伊藤元重
総合研究開発機構(NIRA)理事長/東京大学大学院経済学研 究科教授

概要

 東日本大震災の被災地復興のために求められるのは、経済を活性化させるための仕組み作りだ。被災地における特区構想の議論が進んでいることは、民間の活力を呼び込む上で望ましい動きだが、こうした規制緩和は被災地に限定せず、日本全体で行うべきだ。加えて、行政区分の垣根の再検討も必要だ。また、地区によって被害の程度と復旧の速さが異なることを鑑みて、地域の経済成長の成果を、苦境に立つ地区にどう還流させるかも考えなければならない。

INDEX

経済政策の位置づけをしっかり検討せよ

 今回の東日本大震災の被災地をまわったある海外のジャーナリストは、「自分が見てきたどの戦争の現場よりもひどかった」というような発言をしていた。いかなる戦争よりも自然の破壊の威力はすさまじいと感じたのだ。そして、原子力発電所の事故はまだ続いており、その状況には予断を許さないものがある。今回の復興政策は、戦後の復興と似た面があると考えるべきだ。

 こうした非常時だからこそ、中長期のビジョンをきちっと持った経済政策の運営が求められる。震災からの復旧復興を急ぐことは重要であるが、震災対応が他の政策を先送りすることの言い訳になってはいけない。震災後の日本経済が活力を回復できるという実感を持てないかぎり、本当の意味での震災からの復興にはならないからだ。

 震災復興政策における経済政策の位置づけをしっかり検討しておくことも重要だ。たとえば復興財源だが、安易な借金(国債の発行)などの形で巨額の復興財源を捻出しようとすれば、日本の財政にさらに負荷をかけ、将来に大きな禍根を残すことになる。過去、多くの国で戦後復興や災害復興において財政運営を誤り、狂乱物価や財政破綻などの問題を起こしている。復興に十分な資金を投じることを可能にするためにも、税収などの形で復興財源をきちっと確保しておくべきだ。

 原発事故を起こした東京電力は、原発処理費用、放射能汚染の補償、火力などコスト増を伴う電力供給増強などで、資金繰りが厳しい状況となる。東京電力は企業経営や資金調達で綱渡りの状況が続くだろう。それでも関東地方全域への電力供給は1秒たりとも止めることはできない。こうした状況を乗り切るためには迅速かつ適切な対応が求められる。ただ、目先の緊急事態を乗り切ることに追われるあまり、数年後の時点で日本の電力政策がグロテスクなものに変わってしまっているのも困る。電力供給体制の長期的な理想の姿を常に念頭に置きながらの当面の対応が求められる。

 震災と原発事故という国難の中で、当面の問題に振り回されて重要な政策課題を先送りするのでは困る。グローバル化、少子高齢化、技術革新の進展など、経済の構造を変えるような変化は日本の震災とは関わりなく続いている。こうした問題への対応が遅れれば、震災を転機に日本はさらなる衰退の道を歩んでいくことになる。これは国民の求めるものではないはずだ。震災復興を改革先送りの言い訳にしてはいけない。

 非常時だということで合理性を欠いた政策運営を行えば、間違った政策によって経済に混乱が起きてしまう。不適切な復興財源の処理は日本のマクロ経済や国債市場に誤ったシグナルを送ることになるし、長期的ビジョンを欠いた感情論に流された電力問題への対応は、日本の電力供給体制の歪みを拡大する結果にしかならない。

 この『NIRAオピニオンペーパー』では、震災復興後の日本経済のあるべき姿について、様々な面から議論を提起していきたいと考えている。今回は、今後より深めていく予定のいくつかの論点について、概括的に取り上げてみたい。

財政問題という「活断層」:消費税増税を早急に実現せよ

 シカゴ大学のラジャン教授はその近著『フォールト・ラインズ』の中で、経済における「活断層」というメタファー(隠喩)を展開している。フォールト・ラインとは断層のことである。活断層に歪みが生じエネルギーがたまっていても、地震が起きるまでは地面はびくともしない。しかし、いったんそれが地震につながれば、大惨事となりかねない。経済にも様々な歪みが蓄積されており、それがある時点で金融危機や財政破綻などの大惨事につながるのである。地震の可能性について専門家が指摘しているように、経済の大惨事についても専門家が様々なリスクの存在を指摘している。しかし、実際に大惨事になるまで、それへの真剣な対応は行われない。

 日本経済には深刻な財政問題という「断層」がある。いま欧州を揺さぶっているギリシャの財政危機を見ても分かるように、財政問題が悪化しても、危機が起こる直前までは経済は驚くほど静かだ。だから何も本格的な対応が行われない。しかしいったん危機が起こると、そのスピードはすさまじく、あっという間に経済や社会を飲み込んでしまう。日本の財政がこうした危機から無関係であるはずはない。

 震災復興はこうした財政に大きな負荷要因となっている。被災地の早期復興を実現するためにも、膨大な財政支出が必要である。その財源を国債という借金の上乗せで対応するのか、それとも長期的な財政の持続可能性を意識した増税で対応するのか、国債市場やマクロ経済の動きを考える上で重要な問題である。復興財源を捻出するためにも、長期的な財政の持続可能性を確立するためにも、私は消費税増税を早急に検討すべきだと考える(もちろんそれ以外の増税も排除するわけではない)。ただ、この点は『財政再建の道筋』(NIRA研究報告書)や「復興財源を考える」(『政策レビュー』No.52)で取り上げたので、ここでは省略する。

図表1 消費税の引き上げイメージ

(出所)伊藤元重(2011)

電力供給問題の本筋を見誤るな

 原発事故を起こした東京電力への対応と、電力供給確保の問題は、対応を誤ると日本の将来に大きな禍根を残すことになる。事故を起こした原発への対応、放射能汚染への賠償、コストの高い火力発電などで対応することによるコストアップなど、東京電力を巡る経営状況を見れば、同社が債務超過状況にあることは明らかだ。東京電力のオペレーションが巨額の資金調達を前提としていることからも、債務超過状況は東京電力の資金調達が困難になるという緊急性の高い問題となる。

 普通の企業であれば、破綻に追い込まれ、活動は停止する。しかし、電力供給は1日たりとも止めることはできない。東京電力の経営問題は、東京電力の問題を超え、日本の重要な問題となる。綱渡りの資金調達という緊張感のある状況が続くなかで、判断を誤ると大変なことになる。

 こうした事態に直面すると、政府はどうしても目先の困難を避けるため、長期的なビジョンを欠いた対応をとりがちになる。電力供給を止めないために過度な資金注入を行い、過度な公的介入を行うあまりに国民に過剰な負担を強いるような結果になることも十分に考えられる。日本はこうしたことをこれまで何度も経験してきた。1990年代後半の金融危機、少し前の日本航空破綻などである。今になって振り返ってみれば、危機的状況の中で泥縄的に行われた対応によって当面の危機を脱する形になっても、その後に残った金融システムや航空業界の実態は理想とはほど遠い状況であると言わざるをえない。

 原発事故を受けて、日本の電力供給システムのあるべき姿についての議論が起きている。地域独占企業が送電と発電の両方をになうという日本独自の仕組みを見直し送電と発電の分離をすべきという意見、スマートメーターを積極的に導入して電力料金をより市場原理にあった柔軟なものにすべきという意見、太陽光や風力などを利用した自然エネルギーの活用を拡大するために電力の全量買い取りの制度を強化すべきという意見、原子力発電所の安全性を確保するため原発を切り離して国家管理を強化すべきであるという意見などである。

 これらの論点は重要であり、きちっとした論議が行われるべきである。ただ、電力供給体制の問題は複雑であり、本格的な議論を行えば何年もの時間がたってしまう可能性もある。その間も、原発事故への対応や電力不足の問題、そして東京電力の資金繰りの問題など、早急な対応が求められる問題が次々に起こっている。そうした緊急の問題への対応に追われるままに、数年後になってみたら理想とはほど遠い産業の姿ができてしまったということでは困る。しかし、現在の東電問題への対応を見ていると、そうした事態になりそうな懸念を持たざるを得ない。

 緊急の事態への適切な対応は重要であるが、長期的なビジョンがないままに泥縄的な対応を続けていては、電力供給体制の歪みは是正されない。この機会に荒削りでもよいので日本の電力供給体制の長期的な方向性を早急に決定し、それを意識しながら緊急の事態に対応していくことが重要である。

図表2 エネルギー基本計画における電力供給見通し(2010年6月閣議決定)

(出所)経済産業省資料より作成。

小手先の手法では日本への信頼を回復できない

 震災前、日本は積極的な市場開放策によって経済成長を実現しようとしていた。海外から多くの観光客や留学生を受け入れ、日本のインフラを海外に積極的に輸出し、グローバル企業のアジアの拠点を日本に積極的に誘致し、そして日本の農産品を海外で販売拡大しようとしてきたのだ。

 残念ながら、原発事故でこうした目論見はもろくも崩れ去ってしまった。日本から留学生が消え、海外の消費者は日本からの商品の放射能汚染におびえ、そして電力不足の日本に新たな拠点を設けるどころか、すでに日本に来ている外資系企業も日本から脱出しかねない状況である。

 いろいろな意味で日本ブランドが傷ついてしまった。海外での風評被害の拡大を防ぐために、積極的な情報開示は必要であるが、そうした小手先の対応だけで問題解決になるとも思われない。

 あるマーケティングの大家による次のような発言が思い浮かんだ。「マーケティングとは自分の商品をより多く買ってもらうための小手先の手法ではない。自分の持つ価値が自分の商品やサービスにきちっと反映され、それが顧客に理解されるようにする手法である」というものだ。この言葉は、海外からの信頼を回復しなくてはいけない日本にとって重要な手がかりとなるものだ。

 日本の商品や日本の市場の評価を回復するもっとも効果的かつ唯一の方法は、日本がこの困難な状態から力強く回復し、強い社会と経済を見せつけることであると思う。小手先の手法ではなく、震災と原発事故からの復興に全力を投じて、海外に力強い日本を見てもらう必要がある。

 言うまでもないことだが、それは震災前の日本に戻すことではない。震災前の日本は、様々な重要課題を先送りにして、海外からは衰退を続ける経済と見られていたのだ。社会保障改革を先送りにして財政赤字を積み上げている社会、内向きで閉鎖的な思考が蔓延してTPP(環太平洋経済連携協定)などの開放政策の流れに遅れがちな日本、そして様々な規制が残り法人税も高い参入がしにくい社会。これが日本に対する海外のイメージだ。

 だからこそ、日本経済の閉塞感を打破し、日本社会に活力を呼び込むため、成長戦略が必要であるという論議が、震災前には高まっていた。残念ながら、そうした動きは震災で停止してしまっている。震災復興に全力を投じる必要があることはもちろんだ。しかし、震災復興を改革先送りの言い訳にしてはいけない。震災からの復興を果たしても、その後の日本経済が弱くなっていくことでは困るからだ。

改革を先送りせず、さらなる開放と成長戦略を

 原発事故と今後の電力不足は産業界に大きな不安をもたらしている。ある企業関係者は、「今年の夏が電力不足であることは仕方ない。もう覚悟している。しかし、来年もその先も電力供給が不確定であるとしたら、企業としては重要な決断をせざるをえない」という発言をしていた。賃金コストが高く、法人税が高く、そして経済連携協定(EPA)が進まなくて輸出でハンディを負っている三重苦の中で企業はがんばってきたが、これに電力不足や電力コスト上昇が加わった四重苦になれば、日本企業は真剣に立地を海外に移していくしかない、というのだ。

 企業が積極的に海外展開することは日本企業の国際競争力を高めるという意味で評価すべき点も多いが、「四重苦」の中での逃避的な海外展開が続くようであれば、日本国内の雇用や地域経済に甚大な影響が及ぶ可能性がある。また、日本企業でさえも海外逃避をするようであれば、海外企業を日本に誘致してくることも難しい。勇気をもって大胆な政策を実行しないままでいると、この震災をきっかけにして日本の経済社会は衰退の道をたどるリスクがある。そうした懸念を持っているのは私だけではないはずだ。

 日本国内での日本企業の地盤を強化し、海外からの投資を呼び込むためには、四重苦を解消しなくてはいけない。電力不足や電力コストの問題はすぐに対応できる問題ではないとすれば、法人税率の軽減や経済連携協定の推進などを行うことの重要性がさらに増してくる。すぐに手をつけられる改革を実行することで、電力不足などのハンディを少しでも克服しなくてはいけないのだ。震災復興を言い訳にした改革の先送りなどもってのほかだ。

 今回の震災からの復興や原発事故への対応の中で、海外との絆を強めることの必要性を痛感した人は多いはずだ。閉鎖的な制度を残し、内向きの姿勢を続けていけば、日本の経済社会はますます閉塞感の中に閉じ込められることになる。この震災をきっかけに、日本社会を外に向かって開くということの意味を再度確認する必要がある。

 TPPや経済連携協定というと、それを狭く解釈して企業が海外へ輸出しやすくする手段程度にしか考えない人がいる。たしかに、そうした競争環境を整えるという意図が経済連携協定にはあるが、それだけが経済連携協定に期待される成果であるわけではない。より重要なことは、経済連携を突破口にして近隣諸国との「絆」の強化を図り、日本社会をより開かれたものにし、そしてグローバル社会の中での未来志向の社会を形成することである。

 日本の若者はもっと世界に出ていく必要がある。日本の社会はより積極的に海外から人材を受け入れ、そして海外の企業にも来てもらう必要がある。医療・介護・教育など国内志向が強いと言われる分野でも、いつまでも「日本人による日本人のための日本の国内の制度」を維持していることでよいのだろうか。アジアの経済成長の活力を取り込むためにも、そして日本の中に多様性を取り込みより選択の幅の広い社会にするためにも、あらゆる面で日本を開放していく姿勢が必要であるのだ。

 震災後の今だからこそ、日本の成長戦略について再度活発な論議を起こす必要がある。

図表3 主要国のFTA/EPA比率

(出所)外務省資料より作成。
(注)1. FTA/EPA相手国(署名済み・未発効も含む)との貿易額が貿易総額に占める割合(2010年11月現在。貿易額は2009年。)
2. EUは域内貿易も含む(対域外のFTA比率は29.8%)。
3. 日本は2011年に入ってインド(0.89%)、ペルー(0.2%)とEPAを署名。

参考文献

伊藤元重(2011)「復興財源を考える」NIRA政策レビューNo.52
NIRA(2011)「財政再建の道筋̶̶震災を超えて次世代に健全な財政を引継ぐために」
Rajian, Raghuram G. (2010) Fault Lines: How Hidden Fractures Still Threaten the World Economy, Princeton University Press(ラグラム・ラジャン『フォールト・ラインズ:「大断層」が金融危機を再び招く』新潮社、2011年).

伊藤元重(いとう もとしげ)

総合研究開発機構(NIRA)理事長。東京大学大学院経済学研究科教授。東京大学経済学部卒。ロチェスター大学大学院経済学博士号(Ph.D.)。専攻は国際経済学、流通論。93年東京大学経済学部教授を経て、96年より同大学大学院経済学研究科教授、2006年2月より総合研究開発機構(NIRA)理事長。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
伊藤元重(2011)「今こそ求められる中長期ビジョン」NIRAオピニオンペーパーNo.1


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