違う考えを理解するという、小さな場での営みの積み重ねからも成り立っている。こうした日常における「小さな政治」の場として哲学カフェのような場所が増えていくことを期待したい。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

八木絵香〔2019〕『続・対話の場をデザインする―安全な社会をつくるために必要なこと』大阪大学出版会

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なぜ哲学カフェの活動が広がっているのか。社会にどのような意義をもたらすのか。

横井史恵(きゃさりん)

地域のさまざまな人が1つのテーマで自由に対話

横井史恵(きゃさりん)

Atelier Sistermoon主宰

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気軽な学び、人との適度なつながり、政治の議論を深めるきっかけ

 私は神奈川県川崎市で、長く、市民参加型のアートフェスティバルを開催してきた。その中で導入した1つが、哲学カフェだ。コロナ禍でさまざまな活動が制限されていた時期、対面で人と話をする機会が希少となり、交流を求める人たちからの需要があった。現在、武蔵新城で開催している『大人の哲学カフェ』は、リベラルアーツとしての哲学ではなく、日常の事柄がテーマだ。「愛とは」「生きづらさ」「社会的制裁」など、毎回1つのテーマについて共に考え、自由に語り合いながら、他者と共に生きる意味を、参加者と共に探ってきた。

 哲学カフェは「気軽な学び」と「人との適度なつながり」を地域に提供する、社会的な仕掛けである。世代や性別、国籍を超え、背景の異なるさまざまな人々が参加し、1つのテーマを巡って、初対面の人同士であってもそれぞれの経験や価値観、考えを語り合う「対話の場」である。その意義は、他者理解と自己理解を深める経験にあると感じている。対話の中で話者のバックボーンが見える瞬間があり、話している本人も、言語化することで、あらためて自分の考えに気づく瞬間がある。この自己、他者に対する理解が「あ、なるほど、そういうことか」とに落ちる経験をすると、「行ってよかった、また行こう」と思うのだ。人の話を聴いて気軽に学べる場でもあり、自分の話を熱心に聴いてもらえる幸福な場でもある。

 友達同士や職場では語りづらい、でも話してみたいテーマについて対話できる機会は、実は余りない。人間関係そのものを深めることなく、テーマについての対話だけを深める、その気軽さが現代の人々の需要に合っているように思う。社会的な関係を構築することが苦手な人や、地域との関わりを面倒に感じるシニア層の男性も参加しやすい。ただし、暴走してけんかを始める人がいると、参加者に「傷つき体験」が生まれてしまうため、ファシリテーターの技術が必要だ。

 例えば政治的な場面においても、野次やじではなく「対話」が民主主義の基本となり、政治への悪いイメージを対話を通じて解消し、信頼できる政治家を市民が選び、行政に働き掛けていく。政治や外交を利害調整の場とするのでなく、もっと本質的な議論を深めていくために、そのきっかけとして哲学カフェは機能し得るのではないか。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

フランツ・カフカ〔2014〕『絶望名人カフカの人生論』頭木弘樹(編訳)、新潮文庫

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2025)「地域に広がる哲学カフェ」わたしの構想No.81

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  • 日本での哲学カフェ・哲学対話の広がりの歴史

    日本での哲学カフェ・哲学対話の広がりの歴史

    注1)肩書は当時
    注2)2016年にCOデザインセンターに改組
    注3)同サイトに掲載されている「哲学カフェ一覧」をカウント
    出所)識者の談話等をもとに、NIRA作成。「哲学カフェ・哲学対話ガイド

  • 日本での哲学カフェ・哲学対話の広がりの歴史

    注1)肩書は当時
    注2)2016年にCOデザインセンターに改組
    注3)同サイトに掲載されている「哲学カフェ一覧」をカウント
    出所)識者の談話等をもとに、NIRA作成。「哲学カフェ・哲学対話ガイド

  • 哲学対話の様子

    哲学対話の様子

    (写真)永井玲衣氏提供。撮影:八木咲氏

  • 哲学対話の様子

    (写真)永井玲衣氏提供。撮影:八木咲氏

  • 新聞全国紙における「哲学カフェ」「哲学対話」登場記事数の推移

    新聞全国紙における「哲学カフェ」「哲学対話」登場記事数の推移

    注1)朝日・読売・毎日・産経・日経
    注2)2025年は11月11日まで
    出所)nifty「新聞・雑誌横断検索」、日経テレコン(いずれも2025年11月11日アクセス)

    付表

  • 新聞全国紙における「哲学カフェ」「哲学対話」登場記事数の推移

    注1)朝日・読売・毎日・産経・日経
    注2)2025年は11月11日まで
    出所)nifty「新聞・雑誌横断検索」、日経テレコン(いずれも2025年11月11日アクセス)

    付表

  • 同居していない家族や友人たちとのコミュニケーション頻度(2024年)

    同居していない家族や友人たちとのコミュニケーション頻度(2024年)

    出所)内閣府孤独・孤立対策推進室「人々のつながりに関する基礎調査(令和6年)調査報告書」令和7年4月

    付表

  • 同居していない家族や友人たちとのコミュニケーション頻度(2024年)

    出所)内閣府孤独・孤立対策推進室「人々のつながりに関する基礎調査(令和6年)調査報告書」令和7年4月

    付表

  • 日本人の社会に関与する意志

    日本人の社会に関与する意志

    注)本調査は2025年3月4日~6日に、Web上で行われた。有効回答数は、1,552。本調査の速報については「第3回政治・経済・社会に関する意識調査(NIRA基本調査)(速報)」を参照
    出所)本調査のローデータは、2026年1月を目途にNIRA総研ウェブサイトに公開予定

    付表

  • 日本人の社会に関与する意志

    注)本調査は2025年3月4日~6日に、Web上で行われた。有効回答数は、1,552。本調査の速報については「第3回政治・経済・社会に関する意識調査(NIRA基本調査)(速報)」を参照
    出所)本調査のローデータは、2026年1月を目途にNIRA総研ウェブサイトに公開予定

    付表

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構
榊麻衣子(編集長)、神田玲子、河本和子、山路達也
※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp

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