柳川範之
NIRA総合研究開発機構理事/東京大学教授
新井紀子
国立情報学研究所情報社会相関研究系教授
大内伸哉
神戸大学大学院法学研究科教授

概要

 人工知能(AI)に関する技術進歩は目覚ましく、その成果を有効活用していく必要がある。しかし、そこには一定の限界も存在する。今の人間社会においては、AIが「正解」を導くには、そもそも人間が「正解」を明確に設定せざるを得ない。また、AIが学習していくには、大量のデータが必要になる。経営戦略面では、このような特性を正しく理解し、業務を再設計していくことが求められる。
 再設計が非効率的な形でしか行われないと、より効率的にAIを活用する外国企業等に、競争で負けてしまう。AIの発展は、経営の現場を大きく変えていくに違いないが、そこには飛躍するための大きなチャンスも隠されている。適切に業務を切り分け、AIに代替させるべき業務は代替させ、人とAIとが融合的に業務を行えるようにすることにより、全体の生産性向上が期待できるし、AIの機能向上が、新たな仕事や新たな雇用も創出していくだろう。具体的には、業務フローの全体的な見直しや、経営全体の再編成が必要となってくる。また、その結果、産業の垣根も大きく変化するに違いない。社会全体としては、このような技術の変化を踏まえた、適切な雇用政策や教育制度の改革がより一層重要となるだろう。

INDEX

1 はじめに

 人工知能(AI)に関する問題を考える際の、大きな課題のひとつは、どのようなレベルの技術革新や発展を想定するかという点である。将来どの程度の発展が見込まれるかについては研究者の意見も分かれており、確実な未来を予測することは難しい。また、技術革新が急速でもあることから、人間の能力をはるかに超えた知的存在としての人工知能が語られることもあるし、また目先の製品開発レベルでの人工知能活用が語られることもある。どのような時間軸で、どのような可能性レベルで考えているかを明確にしないと、議論がかみ合わず混乱してしまう。

 特に社会や経済への影響という観点で考える場合には、どこまでの実現性があるのか、どの程度社会に実装される可能性があるのかという点に注意を払う必要があろう。そうでないと、地に足のついた政策論等はできないし、いたずらに楽観的に考えたり、実現可能性を考えずに過分に悲観的になってしまったりする。そこで本稿では、現在の技術水準である程度予想し得る現実的な未来像を想定し、そのうえで、それが社会や経済に対してどのような影響を与えるかを検討していくことにする。

 本稿の主なメッセージは、以下の通りである。


①人工知能に関する技術進歩は目覚ましいものがあるものの、一部で喧伝されているような、すべての面で人間の知能を凌駕するような人工物が開発される見込みは立っていない。社会科学としては、そのような未来を想定して議論することには、無理がある。

②しかしながら、今予想可能な技術進歩のレベルであっても、社会や経済に与える影響は、かなり大きい。未来の技術ではなく、既に存在する技術レベルですら、それが社会に実装されていく過程で、産業構造が大きく変化する等経済に甚大なインパクトをもたらしうる。

③この大きな影響をチャンスと捉える発想が必要であり、AIの限界を把握し、人間にしかできない強みを発揮させる、業務フローを大胆に見直すなど、今までの産業構造の枠組みを超えた再構築が、企業経営においても求められる。

④また、そのチャンスを生かすうえでは、例えば雇用政策や教育等、政策面・制度面での改革も必要となる。


 以下これらの点について、詳細に検討していくことにしよう。

2 AIはどこまで進歩するのか

人工知能とは

 厳密な定義をすれば「人工知能」とは、人間と同等かそれ以上の精度で、人間が行う知的活動「全般」を実行する人工物のことを指すべきだろう。世間では今、人工知能ブームが訪れているが、残念ながら、そのような人工物が開発される理論的枠組みはいまだ存在しない。また、それが確立される見込みも立っていないのが正確なところだ。

 将来の発展を期待して、脳科学との融合の可能性等が語られることはある。しかし、機能の実験科学的あるいは数理モデル的解明と、その実装との間にはかなりのかい離がある。例えば、その機能が科学的な意味では完全に解明されたといえるコオロギでさえ、人工物として創造することは、いまだできていない。ましてや、それが社会に実装されるようになるまでには、相当なハードルを越えていく必要があり、時間もかかる。したがって、現状では、上記のような意味での「人工知能」の真の実現を想定して、社会科学的な議論を行うことには無理がある。

 そこで本稿においては、社会科学的な議論を行う上で必要と考えられる技術革新の範囲で、問題を考えていくことにする。その際、人工知能を目指す過程で、工学分野で研究開発された技術全般を「AI技術」とよび、誤解のない範囲で、AI技術によって生じた知的タスクを行うプログラムをAIとよぶことにする。

 現在、巷間で人工知能あるいはAIと呼ばれ話題になっているもののほとんどは、ここで呼ぶAI技術あるいはAIに関するものである。例えば、2011年にIBMが開発したワトソン(Watson)というAIがクイズ番組ジョパディ!(Jeopardy)で人間のチャンピオンを破った。2012年にはGoogleが開発した、深層学習を取り入れた画像認識機が自動的に猫の画像を認識することに成功し、さらには自動運転車の公道における運転が承認された。これらは、最初に述べた厳密な意味での人工知能ではないが、AI技術あるいはAIに関する人々の関心を呼び覚ますには、十分な成果であった。

 一連の成果を受け、産業界ではAIへの関心や期待が一気に高まった。政府においても、2014年には官邸主導で「ロボット革命実現会議」が開催され、2015年には経済産業省、2016年には文部科学省による人工知能の研究開発プロジェクトがスタートした。

 これらの取り組みが本格化したことは歓迎すべきことであるし、また、研究開発が大きく世の中を変える可能性を軽視すべきでもない。しかし、どの程度何を変える可能性があるのかは冷静に判断する必要がある。

機械学習の進展

 近年、画像認識・音声認識等の分野での精度向上に大きく寄与したのは、いわゆる機械学習と呼ばれる技術である。機械学習とは、センサーやデータベース等から得られた既知のデータを用いて、「未知の情報(テストデータ)に対する出力の正解率」を向上させる理論および技術を指す。ここで「未知の情報に対する出力の正解率」とは、例えば、初めて提示された写真、すなわち、未知の情報に対して、そこに写っているのが猫かどうかの判断、すなわち、出力が正解できる率のことである。しかし、何が正解なのかの判断は、厳密に考えると難しい。

 一般的に言えば、AIの精度の判定においては、設定されたタスクの上で、入力に対し出力がどれだけ許容される正解に近いかを、なんらかの量的基準を用いて測定する。例えば、画像認識精度を測る上でしばしば使われるのは、写真に写っている対象が何かを判定するタスクである。しかし、1枚の写真には、実は、解釈の仕方によって無数の対象が写っている。空・草原のような背景、青・白のような色、ハコベ・シロツメクサのように草原を構成する植物等。これではどのような出力が許容される正解なのか(何が写っているといえば正解なのか)が判断できない。そこで、あらかじめ複数の対象(例:ダックスフント、おむつ、ビキニ、ペットボトル)を定め、そのうちの何が写真の中央付近に1番大きく写っているかを当てるというタスクがしばしば使われる。

 このような画像認識のように、入力をあらかじめ人間が定めたいくつかのグループに仕分けるタイプの問題を「分類問題」という。分類問題に該当するものとしては、そのほかに迷惑メールの検出、郵便番号の数字の読み取り、音声認識等がある。ここでAIが行っていることは、新たな名前をつけたり新たな分類をつくる作業ではなく、入力された写真に写っているものや、書かれている郵便番号の数字等が、あらかじめ人間が定めた(有限の)グループの中のどれに1番当てはまるかを判断する作業である。

 機械学習については、技術的観点からの整理・分類ももちろん重要であるが、本稿で議論するように人材活用や経営や経済のあり方を考えていく際には、機械学習がどのような問題の解決に使えるのかという整理・分類がより重要になってくる。そこで、以下では機械学習を適用することができる問題で分けることとする。すると、この分類問題のほかに、「検索問題」、「強化学習可能な問題」、に類別される(図表1)(注1)

図表1 機械学習が適用される問題

 「検索問題」というのは、人間が定めた正解あるいは正解にちかいものを、ウェブ等から探し出してくる問題である。例えば、何らかの事実を問う問題の答えを探すのは、典型的な検索問題である。AIは、問題に含まれるキーワードをピックアップし、ウェブ上の知識源(Wikipedia等)を検索し、適切と思われる文書を選び出す。次に、選出された文書の中で、問題設定の特徴、キーワードとの共起の仕方(同時に現れる頻度)などから、答えとおぼしき語や文を選んで出力するのである。あるいは、見かけは検索に見えないが、機械翻訳、特に統計的機械翻訳も検索問題に近い。入力文を分解し、教師データ上で分解した語の翻訳と思われるものの検索を行い、得られた結果を合成して翻訳文とする(注2)

 こうした分類問題や検索問題においては、十分な正解率が達成される場合には、アウトプットとしてただひとつの答えを出せばよい。一方で、実用に耐えうる正解率を達成できない場合もある。その際は、答えの候補をいくつか示すことで人間の判断を支援するシステムがしばしば提案される。解候補をあり得そうな順に並べることをランキングといい、ランキングつきの分類や検索は、営業販売(顧客に商品を推薦する)・病気診断(検査結果に病名をマッピングする)・コールセンター業務(苦情にFAQをマッピングする)などビジネス上の応用範囲が広く、労働市場にもっとも影響を与えると考えられている技術である。

 また、機械学習には、分類問題や検索問題のように、正答率が向上するよう機械に学習させるだけでなく、「強化学習」とよばれる、人間が求める動きや行動を実現できるような判断(広い意味での「正解の判断」)を、学習させていく技術もある。その典型例は自動運転の学習である。自動運転では、画像認識やスパムメールフィルタリングとは異なり、連続的な判断が求められる。望ましい結果(例えば、障害物に接触しない、なるべく短時間でゴールに到達するなど)を達成できたときに報酬を与え、できなかったときにペナルティーを与え、これを何度も繰り返すことで最適な判断を機械に学習させるのである。

 以上みたように、機械学習が適用される問題は、おおむねこの3種類(分類問題、検索問題、強化学習)に分類されるが、ただし明確に分類できない場合も少なくない。例えば、写真をレンブラント風の風景画に加工するというような作業は、入力が写真で、結果はレンブラントの絵との距離が最小になるような変換であり、分類・検索・強化学習のどれとも明確には言いにくい。

 なお、ここ数年特に注目を集める深層学習(DeepLearning)も、機械学習に含まれる概念であるが、適用される問題というよりは、機械の学習の仕方に関する発展の一形態であり、上記すべての学習について、深層学習を取り入れ発展させていく余地がある。

機械学習の特徴と限界

 AIによる近未来社会への影響とその範囲を議論する際には、往々にして上で述べた正解率に注目が集まる。例えば、画像認識において既に機械が人間による判断を上回ったとか、医師が発見できなかった珍しい病気をAIが発見した、というようなことである。確かに、これらの進展には目を見張るものがある。しかし、これらの成果をもって、AIが人間を凌駕するとか、AIがほとんどの人間の仕事を代替してしまうかのように考えるのは、研究開発現場の精度競争に引きずられ過ぎた、やや近視眼的な議論といえよう。

 AIの評価を考える際に、より本質的なのは、タスクの入出力と正解が明確に定義されているか、得られる学習データが実際に知りたい問題に対してどのようなサンプルとなっているか、そして、正解からの近さ・遠さがどのように設定されているか、という点である。しかし、これらはいずれも人間が設定するものであるし、また、どう設定すべきかが明確でない場合も多い。

 そこで以下では、これらの点を少し丁寧に検討していくことにしよう。

 そもそも、人間の知的活動の多くは、何が入力で何が出力なのかを定義すること自体が難しい。正解があることを前提にしているから、AIの正解率が注目されるが、現実には何が正解か明確でない問題がほとんどなのだ。

 例えば、「生徒によくわかるように数学を教える」とか「窓口に来た客の問題解決を巧く支援する」というような活動は、何が入力で何が出力で、何が正解なのかが判然としない。これではタスク化することも、精度を測ることも難しい。つまり、入出力と正解を定義することからAIの設計は始まるのであり、そこの部分は人間が行う必要がある。そして、それは必ずしも容易なことではなく、明確に定義できたならば、ある意味では、かなりの部分解決しているような問題が現実には少なくないのだ。

 次に、AIに学習をさせるには、入出力のデータを大量に収集しなければならない。しかし、偏りのないデータを集めてくることは、実はなかなか難しい。理論上、機械学習に基づくAIは、得られた学習データから学んでいくので、本来はそれがランダムサンプルであって初めて、母集団での正解率向上に役立つ。言い換えると学習データが偏っている場合、学習にも偏りが出てしまう。例えば、特定の地方の方言だけ学習した場合には、その方言についての正解率は向上するかもしれないが、他の地方の言葉については、たとえ同じように日本語と分類されていたとしても、学習の威力が必ずしも発揮されるとは言えない。

 さらに、正解の「程度」をどう設定するかという問題がある。正解がYes/Noのような分類問題や、正解からどの程度かい離しているかを数値的に測ることができる場合には、正解・不正解の判断や正解の程度の判定は容易だ(注3)。しかし、機械翻訳や論旨要約、文書生成等のタスクでは、正解からどの程度かい離しているかという、正解からの距離の定義自体について科学的・社会的合意を得ることが難しい。そのため、現状ではその点は便宜的に定められていることが多い。

 機械翻訳分野においてもっとも多用されるBLEUという尺度は、(文脈によらない)文の集合に対し、プロの手による翻訳と機械翻訳の出力結果とが、どれくらい同じフレーズを共有しているかによって正解らしさを測る。例えば、「Yes.」という1語から成る文ひとつから構成される文集合があったとする。この文に対し、プロの翻訳者が「はい。」という訳をつけ、機械翻訳機も「はい。」と訳せばこの文集合におけるBLEU値(bilingual evaluation understudy:テキストの質を評価するアルゴリズム)は最大値である1になる。しかし、現実には、否定疑問文で尋ねられたときの「Yes.」は「いいえ。」と訳すべきだろう。このように、文脈に依存しない形で、一文だけ取り出して文単位で翻訳しても、それは人間にとってそれほど有用なものにはならない。しかし、機械翻訳においては、その精度を測る現実的かつ低コストの方法が他には考えにくいため、このような精度測定方式が広がっているのが現状なのである。

人間の相対的強み

 このように、機械学習の進展は目覚ましいものがあるが、何でも機械ができるようになるわけではなく、そこには一定の限界も存在する。特に今の人間社会において、AIが正解を導き出すためには、そもそも人間が「正解」を明確に設定する必要があるという点は認識しておくべきだろう。ここから導かれる重要な含意がいくつかある。

 まず、知的活動においてAIが真に人間を上回ったか否かを科学的に(統計的に)判断するのはそもそも困難(あるいは不適切)な場合が多いという点である。それを前提に考えると、人間が行うべき知的作業も少なくない。例えば、現在の保育士の仕事を考えたとき、何が入出力で(つまり、どのような情報の下で、どのような判断や行動をすべきか)、そして何が正解なのかを定義することはほぼ不可能である。そのため、AIが人間を超えているかどうか、AIによる代替が可能かどうかを議論する前提に立つことすらできていない。言い換えると、そのような知的活動は人間が行う必要がある。

 また、個別性が高く、学習するのに必要な大量データを集めるのが困難な事象についても、AIによる代替が難しく人間が行っていく必要性が高いと考えられる。

 それに対して、例えばエックス線写真を見て、癌の有無を判定する放射線診断専門医の仕事は入出力や正解の定義が明快である。その意味で、格段にAI代替の可能性が高いといえる。一旦、入出力とその精度判定方法が定まると、たとえ当初の精度が悪くとも、データを安く大量に収集できる仕組みさえできれば、精度向上を見込むことができるといっても過言ではない。その点では、このような分野ではAIによる代替が大きく進むと考えられる(図表2)。

図表2 AIの限界と人間の相対的強み

 この比較は、ただしもう少し注意深い検討が必要である。確かに現在保育士が行っている仕事すべてをAIが代替することはできない。しかし、もしも入出力と正解を明確にしてくくりだすことができる仕事内容が一部でもあるならば、その部分はAIに代替させることができる可能性がある。そして、それは必ずしも保育士にとってマイナスとは限らない。それによって、より精度の高い業務に特化することができるようになり、結果として、保育士の仕事がより品質の高いものになったり、需要が増えたりすることもあり得るからである。

 世の中の知的作業全般を考えると、このように仕事を切り分け、一部をAIに代替させることにより、AIと人間が互いに補完し合いながら活動し、生産性を上昇させていく局面が今後は増えていくと考えられる。つまり、AIが人間を代替するとは限らず、むしろ補完的な役割を果たしうる。

 補完というと単純な支援をする機能を思い浮かべがちだが、人間の機能とAIの機能が相互補完的だという意味でここでは用いており、必ずしも、AIの仕事内容が、人間の支援的な役割だけを果たすことを意味しない。例えば、人間の仕事をより高度なものにする役割を果たす場合もあるかもしれないし、あるいは例えばプログラミング等を通して、AIの機能をより高めるような役割を果たす人間も出てくるだろう。

 この点を雇用という観点からみれば、今まで人間がやってきた仕事をAIがかなり代替できるようになると、かなりの雇用が失われてしまう(「喪失」される)可能性があることは事実だろう。しかし、その一方で、AIと人間がうまく組み合わさって仕事をすることで、上でみた保育士の例のように、より質の高い仕事ができるようになって雇用の需要が伸びる、あるいは新しい雇用が生まれる(「創出」される)ことも十分に考えられる。雇用問題を議論する際には、この「創出」をいかに促し、それをどうチャンスに結び付けていくかという視点も大事になってこよう。

3 経営・産業構造への影響

経営戦略の重要性

 以上みてきたように、AIに関する技術進歩は目覚ましいものであるものの、しばしば喧伝されるような人類をすべての面で凌駕する「人工知能」が出現する理論的根拠はなく、社会科学的な考察として、それを前提に議論をすることは建設的ではない。しかし、だからといってAIの進歩を看過して良いわけではない。AIの発展は、経営の現場を大きく変えていくに違いないし、そこには飛躍するための大きなチャンスが隠されている。

 人間とAIが相互に生産性を高め合っていけるようにするためには、どのような仕事をどこまでAIに行わせるのか、その際どのように入出力と正解を定義してAIに与えるのかの整理が、決定的に重要になってくる。経営において今後重要になってくるのは、この側面である。

 前節でも述べたように、これからのAIによって代替可能な知的労働の範囲は、
① 入出力が明確で、
② 成果の量的評価が可能であるという条件が満たされ
ている必要がある。また、
③ 十分な学習データが継続的に入手可能、
④ 学習データが目標としている問題を表現するランダムサンプルになっている。
というデータ面での制約がある。この制約を、経営戦略に与える影響という側面でみると、以下のような含意が得られる。

明確化の必要性~AIではなく外国企業に負ける

 まず、そもそも、やるべきことや正解が明確で、①から④の制約が満たされているような業務は今後AIによる活用が急速に進むと考えられる。その典型的なものに、分類問題と整理できる、個人向け融資の与信審査や、放射線診断等が挙げられるだろう。これらの業務については、どれだけAI活用を進められるかが、当然重要な戦略になる。

 その一方、状況や文脈等の意味を理解する必要があり、個別具体的・一期一会的な問題解決が求められるような職域では、AIの活用はなかなか難しいようにみえる。しかし、この点については、かなり注意した検討が必要である。

 特に日本のホワイトカラーの職務は、全般的に、入出力インプットアウトプットが明確ではなく、成果の評価軸も必ずしも明確ではない。そのため、上記の定義に従えば、ホワイトカラーの職務は、AIで代替されにくいようにみえる。しかし、これは正しくない。非効率的な形で明確化がされていないために、AIを使わず人を活用している場合、当然のことながら、より効率的にAIを活用して、より低コストで生産やサービス提供を行う外国企業等に競争で負けてしまう。

 その意味では、日本ではAIに直接仕事を奪われるというよりは、AIを活用する外国企業や新規参入企業に負けるという形で、間接的にAIに仕事を奪われる局面のほうが多いのかもしれない。競争力を高めるためには、明確にできる仕事内容は明確にし、成果目標を明確に定め、AIに任せるべき部分と、それでもAIには明確に分担できない部分とに分ける作業が早急に必要だ。それによって、単にコストが下がるだけではなく、人間が行う業務についても、より明確化された業務に特化することによる生産性の向上も期待できる。

 ただし、人間が行う業務とAIが行う業務とをより明確に区別するようになると、後で述べるように、職務不限定で、さまざまな職務を経験しながら技能を蓄積していく、これまでの正社員のスタイルは変容していかざるを得ないだろう。

AIの制約は経営によって変えられる

 次に、そもそもAIと人間の業務との分担を決める①から④のまでの制約は、必ずしも固定的なものではない点にも注目が必要である。これらが実際どの程度の制約となるかは、かなりの程度経営戦略によって調整できる側面があり、その調整の巧拙が将来の経営の成果を左右する可能性がある。

 例えば、③④のデータ面での制約は、それぞれの業務をどこまで、AIに任せられるかを考えるうえで大きな制約である。しかし、継続的に入手可能かどうかは、どのようなビジネスモデルを構築するかによって大きく変わってくる。グーグルは、検索で入力された情報を活用することによって、継続的に入手可能なデータを手に入れた。今後は、ある程度のコストをかけてでも、このデータの制約をできるだけ減らすような経営戦略が重要になってくる局面が増えてくるだろう。

 ①②の部分も、今後の経営戦略を考えるうえで、大きなポイントであり、ある程度経営側でコントロールできる変数である。これらの制約をうまく生かせば経営上大きなチャンスとなり得る。

 しばしば誤解されがちであるが、インプット、アウトプットや評価軸を明確にすることは、プログラミング等のレベルで対応すべき問題ではなく、企業の経営戦略として考えるべき問題である。具体的に評価軸が設定されている場合には、それをプログラミングにどう落とし込むか、技術者サイドで決めることは比較的容易である。しかし、具体的な設定がされていない中で、プログラムとしてそれを決定するのは無理であり、経営戦略として決定する必要がある。

経営の再設計が必要~AIと人間の融合を目指せ

 さらに、人間と補完的な役割を果たすAIの役割をどこまでうまく経営に取り込むかが、本質的に重要な経営戦略となり得る。

 上でも述べたように個別具体的・一期一会的な問題解決が求められるような職域では、AIの活用はなかなか難しいようにみえる。しかし、例えば債権回収においては、それ自体のAI代替は難しいだろうが、債権回収が困難になりそうな顧客をデータから事前に高精度で見分けるAIを導入することにより、仕事の絶対量を減らせる可能性はある。その結果、空いた時間をより高度な業務に専念することができれば、全体的な生産性向上につながるだろう。

 これは、前節で述べたAIと人間が補完的役割を果たすという点にかかわるものである。前節で、保育士の例を使って述べたように、今後は、仕事を切り分け、一部をAIに代替させることにより、AIと人間が互いに補完し合いながら活動し、生産性を上昇させていく局面が増えていくと考えられる。つまり、今後重要なことはAIが行う分野と人間が行う分野との、適切な融合関係の構築であり、仕事の再設計である。

 労働人口が減っていく中、AIやロボットと人間が協働することで生産性を向上させることは、一層重要な意味をもってくる。人間が知的労働を担うことを前提として最適化されてきた20世紀の働き方を、AIで代替できる部分は代替させ、人間はそれが難しい業務内容に特化し、さらにAIを有効活用することで生産性を上げていく。その結果、新しい仕事や雇用も生み出されていくことが期待される。

 この点は当然、経営全体の再構成を必要とする。単純に今までの業務をAIにさせるのか、させないのかという選択ではなく、業務フロー全体を見直し、組み替える視点が重要になってくるだろう。

 そして、この変化は産業構造全体にも影響が及ぶはずだ。今までは人間が柔軟に調整できる範囲、人間が把握できる範囲がある意味で、産業の切れ目だった。しかし、AIの処理の類似性は、人間が柔軟に処理できる範囲とは別のくくりである可能性が高い。そのため大きな産業構造の転換が起きる可能性が高く、それをいち早く実現できるかどうかで、日本が大きなチャンスをものにできるかどうかが変わってくるだろう。

まとめ

 ここまで述べてきた経営戦略上のポイントを、図示する形で簡単にまとめておくことにしよう。図表3にあるように、そもそも日本の特にホワイトカラーは、何を入力し、何を出力するのかが明確ではなく、成果の評価軸も必ずしも明確ではない。これでは、AIの導入が行われにくい。まずは、入出力や評価軸を明確化したうえで、その中で、AIの導入が可能な部分について、AIに任せることが必要である。これは必要な業務に特化できるという点で、人が行う業務の生産性向上についても役立つ。

 次に、図表4にあるように、どこまでAIの導入が可能かについては、経営戦略上工夫の余地がある。工夫をすることでAIが活躍できる余地を増やしていくことが求められる。

 ただし、一般的には、特定の人が行ってきた業務をまるまる、AIが代替するという状況がおきる範囲は限定的かもしれない。現実的には、図表5のように、ある人が今まで行ってきた業務の一部をAIが代替するということが起こり得る。このように人とAIとが融合的に業務を行うことにより、その人の生産性の向上が期待できるし、そのようなAIの機能が、新たな仕事や新たな雇用を創出させることが考えられる。経営上特に工夫の余地があるのは、この3点目であろう。そして、そのためには、上で述べたように業務フローの全体的な見直しや、経営全体の再編成が必要となる場合も少なくないだろう。

図表3 AIの導入に必要な業務の明確化

 ここまで述べてきた経営戦略上のポイントを、図示する形で簡単にまとめておくことにしよう。図表3にあるように、そもそも日本の特にホワイトカラーは、何を入力し、何を出力するのかが明確ではなく、成果の評価軸も必ずしも明確ではない。これでは、AIの導入が行われにくい。まずは、入出力や評価軸を明確化したうえで、その中で、AIの導入が可能な部分について、AIに任せることが必要である。これは必要な業務に特化できるという点で、人が行う業務の生産性向上についても役立つ。

図表4 経営戦略で変化するAIと人間の活動領域

 次に、図表4にあるように、どこまでAIの導入が可能かについては、経営戦略上工夫の余地がある。工夫をすることでAIが活躍できる余地を増やしていくことが求められる。

図表5 AIの活用による生産性向上と雇用創出

 ただし、一般的には、特定の人が行ってきた業務をまるまる、AIが代替するという状況がおきる範囲は限定的かもしれない。現実的には、図表5のように、ある人が今まで行ってきた業務の一部をAIが代替するということが起こり得る。このように人とAIとが融合的に業務を行うことにより、その人の生産性の向上が期待できるし、そのようなAIの機能が、新たな仕事や新たな雇用を創出させることが考えられる。経営上特に工夫の余地があるのは、この3点目であろう。そして、そのためには、上で述べたように業務フローの全体的な見直しや、経営全体の再編成が必要となる場合も少なくないだろう。

4 雇用政策、教育制度の変革

雇用政策を考えるポイント

 以上の点を雇用という観点からみると、「代替」される雇用よりも、「創出」される雇用をどれだけ多くできるかが第1のポイントとなる。例えば第1次産業革命では、繊維産業における機械化により雇用は減ったが、それを吸収して余りある雇用の創出が他産業(機械、製鉄、エネルギー、交通など)で起きた。

 ただし、今後、ホワイトカラーをはじめとする正社員の仕組みを維持することができるかどうかについては、楽観を許さないであろう。これまでは、特定の職務がなくなったり、特定の職務の遂行をする能力が不足したりしたとしても、企業は職務の転換やそれに必要な教育訓練をするなどして、できるだけ雇用を維持する(解雇を回避する)義務があるとされてきた(解雇権濫用法理、および、それを成文化した労働契約法16条)。この点が、労働者が特定の職務の遂行のために雇い入れられる欧米の労働者との違いであり、日本では、これまで不断の技術革新があっても、正社員の雇用が失われることなく、終身雇用と呼ばれる長期雇用慣行を維持することができた理由である。しかし、先にも述べたように、今後、AIの導入の中で、職務の明確化が進むとすれば、正社員のスタイルは変容していかざるを得ない。

 さらに、時間的に「創出」が「喪失」にどこまで先行できるかも第2ポイントとなる。最終的に雇用の「創出」がある程度の規模のものになるとしても、その影響が現れる前に、「喪失」が進行していくと、しばらくは雇用不安が起こる可能性がある。政策的には、この移行期のことも考えておく必要がある。

 第3のポイントは、「喪失」された雇用から「創出」された雇用への労働移動をいかにスムーズに進めるかである。技術革新は、これまでの技能を使えなくする可能性が高いので、労働移動をスムーズに進めるためには、適切な教育訓練が不可欠の前提となる。産業ごとに、人工知能の技術の発達のインパクトが異なるため、どのような産業で、どのようなスピードで雇用が「喪失」され、あるいは雇用が「創出」されるかについては的確に予測し、それに備えた教育訓練をしていく必要がある。

労働者にとって必要なスキルと教育

 これからの労働者にとっては、AIがやるようになる定型的な労働とは異なる領域で、どこまで能力を発揮できるかが、重要な課題となる。特にAIの不得手な領域、AIを活用して生産性を高めることができる領域、AIを活用して新たなビジネスを創り出す領域などにおいて活用できるスキルをどのようにみつけるかが大切である。

 前述のように、AIの技術の発達は急速であり、企業内で配置転換をしたり、時間をかけて教育訓練をすることで対応することは難しくなるであろう。また、産業構造が大きく転換していく中、新たな成長分野に経営資源を迅速に投入していかなければならない。こうなると、新たな技術に対応するスキルの習得を、企業内での教育訓練に任せることは難しくなり、企業の外での習得、とりわけ労働者の自学による習得が重要な意味をもつことになる。とはいえ、現行制度の下では、時間的な拘束が比較的強いため、自学が困難な場合も多い。

 雇用政策の課題としては、AIの発達がもたらす雇用の「創出」と「代替」に関する動きを的確に把握して、国民に情報提供をすることと同時に、新たな技術に対応するスキルを習得するための教育のあり方について、これまでの企業任せではなく、自学を中心に据え、それについて国民に意識改革を求めることが重要な課題となろう。

教育問題への含意

 教育のあり方を、より一般的に考えると、AIやロボットが担えない、個別性が高い問題に対して柔軟に対処する能力は人間の強みであり、その強みをより高めていく工夫や教育が今後一層必要になってくる。そのためには、表層的・統計的理解にとどまらない、状況・文脈・言語等の意味を理解する力が、これまで以上に人間には求められる。このような状況・文脈・言語の意味理解能力は、限られた人間のみが手にし得る特殊能力ではなく、人間が本来持つ、観察力や論理的思考力を養うことによって達成できるはずのものである。

 その一方で、現在のAI技術が出現するまでは、AIにさせれば人間よりも数百・数千倍効率が良いはずの仕事を人間が担わざるを得なかった。そのために、特に公教育においては、本来人間が不得意であるような膨大な暗記や正確で定型的な処理等能力を向上させることが、ひとつの教育目標となってきたことは否定できない。しかし今後は、AIの技術動向を精査しつつ、AIと補い合うような人間特有の柔軟な能力の伸長に努める必要がある。特に教育改革においては、①AIの理論および技術動向のウオッチ、②人間の能力の測定等エビデンスの収集、③以上に基づく科学的な教育の設計、が求められよう。

 このように人間の強みをきちんとデータを通して科学的に理解するとともに、それを積極的に伸ばしていくような教育が、今後は求められるだろう。AI時代にふさわしい教育への見直しを迅速に行っていくことが、今後の人々の充実した働き方に結びついていくし、企業経営や経済活動を活性化させるための大きなカギになっていくだろう。

柳川範之(やながわ のりゆき)

NIRA総研理事。東京大学大学院経済学研究科教授。博士(経済学)(東京大学)。専門は契約理論、金融契約。

新井紀子(あらい のりこ)

国立情報学研究所社会相関研究系教授、社会共有知研究センター長。博士(理学)(東京工業大学)。専門は、数理論理学、人工知能、教育工学。

大内伸哉(おおうち しんや)

神戸大学大学院法学研究科教授。博士(法学)(東京大学)。専門は労働法と雇用政策。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)柳川範之・新井紀子・大内伸哉(2016)「AI時代の人間の強み・経営のあり方」NIRAオピニオンペーパーNo.25

脚注
1 技術的な観点で分類すると、機械学習は、「教師付き学習」、「教師なし学習」、「強化学習」に大別される。教師付き学習とは、入力と正しい出力(つまり正解)の組み合わせ(これは「教師データ」と呼ばれる)が用意されて、それをAIが学習していく技術。「教師なし学習」は、そのような正しい出力が用意されていない中で学習していく技術、強化学習は、環境から得られた情報から報酬とペナルティーを受けながらAIが行動を最適化していく技術。教師なし学習といっても、AIが自ら「正解」を探しだしたり、考えたりするわけではない。人間がデータに適当な距離を導入し、互いに「似通っている」データ群に分けていく(クラスタリング)ことで、データに内在する特徴を可視化するのが主な目的と言えるだろう。分類問題においては、通常、教師データによって正解が何かを人間があらかじめ与えられる。ただし、教師データがあらかじめ準備できないこともままある。このようなときには、教師なし学習でクラスタリングを試みることもあり得る。クラスタリングの利点としては、例えば、記述式試験の際に、似ている答えを集めることで採点の効率化を図るということが挙げられる。
2 やや技術的な点を述べれば、上で述べた分類問題では人間が定める分類が有限なため、問題のフレームが狭まり、単純なパターン認識から深層学習まで取りうる技術的選択肢は豊富にある。一方、分類が無限にある場合、それが極端に狭まる。例を挙げると、文章生成では、「例えば、」という5文字の後に何を書くべきかのバリエーションは無限にあり、AIを機能ささせることが難しい。そのような中で、現在のAI技術が比較的よく機能しているのが、この、検索問題と見なすことができる問題群である。
3 例えば1次元の距離で測ったり、より一般的にはユークリッド距離で測ったりすることができれば数値化は比較的容易である。

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