谷口将紀
NIRA総合研究開発機構理事/東京大学教授

概要

 2017年以降も、世界各国では反既成政治の潮流がますます勢いを増している。そこには各国独自の要素と並んで、共通項としての「政治的疎外」が存在する。グローバル化や技術革新は、生活を便利にする一方で、中間層の在り方にも大きなインパクトをもたらし、かつては豊かさを享受してきたはずの人々の不安や不満、そして有効策を講じえない既存政治への不信を生む。
 こうした疎外感を合理的に解決できないと、政治に背を向けてしまったり、自らの不満を他者や集団(例えば、既得権益層や移民)のせいにしたり、政治局面を一変させてくれそうな新しい指導者の登場を待望したりと、ポピュリズムの芽が出てくることになる。
 日本では、政治的疎外を既存の政党システム内で処理できる──疎外感が高い者は野党を支持する──点で、今のところは欧米と比べて余裕がある。しかし、グローバル化や技術革新を否定的にとらえる人ほど政治的疎外感を高める傾向にある点は、日本も欧米と同じである。しかも、日本は政府債務残高や少子高齢化など課題先進国にありながら、与野党共に長期的な国家戦略を描き切れていない点を鑑みれば、彼我の違いは発火点の有無に過ぎない。政治的疎外がもたらすポピュリズムは、決して対岸の火事ではない*

INDEX

反既成政治の潮流

 かつて筆者は、2016年に先進各国で既成政治に対する否定的な動きが相次いだことを指摘した(拙稿(2017)「二重の政治的疎外をいかに乗り越えるか」『NIRAオピニオンペーパー』No.32)。ポピュリズム、オルトライト、極右や急進左翼、あるいは地方主義など呼ばれ方はさまざまながら、昨年から今年にかけて、こうした反既成政治の潮流はいっそう勢いを増している。

 2017年1月に、アメリカでトランプ大統領が就任した。彼は環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱や北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し、各種の輸入制限など「米国第一主義」を標榜して従来の通商政策を次々と覆したのをはじめ、移民政策の厳格化、既得権益や大企業に対する激しい非難など異質な言動を繰り返し、時に与党・共和党主流派を含めて国内外で物議を醸している。

 同年3月のオランダ総選挙では、イスラム移民排斥を掲げる自由党が第二党に躍進し、選挙前には第一党をうかがうとまで言われていた。

 4月のフランス大統領選挙(第1回投票)では、2大政党の共和党と社会党の候補者がともに決選投票に残れなかった。小選挙区2回投票制は中小政党や新興勢力にとって当選へのハードルが高いはずなのに、今回はもしマクロンが失速していたら、「国民戦線」のルペンと「不服従のフランス」のメランションという左右の急進政党間の決選投票になりかねなかった。

 6月のイギリス総選挙では、与党・保守党が過半数を失い、北アイルランドの民主統一党の閣外協力を得て、辛うじてメイ政権が存続した。保守・労働両党の合計議席率こそ増えたものの、選挙戦ではスコットランド国民党や英国独立党が存在感を示し、労働党は左傾化、EU離脱の方法をめぐり保守党内の対立も激しくなるなど、2大政党の安定回復からはほど遠い。

 9月のドイツ総選挙では、大連立を組んでいたキリスト教民主/社会同盟と社会民主党が大きく議席を減らし、反EU・反移民政党の「ドイツのための選択肢」が第三党に躍り出た。選挙後の連立交渉は難航し、ようやく今年3月に第4次メルケル政権が成立したが、早くも移民政策に関して閣内対立が明らかになるなど、政局は不安定化している。

 そして、今年3月に行われたイタリア総選挙の結果、南部を地盤とする「5つ星運動」と北部の地方主義政党であった「同盟」という2つのポピュリズム政党による連立政権が発足した。コンテ首相は「人びとの要求に耳を傾けることがポピュリズムならば、われわれはその通りだ」と開き直る。

ポピュリズムの芽

 これらの政治現象には、国ごとにさまざまな要因がある。ただ、各国独自の要素と並んで、奥底には共通項としての「政治的疎外」が存在するというのが、筆者の見方である(谷口将紀・水島治郎編(2018)『ポピュリズムの本質─「政治的疎外」を克服できるか』中央公論新社)。

 政治的疎外とは、本来、民主主義においては人びとが権力者となるはずなのに、いつの間にか政治が自分たちではコントロールできないものになってしまい、逆に政治によって自らが翻弄されている感覚のことを言う。

 グローバル化や技術革新は、われわれの生活を便利なものにする一方で、少なからぬ既存の仕事を不要にする。海外から来る低賃金労働者や技術革新に伴う中熟練労働者の代替によって、先進各国の下位中間層の所得は伸び悩んでいる(佐々木毅編著(2018)『民主政とポピュリズム』筑摩選書)。少なからぬ人びとが転職や失業を余儀なくされ、コミュニティのあり方も変化する。現在各国で生じているのは、かつて豊かさを享受してきたはずの人びとが、もはや社会のマスターでなくなってしまったことへの不安や不満、そしてこのような事態に有効策を講じえない既成政治に対する不信で、かつての資本主義や産業社会の負の側面という文脈とは異なる、新しい形態の疎外である。

 政治的疎外がもたらす帰結として、レヴィンは合理的行動、脱政治化、投影、カリスマ的リーダーへの同一化の4種類を挙げる(Levin(1960), The Alienated Voter, Holt,Rhinehart and Winston)。合理的行動とは、現状を変えるべく自分の利益にかなう政党や候補者に投票するなど、現実的・合理的に行動する、言わば模範解答である。これに対して、疎外感を覚えたところで、どのみち政治は自分のような人びとのことを顧みてくれないし、そうかと言って自分も何かをできるわけでもないと、政治に背を向けてしまうのが脱政治化である。投影とは、自らが抱く不信感を他の個人や集団──例えば、既得権益層、移民など──のせいにすること。そしてカリスマ的リーダーへの同一化は、政治局面を一気に変えてくれるような新しい指導者の登場を待望する態度を指す。

 ヨーロッパにおける反EUや移民排斥、アメリカにおけるトランプ政権誕生の基底には、上記で言う投影やカリスマ的リーダーへの同一化という共通要素を見出せるのではなかろうか。グローバル化や技術革新、そして各国特有の要素に端を発する政治的疎外を合理的に解決できないとき、脱政治化や投影、カリスマ待望といったポピュリズムの芽が出てくるのである(図1)。

図1 政治的疎外の要因と帰結

日本も無縁ではない

 日本はどうだろうか。安倍晋三首相は2012年総選挙で政権に復帰して以降、国政選挙5連勝中であり、9月の自民党総裁選挙でも危なげなく3選された。図2は、選挙制度の効果に関する国際比較調査(Comparative Study of Electoral Systems)データからの抜粋で、「○○(自国名)における民主主義のあり方についてどのくらい満足、または不満ですか」という質問への回答を、各国における政治的疎外感の代替指標としたものである。取り上げた国の中で、日本はアメリカ(現在ではなく、2012年=オバマ大統領再選時点)に次ぐ高い満足度を示しており、流動化する他国の政治とは無縁のように見える。

図2 民主主義のあり方についての満足度

(注) 国名下の()は調査年。「とても満足」「やや満足」の合計(%)
(出所) Comparative Study of Electoral Systems, Module 4

 政治的疎外感が高まっても、今のところ日本では安全弁が機能しうる。図3は、2017年総選挙時に筆者が実施した、東京大学谷口研究室・朝日新聞社共同有権者調査データ(以下、有権者調査。調査の詳細は、『国家学会雑誌』131巻9・10号所収の拙稿を参照されたい)により、政治的疎外感に関わる項目のうち政治信頼/不信(国の政治をどれくらい信頼しているか)および政治的有効性感覚の高低(政治家は自分のような人びとのことをあまり顧みないと思うか)と、投票した政党(比例代表)との関連を表したものである。連立与党の自民党と公明党の得票率に注目すると、政治に対する信頼感や有効性感覚が高いほど与党に投票する者の割合が高いことが分かる。裏返すと、強い政治的疎外感を抱く人ほど、立憲民主党・希望の党・共産党など野党に投票する確率が高くなる。このように政治的疎外感が高まったときでも、野党がその受け皿になる、すなわち既存の政党システム内部で処理できる点では、投影やカリスマ願望が先鋭化している諸外国と比べて、まだ余裕があるように思える。

図3 2017年総選挙での比例代表投票先

(出所) 有権者調査

しかし、良いニュースはここまでである。たしかに現在の日本には、EUのような地域統合に関わる悩みはないし、移民も押し寄せていない。さりとて日本も、グローバル化や第4次産業革命からは逃れられず、むしろファーストムーバー・アドバンテージ(先行者利益)を目指して各国と競争しなければならない立場にある。そして、グローバル化や技術革新が不利に作用する人びとが疎外感を募らせる構図は、例外なく日本にもあてはまる。

 有権者調査では、グローバル化については「A: グローバル化はチャンスで、期待の方が大きい」「B: グローバル化はリスクで、不安の方が大きい」という意見のどちらに近いかという質問、技術革新については「A: 人工知能(AI)の発達は、自分のくらしを便利にする」「B: 人工知能(AI)の発達は、自分のくらしをおびやかす」という意見のどちらに近いかという質問によって、人びとの見方を計測した。このグローバル化、技術革新に対する態度と政治的疎外感の関係を示したものが、図4である。

図4 グローバル化/技術革新と政治的疎外

(注) 上図の縦軸は「あなたは、国の政治をどれくらい信頼していますか」という質問に対し「いつも信頼している」から「まったく信頼していない」までの4段階の回答を数値化したものである。

(注) 上図の縦軸は「政治家は自分のような人々のことをあまり顧みない」という意見に対し「そう思う」から「そう思わない」までの5段階の回答を数値化したものである。
(出所) 有権者調査

 政治不信に関して、グラフ(数値)の高さは、不信感の強さを表している。グローバル化はリスクで、不安の方が大きいと考えている人ほど、また、AIの発達は自分のくらしをおびやかすと見ている人ほど、つまり現在進行中のグローバル・メガトレンドを否定的に評価している人ほど、政治に強い不信感を持っていることが分かる。政治的有効性感覚に関しては、グラフ(数値)の高さは、政治的有効性感覚が高いことを表している。先程と同様に、グローバル化や技術革新をネガティブに捉えている人ほど、政治家は自分のことを顧みてくれないと疎外感を抱きがちであることが明らかである。

 加えて、日本独自の要因も深刻である。政府の債務残高は対GDP比240%、年金積立金などを差し引いても同150%と主要先進国の中で最悪の水準である。一方で、社会保障給付費は少子高齢化とともに増加を続け、政府の試算では本年度の同21%(名目額121兆円)から2040年度には同24%(同188~190兆円)にはね上がる(第6回経済財政諮問会議提出資料)。「経済成長なくして財政再建なし」も一面の真実であろうが、逆に財政の悪化が人びとの将来不安を高めて、経済成長を低迷させているとも言われる(Keiichiro Kobayashi and Kozo Ueda(2017)“Secular Stagnation and Low Interest Rates under the Fear of a Government Debt Crisis,”The Canon Institute for Global Studies, 17-012E)。積極的な財政・金融政策というカンフル剤と世界経済の拡大という僥倖を得て、今のところ問題を顕在化させずに済んでいるものの、日本は実は課題先進国であり、やがて同様の課題に直面することになる先進各国の模範例となるか、それとも反面教師になるかの岐路に立っているのだ。

財政赤字に対する与野党の態度

 しかるに、現在の与野党に、難題に立ち向かう用意はあるのか。図5は、昨年の総選挙時に全候補者を対象に行われた、東京大学谷口研究室・朝日新聞社共同政治家調査データのうち、当選者の回答を抜き出したものである(以下、政治家調査。調査の詳細は前掲論文参照)。「A: 国債は安定的に消化されており、財政赤字を心配する必要はない」「B: 財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべきだ」のうちどちらの考えに近いかを質問したところ、自民党議員の多数はB寄りであった(5点尺度で「Bに近い」「どちらかと言えばBに近い」の合計)。

図5 財政赤字に関する政治家の態度

(注) 「A〔B〕に近い」「どちらかと言えばA〔B〕に近い」の合計
(出所) 政治家調査

 財政赤字を危機的と見ているのなら、どのような対策を打つつもりなのか。選挙前の調査である点を慮って「長期的な経済運営」(傍線部は質問票ママ)と断った上で、消費増税や歳出削減などについて聞いた結果が図6である。「消費税率を10%よりも高くする」に賛成寄り(5点尺度で「賛成」「どちらかと言えば賛成」の合計)の自民党議員は、反対寄り(「反対」「どちらかと言えば反対」の合計)を上回ってこそいるものの、党所属議員全体としては3割足らずで、過半数はどちら付かずの立場。それでは歳出削減優先かと思いきや、「年金や医療費の給付を現行の水準よりも抑制する」という意見に対する自民党議員の回答は、反対寄りが賛成寄りをダブルスコアで引き離している。つまるところ、今後も長期にわたって「日本銀行は国債の買い入れなど量的金融緩和を続ける」(図は省略。7割超が賛成寄り)ことに頼りながら、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の均衡達成を先送りにする」(賛成寄り33%、反対寄り8%)という現状維持以外の方策を見出せていない。

 果たしてこのデータが予言していたかのように、今年6月に閣議決定された「骨太の方針」では基礎的財政収支の黒字化は2025年度に先送りされ、社会保障費の抑制に関する数値目標も見送られた。自民党で財政再建に関する特命委員会事務局長を務める三ツ矢憲生政調会長代理は「来年の統一地方選や参院選への配慮が全くなかったと言えばウソになる。前回の計画を作った15年に比べ党内に積極財政派の議員が増えた」と述べる(7月3日付『日本経済新聞』)。

 こうした中、財政再建に関する特命委員会や同委員会の下に置かれた「2020年以降の経済財政構想小委員会」(通称・小泉小委員会)など、自民党内で課題に真正面から取り組もうという動きが活発化していることは──小泉小委員会の後継会議が国会改革へ関心をシフトさせている点には、政治改革を4半世紀ウォッチしてきた筆者の立場からは賛成半分、違和感半分だが──高く評価したい。ただ、特命委員会が「財政健全化に向けて政府の背中をしっかり押せたかと聞かれると必ずしもそうとは言えない」(三ツ矢氏)という自己採点であるし、小泉小委員会の若手議員間にも新自由主義的な立場と、伝統的な経済政策を擁護する立場の厳しい対立が見られる(藤沢烈(2017)『人生100年時代の国家戦略』東洋経済新報社)。基礎的財政収支の黒字化目標の先送りを後押しし、安倍首相に対して来秋の消費税率引き上げの凍結を求める提言を行った「日本の未来を考える勉強会」も同党若手の集まりである。

 野党の経済政策体系も心許ない。立憲民主党は昨年示した基本政策の中で、財政健全化を中長期の目標にとどめた上で、消費税は「当面」上げないと訴えた。政治家調査(図6)でも(繰り返すが、「長期的」という前提での問いであるのに)消費税率10%超をやむなしとした立憲民主党議員は2割足らずで、半数近くは反対寄りであった。それでいて、年金・医療費給付抑制への賛成者はゼロ。たしかに消費税ではなく、所得税・法人税・相続税で歳入を増やす考えもあるが、その場合には富の国外流出の可能性を計算に入れる必要があるし、一般にイメージされる高額所得者だけではなく、多くの人びとに負担増を求めることになる点は同じである。

 与党が過半数の議席を占めており、また与党の党議拘束は強く、内閣提出法案が実質修正なしで成立しうる現在の国会において、政府に対する批判者・行政監視に徹する立憲民主党の戦術も理解できる。けれども、野党である間に自らの政策が実現されることはなくても、あくまで与党になる準備、政権のオルタナティヴであってこその批判ではないか。イギリスのコービン労働党党首は、左派に属し、また党首討論では舌鋒鋭く政府を罵りながら、同時に労働党政権時代の実績や政権担当能力をさりげなくアピールすることも怠らない。

 国民民主党は「私たちの理念と政策の方向性」と題する文書の中で、「(社会保障と税の)一体改革的な考え方は、私たちが『未来に対する責任』を綱領に掲げている以上、避けられないアプローチです。(中略)給付と負担のバランスのとれた政策をまとめあげ」ると謳っているが、そのバランスの取れた政策の具体像は依然として不明確なままである。2019年10月に実施予定の消費税率10%への引き上げに関しても「慎重に対応を考え」ると、来夏の参院選を控えて選挙優先の思惑も垣間見える。これでは「対決よりも解決」を掲げたところで、場当たり的な条件闘争に過ぎず、与党多数の議会下で得られる成果は微々たるものにとどまる。

図6 長期的経済運営に関する政治家の態度

(注) 賛成寄りは「賛成/やむをえない」「どちらかと言えば賛成/やむをえない」、反対寄りは「反対/容認できない」「どちらかと言えば反対/容認できない」の合計
(出所) 政治家調査

ポピュリストが擡頭する時

 政治が手を拱いたまま、財政再建の取り組みが進まなければ、2030年代には財政が破綻する可能性が高い(以下は、小林慶一郎編著(2018)『財政破綻後』〔日本経済新聞出版社〕に拠る)。財政危機に際して、国債の元利償還を停止すると、国債を保有する国内金融機関が損失をこうむり、金融危機まで誘発する恐れがある。市場が消化できない国債を日本銀行に引き受けさせるときには、インフレが人びとの生活を直撃する。デフォルトもインフレも取れないとしたら、残るは大幅な増税と歳出カットである。前掲書のシミュレーションには、防衛・治安・教育などを除く雇用者報酬や財・サービスの使用は3割カット、厚生年金の報酬比例部分をカット、国民年金は一律で1割減、後期高齢者医療費の自己負担率は3割に、介護保険の自己負担は2割に引き上げるなど、厳しい数字が並ぶ(にもかかわらず、まだ歳入不足が残る)。

 不幸にもこのシナリオが現実になったら、時の政権党は経済失政の責任を問われ、次の選挙で吹き飛ぶだろう。されど事ここに至っては、政権交代後の政府が取りうる他の選択肢はほとんど残されていまい。そのとき人びとの疎外感を追い風に擡頭して、政治をさらなる混乱に陥れるのが、ポピュリズム政党である。

 日本にも、政治的疎外の高まりとともに脱政治化・投影・カリスマ待望が起こりかねない火種がある。民主主義一般への満足度とはうらはらに、日本人の政府・政党・国会への信頼感は低い(池田謙一編(2016)『日本人の考え方 世界の人の考え方』勁草書房)。既成政党が人びとの疎外感を解消できなくなったとき、日本は「脱政治化」に直面するかもしれない。政治・社会系ニュースに対するインターネット上の読者コメントには、嫌韓・嫌中意識、「弱者利権」認識などマイノリティポリティクスへの批判・嘲笑が頻出している(木村忠正(2018)「『ネット世論』で保守に叩かれる理由」『中央公論』1月号)。ヨーロッパ諸国のように移民ではないにしても、日本にも政治的疎外感の高まりが何らかの対象に「投影」される素地があることを示している。そして日本でも、「カリスマ」的な政治家個人が牽引して、新党を立ち上げたり、首長になったりするなど、政治ブームを巻き起こした例があった。政治のリーダーシップ自体は否定されるものではない。しかし、彼らの中には、既成政党など特定のアクターを「敵」に仕立て、そこから取り残された人びとの政治的疎外に訴えかけるポピュリズムと共通の性格を持つケースも見られた(ポピュリズムの定義については、水島治郎(2016)『ポピュリズムとは何か』中公新書)。

 第2期安倍内閣は長期政権になったが、これは1年で終わった第1次内閣の失敗を繰り返さないように、政権維持を至上命題として短期的経済政策と小刻み解散を重ねた結果というイレギュラーな長期政権である。現在の衆議院議員の任期満了は2021年10月であるから、来年の参議院選挙は政権選択の機会ではないと考えれば、今が選挙の結果を気にすることなくポスト2020年の課題に着手できる最後のチャンスになる。安倍後継を狙う自民党の政治家にしても、政権交代を目指す野党にとっても課題は同じ。政治的疎外がもたらすポピュリズムは、決して対岸の火事ではない。

谷口将紀(たにぐち まさき)

NIRA総研理事。東京大学大学院法学政治学研究科教授。博士(法学)(東京大学)。専門は政治学、現代日本政治論。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)谷口将紀(2018)「ポピュリズムを招く新しい「政治的疎外」の時代」NIRAオピニオンペーパーNo.40

脚注
* 本稿は、月刊誌『中央公論』(中央公論新社)2018年9月号に掲載されたものをもとに加筆・修正等を加えたものである。

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