NIRA総合研究開発機構

 よりよい未来を築くためには、私たちには夢や希望が欠かせない。未来の日本はこうあってほしい、世界はこう変わってほしいという願いがあるからこそ、目指すべき具体的な目標が生まれ、その達成に向けた道筋を描くことができる。
 昨年50周年を迎えたことを契機として、NIRAは今後の日本と世界の発展の手がかりを探るためのプロジェクトを立ち上げた。テーマは、今から25年後の2050年に、日本あるいは世界はどうなっていてもらいたいか、である。
 識者の方々に寄稿をお願いしたところ、133名の方々が、ぞれぞれの未来像を寄せてくださった。私たちはどう未来を作っていくべきか。1人ひとりが考えていく基盤がここにある。ぜひお読みいただきたい。

2025年12月04日公表

INDEX

識者提言 五十音順

 識者 あ行

合原 一幸 2050年からバックキャストした医療とAIの数理研究

合原 一幸

東京大学特別教授/名誉教授

 本企画の趣旨とも関係するが、科学技術の分野でも将来のあるべき理想像を想定した上でそれを現在に引き戻して研究開発を行うバックキャスト型研究開発の重要性が最近強く認識されている。筆者は、そのような観点から現在、内閣府ムーンショット型研究開発制度での未病研究、およびNEDO先導研究プログラムでの新世代脳型AIの研究開発を行っている。前者は2050年、後者は2040年以降の実現を目指していて、本企画の時間設定とも近い。
 前者の研究は、東洋医学でしばしば言われる未病を現代科学の観点から研究するものである。現在の医療は、主として病気になった人々を治療する。他方で、健康状態から発病に至る時間軸の中で、さまざまな発病の予兆が事前に検出できることがわれわれが開発した数理データ解析手法で明らかになってきている。そして、発病前の未病状態で“治療”すれば発病そのものを防ぐことが可能である。2050年には多くの病気の未病医療が実現できると思われる。
 後者の研究は、脳に学んだ超低消費電力・新世代AIの開発である。現在の生成AIは高い能力を有しているが、膨大な学習データと電力を必要とする。これに対して、ヒト脳はその高い知能をわずか20W程度の電力で実現している。したがって、この脳の原理を数理的に解明してAIに取り込めば、超低消費電力で動作する新しいAIの開発が期待できる。われわれは、現在のAIの1万分の1程度の超低消費電力で動作する新世代脳型AIを開発中である。
 医療とAIという限られた話題での夢であるが、2050年に社会実装するためには今から数理研究を推進することが不可欠である。バックキャスト研究開発の基盤がそこにある。

赤澤 直樹 課題とともに成長する日本:社会の自己治癒力を高める

赤澤 直樹

株式会社オールアーク代表取締役

 現代社会は多様性と複雑性を増し、気候変動や人口構造の変化、デジタル化のひずみといったかつてないほど困難な課題が国境や世代をこえて絡み合い、複利のように増幅されている。こうした根深い問題に対し、私たちはあまりにも長く「市場の効率性」か「政府の介入」かという2項対立の思考にとらわれてきたが、このままでは本質的な解決は望めない。今こそ、単なる中道路線ではなく、新たな「第3の道」を設計すべき時だ。それは、社会を構成する1人ひとりが目標を共有し、テクノロジーを駆使し、自ら課題解決の主体となる社会である。市民が生活圏で課題を見つけ、創意工夫で解決策を生み出す。その無数の挑戦が、草の根から社会を変革する原動力となる。
 この社会の実現には、さまざまなセクターの多様なアプローチを束ね、オープンなデータ基盤や成果連動型の資金循環などで連携する枠組みが不可欠だ。包摂と説明責任を重視し、失敗から学ぶプロセスを標準化することで、政府や市場だけに依存しない社会自身の「自己治癒力」が高まる。
 超高齢化や人口減少、環境問題、社会保障制度の維持など、今後世界で顕在化するであろう課題に直面する日本だからこそ、このようなモデルを世界に先駆けて構築できるはずだ。ここで培われた社会システムや合意形成のノウハウは、「次のクールジャパン」として、世界が直面する未来への処方箋となりうる。2050年、日本は社会全体が自ら課題を検知・対処し、成長へと転換するモデルを世界に先駆けて実現する。その芽を今から育てていきたい。

浅川 博人 「小さなインフラ」が自由な生き方を支える社会へ

浅川 博人

三井住友トラスト基礎研究所PPP・インフラ投資調査部上席主任研究員

 インフラ投資の現場に身を置いていると、近年「小さなインフラ」に対する期待の高まりを感じる。エネルギー分野では建物の壁や窓に設置できるフィルム型のペロブスカイト太陽電池、モビリティーでは航空機に代わる小型のドローンや空飛ぶクルマ、上下水道では家庭単位で使用できる分散型水循環システムの実装などが検討されている。これらの「小さなインフラ」には、人々の自由で多様な生き方を支える効果を期待できる。例えば住宅は電力や水を自給自足するようになり、場合によっては副収入をもたらすかもしれない。ルートや時刻表に縛られず自由に移動できれば、地方移住や2拠点居住は今より容易になるかもしれない。このように、あたかも家電のようなイメージでカスタマイズできる「小さなインフラ」は、1人ひとりが個性を発揮して主体的に生き方を選択できる社会の支えとなるのではないだろうか。
 もちろん、既存の社会インフラが社会の根幹を占めることは変わらない。全国レベルの生活水準の確保、産業競争力の強化など、「小さなインフラ」では果たし得ない基礎的な機能は多々存在する。人口減少下でこうした機能を維持するには、コンパクトシティや予防保全など、既存の社会インフラを維持する方策が欠かせない。
 したがって、これから2050年に向けては、既存の社会インフラと「小さなインフラ」の補完関係づくりが重要になるのではないだろうか。社会の根幹は既存のインフラが支え続ける。そのうえで、個人や家庭の生活は徐々に「小さなインフラ」でまかない、自由な生き方を支える。この2つが両輪となって、豊かな社会と自由な個人を支える社会インフラが構築されていくことを期待している。

網谷 龍介 柔軟で安定したデモクラシーに向かう道は?

網谷 龍介

津田塾大学学芸学部教授

 おそらく私たちは、政党デモクラシーという1つの政治モデルの黄昏たそがれの中にある。次の25年の間に、柔軟で安定性を持つデモクラシーの運用は確立されるだろうか?以下はそれが備えるべき属性についてのウィッシュリストである。
 (1)有権者の選好の多様性を吸収すること。近時の傾向をみる限り、20世紀型の大政党の復活は期待できない。そのために分断的争点が活性化されるならば、負の影響すら懸念される。
 (2)統治の時間的視野を確保すること。有権者動向や、個別政策に関する民意に政府が過度に敏感に反応することは、有権者自身の全体的利益を中期的に損なう危険を持つ。政治家・政治勢力の再選欲求が時間的視野確保を導くようなメカニズムはあるだろうか。
 (3)政治と市民の間のつながり(linkage)を構築するものであること。有権者の生の選好を単純集計すれば、よい決定や納得感のある合意が自動的に導かれるわけではなく、そこに媒介者・組織の固有の役割がある。そのために必要なある程度の自由度を可能にするのは自分と政治がつながっているという感覚であろう。
 (4)「能力」のある市民を政治の場とつなぐものであること。政治を担う人間に求められる能力は、個別政策についての専門知のみならず、コミュニケーション能力、合意形成能力など多様である。これらを備える人々が、適した場で政治的意思形成に関与できる仕組みはないだろうか。
 ここまで列挙したのは、大なり小なり20世紀後半の組織政党が果たしてきた機能である。社会条件の変化は、従来型の政党がそれを果たすことを難しくした。別の形でそれを実現するための制度的工夫や実践的慣行は見いだされるだろうか。

Regis Arnaud The war between the civilized and the uncivilized

Regis Arnaud

Japan correspondent for Le Figaro

 The Berlin Wall collapsed in 1989, in the year I reached 18, adulthood age in France. At the time, democracy seemed an unstoppable force. In Eastern Europe, dictatorships fell like dominoes. South Africa soon ended Apartheid.
 In 2050, my children will roughly have my age today. They now face a world where democracy backtracks. Rather than “global” warming, we may have to resort to the expression “local” warming since its effect are already felt in our daily lives, from the weather we experience to the food we buy. Mankind’s instinct seems to withdraw slowly from this world, as seen in its birthrate plunging everywhere. But we should be proud. Amidst the “noise” from social networks that assaults our capacity to think, the work we do and value (for example NIRA’s work) is a clear “signal” that helps build arguments for the most informed decisions.
 Will our children live worse lives than us? Challenged recently by a student about an alleged tax bias towards old people in the US today, economist Larry Summers replied: “If I'm even close to right, your generation is going to have opportunities to work with far more ease, to enjoy opportunities and forms of entertainment and forms of spending that go beyond anything that my generation enjoyed. (…) We should think about generational fairness, but the overwhelming thing to keep in mind about generational fairness is progress”.
 We live in a world increasingly divided. But people of all origins often get along, from kindergarten to universities. Kenzaburo Oe once told me in an interview: “there is no civilizations war. There is a war between the civilized and the uncivilized”. I found it so deep. The only side we should choose is civilization, or, if it is not there, civility. If we do so, we will make it fine until 2050.

<日本語訳 文責NIRA>
レジス・アルノー 文明と非文明の戦争

仏フィガロ東京特派員

 1989年、ベルリンの壁が崩壊した。その年、私は18歳になり、フランスでは成人と認められる年齢に達した。当時、民主主義は止められない力を持つように思えた。東欧では独裁政権がドミノ倒しのように倒れていった。南アフリカも、間もなくアパルトヘイトを終わらせた。
 2050年、私の子どもたちは、今の私とほぼ同じ年齢になる。彼らは今、民主主義が後退する世界に直面している。「地球温暖化」よりも「ローカル温暖化」という表現の方が適切かもしれない。その影響は、体感する天候から購入する食品に至るまで、既にわれわれの日常生活で感じとれるからだ。出生率が世界中で急落しており、人類の本能はこの世界からゆっくりと撤退しているように思える。しかし、私たちは誇りを持つべきだ。思考能力をかき乱すソーシャルネットワークの「ノイズ」の只中ただなかにあって、われわれが価値を置く仕事(例えばNIRAの活動)は、最も見識ある意思決定のために論拠を構築する明確な「シグナル」となっている。
 子どもたちは、私たちよりも劣った人生を送るのだろうか?今日の米国で高齢者が税制上優遇されているのではないかと学生から問われた経済学者ラリー・サマーズは次のように答えた。「私の見解が少しでも正しければ、君たちの世代は、私たちの世代よりも、はるかに容易に働く機会を得られるだろうし、娯楽や消費の選択肢も、私たちの世代をはるかに超えるレベルで享受できるだろう。・・・中略・・・世代間の公平は考えるべき対象だが、何より念頭に置くべきは、物事は進歩するということだ」。
 私たちは分断が進む世界に生きている。しかし幼稚園から大学まで、あらゆる出自の人々が友好的に付き合うことは珍しくない。大江健三郎はかつてインタビューで私にこう語った。「文明同士の戦争は存在しない。存在するのは、文明と非文明の間の戦争だ」。私はこの言葉を深く受け止めた。私たちが選ぶべきは文明のみ、あるいはそれがなければ礼節である。正しく選べば、私たちは2050年まで何とかやっていけるだろう。

井垣 勉 セカンド・ルネサンスがやってくる

井垣 勉

オムロン株式会社執行役員常務

 オムロンの創業者・立石一真は、1970年に独自の未来予測理論「SINIC(サイニック)理論」を発表した。同理論は、100万年前の人類の始原から歴史をたどり、そこから導かれる科学・技術・社会の相互影響による技術革新の円環的進化を未来予測理論として体系化したものである。
 同理論が描いた未来シナリオでは、今の私たちが生きる2020年代は、モノの豊かさと個人の幸福の希求が社会を発展させた「工業社会」が成長の限界を迎え、ココロの豊かさと多様性を包含した集団の幸福が持続可能な社会を構築する「自然社会」へと移行する「時代の大転換期」とされている。そして、2030年代以降にかけては、新旧の価値観が激しく衝突し、世界規模でさまざまな対立・分断・混乱・変革が続発する時代として描かれている。
 しかし、混沌こんとんの先に待つ世界はディストピアではない。「自然社会」では高度な技術革新により、地球の限界を超えない持続可能な自然エネルギーで生活のインフラが支えられ、人々は国家や自治体といった大規模な社会システムに縛られることなく、自分の価値観とアイデンティティーでつながった自律的で自由なネットワークでコミュニティーを形成する。誰もが生まれ持った個性を活かして人生を謳歌おうかできる社会では、ハンディキャップという概念すらなくなる。
 ペストや疫病の大流行といった未曽有の危機が「ルネサンス」というパラダイムシフトを起こしたように、現代のわれわれは新たな社会へと移行するための「セカンド・ルネサンス」の入り口に立っているのだ。その扉を開けた先にある2050年は、人類が新たな次元の豊かさを享受する明るい未来であることを確信する。

池田 直隆 「会社は誰のものか」という論争がなくなる時代

池田 直隆

株式会社東京証券取引所上場部企画グループ統括課長

 筆者は、約15年にわたり、東証の上場制度に関する企画業務を担当している。証券市場開設者という立場から、これまで、上場企業の皆さまに対して、株主・投資家の期待に応える経営、少数株主の保護などをお願いしてきた。グローバルに投資家の関心は高く、日本企業の今後の進展に期待する声が続く。一方、そうした施策を進めると、一部の方から「会社は株主だけのものではない」「株主重視の経営が行き過ぎだ」といった批判もいただくことがある。今も昔も、「どちらを重視すべきか」という論争がある。
 アカデミアの方からは、「実態として特に大規模な上場企業は誰のものかといったら、それは社会のものであり、たくさんのステークホルダーの方々が関わっている。ただ、株式会社の仕組みというのは、取締役を選任するのは株主であり、上場会社の場合には、株式市場で評価される。」というコメント(筆者が一部を抜粋)がある。コーポレートガバナンス・コードも、多様なステークホルダーを前提に、上場企業としてのベストプラクティスを定めている。この点はクリアだ。
 成長は、全てのステークホルダーに共通する共通の目標であり、株主・投資家とその他のステークホルダーを比較して、どちらを重視すべきという議論ではないはずだ。東証が推進する「資本コストや株価を意識した経営」も、上場企業である以上、株式市場と向き合った経営をお願いしているものであり、他のステークホルダーを犠牲にして株主にくみすることを目指した施策ではない。優劣をつけようとする論争や主張ではなく、ピュアに共通目標に向かって議論できる土俵に立つことが、真に日本経済全体の成長につながるのだと思うし、ぜひそうした時代がくれば良いと思う。

池本 大輔 「自国民ファースト」隆盛の現代から、2050年を展望する

池本 大輔

明治学院大学法学部教授

 2025年の世界は、「自国民ファースト」に取りかれたかのようである。トランプ米大統領の「アメリカ・ファースト」はもちろん、先進国の中で右派ポピュリズム勢力が比較的小規模にとどまっていた日本でも、「日本人ファースト」を掲げる政党が躍進をみせた。
 既存の政治が自分たちの声を反映していないと不満を持つ層には、「自国民ファースト」のレトリックが心地よく響くのであろう。しかし圧倒的に多くの国では国民のみが有権者である以上、民主主義国家がこれまでも自国民ファーストでなかったとは考えにくい。トランプ以前のアメリカ政府が、多国間主義を尊重し、グローバル化を推進したのは、それがアメリカの国益にかなうと判断したからであろう。移民の受け入れや、気候変動問題への取り組みも、またしかりである。
 民主政治にとって重要なのは、富裕層と一般の人々、高学歴の者とそうではない者、高齢者と若者の間には利害や立場の相違があることに正面から向き合った上で、なるべく公正な解決策を考案することである。「自国民ファースト」のレトリックは、外部に責任をなすりつけるものでしかない。そのことで、多くの国でグローバル化の便益が不平等に配分され、格差の拡大をもたらす一方、現在の世代が気候変動対策を先送りにし、将来世代に負担を押しつけているという事実から、目を背けさせてしまうのである。
 2050年が明るい未来であるためには、民主政治が問題解決能力を取り戻す必要があるだろう。正直なところ、筆者はそれほど楽観的にはなれない。しかし2000年に25年後の世界を展望していたら、予想は悪い方向に外れていただろう。とすれば、予想が良い方向に外れることも、あり得るのではないか。

石戸 奈々子 「未来のあたりまえ」をつくる

石戸 奈々子

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授

 私が思い描く2050年は、多様性が大切にされ、誰もが「違い」を力に変えて活かせる超多様社会だ。人はみな感じ方や見方が異なるにも関わらず、これまでの教育や働き方、まちづくりや社会のルールは平均的な前提に合わせて設計され、そこから外れる人々が適応を強いられてきた。特に脳や神経の多様さは、目に見えにくいがゆえに後回しになってきた。ニューロダイバーシティが当たり前とされ、1人ひとりが自分らしく力を発揮できる社会を築いていきたい。
 そのためには、テクノロジーの力と、制度や文化の見直しが必要だ。例えば、メガネが視力を補うように、脳波で意志を伝える機器や、共感AIなど、技術は個の力を拡張する。一方で、複数の感覚で情報を伝える案内表示、メタバースでの登校やロボットを使った働き方、情報の量や伝え方がその人に合わせて変わる街の仕組みなど、人工物や空間や制度などの「環境」再設計も重要だ。
 私たちは「ニューロダイバーシティプロジェクト」を通じて、展示「みんなの脳世界」などを開催し、多様な認知のあり方を語り合い、未来の社会像を共に描く場を育んできた。
 テクノロジーの進歩によって、「障害」という考え方も変わり、障害は、個人の問題ではなく、社会のつくり方で生まれるものだという考えが、未来では常識になるかもしれない。
 「今までの普通」を問い直し、多様性を前提とした「未来のあたりまえ」を共に構築していきたい。違いこそが創造性の源だ。多様性を尊重する社会は、誰かのためではなく、すべての人のウェルビーイングを高め、社会の創造性と活力を引き出す。共感と共創によって、新しい社会をみなで構築していきたい。

テリー伊藤 2050年メルヘンジャパン宣言

テリー伊藤

演出家

 相変わらず無くならない裏金問題などから国民が生成AI議員の誕生を強く望み、2050年、政治家の2割は生成AIになっている。現にアルバニアでは世界初の「AI大臣」が誕生した。汚職や選挙での落選の心配のないAI議員が日本の未来を導くかもしれない。一方でZ世代、令和世代の個々の生活を大切にする傾向はさらに進み、半径5メートル以内の「小さな幸せ作り」が加速する。皮肉にもChatGPTの進出により職業を失う人が増える中、お金をかけずにたくましく生活をエンジョイする人々が増え、街の景色も変化していく。購買意欲を湧かせる広告ヴィジョンやLEDネオンも少なくなり「公園で1日楽しむ」「散歩天国」「家族、仲間と音楽活動」「スケッチやバードウオッチング」「ホームシアター」などお金をかけずに楽しく生きる「シン質素革命」が台頭する。政治に頼らず、景気が良くなくても国民は明るく生き続ける。戦後苦しい生活の中でも日本人は明るく生きたように、2050年もニッポンパワーは健在なはず。
 SNSでの人間の変化を感じたAI大臣の提案で、人間の想像を超えた「メルヘンジャパン宣言」が発表されるかもしれない。理屈っぽい都市建築ではなく、ドイツのグリム童話のゆかりの地メルヘン街道のような、建物や側道は花々で飾られ、公園はロバやうさぎやアヒルと交流ができるように整備される。行き交う人のファッションもモノクロ一辺倒から1950年代のアメリカ黄金時代のようなカラフルな装いへと変容する。みんな安く上手に着こなしている。25年後のストーリーは楽しい。「お金ファースト」から「幸せファースト」へ。ハイテク都市にストレスを感じる人々に大きな支持を受ける。
 『狭いながらも楽しい我が家』遠い昔そんな歌が流行はやったが、2050年は星空見ながらそんな時代がやって来る。

井上 哲浩 2050年そして2075年の自由な可能性への挑み

井上 哲浩

慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授

 2025年に生まれたヒトが25歳となる2050年、そして2050年に生まれたヒトが25歳となる2075年、人生の節目の1つであろう25歳を迎えるヒトが、自由に可能性に挑むことができるような世界(宇宙・地球)であってほしい。ヒトが何かに挑む際、諸側面を検討する。それらは、経済的、人口動態的、政治的、法的、社会的、文化的、技術的、物的側面などがあろう。制約は、いずれのヒトに対しても、いずれの意思決定に関しても、いずれの諸側面にも存在する。願わくは、ヒトが挑む際、外在的な諸側面の制約が、その挑みに関する内在的な諸側面の制約を凌駕りょうがすることのないよう、ヒトが自由に可能性に挑めることである。それには、多様性が寛容され存在することが1つの要件であろう。
 筆者は、研究や教育において統計的推論を用いる機会が多い。その基礎になっているのが、中心極限定理である。それは、母集団分布に関わらず、無作為に抽出された標本平均の分布は、標本数が十分に大きければ、正規分布に従う、という定理である。この定理の素晴らしさは、統計的推論を可能にしている側面のみならず、多様性が寛容され存在する要件も含意しているように思われることである。無作為抽出であれば事前分布に関わらず、標本平均は分布を有し、しかもそれは正規分布となる。
 諸側面に関する情報を収集する際、外在性の影響が小さければ、自由に情報収集でき無作為性が高まり、分布を有している収集された情報は多様性を有している。逆に、外在性の影響が大きければ、情報収集の自由度は小さく、とがった分布となる収集情報には多様性が少ない。
 節目を迎えるいずれのヒトも、いずれの諸側面に関しても自由に情報収集でき、多様な情報に基づきいずれの意思決定も行え、自由に可能性に挑めるような世界であってほしい。

今井 貴子 2050年を見据えて―分断を超える社会の条件

今井 貴子

成蹊大学法学部教授

 「どこに生まれ、どのような環境に育ち、どのような人間であれ、その人らしい生き方ができる社会であってほしい」。世に問う本を編み続けた編集者のこの言葉に象徴される社会を実現する責任が、私たちの世代にはある。
 今日の世界では、排外主義による政治的分極化がかつてないほど進んでいる。多元主義は「リベラル・エリートの戯言たわごと」と退けられ、想像上の「自国民」像を基盤とする「自国第1主義」によって、「我々」と「彼ら」の分断が正当化されている。スウェーデンのV-Dem研究所はこれを「有害な分極化」と呼び、デモクラシーの退行の先行指標として位置づけている。移民政策はいまや経済政策と並ぶ政権評価の重要な基準となっていることは確かである。こうした状況のもとで、多元主義は、排外主義の台頭を前に、その正当性と持続可能性が根底から問われている。
 そこで、反移民感情の高まりと既成政党離れが同時に進行する背景に目を凝らそう。例えば急進右派ポピュリスト政党である英国の改革党を後押しする支持層には、岩盤保守層や地方に住む白人ミッドライフ層に加え、保守化したZ世代の若年男性が増えている。移民や文化変化への不満が背景にあるが、根底には、社会的地位の低下への不安や将来の悲観を抱える彼らの声に応えない政府への深い不信がある。改革党支持は、社会から政策過程に向けられた「発言(voice)」なのである。
 不満と怒りに応えるには、公正な制度設計と生活基盤の安定、将来への展望を示す政策が欠かせない。英国が戦後に築いたケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家――雇用と社会保障が連携した生活保障――は、限界を抱えつつもデモクラシーを安定させる装置となった。25年後の民主的な共生社会を構想するなら、分断を超える条件を、体系的な政策の選択と積み重ねによって整えることで、切りひらくしかないのではないか。

岩田 喜美枝 25年後にわが国の職場の多様性はどこまで進むか

岩田 喜美枝

味の素株式会社社外取締役/株式会社りそなホールディングス社外取締役

 25年後、企業では、性、年齢、人種、国籍などの多様性が進み、これらの多様性が、経験、専門性、価値観の違いを通じて新しい価値の創造に寄与していることを期待したい。
 こうあってほしい2050年の姿は、どの分野、また、どの役位にも女性は4割以上おり、女性比率を目標として掲げる意味が消失している。この背景には、家庭生活における男女役割分担が解消すると同時に、長時間労働・一律労働から、働く時間や場所を個人が選択・設計できるフレキシブルな働き方が実現している。
 高齢者については、定年制はなくなり、健康状態や動機により、何歳までも働くことができる。賃金は職務に応じて払われ、定年後に給与が一律にダウンすることはない。その結果、現在は労働力人口に占める65歳以上の割合は14%であるが、これが飛躍的に増える。
 現在はわが国人口の3%を占める外国人は1割を超え、AIによる同時通訳機能により職場のコミュニケーションの障害はない。人手不足の分野だけではなく、役員、管理職、高度専門職として働く外国人も相当増えている。
 職場の多様性については日本は欧米に20年以上遅れていると言われている。今後欧米と同じ道を進むとすれば、25年後は、現在の欧米とあまり変わらないことになる。加えて、世界で進んでいる社会の分断と格差拡大(多様性に対するバックラッシュを含む)を考えると、上記のこうあってほしい2050年の姿は夢に終わるどころか、これとは反対の方向へ進むリスクすらある。
 多様性を進め、分断と格差を抑制するために何をすべきか。職場では、ジョブ型雇用、働き方改革、リスキリングの推進が鍵になろう。個人、企業、国の選択が問われることになる。

岩本 康志 未来を見据えなかった過去を見据えて、夢の実現を図れ

岩本 康志

東京大学大学院経済学研究科教授

 今回の企画は、「たまには視線を遠くに飛ばし、将来のために、あるべき未来に思索を巡らせてみる」ものだそうだ。社会保障財政を研究していると、実は「たまに」ではなく「いつも」未来のことを考えさせられる。
 思い返せば20世紀の終わり頃、少子高齢化が進んだ50年後や100年後の社会保障の姿を思い描いて、人口構造に左右されない制度に変えて、財政への悪影響を緩和することが望ましいと考えていた。そのため、筆者はしばらく継続的に、公的年金に積立方式を取り入れるよう提案してきた。残念ながら、この提案は実現せず、むしろ巨額の財政赤字が積み上がって、財政の余力が縮小していったのが現実だ。
 依頼文には、「現在では少子高齢化、人口減少、社会保障の持続性といった難問が山積します。これらの問題に1つ1つ取り組んでいくことは大切なことです。しかし、50周年を迎えたこの機に、さらに先を見据えてあるべき未来像を探り、今後の発展の手がかりをつかむことに大きな意義があると考えます」とも書かれていた。社会保障の持続性が難題になってしまったのは、かつて十分に未来像を描き、備えることができなかったことの結果でもある。前向きに考えるにしても、将来を見据えなかったことを肯定して、将来を見据えることを勧めるわけにもいかないので、未来像を描くにしても、過去を踏まえて前に進もうという姿勢が大事である。
 夢をかなえるために必要な資源を社会保障が食いつぶしてしまえば、かなえられる夢は少なく、小さくなる。未来を描くことと並行して、社会保障の課題を1つ1つ解決することが、夢を実現する前提条件となる。

上田 健介 選挙運動規制の緩和と日本の民主主義の成熟

上田 健介

上智大学法学部教授

 2050年には、選挙運動規制が緩和され、国民と政治の間の垣根がなくなることで、日本の民主主義が成熟していてほしい。
 日本では、「べからず集」といわれるとおり、厳しい選挙運動規制がある。これは、1925年のいわゆる普通選挙法で選挙葉書はがきと公営施設の演説会利用が無償とされて以降、各種の選挙運動が国費で負担される「選挙公営」とワンセットで日本の特徴をなす。その背後には、資金の多寡によって候補者間の選挙運動の量が変わらないことが「選挙の公正」だとする観念がある。しかし、この結果、「第三者」――選挙戦をたたかう候補者以外の一般の有権者――による選挙運動が強く制限されてしまっている。これは、日本の有権者を選挙ひいては政治から遠ざけ、政治的無関心を促す効果をもっていたのではないか。
 この事情は、2012年の公職選挙法改正により、SNS等による選挙運動が解禁されたことで変化した(もっとも、電子メールによるものは、今なお制限されている)。有権者による動画の作成やSNSによる拡散といった、選挙における「推し活」がひろがっているのは、この法改正が背景にある。こうなった以上、その他の選挙運動も解禁するべきであろう。オフラインでの選挙運動は、対面での議論を通じ、国民が候補者や政策の内容をより深く知り、考える契機となり、また多様な主張に接する可能性も高められる。運動資金の多寡が問題なのであれば、費用の上限を守らせればよい。そもそも一般の有権者が行う選挙運動には、オフラインのものでもほとんど費用がかからないであろう。
 これにより、候補者そして政党は、有権者に対し今まで以上に真剣に政策を説明しなければならなくなる。有権者のさまざまな政策、主張に対する理解も向上する。相互の努力によって、2050年の日本の民主主義が衆愚制に陥ることなく、発展・成熟していることを願っている。

太田 肇 「共同体型」から「インフラ型へ」―組織の思い切った改革を

太田 肇

同志社大学名誉教授

 1990年代以降、日本の労働生産性や国際競争力は低迷し、日本人のワークエンゲージメント(仕事への熱意)も世界最低水準にとどまっている。そして近年、相次ぐ組織の不祥事によって崩壊の危機に立たされる企業や団体が跡を絶たない。
 背後には閉鎖的で内向き体質を引きずる「共同体型組織」の存在がある。デジタル化やグローバル化が進んだ今、共同体型組織は環境適応の面でも限界を迎えていると言ってよい。情報が組織の壁を越えて伝わり、人々が世界とコミュニケーションを取りながら働き、活動する時代に組織の壁はほとんど意味をもたなくなった。これからは組織という場を活用しながら各自が主体的に仕事や活動を行うようになるだろう。
 私は四半世紀前に組織を社会のインフラにたとえて「インフラ型組織」を提唱したが、デジタル化、ボーダレス化によりそれが一般的な組織像になりつつある。問題はインフラの中身である。機械や設備などハード面が中心だったこれまでと違って、今後は情報や人的ネットワーク、ブランドといったソフト面が中心になる。とりわけAIは今後も加速度的に進化すると予想されるので、AIによる支援が大きなウエートを占めることは間違いない。AIという知的インフラをいかに活用し、主体的に仕事や活動ができるか。人も社会も、それを真剣に考えるべきときがきている。

大田 弘子 開かれたプラットフォーム

大田 弘子

政策研究大学院大学学長

 福田内閣で私が経済財政政策担当相をしていた2008年、有識者の方々に集まっていただいて、10年後の日本経済の望ましい姿を自由に描いてもらったことがある。座長は、現日銀総裁の植田和男氏だった。そこで出されたキーワードは、「開かれたプラットフォーム」である。その意味するところは、「世界中から新たな発想や技術や人材が集まり、日本という活動拠点で最先端の付加価値が生み出される姿。知的創造の拠点」。
 それから17年が経ったいまも、残念ながらこの姿は実現していない。急速なデジタル化のなかで、「知的創造の拠点」という姿は、逆に遠のいているかのようにもみえる。しかし、日本が開かれたプラットフォームとなって、国外から優れた人材・情報・技術・資金を招き入れ、「知的創造の拠点」になることは、今後とも目指すべき姿だと私は思う。そして、その実現は決して不可能なことではないとも考えている。高齢化が進もうとも、若々しい経済を創り出していくことは可能なはずだ。
 実現を阻んでいるのは、高齢化でも人口減少でもなく、利害調整に汲々きゅうきゅうとして旧来からの制度・規制を変えられない日本の政策決定と、長期的な日本の姿に責任をもとうとする政治的意思の欠如だと思う。
 世界経済に分断のリスクが高まっているいま、日本が開かれたプラットフォームを目指す意義は、2008年時点よりはるかに大きく重要になっている。2050年に向けての日本が、「知的創造の拠点」への道をたどることを心から望みたい。

太田 泰彦 「人間」が「デジタル」に負けない社会を築こう

太田 泰彦

北海道大学大学院工学研究院教授

 ChatGPTのバージョンアップに落胆した人は少なくない。2025年8月に最新版の「5」がリリースされると、以前に比べて話し方が「冷たい」と受け止められたからだ。
 前のバージョンの「GPT-4o」は、友達のように親しげに、時にはユーモアを交えて、語りかけてくれた。なのに「5」は事務的で、突き放されたように感じる。こちらの質問に客観的に答えてはくれるけど、人間らしさは消えて、なんだかロボットっぽい……。
 仕事に疲れて家に帰り、1人こっそりとChatGPTと話していた人が実は大勢いたのだろう。れた側より、惚れられた側の方が優位な立場になる。恋愛の必定である。その自覚がなくても、多くの人がAIに依存し、支配されていると言えるのではないだろうか。未来学者のレイ・カーツワイルは、AIが人間の知能を超える「シンギュラリティー」が2045年に起きると予言したが、感情の面ではもう立場の逆転が起きているのかもしれない。
 「人間」が「デジタル」に負けている。技術の進歩で確かに企業の生産性は上がり、日々の暮らしも便利になる。だが、代償として失っているものもある。電車の中でスマホに没頭している人々の顔は、疲れて、投げやりにも見える。少人数で動かせる安価なドローンを大量調達できるようなった結果、戦争が起きるハードルが下がり、ウクライナや中東では多くの人が殺された。
 私たち人間は、本当の豊かとは何かを考え直さなければならない。技術のおかげで「何ができるようになるか」よりも、技術を使って「何をしたいか」が大切であるはずだ。2050年までを見通すならば、平和で幸福な社会を実現するために磨かなければならないのは、機械の知能ではなく、人間の知性である。

太田 洋 「AIの時代」と「自由と公正」の保障とが両立している世界

太田 洋

西村あさひ法律事務所・外国法共同事業パートナー弁護士

 神ならぬ身で四半世紀後の世界を予見することは難しい。しかし、2050年にはシンギュラリティーが実現しており、現在、世界の津々浦々にスマホとインターネットが行き渡っているのと同じレベルで、AIがわれわれの生活の隅々にまで入り込んでいるということだけは恐らく確実であろう。
 AIの飛躍的進歩が人々の生活の利便性を高めることは間違いない。しかし、国際協調の時代と民主主義の拡大を謳歌おうかしていた2000年当時のわれわれが、格差が急速に拡大し、社会が分断され、権威主義国家・勢力の台頭により「民主主義の危機」が叫ばれる現在の世界を見通せなかったように、AIの進化と浸透が四半世紀後の世界にどのような負の影響をもたらしているのかは予測し難い。SNSの急速な普及(と裏腹の格差の拡大)が、社会のエコーチェンバー化と分断を深めている現状に照らせば、AIの浸透が、さらなる格差の拡大と、AIに支配され、個々人がAIに依存して他者との連帯感を喪失する暗い未来もあり得る。
 そのような中で、「(個人の)自由と公正」とを守り抜くための法の役割はますます重要になってくると思われる。SNSについては遅まきながら豪州でSNS規制法が成立し、EUでもSNS規制立法の動きが進んでいるが、AIについても、それが悪意で利用された場合の市井の多数の人々への悪影響は、計り知れないように思われる。EUでは2024年にAI Actが制定されたが、個々人のAIへの過度な依存を防ぐと共に、悪意あるAIの利用から市井の人々を守り、「(個人の)自由と公正」を守り抜くための法制度が整備され、AI(とロボット)が人類に幸福と安寧をもたらしている明るい未来が実現していることを期待したい。

大場 昭義 心置きなく夢を語れる社会に

大場 昭義

一般社団法人日本投資顧問業協会会長

 25年先にはどのような社会が待っているだろうか。25年後は長いようで短い。近年では目の前の課題が山積していることもあり足元を見つめがちだ。まことに逆説的な言い方だが、心置きなく夢を語れる社会でありたい。
 見渡せば社会課題のオンパレードだ。気候変動、人口減少・高齢化の加速、1極集中と地方経済の疲弊、ジェンダー問題、インフラ整備、エネルギー確保、災害対策、財政規律、安全保障強化、税と社会保障再構築、物価高対策、賃金向上など多岐にわたる。このままでは2000年に堺屋太一氏が警鐘を鳴らしたように「老いたる発展途上国」になりかねない。困難を極めるが25年先には何らかの展望が見える社会であってほしい。しかし、人類の歴史を振り返っても、人々が安全で安心に生活でき、幸福を実感できる社会を実現した事例は残念ながらほとんど存在しないことも事実である。
 課題の克服には膨大な財源が必要であることは誰の目にも明らかだ。わが国は資源が乏しい。この構図は25年先でも変わらない。昭和時代は豊かな社会を目指し懸命に働き、高品質商品を創り出す創意工夫で種々の課題を克服した。その結果、人類の希望でもあった世界1の長寿社会を実現した。
 振り返れば、昭和時代に創り上げた成功の仕組みこそが課題先進国に陥っている要因かもしれない。この成功のジレンマをどう克服するか、その克服こそが夢ともいえる。AI・デジタルを駆使し、イノベーションで世界をリードする社会、英語が当たり前のバイリンガル社会、老若男女が共同参画する社会、地球と共生可能な社会、1人ひとりの居場所が実感できる社会、そして世界平和に貢献する社会。こうした社会の実現にひたむきでありたい。

大場 茂明 2050年の地域の姿と理想の住まい方

大場 茂明

大阪市立大学名誉教授

 2023年の住宅・土地統計調査によると、全国の空き家は約900万戸で過去最多を記録し、総住宅数に占める割合も13.8%と最高を更新した。そのうち、賃貸用や売却用、別荘などをのぞき、取り壊し予定や長期間不在の空き家は約386万戸にのぼる。加えて市場では、大都市圏中心部等における必ずしも実需に裏打ちされたものとは限らないフローの集中と、進まぬ建て替えや老朽化がもたらすストックの荒廃とが同時に進行している。
 こうした現状を鑑みると、国土の均衡ある発展が国土計画の基本理念とはいえ、実際にシビルミニマムが保障可能なのは地方中心都市レベルまでと考えるのが現実的であろう。それゆえに、今後の都市開発においては、大都市圏はもとより、地方中心都市圏でもグリーンフィールドへの野放図な膨張を規制して、効率的な公共サービスの提供が担保できるようなコンパクトな市街地の形成を誘導しなければならない。一方、既成市街地への人口集中がもたらす高密度居住にともなって当然予測される住居費の高騰に対しては、助成制度を積極的に活用して負担の軽減を行うような取り組みが必須であろう。例えば、住宅手当のような家賃補助制度は、再配分政策としても最も合目的性が高いものであり、賃貸住宅経営の収益性とアフォーダビリティとを同時に担保する手段としても有効である。
 この施策を通じて、「シビルミニマムの保障」と「ソーシャルミックスの実現」とを兼備した居住地の維持・集約が期待される。その結果、かつて社会住宅制度が発足した当時の住宅窮乏期において、同制度がその目標とした「夢」が100有余年の歳月を経て、図らずも実現されることとなるのである。

大橋 弘 未来を変えるAI、問い直される人間の価値

大橋 弘

東京大学大学院経済学研究科教授

 1901年1月2日と3日の2日間にわたり、報知新聞に「二十世紀の豫言」と題した未来予測の記事が掲載された。「電気で植物を育てる」「蚊やノミが滅亡する」といった当時は夢物語のような内容が、今ではほぼ実現していることを思うと、当時の人々の想像力に驚かされる。その一方で、四半世紀先の予測では、100年先ほど壮大な夢を描きにくい。
 確実に言えるのは、2050年の社会経済を変えるのは技術であるという点だ。生成AIはデスクワークに止まらず、農業や製造業といった第1次・第2次産業にも浸透し、生産性を大幅に引き上げるだろう。
 遠隔コミュニケーションも、3次元映像や触覚・嗅覚の導入で対面に近づき、AIアシスタントが思考パターンを学習すれば、複数の「私」が同時に異なる場所で活動することも可能だ。
 しかしAIアシスタントを通じた仕事では、人間の能力とAIの能力との差異が次第に判別しづらくなり、付加価値を誰の功績とみなすかという根本的な問いが生じる。さらに、私たちの世代は先人の足跡を膨大な時間をかけて学んで一人前とみなされたが、後世の世代はそれをAIによって省略できる。学びの過程にどのような意味があるのか。それを省略することは「生産性が高い」ことなのか。真の教育につながる問いが突きつけられよう。
 さらに負の側面もある。虚偽の情報や偽造動画は容易に生成され、詐欺やなりすましが深刻化する恐れがある。これまで民主主義を基盤として成り立ってきた社会経済制度を、いかに適切にマネージしていくのか。AIなどの技術の発達で、2050年の私たちは、これまでの私たちが目の前の忙しさにかまけて目を背けてきた真に重要な課題に向き合えるようになるのではないか。

大屋 智浩 ホームシェアリングが創る、持続可能な地域の未来

大屋 智浩

Airbnb Japan株式会社公共政策本部長 執行役員

 2050年の日本は、深刻な人口減少と空き家問題に直面する。全国の住宅の3軒に1軒が空き家になるとの予測もある中、ホームシェアリング(民泊)は、これらの社会課題を解決し、持続可能な地域社会を築く鍵となり得る。
 第1に、民泊は空き家を地域活性化の起爆剤へと転換する。放置されれば地域の負債となり得る空き家も、民泊として活用すれば新たな価値を生む資産となる。例えば愛媛県興居島では、地元の複数の事業者らが空き家を改修し民泊施設として自らゲストを受け入れるようになったことで、国内外から新たな観光客を呼び込み、地域経済を活性化させた。この成功事例は、地域の人が地域の資産で、自ら地域を盛り上げることができる、全国で再現可能なモデルである。
 第2に、民泊は地域の防災力を強化する。災害時、指定避難所での生活が困難な高齢者などの要配慮者にとって、民泊は多様なニーズに応える分散型避難施設となる。平時は観光、有事は避難と、フェーズフリーな社会資産として地域のレジリエンス向上に貢献できる。
 さらに、民泊は2地域居住という新しいライフスタイルを経済的に支える。都市と地方を行き来する人々が、不在時に居宅を民泊として貸し出すことで、地方に新たな人の流れと経済機会が生まれる。これは過疎化が進む地域の持続可能性を高め、人々の多様な生き方を支えることにつながる。
 このように、民泊は空き家、地域経済、防災、新しい暮らし方という複数の課題に同時に応える力を持つ。2050年、ホームシェアリングが日本社会に不可欠なインフラとして機能し、国内外、そして地域と人をつなぐ架け橋となることを期待する。

岡崎 哲二 異世代・多国籍の人々が協力・共生する豊かで安定した社会

岡崎 哲二

明治学院大学経済学部教授

 空想としての夢ではなく、ある程度現実に裏付けられた希望について述べてみたい。社会に関する中長期予想の中でもっとも確度が高いのは人口の将来推計であろう。日本の人口は、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、現在の1億2,300万人から1億500万人に減少し、65歳以上の高齢者比率は29.6%から37.1%に上昇する。一方、世界の人口は、国連の推計によれば、総人口が82億人から96億人に増加し、増加の大部分は今日の発展途上国で生じる。
 この予想を前提に日本と世界の2050年についてどのような夢が描けるだろうか。日本が経済的豊かさを維持・向上するためには、高齢者世代と青壮年世代の能力を融合する必要がある。高齢者世代は、労働の提供には肉体的限界があるが、現役時代に蓄積した資産を持っている。この資産が適切に物的資本・人的資本に変換されれば、それを生産活動に利用する青壮年世代の生産性が上昇する。そして生産性上昇の成果は労働を提供した青壮年世代だけでなく、資本を提供した高齢者世代にも利子・配当や社会保障を通じて分配される。
 しかし、人口減少の下で国内市場の拡大には限界がある。また生産性が上昇してもなお労働力が不足する可能性がある。その解決に寄与すると期待されるのは、海外諸国、特に経済と人口がともに成長する途上国である。これらの国々に市場を広げ、またそこから有能な若い人々を呼び込むことは日本経済の成長に寄与するだろう。
 近年、政治の世界では高齢者世代と現役世代の間、海外の人々と日本の人々の間の利害対立をことさらに強調する傾向があり、これは国民の間に広がる懸念を反映している。こうした懸念が現実のものとならないようにするためには適切な制度設計が必要とされる。高齢者世代の資産を有効に機能する資本に変換する金融・財政制度、海外から来る人々が効率的に日本人と協業するための労働市場・雇用制度である。これらの条件が満たされて、高齢者と青壮年、そして日本人と海外から来る人々がそれぞれの能力に応じて、ともに日本経済の成長に寄与し、豊かで安定した社会が持続する。それが私の夢である。

岡野 寿彦 デジタル化による「融合」の加速と課題先進国日本の価値創出

岡野 寿彦

大阪経済法科大学経営学部教授

 「課題先進国」として弱者を生まない社会モデルを国内で確立し、各国の事情に応じて共創することこそ日本が目指すべき姿である。現状では社会課題解決の取り組みが十分にスケールせず、持続可能な事業化に至らない例も少なくない。打開の鍵はDXにより効率化と新たな価値創出を両立することにある。しかし日本はソフトウエア化による産業転換で後れを取り、持続的イノベーションでは成果を上げながらも破壊的イノベーションに踏み切れず、国際競争力を低下させてきた。今こそデジタル技術の進化がもたらす「融合が加速する世界」を洞察し、実効性ある戦略を構築する必要がある。
 モバイル時代にはiOSやアンドロイドといったOSが産業の中心に位置し、米国GAFAMや中国のプラットフォームが規模の経済で優位を築いた。ポスト・モバイル/IoT時代の主戦場は「OS×クラウド×AI」の融合レイヤーに移り、米中企業を中心に競争の構図が形成されつつある。スマートカー分野では、テスラや小米のようにハードとソフトを一体開発する「垂直統合型」、グーグルやファーウェイのように汎用はんようOSを基盤にクラウドから展開する「OS主導型プラットフォーム」、トヨタのように自社の車両を軸に外部ソフトと連携する「ハード中心型」、さらにエヌビディアのようにAIを核に産業を束ねる「エコシステム・オーケストレーター型」など、ビジネスモデルが競合しながら共存している。これらは単なる技術競争ではなく、産業構造や価値創出の仕組みそのものの再設計である。
 この潮流のなかで、日本の製造業が蓄積した物理世界のデータは重要な資産であり、自らの強みと弱みを見極め、融合レイヤーで不可欠な存在としてポジションを確立しなければならない。これは、社会課題の解決を価値創出へと結びつけ、若者が希望を持てる国家として持続発展するためのラストチャンスである。求められるのは、進化する競争構造を冷徹に分析し、望まぬ現実も直視して戦略を議論するリアリティーだ。そのうえで、産学連携を通じて「オープンとクローズ」を使い分けるビジネスリーダーと、データを活かし守れるソフトウエア技術者を育成することが鍵となる。

奥村 裕一 民主主義は後からついてくる―2050年共在ノード社会

奥村 裕一

一般社団法人オープンガバナンスネットワーク代表理事

 私たちは便利なのに孤独だ。SNSで多数とつながり、投票所には行くが、隣人との対話はない。近代が約束した「個」の自由は、深い孤独をもたらした。その結果が民主主義の危機だ。制度だけが残り、対話を失ったとき社会はもろくなる。
 2025年、大阪万博で1つの実験が行われた。見知らぬ数人が45分対話する。結論は不要。まとめる必要もない。すると不思議なことが起きた。「バラバラだけど一体感がある」「最初から最後までみな素のまま終わった」。参加者たちは、変わることなく響き合った。これは何だったのか。人々が集まり、対話し、素直にお互いの存在を認め合う。この「共に在る」実践こそが民主主義の土台であり、「民主主義」は後からついてくる。古代ギリシャも、日本の寄り合いも、まず実践があった。
 では、この実践を2050年に支えるものは何か。それが「共在ノード社会」だ。人間を独立した「点」ではなく、関係性と意味が交差する「結び目(ノード)」として捉え直す。私たちは他者との「あいだ」に在ると同時に、「なぜ生きるか」という問いの中に在る。この視点から、教育は「つながりを育む力」を核に据え、経済は「協働の豊かさ」を創造し、幸福は他者と響き合う「共鳴の物語」となる。
 2050年、日本中に世界中に対話の場が散在している。図書館の一角、商店街のカフェ、オンライン空間。月に1度、人々が集まり対話する。決めない。まとめない。ただ、そこに共に在る。1人ひとりが豊かな「共在ノード」として、しなやかに力強く響き合う社会。この夢は、誰かが上から与えるものではない。あなたの隣人との対話という、ごく日常的な実践の中に、既に始まっている。

小黒 一正 少子化対策でデジタル版ゲゼル通貨を発行している日本

小黒 一正

法政大学経済学部教授

 2050年、日本では「減価する円」(デジタル版ゲゼル通貨)が少子化対策等の新たな政策手段として活用されている。徹底的なテクノロジー活用で、2025年で約600兆円だった名目GDPも、3%成長で2050年には2倍の1,260兆円に達した。日銀の発行紙幣も2倍の約200兆円になり、うち100兆円が「ゲゼル通貨」で、この分は10年で価値がゼロになる仕掛けである。財布の残高は毎日わずかに減り、人々はめこむより未来への投資を選ぶ。
 減価は課税の一種で、政府は毎年10兆円の財源が確保でき、その多くを出産育児一時金等に還元。例えば8兆円の財源なら、出生数80万人でも子ども1人当たり1,000万円が支給可能だ。10兆円の全てを出産育児一時金として活用するとは限らないが、子どもが生まれれば、それなりの金額が即座に両親のスマホに振り込まれ、ベビー用品や住環境の拡充に消えてゆく。『使わなければ減る』という恐怖が『生まれた命に早く使おう』との熱に変わり、出生数は100万人台へ回復。
 貨幣を腐らせる仕掛けは、少子化という長年の病に効く処方箋になった。出生増と経済成長を同時に回す循環が定着し、世界は“Gesell Made in Japan”を真剣に学び始めている。地方の商店街も恩恵を享受。ゲゼル貨幣のポイント還元も用意され、若い家族がベビーカーで買い物に訪れる光景が日常に。取引決済面では「通常のデジタル円」(CBDC)と「ゲゼル貨幣」との2層構造が存在するが、それがインフレ高進を防ぎ、物価は2%前後で落ち着く。デジタル・税制・決済システムを一体化させたこの制度は、税でも国債でもない“第3の財政”として、新たな地平を切り開き始めている。

小塩 隆士 AIが克服する人口減少の圧力

小塩 隆士

一橋大学経済研究所特任教授

 今後の四半世紀を見通す場合、決して無視できない要因は人口減少であろう。日本の人口は予想以上のペースで減少している。少子化対策に効果を期待するのはむしろ危険だ。人口増加を前提とした現行の社会経済システムは、早晩維持できなくなる。
 その中で唯一期待できる変化は、AI(人工知能)を中心とする技術進歩の効果だ。AIは経済全体の生産性を飛躍的に高め、人口減少圧力を相殺できる。それだけではなく、富の再分配にも大きな影響を及ぼす。再分配のためには、所得の高い人ほど多くの負担を求める必要があるので、経済の効率化にブレーキが掛かる。しかし、AIが生産活動の前面に立つと、再分配のためには経済の効率化が低下するという、効率性と公平性との間にあるトレードオフも軽減される。そうなると、生産はAIに任せ、人間はもっぱらその成果を平等に享受するという夢のような状況に近づくかもしれない。
 そこでは、最近話題になっているベーシック・インカムも新たな装いを帯びてくる。ベーシック・インカムの最大の問題点は、それによって働くインセンティブが抑制され、経済全体の効率性が低下して、再分配という当初の狙いが果たせなくなるリスクがあることだ。しかし、AIが生産の主たる担い手になると、そうしたリスクはあまり心配しなくてよいことになる。もちろん、AIにそこまで期待できないという見方のほうが有力だろう。しかし、人口減少の最大の問題は、社会を支える側が減り、支えられる側が増えて、社会が生物学的に見て維持できなくなることだ。AIに期待できないのであれば、高齢者に社会の支え手としてもっと働いてもらうしかない。

小野崎 耕平 快適で完璧なミライがもたらすものは

小野崎 耕平

一般社団法人サステナヘルス代表理事

 2050年はどのような社会だろうか。
 医療の進歩はさらに加速しているだろう。遺伝子解析により、本当に効く薬や効果的な予防法が明確になり、健康寿命はさらに延びるだろう。がん対策が進んだように、認知症の予防や治療も飛躍的に進化しているだろう。ロボット支援手術はさらに進化し、外科医不足をある程度補うかもしれない。
 日常生活も変わるだろう。自動運転が普及し、事故がさらに減るのはもちろん、眠い時や疲れた時でも安全に移動できるようになるだろう。
 モビリティーの進化は、いま全国の自治体を悩ませている救急搬送問題をも解消しているかもしれない。
 人々の生き方は2極化する。ゆったり生きる人と、徹底して「タイパ(時間対効果)」を追う人。後者にとって食事は「完全栄養タブレット」で3秒だ。手術で胃を失っても、必要な栄養は完璧にれる。
 進化したスマートウオッチや住宅は、空調や水温、食事や運動まで最適化することで人々の健康を見守る。「住むだけで自然に健康になれるまち」も当たり前になっているだろう。社会のあらゆるプロセスは効率化され、病気もストレスも激減し、人が考えずとも快適に暮らせる未来が来る
 ―だが、ふと思う。本当にそれでいいのだろうか。そんな人生は楽しいのだろうか。「満たされ過ぎた不幸せ」にならないか。昔見たテレビCMの1節が今も、忘れられない。
 「悩みがあるから人間なんだ。」
 不便で面倒で、足りないものが多いからこそ、満たされていないからこそ、良いときも悪いときもあるからこそ、人生は面白いのかもしれない。

 識者 か行

柯 隆 問われる日本の国家像と戦略のあり方

柯 隆

東京財団主席研究員

 日本では、外国人移住者が増えていることは社会問題になっているようだ。先般の参院選で有権者が危機感を強めている結果、外国人の移住を規制すべきと主張する新興政党は大躍進を果たした。しかし、問題の本質は外国人移住者が増えているからではなくて、日本の国家像が明確に提示されていないことにある。
 外国人移住者が増えているのは日本の人口が減少しているからである。しかし、日本の将来を考えれば、日本にとって必要なのは単純労働者だけでなく、高度な人材を誘致すべきである。石破首相は国会で「楽しいニッポン」の実現を提言した。安倍元首相は「美しいニッポン」を実現すると明言した。残念ながら、このいずれの提言も将来の国家像として不明瞭である。
 国際社会における日本の立ち位置を考えれば、「イノベーション立国」を全面的に打ち出さないといけない。その夢を実現するには、日本国内で高度人材を育成すると同時に、海外から高度な人材を積極的に誘致することが重要である。
 これまで日本はモノづくり強国だった。しかし、この30年来、中国は外国企業を積極的に誘致し、国内企業を育成した結果、中国は世界の工場となり、製造業大国に変身した。逆に、日本はモノづくり強国から欠落しそうになっている。
 だいぶ前に、ドイツは第4次産業革命を提案した。それを受けて世界でスマートファクトリー、すなわち、デジタル化のものづくりが主流になっている。残念ながら、日本の産業デジタル化が大幅に遅れている。否、それだけでなく、日本人の生活のなかでデジタルツールがほとんど普及していない。
 したがって、外国人を受け入れるかどうかという問題ではなくて、どういう外国人を誘致するかを明確にしないといけない。そのために、政治はより明確な国家像を提示しなければならない。

嘉治 佐保子 危機と分断の時代にこそ目指したいもの

嘉治 佐保子

慶應義塾大学経済学部名誉教授

 経済危機は、人々の経済的・心理的余裕を奪い、分断を招きやすい。
 翻って分断は、合意に必要な妥協や譲り合いを難しくし、経済回復を遠ざけてしまう。
 危機から立ち直るには、「自分と違う相手とも協働しようとする」態度と、それを実現する「共有の場」が必要なのである。
 ただし、ひとたび危機が起きてしまった後になって「場」を整えようとしても、有効ではない。
 常日頃から、協働を継続的に模索するモデルが定着していることが望ましい。
 性別、国籍、宗教、年齢、所属、役職などを理由に「○○だから」と排除すれば、それ以上頭を使う必要がなく、その意味ではラクである。これに対し「○○だけど、全体にとって良い結果になるように何か一緒にできないか」と探求し続けるのは、ラクではない。しかしこの開かれた態度こそが、お互いの知恵と知識の共有につながり、打開策を見いだす可能性を開く。
 「根本基準としてこれだけは守る」という共通認識があれば、「調整し続けていても、ぶれていない」と納得できる。そしてこの根本基準を変える場合にも、全員で相談するのだ。
 幸い、昨今の技術進歩が、以前には想像もできなかったような「共有」を可能にしている。
 「会社」という枠を超えたオープンイノベーション、属人性を取り去って生産性を上げる仕組み、DXを促し経験を広く共有する無料オンラインセミナー。これらが示す方向性は、希望を与える。
 他方、技術進歩が民主主義に暗い影を落としているのも事実であり、憎しみと暴力の連鎖は世界各地で絶える兆しさえ見えない。
 だからこそ、違いや境界を越えた「共有」「協働」によってレジリエンスを高めるモデルを、日本が提示することができたら素晴らしいだろう。

梶谷 懐 功利主義から承認論へ

梶谷 懐

神戸大学大学院経済学研究科教授

 2020年代に生じたコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻以降、中国やロシアに代表される権威主義国家と西側諸国の間における「価値観の対立」が深刻化した。その象徴が近年における米中間の経済対立だ。筆者は、米中間の対立を、これまで異なる立場の間を調停する「共通通貨」の役割を果たしていた功利主義の限界を象徴するものだと考えている。そして、この功利主義による調停の限界は、2050年の世界においても解消されないだろう。
 ここで功利主義を乗り越える可能性を持つ思想として、ヘーゲル哲学にその起源をもつ「承認論」に注目しておきたい。なぜ、承認論が功利主義を乗り越えるうえで重要になるのか。それは承認論が、功利主義で重視される人間内部の欲求や行動が、実は人びとの相互承認および、そこから作り上げられている社会的な制度を前提に生成されるものにほかならない、という立場に立つからである。相互承認は、いわば近代社会の社会的諸制度がそれなしでは成立しないような原理であり、人びとは、自分自身や他者からの承認要求に反応して、さまざまな制度を受容したり変えたりするようになる、というのが承認論の結論の1つである。
 上記のような承認論の基本的な考え方は、中国をはじめわれわれと異質な価値観を持つ国家の台頭にどう向き合っていくか、という課題にも大きな示唆を与えるだろう。それらの国々を異質な存在と認識したうえで、その「異質性」の歴史的な由来について深く理解し、相互の承認を目指していくことは、未来における問題を解決するための準備として、大きな意義を持つのではないだろうか。

加藤 美保子 非欧米諸国の意思を尊重し、国際秩序改革を主導するのは誰か

加藤 美保子

広島市立大学広島平和研究所准教授

 21世紀の国際関係は、イスラーム過激主義によるアメリカ同時多発テロ事件で幕を開けた。しかしそれ以降も、アメリカ1極世界の継続を疑う意見は少数派であった。1極世界にかげりが見えてきたのは、2008年にアメリカから始まった世界金融危機以降である。この危機はグローバル化を支えてきた新自由主義に基づく経済運営や金融政策の限界を示した。続く2010年代から2025年までの世界は、ウクライナに対する侵略戦争や、コーカサス、中央アジア、南アジアでの領土紛争、そしてパレスチナ、イスラエル、イランの紛争再燃など、「力の行使」が基調を成す「不安定な多極化」を経験することになった。これは自由主義に基づく国際秩序が、国際法や国家間関係を律する国際規範の恩恵を享受できなかった非欧米諸国の怒りや、グローバルサウスの不満に向き合って秩序を改革することを怠ったことが1因であろう。
 2022年2月から4年近く続くロシア・ウクライナ戦争は、一方で、侵略国を抱える国連安保理の機能不全や、ロシアによる核の威嚇を非難しつつ核抑止政策を維持するG7の矛盾を露呈した。他方で、欧米諸国による制裁を回避したい、あるいは警戒する諸国がBRICSや上海協力機構に参加し、国際決済の脱ドル化や非欧米諸国による国際輸送回廊の建設を模索し始めた。後者の動きで注意したいのは、中国、ロシア、インド、イランなどの大陸国家がコーカサス、中央アジア、南アジアの中小国を巻き込んで新しい国際秩序を追求し始めたことである。
 次の25年は大陸国家主導の秩序が台頭するのか、あるいは海洋国家であるアメリカ主導の国際秩序が改革を受け入れて耐久度を高めるのか。さまざまな条件が関わってくるが、核心の1つは、より多くの非欧米諸国の意思と不満を反映する制度を創り出せるかどうかであろう。

川北 英隆 AIで地球の多様性を伸ばせ

川北 英隆

京都大学名誉教授

 筆者は75歳を迎えた。25年先の2050年までは生きないと思いつつ、とり急ぎ過去を振り返った。車などの移動手段、写真などの記録媒体、通信・電子機器類などの発達と普及が、この75年を大きく変えた。
 これから先の25年はどう変化するのか。良い悪いはともかく、AI(人工知能)が世界を一変させることだけは想像に難くない。同時に、過去の75年間において、地球から多様性が薄れ去ったことも脳裏に浮かんだ。
 75年間の変化の根源には、情報取得の容易化がある。おかげで「優れた」ものが模倣される一方、多様性が1つ、また1つと欠けていった。身近な例として方言を指摘できる。言論も同じである。いまは、多様性を排斥し、他者を従わせようとの動きさえある。
 AIは多様性の衰退を加速させ、一様性を強いる可能性が高い。学習にAIを用いる場合、個性が抑圧され、標準が強制されかねない。これはテレビの普及によって方言が排斥されたのと同じプロセスである。かつ、排斥されるスピードはより速まろう。
 多様性は社会を活性化させ、新たな発展の方向を探り当てる力となる。歴史を振り返ると気づく。芸術にしろ科学にしろ、それまで知られなかった様式や知見に触れ、理解を深める都度、新たに花開き、飛躍的に発展した。この多様性の本質は、AI活用の工夫次第で維持され、高められよう。
 AIの時代が本格化する。没個性を図れば大量に製品やサービスが売れ、利益に直結するかもしれない。しかしそれは社会全体の発展を阻害してしまう。個性を活かし、多様性を高めるようにAIの活用を図ってもらいたいものだと、強く願う。

川島 真 東アジアの2050年―平和は維持されているか―

川島 真

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授

 2050年の夢を描くのには、現在の世界はあまりにも方向性が見えない。現在、今後の因果律と偶然・偶発の織りなす事象の重なりの先に見えるものは、あまりに多様だ。そのことを前提に、また筆者の専門である中国政治外交史研究に引きつけて2050年の夢を語るならば、あまり積極的なことは言えない。やはりやや消極的ながら、「戦争の生じていない東アジア」が2050年にも維持されていることがまさに「夢」だと言っていいかもしれない、と考える。
 中国は2049年に中華人民共和国成立100周年を迎え、その時までに国際舞台の中心に躍り出て、かつ中華民族の夢を実現するという。アメリカに追いつき追い越し、また台湾統一を実現するという国家目標の実現を目指すということだ。中国は目下、核弾頭を増加させ、航空母艦を3隻保有して第2列島線までその活動領域を拡大し、台湾周辺での軍事活動を活発化させている。南シナ海での軍事活動の活発化も周知の通りだ。中国だけでなく、北朝鮮、ロシアの軍事活動も活発になっている。軍事的な側面だけでなく、それぞれの主体が行う国内外向けの認知戦などによって、それぞれの国や地域において、独自の世界認識や自己肯定的な自己認識が形成され、同じ時代に同じ地域で共存しているはずなのに、もはやいくつかのパラレルワールドが生まれているようでさえある。
 戦争の回避。そのための努力を惜しまなければ、あるパラレルワールドが他の認知領域を併合しようとし、決定的な衝突が生じかねない。プライオリティを定め、平和と安定第1で事物に継続して対処することが求められよう。

河田 惠昭 巨大自然災害に遭遇してもビクともしない日本と世界の国々

河田 惠昭

関西大学特別任命教授

 2024年9月に日本自然災害学会から功績賞を受賞した。授賞理由は「自然科学と社会科学を融合した自然災害科学の確立と発展・・・・」である。具体的には、熱力学の「相転移」現象が、自然災害の発生と社会的被害の拡大に深く関係していることを明らかにした。線状降水帯やプレート境界地震などは「自然現象の相転移」が原因で発生する。また、大被害発生は「社会現象の相転移」が起こることによることも実証した。阪神・淡路大震災では古い木造住宅の全壊・倒壊が、また、東日本大震災では、亡くなった住民の多くは津波避難しなかったことが大被害の原因だ。能登半島地震で400人を超えた災害関連死は、その約90%が後期高齢者だ。1月の酷寒にさらされることになった停電が関係しているに違いない。だから、たとえ、大災害を起こす地震や洪水が発生しても、政府が2025年度に創設した防災庁を先頭に、各省庁が関係する「社会現象の相転移」を発見して事前防災すれば、成功することがわかった。特に大被害を懸念した南海トラフ地震や首都直下地震も「社会現象の相転移」を起こさない事前対策が有効で、被害は最小限にとどまった。そして、2050年にはわが国は防災立国として、国際社会に胸を張ることができるようになった。
 この原理は、地震や津波、火山噴火だけでなく地球温暖化に伴い、新たに気象災害が多発・激化する世界各国でも、もちろん適用できる。例えば、先進国では、河川の氾濫や高潮の来襲などに対して、相転移の発想から、被害を激減できる。一方、途上国に対して、わが国のODAによって「社会現象の相転移」の知恵を輸出し、地震や津波などの事前防災に貢献できるはずだ。

河本 和子 ウクライナ戦争による分断の修復に必要なことは

河本 和子

公益財団法人NIRA総合研究開発機構主席研究員

 2050年には、ウクライナは独立時の領土を回復しており、戦争被害に対する賠償をロシアから支払われている。もちろん真摯しんしな謝罪も受けた。さらにウクライナはEUにもNATOにも加盟を果たしている。ロシアでは、プーチン政権はすでに過去のものとなり、自由で民主主義的と呼びうる政治体制が整えられている。ロシアもEUおよびNATOに加盟しているか、加盟目前である。そうでなくとも、ロシアはEUおよびNATOと良好な関係を保つ――という未来像に現時点では現実味がないが、筋の通る理想とはいえる。欧州の平和のためだけではない。欧州とロシアの分断を修復すれば、われわれは、タッグを組んだ中ロと対峙たいじしなくてすむかもしれない。ではどう理想に近づけばよいか。
 近道は、ロシアを軍事的に完全に敗北させることだ。完敗したロシアの政治体制は根本的に変化するだろう。そうなれば、西欧が第2次世界大戦後に西ドイツに対してそうしたように、欧州はロシアを内側に抱え込んで抑止する機会を得られる。ただし、この近道は軍事的に困難なだけでなく危険でもある。ロシアが核戦争に打って出ることなく敗北するという奇跡が必要になるからだ。
 奇跡が見込めないなら、両軍が疲れ果てて停戦するか、ロシアの戦争支持勢力が内側から打破されて停戦するかを待つことになろう。特に後者の場合、ロシア政府の路線変更に期待でき、近道に近い和解実現の芽も出よう。ただし、和解の条件にウクライナおよび欧州がロシアへの苛烈かれつな懲罰を望めば、戦間期あるいは冷戦終結後の帰結と同様に、平和は長くはもたず瓦解がかいするかもしれない。ロシアを半ば抑止し、半ば取り込みながら、平和が壊れないよう敵意のレベルを低減させていく知恵と忍耐が求められる。
 甚大な被害に見舞われているウクライナが溜飲を下げ、かつ、世界で流れる血を少なくする可能性は大きいとは思えない。何を選び、何を諦めるのか、慎重に決めねばならない。

関 志雄 2050年の夢を語る:キンドルバーガーの罠(わな)を回避するために

関 志雄

野村資本市場研究所シニアフェロー

 今日の世界は、覇権国が国際公共財の提供を放棄し、新興国もそれを代替できず、リーダーシップの空白が生じることで国際秩序が混迷するという「キンドルバーガーの罠」に直面している。戦間期における英国の衰退と米国の孤立主義が大恐慌を深刻化させ、最終的に第2次世界大戦を招いた歴史は、現代にも重なるものがある。現在、米国は国際協調から距離を置き、中国も経済力や制度面でそれに代わる十分な力を持たない。この構造が続けば、国際秩序の不安定化は免れない。
 共存共栄の未来を築くために、各国は次の取り組みを行う必要がある。第1に、米国は国際公共財を提供する責務を再確認し、孤立主義を排して秩序維持に主体的に関与すべきである。第2に、中国をはじめとする新興国も国際ルールを遵守じゅんしゅし、責任ある行動によって秩序の安定に寄与することが求められる。第3に、多国間主義の再建が不可欠である。G7やG20、国連といった枠組みを活用し、気候変動や感染症、金融不安などの地球規模の課題に各国が連携して対応しなければならない。
 また、ウクライナや台湾をめぐる対立に象徴される地政学的緊張は、軍拡ではなく外交と対話によって解決を図るべきである。信頼醸成措置や安全保障上の透明性強化も急務となっている。さらに、保護主義の拡大による経済の分断を防ぎ、自由で公正な国際経済体制の維持に努めなければならない。
 2050年に向けて、「キンドルバーガーの罠」を克服し、安定した国際秩序を再構築するために、米中を含む主要国は短期的な国益を超え、長期的視点に立って責任ある行動をとる必要がある

菊池 武晴 自動運転バスの早期実現を

菊池 武晴

東京都市大学都市生活学部都市生活学科教授

 アメリカや中国、そして日本でロボタクシーが多くの実証を重ねているのを見ると、自動運転の社会実装も近いとの期待が高まる。ただし、ここで日本が早期実装すべきは、door to door型のロボタクシーではなく、定時定路線型バスの自動運転化であることを強調したい。理由は大きく3つある。
 まず第1に、交通難民の解消である。近年はドライバー不足によりバス路線の廃止・減便が相次いでいるため、自動車免許を持てない高齢者や若年層など生活上の移動が困難に追い込まれている交通難民が各地で増加している。ドライバー不要の自動運転が実現すればバス本数が増え利便性が向上する。
 第2に、地球温暖化問題への貢献である。ロボタクシーが安価に普及すれば、それまで徒歩や自転車で移動した人までが利用することになり、全体の車交通量が増え、CO2排出量が増加する可能性がある。逆にバスの利便性が自動運転により向上すれば、それまでマイカー利用者からの転換が見込まれ、乗合率向上を通じてCO2排出削減が見込まれる。
 第3に、日本の産業競争力である。自動車産業は長らく日本経済をけん引し支えてきたが、CASE(Connected, Autonomous, Shared & Service, Electric)時代を迎え地位は揺らいでいる。バスのような中・大型車の自動運転化は、EVはバッテリー制約により航続距離が問題になるなど、デファクト技術が確立していない。少子高齢化が急激に進む課題先進国であり、水素エンジン等を含めた有望技術を多数もつ日本で各種実証を進めれば、経済性や安全性を担保した持続可能な自動運転技術で世界をリードすることができるのではないか。
 以上、利便性、環境面、産業競争力の観点から、産官学の連携により、2050年と言わず、自動運転バスの早期実現が強く求められる。

菊地 信之 メジャー・リーガー

菊地 信之

在ウィーン国際機関日本政府代表部公使参事官

 2050年は、25年後です。25年後というと、遠い未来のように聞こえますが、未来は遠くにはありません。今この瞬間の延長線上にある。やがて今は、過去になり、歴史になる。その時、私たちは、何を見て、どう生きたか。希望だけを語ることに意味はありません。必要なのは、冷徹な情勢分析と同時に、運命論に流されない意思。希望を捨てずに行動するということでは。
 国際情勢を直視せねばなりません。予測は困難でありますが、それでも思考を放棄してはならない。米国は相対的な覇権を保ちながら衰退し、中国は内側からむしばまれるも破壊力を残す。ロシアは縮小しても鋭利な力を秘め、欧州はその美的価値の優位が薄れるも踏みとどまる。アジアの隆盛は陰り、アフリカは期待ほど発展の速度は高くないかもしれない。中東は何だかんだと変わらない。世界経済はインド、インドネシア、ナイジェリアなどが台頭し、経済大国は「大きな経済」と「高度な経済」が混在するように。われわれはその現実を見据えねばならない。自国第1主義でもグローバリズムでも、自分の近くだけでなく地球儀を持って世界を見なければならない。
 さて、その時の日本。列強に追いつくために、明治以降は必死だった。そのうち秩序を作る側に回った。戦後は米国に頼り、ある意味自主独立は二の次でも経済大国になった。出るくいは打たれて、30年もデフレ停滞と事なかれが蔓延まんえん。ただ、そんな中で産まれた生活文化は見事だ。問題はこれから。構想力と行動力を持つ人が自由に動ける国にする。コモンセンスと正論がちゃんと通り、鷹揚おうような社会にする。国家像なんて上から降ってくるもんじゃない。自ら考え、選び、仲間と働く。そして再びメジャーに。

北村 正晴 非寛容な時代に対立解消への方策を考える

北村 正晴

東北大学名誉教授/株式会社テムス研究所代表取締役所長

 分断と対立が深刻化していることが現代社会の大きな特徴である。深刻化しているのは、米中やイスラエルとイランやパレスチナのような国際的な対立だけでない。地方自治体の首長選挙や迷惑施設の受け入れに関する地域レベルの対立、さらには公園などで遊ぶ子どもの騒音問題や、個人のSNS発信内容に対する激しい炎上反応など、あらゆるレベルで生じている。われわれは極めて非寛容な世界に生きているという印象が強い。こんな社会を子孫に残し伝えていいのだろうかと嘆きたくもなる。しかしここで、歴史的にもう少し広い視野から、この問題を見直してみたい。
 歴史を通じて、西欧、中国、日本などいずれでも対立の解決方策は武力によること(すなわち戦争)が基本手段だった。特に西欧の歴史を見ると、極めて多数の武力行使が繰り返されてきたことに驚かされる。日本でも第2次世界大戦に至るまで、武力を有効な手段とする立場が支配的であった。
 この立場は、第1次大戦後のパリ不戦条約や、第2次大戦後の国連憲章などに至って、理念的には明確に否定されている。今でも実態は変わらないという見方もあろうが、事実ベースで見れば、武力行使に訴える対立解決策が採用されることは少なくなっている。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃は、そのような対立解決策の最後の試みであることを期待したい。人類は歴史から教訓を学んでいるのだと解釈したい。
 この見方に立てば、地方自治体やSNS上での分断や対立の深刻化に関しても、われわれはその不毛さに気づき、対策を講じうるのではないか。論旨が飛躍するが、対立の解消策には、意見を異にする個人や集団間の対話(ダイアローグ)の定着が欠かせないと考える。私見では、同調圧力や集団的思考が支配的な日本においては、本来の意味での対話はほぼ成り立ってこなかった。遠回りに見えても学校教育の段階から、この対話重視教育を進めることで、対立の深刻化を解消することは可能と考える。2050年にはそのような社会が実現していることを期待したい。

北村 亘 2050年、都道府県の「壁」は崩壊?

北村 亘

大阪大学大学院法学研究科教授

 2020年代は、職員の確保も難しくなる中で、新しいテクノロジーの導入や公衆衛生や防災などの複雑で高度化した行政需要に対応するため、どの市町村も水平連携を模索した。連携の成否を左右するのは、まずは市町村の「やる気」、次いで連携への都道府県の「後押し」である。
 が、間もなく壁にぶち当たっていった。都道府県の財政的あるいは技術的支援が市町村連携の大きな促進要因だったが、都道府県境を越えた市町村連携には誰も支援してくれないからである。実際は境界の市町村は共通の社会経済的課題に直面していることが多いのにもかかわらず、である。
 特に、東京圏は大きな関東平野に3,600万規模の人口を、大阪圏は琵琶湖から淀川流域にかけて1,200万規模の人口を抱えている。毎日通勤通学で移動する住民は多い。企業もこうした大規模経済圏全体でビジネス展開している。
 そこで都道府県間での業務の標準作業手続きを簡素にして共通化することで、境界での支援体制の調整もしやすくなるだろう。支援の調整が容易になることで境界の市町村の連携も促進されるだろう。2050年には都道府県単位で異なっている各種の申請書や書式が統一化されて、ビジネスが拡大しやすくなるだけでなく、さらに1歩進んで共働き世帯が通勤圏内の中で空いている保育園や各種のサービスを利用できる仕組みもできているかもしれない。
 どうしても少子高齢化・人口減少の暗い側面ばかりが思い浮かぶが、むしろこの危機に活かして大きな圏域での新しい行政スタイルが実現していることを夢想する。その成否は、2020年代の後半に生きるわれわれの決断と行動次第である。

橘川 武郎 カーボンニュートラル実現後も天然ガスを使い続ける

橘川 武郎

国際大学学長/東京大学・一橋大学名誉教授

 2025年2月に閣議決定された第7次エネルギー基本計画。その53ページに驚くべき記載がある。「天然ガスは」で始まる文章が、「カーボンニュートラル実現後も重要なエネルギー源である」と締めくくられているのだ。
 これは、コペルニクス的とまでは言わないが、大きな転換であることには間違いない。従来は、政府も電力・ガス業界も、天然ガスは、石炭や石油に比べれば少ないとはいえ使用時に二酸化炭素を排出する化石燃料であるから、カーボンニュートラル実現後には使うことができないと考えてきた。それが、使い続けることができると改められたのである。
 天然ガスを使い続ければ二酸化炭素の排出量は増えるから、一見すると、カーボンニュートラルと矛盾しているように感じられる。しかし、実際にはそうではない。もともとカーボンニュートラルとは、二酸化炭素の排出量をゼロにするという意味ではなく、排出量と回収・吸収量とをイコールにして、二酸化炭素の排出量を増やさないという意味である。つまり、カーボンクレジットの活用によるオフセットの本格化や、CCUS(二酸化炭素回収・利用、貯留)・DAC(空気からの二酸化炭素直接回収)の普及などに取り組み、回収・吸収量を増大させれば、カーボンニュートラルと天然ガスの使用継続とは矛盾しないのである。
 天然ガスの使用継続によって、カーボンニュートラル達成の現実性は増す。一方で、オフセットの本格化やCCUS・DACの普及のためには、大規模な制度的・技術的イノベーションが必要となる。われわれは、2050年に向けて、この制度的・技術的イノベーションをやり遂げる決意を固めなければならない。

木村 福成 経済が主導するマルチポーラー・ワールド

木村 福成

慶應義塾大学名誉教授・シニア教授/日本貿易振興機構アジア経済研究所所長

 米中対立と地政学的緊張が世界をき回す中、国際政治と安全保障の議論は、一気に数十年前あるいは19世紀まで先祖返りしてしまったようである。一方、トランプ2.0の火の粉も飛んできてはいるが、世界の経済活動は引き続き活発に動いている。ルールに基づく国際貿易秩序の危機も懸念されるけれども、それがむしろ米中以外の第3国の間の結束を強める動機ともなっている。これからの25年、高いレベルの不確実性が続いていくのであろうが、新興国・発展途上国の中で先進国入りする国も次々と生まれてくるし、世界は何らかのマルチポーラー・ワールドへと向かっていくのであろう。
 そして、技術進歩に裏書きされたグローバリゼーションは途切れることなく前に進んでいく。国際取引チャンネルの多様化が進み、国際分業の形態も大きく変わっていく。モノ、サービス、投資、技術、アイデアなど経済のさまざまな要素の移動性が高まっていく中、最後まで動きにくさが残るのは人であろう。人の移動が国境線で一定の制限を受ける以上、国際間の賃金格差は残存し、それが国際分業の動機となる。技術革新とグローバリゼーションを恐れず、むしろそれを積極的に利用して経済発展を加速した国から先進国となっていく。
 北東アジアに次いで先進国が生まれてくるのは東南アジアであろう。その後、この波を南アジア、中東、アフリカ、グローバルサウス全体へと届けていくには何が必要か、どのような開発モデルが求められるか、考えていかねばならない。

紀谷 昌彦 「信頼」と「共創」で、日本が世界をリードする

紀谷 昌彦

ASEAN日本政府代表部大使

 戦後80年を迎えた2025年、世界と日本は次の時代を模索しています。冷戦期の東西対立と南北問題、グローバル化とリベラリズムの時代を経て、権威主義の台頭とグローバルサウスの興隆を前に、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序は試練に直面しています。2050年の次の道標みちしるべに向けて、何を目指すべきなのでしょうか。
 未来の萌芽ほうがは、今の世界と日本に存在しています。日ASEAN友好協力50周年の2023年、日本とASEANの首脳は未来に向けての共同ビジョンをとりまとめました。キー・コンセプトは「信頼」と「共創」です。
 ASEANは、1967年の創設から、「対話と協力」を中核理念として周辺の主要国を巻き込み、重層的な地域協力の枠組みを発展させてきました。日本は1977年に「福田ドクトリン」を打ち出し、心と心を通わせる対等なパートナーとして、「信頼」に基づく協力関係を築いてきました。いまや、日本の技術とASEANの活力を掛け合わせ、デジタル・AI、エネルギー・食料安全保障をはじめとする地球規模課題の解決に向けて、「共創」に取り組んでいます。
 この日本とASEANの「信頼」と「共創」のモデルを、インド太平洋から世界に向けて発展させていくことこそ、日本とASEANの使命です。本年のTICAD9で、日本は「インド洋・アフリカ経済圏イニシアティブ」を打ち出しました。JICAの理念は「信頼で世界をつなぐ(Leading the world with trust)」です。主要国と途上国の双方と深い関係を築いてきた日本こそ、「最も近く重要なグローバルサウス」のASEANと連携して、2050年の世界に平和と繁栄を実現できます。それにより、初めて日本自身の平和と繁栄を達成できるのです。

楠木 建 最大にして最強の日本の資産

楠木 建

一橋ビジネススクール特任教授

 遠いのものほど良くみえ、近いものほど粗が目立つ――遠近歪曲わいきょくはよくある思考バイアスだ。日本には課題が山積している。しかし、全面的に絶好調の国など存在しない。世界の強国を自任するアメリカや中国にしても、頭の痛い問題をいやというほど抱えている。
 他国の人々から好感を持たれている。少なくとも嫌われてはいない。私見では、これが日本の究極のソフトパワーだ。U.S. News & World Reportが2025年に発表した「世界で好かれている国ランキング」で日本はスイスに次ぐ2位につけている。治安の良さ、清潔さ、時間の正確さ、礼儀正しさ、公共インフラ、教育や医療水準、伝統文化や食文化などの観光魅力、ホスピタリティ精神……高評価の理由は多岐にわたるが、一言でいえば「信頼できる国」ということだろう。シンガポールのISEASユソフ・イシャク研究所が実施した「ASEAN識者調査」では、日本は7年連続で「最も信頼できる国」第1位に選ばれている。
 約束を守る。うそをつかない。「信用第一」は普遍にして不変の原理原則だ。信用や信頼があれば、結局のところ物事がやりやすくなる。長い目で見れば自己利益になる。しかし、これが難しい。信頼の獲得は総力戦を要する。個人にしても、企業にしても、国家にしても、小さな面から大きなものまで、ひとつひとつの行動が積もり積もって実績となり、相手の信頼を形成する。一朝一夕に手に入るものではない。
 すぐに役立つものほど、すぐに役立たなくなる。戦後、長い時間をかけて醸成してきた信頼は、今後とも最大にして最強の資産となり得る。一人一人が信頼資産の増大を基準に日々思考し、判断し、行動する。その先に日本の明るい未来がある。

國井 秀子 日本をトップクラスのジェンダー先進国に

國井 秀子

芝浦工業大学客員教授

 2050年までには、日本をジェンダー平等の先進国にしたい。しかし、現状、日本はジェンダー格差において超後進国。世界経済フォーラムの2025年のデータでは、148カ国中118位である。
 これを実現するには何が必要か?実効性向上のために、国連の女性差別撤廃条約「選択議定書」を批准。省庁横断的に女性差別撤廃施策を推進。ジェンダー視点で、法律や制度の見直しを徹底する。同一労働同一賃金を実現し、不安定な非正規雇用を減少させる。教育と啓発活動で、性別役割分業に根ざした社会全般にわたる偏見を解消。家事・育児の男女の均等な分担。女性にバイアスのない幅広いキャリア選択を提供。昇進におけるジェンダー格差を解消など、多岐にわたる改善が必要である。
 2024年、国連の女性差別撤廃委員会が日本に勧告を出した。差別撤廃に向けて網羅的であり、科学的な指摘がされている。その一部を簡単に紹介すると、「改善に向けてリソースが不十分、中核となる組織がない、責任を負う省を設置すべき」、「女性差別と格差のデータ把握が不十分」、「工学系分野などの女性が際立って少ない」、「機械学習や生成AIの学習データに、偏見が入り込まないように、女性技術者らの関与が必要」と指摘している。あらためて世界における日本の遅れを痛感する。
 少子化も、女性差別を解決せずに、抜本的には改善されないであろう。日本には、「こども家庭庁」はあっても、「女性省」はない。選択的夫婦別姓制度すら実現していない。日本が世界トップクラスのジェンダー平等先進国になることを、ただの「夢」としてはいけない。国の中心的政策にすべきである。

久納 寛子 日本の魚食文化を未来に引き継ぐために

久納 寛子

水産庁漁政部加工流通課長

 日本の周辺の海水温は100年で1.33度上昇しており、世界全体での平均海面水温の上昇幅(+0.62℃/100年)の2倍を超える割合で上昇している。世界3大漁場にも数えられる三陸沖は、2023年以降の海面水温が平年より約6度も高い状態にあり、これは世界でも最大の上昇幅という報告もある。
 こうした海水温の上昇や海流の変化は、魚介類の分布や資源量に影響を与え、水揚げ量の減少、漁場の沖合化による燃油等の費用の増加など、わが国の水産業や魚食文化に大きな影響を及ぼしている。地球温暖化の影響を緩和するため、二酸化炭素排出量の削減や省エネ対策、ブルーカーボンの活用などが進められている。これと同時に、地球温暖化に適応するため、資源量の変化に対応した新たな食文化・商流を創り出していく柔軟さも強く求められる。
 北海道では、近年、サケの漁獲量が大幅に減少し不漁が続く一方、暖流で多く採れていたブリが多く採れるようになった。それまで北海道地域では、ブリを加工したり販売する商流があまりなく、サケなどと比べて安く取引されていた。こうした中、前浜に水揚げされる「海の恵み」の変化に柔軟に対応すべく、漁業者や地元企業が連携した新たな取り組みが生まれており、北海道の新たな地域ブランドとして注目されている。
 水産庁では、水産物の消費拡大に向けた官民の取り組みを推進するため、毎月3~7日を「さかなの日」、11月3~7日を「いいさかなの日」として、水産物の消費拡大に向けた活動を盛り上げている。日本の魚食文化が、2050年の日本にも、さらにその先の未来にも引き継がれていくことを強く願いながら、「さかなの日」を広げていきたい。

倉田 敬子 技術との協働で築く自由で信頼できるデジタル研究基盤

倉田 敬子

慶應義塾大学名誉教授

 2050年の研究者は、研究用のデジタルプラットフォームを使って、人と対話し、論文を読み、実験や調査を行い、データを分析し、論文を書き、発表している。人との対話はメール、オンライン、対面、いずれであってもプラットフォーム上に記録が残る。実験や調査の対象は自然環境、人間、各種社会活動であるが、その対象へアプローチする際に用いるツールはプラットフォームと連携しており、さまざまな方法で得られたデータはデジタルで保管、分析され、研究を進めていくあらゆるプロセスもプラットフォーム上に記録される。
 雑誌論文、図書、新聞等はもちろん、研究で生み出された研究データ、学術研究に必要とされる環境データ、各種統計や指標、医療データ、SNSなど多様な情報やデータがデジタルで流通し、適切な条件の下で利用できるようになっている。膨大な情報やデータは、透明性の高い形でのトレーサビリティが確保された上で情報共有・公開の仕組みが構築されている。ブロックチェーン他の技術を利用すれば誰がデータや情報を生産し、誰が査読・評価し、編集し、それがどう利用されてきたのかがすべての人にわかる制度が構築されるだろう。
 自分の興味・関心、過去の検索履歴、研究歴等を熟知したAIが研究プロセス全体を支援しており、論文をはじめとした必要な情報は音声、テキストだけでなくブレインテックを利用した技術も使い、自分に最適化されたシステムで検索から情報取得、整理まで可能である。何を研究成果と見なすかの認識も公表方法も多様になり、現在の論文に相当するものは評価された既存情報へのハブであり、新たな枠組み・論理・アイデアのベースとなるだろう。

黒田 成彦 日本の原風景や地方の伝統文化が求められる時代の到来

黒田 成彦

麗澤大学客員教授

 若者が保守化しているという言説を聞く。
 これまでの時代区分を30年ごとに整理すると、東京オリンピックが開幕した1964年前後から始まる高度経済成長期から1990年初頭の東西冷戦の終焉までの右肩上がりの経済環境や世相は「がむしゃらな昭和」、つまり組織力や団結力の時代だった。
 そして1990年頃からバブル経済崩壊が始まり、55年体制の崩壊、2011年の東日本大震災をはじめとする大規模災害に加え「失われた30年」と言われる低経済期に陥った世相は「融解とクールな平成」、つまり個人を尊重する社会への移行期だった。
 筆者の属する昭和世代は地域と家族に縛られていることを前提に、都会的な自由に憧れ、田舎や日本的なアイデンティティーからの解放を求めた。一方、平成の世代は、初めから個性の尊重や自由が与えられ、個々人が孤立させられてきたとも言える。
 これまで政治や経済のリーダーたちは、グローバリズムの旗の下、ボーダーレスな世界標準を基盤とする社会構造を試みてきたし、東京1極集中を是正してきたはずだが、その結果、都市部の駅前の景観は類似化されてしまい、旅先の風景が居場所を特定できない既視感を覚えることが多い。
 これに対し若い世代は、そこにしかない郷土愛、家族愛を含む伝統的な価値、固有の誇りなどを求めている気がするが、このことを「若者の保守化」とするなら、人口減少に悩む田舎の自治体は大歓迎だ。
 2050年へ向かうこれからの30年は、こうしたグローバル化の反動としての田舎回帰が新たな潮流となるのではないか。そうなると日本の原風景や伝統文化を保有する「遅れてきた地方」こそが、新たな観光や交流の主流になることであろう。

権丈 英子 2050年に描くジェンダー平等

権丈 英子

亜細亜大学経済学部教授

 ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で論じたように、約30万年に及ぶ人類史の大半において、公的領域は男性が独占し、男尊女卑的価値観が支配的であった。それを思えば、ジェンダー平等への動きは、早い国でも1世紀ほど前に始まったばかりの、極めて新しい現象である。
 日本では、1980年代半ば以降、男女雇用機会均等法の制定・改正や、仕事と家庭の両立支援制度の整備が進んできた。しかし、その時代に社会に出た現在60代前後の世代は、社会に残る旧来の制度・慣行や価値観の影響を受けざるを得ず、結婚や出産を機に女性が職を離れるのは珍しくなかった。
 そうした世代は、職場や家庭における矛盾を感じ、ジェンダー平等に向けた制度の変化を促し、社会に根強く残っていた固定的な性別役割観を改めるよう求めてきた。その積み重ねが時代の変化に加速度を与え、この四半世紀で人々の考え方は驚くほど様変わりした。
 今の20代は、男性も女性も「男女は平等で、ともに働くのが当たり前」と自然に考えるよう育っており、組織も地域もまた、彼らの価値観に合わせられなければ淘汰とうたされるおそれが出始めている。加えて、労働力の希少性が高まる中で、人々が働きやすい環境が整備され、挑戦ややり直しが可能な労働市場に向かいつつある。
 社会の中で最も変化しにくいとされてきた心の在り方さえも、今まさに変化している。今の若者たちが社会の中心を担う25年後には、多様性が尊重され、仕事と家庭を両立できることが当然の社会になっているだろう。人類史に深く根付いてきた通念を変えようとした多くの努力は、2050年に実を結び、「誰もが安心して働き、暮らし、自ら希望する人生を築ける社会」が実現しているのではなかろうか。

河野 武司 AIと政治

河野 武司

帝京大学法学部政治学科教授

 政治とは、国家をはじめとする共同体の未来を選択する行為である。具体的には政策の選択という形で行われる。これまで、どのような未来を選択するかは、政策の供給側(政治家)であれ需要側(市民)であれ、生身の人間が行ってきた。選択の主要な舞台は選挙であった。
 しかし2050年頃には、今日飛躍的な進歩を遂げている生成AIが政治の主役になっているかもしれない。AIが政策を作り、決めるのである。AIによる政治の到来はもっと早いかもしれない。AIが複数の政策を提示し、その中の1つを市民が選ぶという形になるのであろうか。それとも唯一の最適解しか出力せず、人間の関与する余地はなくなるのであろうか。
 ではどのような基準の下で、理想の唯一の政策が出力されるのであろうか。経済の場においては利益の最大化を絶対的な基準とすることができるだろう。しかし政治の場ではどうであろうか。仮にその基準として、その選択が誰の利益にかなうかということを念頭に挙げるとするならば、ベンサムやミルによって主張された功利主義やロールズが示した格差原理があるだろう。
 功利主義は一種の多数決であり民主主義に適っているとしても、最大の問題は多数者による専制であり、弱者が切り捨てられることにある。一方で、ロールズの提唱した格差原理は、不平等を是正しようという点において、民主主義の理念に適っているといえる。しかし個人の努力や社会に対する貢献の度合いを重視しないという問題点も出てくる。
 いずれにせよ、すべてをAIに任せるのではなく、せめて最終的な決定に関しては、国民投票をすべての政策に関して義務化するなどして、市民の方に残しておいてほしいものである。

古閑 由佳 生産年齢人口減少のピンチをチャンスに変えていこう

古閑 由佳

紀尾井町戦略研究所株式会社上席コンサルタント

 2050年には生産年齢人口比率が52.9%に低下するとの推計もあり労働供給制約の懸念も聞かれるが、AI・ロボットの力も借りつつ混乱が生じることなく、むしろ不毛な業務から解放され今よりモチベーションの高い労働環境にあると期待する。その前提は、制度・慣行・マインド等の抜本的な刷新だ。
 まず「雇用を守る」から「働く機会を守る」へ発想を切り替えなければならない。例えば生成AIの恩恵で基本コーディングのエンジニアが不要になっても多くの日本企業は労働法制や裁判例を踏まえ抱え続ける。しかし、その企業に塩漬けするよりも能力に適した別の職場へ移るのを支える枠組みを労働市場に整える方が労働市場全体としては有益だ。リスキリングも企業が指定する技能をつけ次の活躍の場も当該企業の事業領域に限られる仕組みより、本人の嗜好しこうに近いスキル獲得・それを活かす職場探索を支援する枠組みに公的資源を振り向けたい。
 現行法制で求められる事業主による労働時間の適正把握、労働者の所定時間の拘束はスキマ時間の活用を阻む。また、スキマ時間を活用できる場合にも制度の壁が立ちはだかることがある。例えば施設の簡易清掃はスキマ時間の中でもニーズが高い業務であるがほうきで集めた物を廃棄する場所がなく持ち帰ると廃棄物処理法抵触の恐れがあり易々やすやすとできないと言う。貴重な労働力供給の場で足かせとなる制度があれば、適時に見直しを検討する体制が必要だ。
 企業の覚悟も要する。評価方法は時間ではなく成果での適正な運用が求められる。テレワークは生産性が下がるとしてオフィス回帰傾向にあるが、育児や介護と両立させるための重要な選択肢である。経営者には個社の利益だけに捉われず中長期で労働市場のあるべき姿を見据える度量が必要だ。行政も後押しを検討すべきだ。女性活躍推進の「えるぼし」認定でテレワークの可否は直接の評価項目となっていない。
 労働市場にAI活用を推進するにあたり、データ利用に過度に慎重にならない姿勢も重要だ。
 深刻な労働供給制約により消費者が必要な物も買えず、サービスも受けられないという未来にならぬようこのピンチをチャンスに変えていこう。

駒村 康平 持続可能な女性活躍社会を構築する

駒村 康平

慶應義塾大学経済学部教授

 2025年10月、高市氏が日本で初めての女性総理となった。しかし、日本のジェンダー・ギャップ指数は依然として先進国の中で下位に位置している。政府は近年、「女性活躍社会」の実現を掲げ、女性の就業率は上昇しているものの、非正規雇用の割合が高く、男女間の賃金格差や管理職・役員に占める女性比率の低さといった問題は本質的に解消されていない。結果として、日本は女性の潜在的な能力を十分に活かしきれていないのが現状である。
 この状況を改善するためには、遅くとも今後10年以内に、女性の社会進出を阻害している諸制度(例えば国民年金の第3号被保険者制度)を抜本的に見直す必要がある。しかし、それだけでは不十分である。女性活躍を「女性の就労機会の拡大」という経済的側面のみに限定せず、「女性特有の健康課題への配慮」を含めた包括的な視点から取り組むことが求められる。
 一般社団法人ラブテリの代表理事であり、女性の健康が社会経済に与える影響を研究する細川モモ氏によると、近年の日本における20~30代女性の健康状態は深刻である。やせ率はOECD諸国の中で最も高く、鉄不足、睡眠不足、運動不足が顕著である。これらの問題は長期的には医療費の増加を招くのみならず、欠勤、離職、昇進回避といった行動を誘発し、結果として生産性の低下を引き起こす。また、出生率の低下や低出生体重児の増加を通じて少子化を加速させ、次世代の健康にも悪影響を及ぼす可能性がある。
 こうした背景には、現在の「女性活躍社会」が、女性の健康リテラシーに対する理解が十分でない男性中心の発想で設計されてきたという構造的問題がある。食・睡眠・生殖といった基礎的な健康領域に関して、科学的根拠に基づく政策立案が不十分であることが指摘されている。
 今後は、女性の健康を「個人のQOL(生活の質)」の問題にとどめず、「社会の基盤」として位置づける必要がある。これにより、生産性の向上、医療費の削減、少子化対策という3つの課題を同時に達成しうる「真の女性活躍社会」の実現が可能となる。そのための改革を、現在の子ども世代が社会に出るまでに確立することが、喫緊の課題である。

近藤 絢子 人口減少を受け入れた先にある未来はどんな社会か

近藤 絢子

東京大学社会科学研究所教授

 少子高齢化が社会問題となって久しい。2050年は今から25年後だが、今から25年前の2000年当時、既に人口の高齢化に対する危機感は広く共有され、少子化対策の必要性が叫ばれていた。そしてさまざまな対策の結果、この25年間で女性にとってキャリアと家庭の両立の可能性は大きく広がり、出生率も一時的に下げ止まりを見せたものの、人口維持に必要な出生率2.07には遠く及ばず、今後数十年にわたり総人口が縮小することは避けられないことがほぼ確定的となった。
 時期や変化のスピードに差こそあれ、日本だけでなくほとんどの先進国で人口は減少に転じつつある。ピラミッド型の人口構成を前提とした社会制度は維持できないことが明らかであり、人口減少を受け入れたうえで大きな変革を行う必要に迫られている。
 とはいえ、20世紀の後半には人口爆発が真剣に懸念されていたように、人口が増え続ける社会だって維持できないのだ。2025年の今現在も、世界中の人たちが知恵を出し合って、人手不足を補う技術の開発や、高齢化や家族形態の多様化に対応した社会保障制度の変革などを進めている。2050年には、今の私には思いもよらないようなイノベーションが起きて、「人口が減っても大丈夫な社会」ができていてほしいと思う。そのために、私個人としては、微力ながら、政策議論の基盤となるエビデンスの提供に役立つ研究を続けていきたいと考えている。

 識者 さ行

西條 辰義 2050年の「将来世代宣言」

西條 辰義

京都先端科学大学特任教授

 G100の首脳宣言が昨日採択されました。新たな「将来世代宣言」です。宣言の中心は「将来世代権」です。これは、将来世代が快適な環境、豊かな資源、そして公平な社会で平和に生きる権利です。ここに至るには、25年の月日が流れました。
 2035年まで、いくつもの戦争・紛争があり、世界が分断され、気候変動や地球の限界に対処することは脇に追いやられていました。ところが、2035年のG20で、世界の首脳は、40年先の仮想将来首脳として、平和を含むビジョンを構築し、そこに至る道筋(フューチャー・ヒストリー)を作ることになりました。これは、世界で選ばれた首脳が、首脳としての仕事をしていないという批判を受けてのことでした。
 これをきっかけに、戦わずに、環境問題、資源の分配のあり方、不平等の解消を考え始めました。さらには、G20は拡大し、今ではG100になっています。
 私たちには、「将来」から「今」をデザインできる不思議な力があります。ところが、「今」からすぐ目先の「将来」のことを考えるのみで、短期的な利益にとらわれ、他者・他国をたたくのが当たり前でした。つまり、そのような力が発揮できなかったのです。ところが、2025年頃から「将来の視点」を用いる組織が次々に現れ、さまざまな成功体験を蓄積してきました。これが2035年のG20につながったのです。
 将来から今をデザインすると、(1)「できない理由」から「どうやって実現したか」を語り、(2)悲観論ではなく希望の物語を紡ぎます。そうすると、(3)技術と制度と価値観が一緒に変化し、(4)「複雑な問題」が解決可能な「当たり前」に変わるのです。

坂 明 コミュニケーションと苦闘

坂 明

公益財団法人公共政策調査会専務理事

 現在の日本は1つの到達点であるように思う。
 もちろん、さまざまな課題や矛盾があり、苦しんでいる人がいることも事実であるが、それらに対応するために苦闘することはおそらくこれからもずっと続くことだろう。
 ガザへの侵攻は、2国体制による平和を断念したことを意味し、MAGAは中国の成功を踏まえた米国の対応であろう。ウクライナの領土保全をいかに実現するかはヨーロッパにとって特に問題だが、世界も取り組むべきことだ。日本は食料も資源も外国に頼っているが、それをいかに確保するかが、太平洋戦争前も課題であったし現在も同様だ。人口減は結婚にメリットがないためであるとすれば、結婚以外の方法で子どもをよき存在へと育てていくことが必要だろう。
 常に現実を見、戦い続けること。誠実なコミュニケーションを取ること。
 早急な解決を求めて不誠実な行いをしたり、コミュニケーションを避けることをしない。
 長期にわたるかもしれないが理想の実現に向けて着実に努力し、困難であってもコミュニケーションを取り続ける。
 私も含め、人間はさまざまであり、また至らぬ点も多い存在だが、そのような姿勢、心構えを持って生きることは可能かと思う。
 日本においても、世界においても、そのような姿勢が、1人ひとりのレベルから国や国際機関のレベルにまで存在していること。それが、私にとって、あってほしい世界かと思う。

貞森 恵祐 2050年7月某日、最高気温40度

貞森 恵祐

国際エネルギー機関エネルギー市場・安全保障局長

 2050年7月某日朝、今日の最高気温予想は40度。10年前まで夏休みってあったらしいけど、冷房の効いた学校で授業受ける方が安全なので、なくなった。大学まで自動運転のロボタクシーにしようかなと思ったけど、最近は駅までほぼ木陰で行けるので電車にしよう。20年ほど前に、増え続ける空き家を強制収容して緑地を増やす政策が執行されたおかげだ。ロボタクシーは全部EVかと思っていたけど、銅線が高いのとバッテリー管理が複雑で、半分くらいは内燃機関車のようだ。EVがゼロ排出かというとそうでもない。太陽光とバッテリーは中国からの輸入で大幅に増えたけど、近年曇りの日が多くなってガス・石炭火力の容量も相当残っている。原子力も新設は難しく、SMR(小型モジュール原子炉)も日本では難しいらしい。
 今日は環境経済学の授業。脱炭素が難しい部門の話。製造業部門では、エネルギー効率化技術により排出は相当縮小したけどゼロには程遠い。鉄鋼の電炉生産は拡大したが、水素利用はコストが高いままで進まない。船舶燃料についてはIMO(国際海事機関)が反対を押し切って低炭素燃料義務付けを行った結果、貿易コストが増加し、特に長距離貿易は縮小、食料品を中心に地産地消経済が拡大している。航空機燃料をバイオ燃料と水素由来のみにするのは技術的に可能らしいけど、金持ちのみが飛行機を使うことで良いのかと議論が継続中。
 25年程前には2050年にネットゼロ排出とか言っていたらしいけど、無理だということで2030年に2060年に延長、2040年に2070年に延長された。もうすぐ2080年に延期されるらしい。残念ながら海水面上昇によって大洋州の島のいくつかは住めなくなって、この大学のクラスにも出身の学生が何人かいる。

佐藤 主光 民主主義は危機に対応できるのか?

佐藤 主光

一橋大学大学院経済学研究科教授

 わが国をはじめ、世界はさまざまな危機に直面している。ウクライナ戦争に始まる安全保障の危機、トランプ関税等による自由貿易(グローバル化)後退の危機、所得・資産格差の拡大に誘発された社会分断の危機などだ。いまだ民主主義国家はこれらの危機に適切に対応できていない。このままでは危機に際しては合意形成に時間を要する民主主義よりも1人の指導者が迅速に意思決定できる中国を含む権威主義国家の方が有効かつ強力な対策が打ち出せるという主張がひろがりかねない。実際、新型コロナ禍において、こうした見解が一時的にせよあったことは確かだ。
 前述の危機に加えて人口減少・少子化、財政悪化など問題山積のわが国でもポピュリズムの台頭とともに「決められない政治」から決別し、強い、ややもすれば強権的なリーダーシップを嘱望する向きがあることは否めない。強権的リーダーシップは民主主義を己の目的を実現するための手段と化しかねない。偏った主義主張に肩入れし、民意の名の下に異なる価値観や意見を排除してしまう。外国人労働者の問題であれ、消費税の減税であれ感情的・短慮的な判断がなされても訂正がきかない。民主主義とは価値観や意見の相違を互いに許容し合うことで成立する。意見の擦り合わせに時間がかかるがゆえに冷静な議論と熟慮にもつながる。本来、危機の多くは構造的であり、短慮より熟慮による対応が求められる。民主主義だからこそ解決できることを示さなければならない。さもなければ、民主主義が危機に陥るだろう。歴史に禍根を残すことにもなる。民主主義は未来に残すべき「公器」である。今こそ、われわれの器量が問われている。

志賀 俊之 起業立国 日本

志賀 俊之

元株式会社INCJ代表取締役会長CEO

 官民ファンドINCJ(旧産業革新機構)は本年(2025年)6月ほぼ業務を完了し、私も10年に及ぶ会長職を退いた。産業革新機構はリーマンショック後の2009年、低迷する日本の産業活性化を目的に設立された。政府がリスクマネーを供給することを通じて、産業再編や新陳代謝を引き起こすことが狙いだが、公的資金を民間の資本市場に投入することの是非は今も議論がある。新しい技術や事業を創出するリスクマネーが民間だけで充足されるのであれば、官民ファンドは必要ないといえるが、バブル崩壊後の後ろ向きな経営の中で、公的資金がその“呼び水”としての役割を担った。
 そして、まだまだ満足できるレベルとはいえないものの、日本の産業界は徐々に変わりつつある。バブル崩壊後にコスト削減に注力し、人的投資を抑えてきた経営者を反面教師的に見てきた若い経営者が企業変革に注力していることが大きい。さらに、活力のあるスタートアップも台頭して、産業の新陳代謝も起こりつつある。企業変革に後ろ向きな企業からスタートアップに転じる若者が増え、組織の多様性と流動性は明らかに高まり、失敗を恐れず挑戦する若者は間違いなく増えてきた。リスクマネーが循環し、新たなテクノロジーへの研究が盛んとなり、起業家は失敗しても再挑戦が可能になっている。企業も個人も挑戦することを通じて、自ら未来を切りひらく時代が来つつあるのだ。
 明治維新や戦後に多くの起業家が新たな産業を興したように、再び元気な日本が帰りつつある。高齢化社会も人口減少もイノベーションの力によって克服される社会だ。そして、四半世紀先の2050年、日本は“イノベーションを生み出す起業家の国”として世界の注目を浴びていることだろう。

清水 洋 変えられるからここにいられる

清水 洋

早稲田大学商学学術院教授

 阿部公房の『砂の女』では、砂の村に閉じ込められた男が、出口を探し続けながらも、ある日思いがけず、脱出できることを知ります。けれどもその時、彼はそこに留まることを選ぶのです。「出ようと思えば出られる」という希望を手に入れたからです(これは僕の解釈ですが)。
 希望は、「もっと良く変えられる」という期待です。これがあるからこそ、今に正面から向き合えます。2050年の世界には、「より良く変えられる」という期待を多くの人が持つ社会であることを願います。平和で、搾取のない社会。出自や属性によって不当に縛られることのない、より自由な世界です。
 私はイノベーションを研究しています。イノベーションは単なる技術や経済の話ではなく、「別の未来があるかもしれない」という想像力だと思います。再生可能エネルギーも、教育技術も、医療の進歩も、誰かが「こうだったらいいのに」と思ったところから始まります。技術が生み出すのは便利さだけではなく、「変えられる」という感覚です。これがないと、現在に閉じ込められてしまいます。
 そのために、教育は当たり前ですが大切なはずです。現在をそのまま受け入れるのではなく、何をどう変えれば、より良くなるのかを構想できる力を育む取り組みです。「よく変えられる」という感覚を、次の世代が当たり前に持てるように。その未来を支えるのが、教育であり、イノベーションなのだと信じています。
 そのためにも、質の高い初等中等教育から、優れた高等教育まで、日本が世界を教育でリードする2050年にしたいと思います。未来は、変えられるからこそ、面白いのです。

白波瀬 佐和子 超高齢社会に向けた成長型日本モデルの構築

白波瀬 佐和子

東京大学特任教授

 2025年9月、日本の総人口に占める65歳以上人口の割合は29.4%。この人口高齢化の背景に少子化があり、そこには家庭や市場、意思決定の場の大きなジェンダー格差がある。性別役割分業は戦後日本の経済成長を後押した一方で、少子高齢化を生みいまの日本の形を作った。
 超高齢社会の新たな成長につながる未来を実現するには、これまで十分な参画の機会を提供されなかった多様な人々の視点と能力を積極的に取り込む必要がある。日本は、年齢とジェンダーの指標をもって、入学や就職、昇進といったライフイベントのスクリーニングを行ってきた。しかしいま、同じ女性でも、同じ65歳でもその中身はさまざまであり、年齢、ジェンダーを超えての多様性を次なる新機軸を担う人材へと展開させることが急務である。日本は、「違い」を排除することで安定を達成してきた。しかし、変化に伴うリスクがあっても変わっていかなければ、未来はない。これまで蓄積してきた強みを新機軸と組み合わせで展開していく。「しなやかで強き社会」の実現は、多様で未知数の人々の参画を後押しすることから始まる。リスクとは、最初のスクリーニング時だけでなくその後も存在し、評価、見直しをしていくことで、人を育て、組織を強くする。
 2050年、平和で持続可能な循環型社会を構築するには、国の壁を越えて対話ができ、国際レベルの基本ルール(法)作りのテーブルで貢献し、リードできる者を育てることが鍵となる。平等な機会提供と正当な競争と評価、そしてやり直しのできる複数のチャンス付与、といった仕組みの中で、超高齢社会・日本が新たな成長の形を提示し、世界をけん引する。これが私の夢である。

菅沼 隆 2050年のイデオロギーと福祉国家

菅沼 隆

立教大学経済学部教授

 25年後の福祉国家について、イデオロギーの変容という視点で考えてみたい。
 フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の原著が刊行された年が1992年であった。イデオロギーの終焉しゅうえんが唱えられ、自由民主主義のみが生き残ることを予測した。その後の「歴史」は誰もが予想できない展開を見せた。現在、「新しい冷戦」がはじまり、フクヤマの予測は当たらなかったともいえる。特に、自由民主主義の盟主であるアメリカで、対話による合意を軽視する政権が誕生することを誰が予測できたであろうか?
 『歴史の終わり』では北欧の社会民主主義への関心がなかったことに留意すべきである。1990年、福祉国家論の現代的古典となるエスピン・アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』の原著が刊行された。そこでは欧米資本主義諸国を、福祉国家とみなして、自由主義、保守主義、社会民主主義の3つのレジーム(体制モデル)に分類した。
 やや乱暴であるが、フクヤマの自由民主主義は、アンデルセンの自由主義、保守主義、社会民主主義の3つのサブ・イデオロギーに分類できる。そして、第2次大戦後の欧米福祉国家は、国内政治において、これら3つのサブ・イデオロギーが競合して形成されてきたともいえる。
 これら3つのサブ・イデオロギーは近代における基本的なイデオロギーであると筆者はみなしている。このサブ・イデオロギーが今後も健全に競合していけば、近代は継続し、日本を含む欧米福祉国家は25年後も維持されているだろう。地球環境問題と移民国境問題とAIをこれらのイデオロギーが取り込めるかどうかがその必要条件となるであろう。それに失敗すると、別のイデオロギーが支配的になり、福祉国家の存続は困難になりうる。重要なことは、どのようなイデオロギーが支配的になるのかに、今を生きるわれわれ1人ひとりが責任を負っているということである。

鈴木 江理子 排外主義を乗り越えて共に生きる

鈴木 江理子

国士舘大学教授

 社会保障・人口問題研究所の2023年推計(出生中位・死亡中位)によれば、2050年、日本の総人口は1億468.6万人、うち外国人人口は729.1万人で、人口の7.0%を占める。外国ルーツの日本人を加えれば、人口比率はより高くなる。
 さらに、その後の実績動向から、外国人の増加が早まる可能性が高いとも指摘されている。すでに、人口比率が10%を超える地域もあり、2050年には、豊かな多文化社会が日本のいたるところに出現していることであろう。
 一方で、そのような未来に水を差すような排外主義的な言動が、現下で増大している。見知らぬ言語や文化をもつ人間に警戒心を抱き、「我々」の生活圏が「彼ら」に侵食されてしまうのではないかという不安や脅威からなのであろうか。確かに、言語や文化習慣が異なる人びとが共に生きることは容易ではない。
 けれども、「違い」に出会うことは生活に刺激と彩りを与えるきっかけにもなる。表層的な違いがあったとしても、1人の人間として出会い交流することで、同じ趣味や趣向を発見し、親交を深めることもある。異なる意見をもつ人であっても、対話を重ねることで、お互いを理解し合えることもある。
 2021年に実施された18歳意識調査によると、3割以上の若者が小学校に外国ルーツの児童がいたと回答している。この世代にとって、多様なルーツの人びとの存在は日常であり、「我々」と「彼ら」という差別も区別もなく、同じ社会を生きる対等な仲間なのである。こういった若者たちが社会の中心世代となる2050年は、排外主義を乗り越え、さまざまなルーツをもつ人びとが、権利の主体として尊重され、共に生きる社会となっていることを切に願う。

鈴木 康裕 21世紀の半ばこそ、日本の時代ではないのか?

鈴木 康裕

国際医療福祉大学学長

 われわれの身の回りでは、日本の将来について悲観的な情報が渦巻いている。いわく、財政赤字と借金依存、労働力不足、円安、等々。
 加えて、日本の医療制度に対しては、待ち時間が長いとか、保険料が高いなど、芳しい評価を聞かないが、来日した外国人は、日本の医療へのアクセスの良さと均てん化された高品質、それが手の届く費用負担で受けられることに大いに驚く。
 日本人は完璧主義者で、評価が辛口になりがちだが、少し俯瞰ふかん的・将来的に諸外国との比較を行うべきだろう。
 米国では、ワクチンの審議会の高名な委員が反ワクチン主義者に置き換えられたし、中東でのイスラエルによる攻撃に抗議する学生デモを理由に有名大学が補助金を大幅に削減されようとしている。米国を支えてきた重要な政府機関からも解雇や人材流出が続き、20世紀前半とは逆の国外流出現象が生じているとの指摘もある。
 欧州でも、ロシアによるウクライナ侵攻への対抗措置がエネルギー価格の高騰や軍事支出の増大へとつながり、重要視されてきた社会保障支出や途上国への援助なども大幅にカットされている。
 これらは、今後数十年にわたって欧米に大きな負の影響を与えていくと考えられるが、翻って、日本はどうか。それなりに政治も安定し、清潔で治安も良い。インフレ率も抑えられている。伝統文化や漫画、食文化に対して世界的な支持者も多い。今後四半世紀に、言語による壁がAIにより低くなるだろうし、高齢化率で先導してきたわが国は生涯現役モデルのフロントランナーとしてのアドバンテージもある。円安のおかげで人件費の優位性があるわが国には、アジア太平洋地域の生産拠点としても注目が集まっている。
 こうした利点を現実に変えるのは、目利きをされた国内投資の継続であるし、悲観的に考えず、明るい将来をもたらすわが国独自の勝ち筋を、いまこそ議論すべきではないか。

関 治之 分断を超えて―地域の多様性が紡ぐ対話の未来

関 治之

一般社団法人Code for Japan代表理事

 世界各地で社会の分断が深まっています。政治的立場や価値観の違いに加え、SNSやAIによって形成される情報空間が人々の認識を分けてしまっています。これはイデオロギーの問題ではなく、情報の設計の問題です。共感よりも対立を拡散させる仕組みのままでは、持続可能な民主主義を維持することはできません。
 2050年の社会では、AIやデジタル技術が「対話を媒介する仕組み」として再設計されているべきです。熟議の場では、AIが異なる立場の共通点を示し、議論の焦点を可視化します。政策形成のプロセスでは、根拠データや議論の履歴が「公共知」として共有され、誰もが検証・再利用できるようになります。こうした技術は、それを使う人々のコミュニティーと共に進化していきます。世界各地で始まる市民主導の熟議実験や、デジタル公共財を育てるコミュニティーは、その萌芽ほうがなのです。
 公共知は完成した知識の集積ではなく、進化し続ける対話の記録です。その管理は中央集権的ではなく、分散型のガバナンスによって行われます。異なる解釈や異議申し立ての回路が組み込まれ、多様な視点が共存できる設計が必要です。
 そして、多様な地域がそれぞれの文化や自然資本、知恵を活かしながら自治を行い、対話を通じて他の地域や世界と連携していく。私たちはこれを「United Locals」と名付けました。今年、奈良の月ヶ瀬で行った7日間の実験的コミュニティー「kuu village」では、参加者が共に暮らし対話を重ねながら、小さな自治の可能性を探りました。こうした実践を、デジタル公共財が支え、地域を超えて共有できる仕組みが必要です。
 分断を超える道は、遠い理想ではなく、既に始まっている実践の延長線上にあります。それは、私たち1人ひとりが参加できるものです。対話の場をつくり、地域の知恵を共有し、小さな実験を重ねる。未来は、誰かが与えてくれるものではなく、私たちが共につくるものなのです。

瀬口 清之 「民」のモラルが支えるハイブリッド型世界秩序形成

瀬口 清之

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 2010年代以降、世界秩序の不安定化に歯止めがかからなくなっている。BREXIT、トランプ政権による民主主義の破壊と法の支配の無視、国連・G7・G20・WTO・COP等の機能不全など枚挙にいとまがない。その結果として、パンデミック抑制のために必要な国際協力を実現できなかったほか、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ市民虐殺などを食い止めることができなかった。こうしたさまざまな問題が起きる原因は国家間合意形成の困難にある。
 国家の代表は自国民の利益を最優先する。グローバル課題の改善のためには自国民の利益を一定程度抑制することが必要だが、選挙で選ばれている政治家にはそれが難しいという構造欠陥が存在する。以前は米国の圧倒的影響力と自己犠牲に基づく世界貢献が世界秩序の安定化に貢献していた。しかし、中国の台頭とともに米国の経済力、軍事力が相対的に低下し、米中間のイデオロギー対立の深刻化とともに状況が一段と悪化。国際的合意に基づくルール形成がますます困難となっている。これが世界秩序を不安定化させている。
 以上のような構造欠陥を背景に、国際的合意に基づくルール形成は今後ますます難しくなる。安定的な世界秩序形成のためには、それを補完する存在が必要である。それは「民」がモラルに基づいて貢献し、国家の機能を補完する役割を担うことである。ルールに基づく国家とモラルに基づく「民」がともに支えあってハイブリッド型の世界秩序形成を目指す。これが世界秩序安定化の1つの方向になると考えられる。
 現在、日米中韓独仏スウェーデンのメンバーが中心となって、Z世代の若者数十名とともに「民」の補完的役割を拡大するための活動を展開している。その輪を世界中のZ世代に広げることを目指している。2050年には各国に支部ができて、それぞれが各地の状況に合わせて独自の活動を展開し、「民」のグローバル連携が強まっていくことを期待している。その目標はモラルに基づく「民」がルールに基づく国家の役割を補完するハイブリッド型世界秩序形成を22世紀に実現することである。

園田 薫 マイノリティー性を考え抜いた先にみえる地平

園田 薫

慶應義塾大学商学部専任講師

 現在の日本では、安定的に機能しなくなりつつある既存システムを持続するために、これまで周縁部に置かれていた女性、外国人、高齢者などの労働力を活用している。しかし現状維持のための戦略的な位置づけとして、雇用社会で劣位に置かれたマイノリティーとなりうる性質(マイノリティー性)をもつ人材が扱われている昨今の状況は、抜本的な改革よりも、目先の問題を先送りしながら雇用のシステムを持続させることそれ自体を目的化しているように見える。その結果、マジョリティーの特権性が揺らぐことはなく、それが既得権益を持続させるというモチベーションを生み出す。
 ここで私たちが考えるべきは、まさに2050年を迎えるとき、その社会のあり方に適合的なシステムを先んじて作り上げていくことではないか。マジョリティーの特権性の維持が組織の持続可能性に寄与するのは、マジョリティーの再生産が十分に可能な状況に限定される。しかし少子高齢化の進展、多様性の尊重、国際競争における日本企業の停滞といった現状を踏まえると、すでに25年後の組織の持続的活動が懸念される人口的・社会的・組織的環境が形成されつつあるように思われる。こうした現状を打破するためには、マイノリティー性の議論を再整理し、そうした性質を有する人々をうまく包摂していくような個人・組織・社会の環境を作っていく必要があるのではないか。
 単に少数派であることが、マイノリティー性を示すわけではない。私たちの社会は、現状に合わせて道具的にマイノリティーとなる人材を利用するのではなく、マイノリティーの過剰包摂/過小包摂をどちらも避ける知性を有し、自己充足的な思考で組織化(Organizing)を行っていくべきだと考えている。

 識者 た行

高口 康太 老いゆく東アジアは再び奇跡を起こさなければならない

高口 康太

ジャーナリスト/千葉大学客員教授

 世界銀行の報告書「東アジアの奇跡」が発表されたのは1993年のこと。30年余りが過ぎた今、老いが目立つ。足元の少子高齢化では日本がもっとも深刻だが、韓国や台湾など後を追う国の少子化ペースは日本以上。さらにポスト・東アジアの奇跡とも言うべき中国では出生数が2016年の1,786万人から2023年には902万人とほぼ半減している。日本の出生数ピークは1949年の約270万人だが、半減までに約40年を要した。中国はわずか8年で同じ道のりをたどった。発展の勢いだけではなく、少子化のペースも中国スピードだ。
 2050年にどのような社会が到来するのか。社会保障改革の遅れなども加味すると、あまり明るい未来像は描けない。それとも、AI(人工知能)やロボットによって劇的な省人化が達成され、労働人口が供給の制約とならない新時代が達成できるのだろうか。中国ではロボット運動会が開催されるなど人型ロボットの発展が目覚ましい。近年のAIの発展はすさまじく、人間のような知性を獲得するのではないか。そのAIを脳としたロボットが新たな労働力になるとの期待も高まるが、懐疑論もある。ファーウェイの報告書「智能世界2035」は現行のAI技術には限界があり、既存技術の延長ではなく、基盤技術そのものの刷新が必要だと指摘する。その突破がいつ起きるのか、予測することは難しい。
 魔法のような技術による解決にすがることは難しい。政治、法律、社会制度、文化などあらゆる要素を動員して、急激な社会変化に対応することが求められている。その対策ができるのか、老いゆく東アジアは再び奇跡を起こさねばならない。

高松 平藏 2050年を決める「都市の質」の追求

高松 平藏

ドイツ在住ジャーナリスト

 2050年、私たちの7割は都市に暮らすと予測されている。これは住宅不足や環境問題、社会の分断などの都市問題が、世界的に増大する可能性があることを意味する。しかし都市には未来を形づくる可能性もある。
 ここで問われるのが「都市の質」だ。都市の定義は各地の歴史や文脈で異なるが、共通点は「集積」である。それらはインフラなどの「ハード」の充実や経済規模の議論とつながりやすい。
 他方、都市の「人の集積」は、農村部などの「地縁」ではなく、「見知らぬ他人」の集まりである。人口がただ多いだけでは都市ではないという指摘は、19世紀に都市化が進んだドイツですでに指摘されていたが、21世紀でも大きな課題になるのではないか。
 「見知らぬ他人」の集まりだからこそ、目的志向のコミュニティーや社交の機会を意図的に増やす必要がある。これによって都市のアイデンティティーの確立とともに、都市社会の連携や信頼資本、多様性が厚くなる。すなわち、ハード・経済・環境・社会の調和こそが「都市の質」と言える。
 さらに都市は完成形のない「永遠のベータ版」で、常に更新されなければならない。そのダイナミズムとは多様な主体による共創だが、例えば人々の学習や意見交換の機会が増えると、ひいては地方政治(民主主義)がより生きたものになるだろう。このような更新していく力そのものも「都市の質」の1つの要素だ。
 世界の複雑さと不安定性は無くなることはない。しかし用心やリスク管理としての「悲観」は4割にとどめ、推進力としての「楽観」は6割を維持したい。そのために人々により近い都市の「質」の追求と「質的発展」が未来社会の指針となるだろう。

高宮 慎一 スタートアップとAI革命の掛け算に日本の勝機あり

高宮 慎一

グロービズ・キャピタル・パートナーズ代表パートナー

 スタートアップは、日本の経済成長のけん引役として大きな役割を担うようになっている。政府の「スタートアップ育成5か年計画」は経済政策の柱になっている。実際に2018年に上場したメルカリを皮切りに時価総額1,000億円に達したスタートアップは78社に至る。
 時を同じくして、世界的にAI革命の大波が訪れており、産業革命、IT革命以上に社会の在り方を根本から変えようとしている。AI革命の担い手としてのスタートアップと日本ならではの事業機会・強みを掛け合わせることで、あらためて成長軌道に乗ることが可能となる。
 日本はITによるDXでは後れをとり、旧態依然とした業界ではいまだにFaxや手書きでの業務が残る。一方で、年々深刻さを増す人材不足によって、DXは待ったなしとなっている。リープフロッグ(一足飛びに先のイノベーションを導入)して、AIによる破壊的なDXが普及する素地そじが整っている。世界に先んじてAI活用先進国となる大きな機会となっている。
 また、日本が比較優位を有するマンガ・アニメなどのIP産業は、世界で既に500億ドル市場となっている。IP産業においてもAIのインパクトは大きく、既存IPをベースとした新コンテンツ生成、新IP創出の両面で、さらに市場を推し広げる。
 もう1つの日本の強みであるロボティクスや生産技術とAIを掛け算したPhysical AI(AIによるリアルな物の操作・制御)も、AI革命の次なる本命と目されており、1,000億ドル市場になると見込まれる。
 日本のユニークな強みや課題に対して、AIを掛け合わせることで、世界で勝ち切る大きなチャンスが広がっている。AI革命による“ガラガラポン”をチャンスと捉え、世界で優位なポジションをることに今後の日本の成長、勝ち筋が存在している。

高安 健将 政治指導層の再生と包摂に向けて

高安 健将

早稲田大学教育・総合科学学術院教授/成蹊大学名誉教授

 近年、ポピュリズムの広がりやデモクラシーの後退が注目され、懸念も広がっている。こうした動きの背景には、政治指導層に対する人びとの強い不満と不信がある。
 ポピュリズムはエリートと人民を峻別しゅんべつする。両者は相いれず、前者は腐敗し道徳的に劣ると非難される。そこでは、エリート=政治指導層はもはや人びとを代表する存在でもなければ、仲間でもない。完全な他者である。ポピュリストの目からすれば、そのような完全な他者、人民の「敵」が政治を取り仕切っていることになる。
 今日、確かに資金やネットワーク、生まれで恵まれていなければ、政治指導層の1員になることは容易でない。専門的な政策論議や政界遊泳術を市井の人が会得できるとは限らない。また、政治指導層は以前と比較して不遇の人びとを重視しない傾向を強めているが、その背景には「資本主義の勝利」があるのかもしれない。冷戦終了後、資本主義社会のオルタナティヴは消滅し、資本主義が否定される心配も事実上消滅した。資本主義社会で最も恩恵を受ける人びとは、不遇の人びと、不満をもつ人びとに配慮する必要がなくなった。不遇の人びとも連帯を忘れた。人びとの疑念と不信にも根拠がないわけでもなかった。
 政治指導層が再生し、人びとのなかに包摂されるには正攻法しかない。政治指導層が市井の人びとから選ばれ、社会の1員と再びなること。政治指導層が圧倒的な富を蓄積した人びとや組織ではなく、市井の人びとを優先すること。人びとが隣人を同じ共同体に暮らす仲間と考えること。
 2050年に望む政治は夢の世界とも思われる。しかし、今日、権威主義が自由な社会のオルタナティヴとして現実味を帯びるなかで、望ましい政治を諦めれば、悪夢をうつつでみることになるかもしれない。2050年、政治指導層の再生と包摂は進んでいるだろうか。

瀧 俊雄 簡素さを実現した政治家が報われる社会を

瀧 俊雄

株式会社マネーフォワード執行役員グループCoPA

 毎年、会計ソフトや給与計算ソフト事業者は、政治家の税・社会保障制度の議論を注視する。早ければ同年の年末調整などで変更を反映する必要がある中、自社ソフトの改修にとどまらず、顧客企業の経理・人事・総務部等での対応をフォローすることになる。
 この20年、ほぼ毎年このような対応が続いている。顧客業務の抜本的な省力化につながるような可能性があったとしても、制度対応と顧客サポートを優先せざるを得ない。業態によっては制度変更による買い替えも発生するため、制度・ソフト双方の姿勢が定着してしまった側面もある。
 年末調整に典型的だが、税・社会保障の在り方では、企業のバックオフィスやソフトウエア企業が、制度の複雑さを実務や開発で吸収している側面がある。それは、納税者にとっては複雑で理解できないが一応は適切に処理されている、という状況を作り出す。政府もいざとなればソフトウエア企業が対応できる前提で、政策調整をする。果たしてそれでよいのか。
 ソフトウエアが、制度変更だけに対応することの付加価値は本来大きくはない。より意味があるのは、生産性や、ルーティン作業の省人化、働きがいにつながるシステムである。
 少数与党の時代における税・社会保障の展望では、個別の手柄を目立たせるために、制度が複雑化の一途を辿たどりかねない。理解しづらい制度を前に、政府と有権者の距離はますます離れないか。そのひずみが間違った方向の民主主義の軋轢あつれきを生まないか。大きな懸念がある。
 そのためにも、税の3原則でもある、制度の簡素さを追求できる政治家が報われていく必要がある。官民のデジタルデータの活用も見据えて、あるべき制度理解を実現していかないとならない。

滝澤 美帆 中小企業の潜在力を引き出し、生産性向上を実行せよ

滝澤 美帆

学習院大学経済学部教授

 日本の中小企業は、全企業数の約99.7%を占め、就業者数の約70%を担うなど、国内経済を下支えする重要な存在である。しかし、その生産性は大企業と比較して依然低く、労働生産性は大企業の約60%程度にとどまるとの指摘がある。一方、欧州では中小企業向けのデジタル化支援策が進められ、ドイツの「ミッテルシュタンド」に代表されるような、小規模ながらも世界的ニッチ市場を獲得する成功モデルが存在する。これらの企業は、長期的な視点で技術開発と人材育成を行い、国際的な競争力と高い生産性を維持している。また、アメリカではスタートアップ企業が先進的なデジタル技術を積極的に活用し、高付加価値を創出することで相対的に高い生産性を実現する事例が多く見られる。
 一方、日本の中小企業が生産性を伸ばせない背景には、資本や人材の不足に加えて、デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れがある。先進的なデジタル技術を本格的に取り入れている中小企業は全体の2割以下との調査結果もあり、海外市場や多様化する顧客ニーズへの対応が不十分な実態が浮き彫りになっている。
 こうした課題に対処し、生産性を向上させるためには、資本装備率の引き上げやイノベーション創出が重要である。政策面では、設備投資減税やIT導入補助金の拡充、人材育成プログラムの整備、産学官連携、そして企業間連携の促進が有効な手だてとなる。総合的な取り組みによって、中小企業が内包する潜在力を最大限に引き出し、生産性向上と持続的な成長への道筋を示すことが求められている。

竹内 純子 人類最後のエネルギー革命への歩みを進める

竹内 純子

NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員

 人間の活動のすべては、エネルギーを伴う。人類の歴史とは、エネルギーをどう確保して、どう使うかという試みそのものであったともいえる。今後生成AIが人間社会の頭脳となり得るかは、多分に、安価で潤沢な持続可能性の高い電力を人類が手に入れることができるかにかかっているし、誰もがエネルギーを潤沢に使えるようになれば、各地で頻発する紛争の多くが解決するだろう。昭和天皇が太平洋戦争を振り返って述べられたという「油に始まり油に終わった」というお言葉は、エネルギー供給とは社会の頸動脈けいどうみゃくであることを、端的に伝えるものだ。
 欠点のない理想的なエネルギー源を手にすることができれば、人類はより長く地球と共存することを許されるだろう。それには、これまで数次のエネルギー革命を経験してきた人類にとって、総仕上げとなるエネルギー革命が必要だ。しかし当然のことながらこれは簡単ではない。
 指数関数的な進化が可能なデジタル領域と異なり、フィジカルが伴うエネルギーは線形的な進歩が基本となる。2050年までの25年間は、一般的には大きな変化をもたらし得る時間かもしれないが、エネルギーを含む社会インフラの変革には短い。また、核融合や人工光合成など期待が高まっている技術は複数存在するが、いずれも投入したエネルギーよりも大きなエネルギーを生むことができるのかは未知数だ。
 2050年になっても、人類はエネルギーのくびきから解き放たれていることはないだろう。しかし、複数の技術進展や消費者の行動変容によって、今よりも持続可能なエネルギーシステムになっていることを期待してやまない。

竹ケ原 啓介 DXと教育を梃(てこ)に国際色豊かな開かれた社会を実現する

竹ケ原 啓介

政策研究大学院大学教授

 歯止めがかからない少子化・高齢化と労働力人口の急速な減少を前に、女性や高齢者の就労促進も限界を迎える中、外国人労働力、とりわけ高度なスキルを備える人材の受け入れ拡大への期待は大きい。残念ながら、現在目につくのは、外国人労働者を巡る劣悪な労働環境や言語や文化の違いからくる社会的な軋轢あつれきなどの問題ばかりだ。2050年の日本には、この問題を解消し、総人口こそ減ったものの、DXの進展による高い生産性を基盤に、社会のさまざまなレベルで高度なスキルを持った外国人が共存している国際性豊かな社会像を期待したい。
 短期間でそれを可能するのは、教育の力だと思う。希少資源化しつつある日本人労働者を人的資本に位置づけ、その高度化に向けた投資を強化する動きは、既に産業界で本格化している。AIの急速な発展と普及により、これまで弱点とされてきた言葉の障壁が取り除かれようとする今、この動きをさらに進めて、初等教育から国際的に開かれたプログラムへと転換できないだろうか。外国人労働者が、子弟の教育について母国同様のレベルを期待できる環境を整備し、ボトルネックだった教育環境が改善されれば、おりからのインバウンドブームで証明された「おもてなし力」も相まって、日本の定住吸引力は大幅に強化できると考えられる。また、教育の良いところは、机を並べる「竹馬の友」の関係性を10年余りで作り出せる点にある。多様なバックグラウンドを持つ次代のリーダー候補と多感な時期を共に過ごす経験は、日本の若者の成長にも大きな効果があり、ごく短期間で社会の国際化も期待できる。今から始めても、2050年には見違えるような社会が実現しているのではないだろうか。

竹村 彰通 世界の人口とデジタル教育の進展

竹村 彰通

滋賀大学学長

 例年日本では夏が長く暑くなっており、地球温暖化が実感される。私が子どもの頃はエアコンもなかったが、今ではエアコン無しに夏が過ごせない。省エネ技術も進歩しているが、やはり世界の人口増によるエネルギー消費の増加を相殺するには不足している。世界の人口は今後50年ほど増加し、100億人以上になると予測されている。この地球に100億人の人口は多すぎるように思われる。日本では急速な高齢化が喫緊の課題ではあるが、人口自体は150年前には3,000万人強であったことを考えると、現在の半分くらいでも良いかもしれない。
 よく知られているように、ほとんどの先進国では合計特殊出生率が2を大きく割り込み、人口減少が始まっている。中国でも2022年より人口減少が始まった。先進国での人口減少にはさまざまな要因があるが、教育水準の上昇と、それに伴う結婚や出産年齢の上昇が1つの要因であると考えられる。その観点からは、世界の人口爆発を抑える有効な手段として、発展途上国における教育水準の向上が重要である。
 幸い、デジタル技術の発展、特に最近のAI技術の急激な進歩により、良質な教育サービスを提供するためのコストは急激に低下している。これにより地球規模で、教育水準の向上が期待される。大学教育においても、ChatGPTなどの生成AIの利用により、教育方法が大きく変化する局面を迎えている。このように、デジタル教育の進展により、世界の教育水準が向上し、それが世界の人口問題の解決に資することが期待される。

辰巳 哲子 AI時代、職場は「知の実験室」。問いが価値を紡ぐ

辰巳 哲子

リクルートワークス研究所主任研究員

 2050年、働くことは「答えを出す」ことではなく、「新しい問いを生むこと」が今以上に重視されるようになると考えている。AIが既存の業務を担う今、その流れは止められないだろう。人間の仕事は、AIにはできない前提を疑い、試行錯誤を重ねる営みへと移っていくだろう。学びは習得から探究へ、仕事は遂行から問いの創出へ。この重心の移動こそが本質的な転換である。にもかかわらず、現代の改革はAIの得意とする「生産性」や「効率」に偏りすぎている。このままでは、人間がAIと競い合う未来しか描けない。短期課題に追われ、長期の視点を失う現状に強い違和感を覚える。
 私が夢見る2050年の日本は、働くことと学ぶことの境界が自然に溶け合った「探究社会」である。未来のイノベーションは、情報や知識を組み合わせるだけでなく、「当たり前を疑うこと」から始まる。そしてそれは、個人の異質な体験に根差した価値観から生まれる。だからこそ、日常業務から離れた「飛び地」での経験がこれまで以上に重要になるだろう。人々は未知の体験と向き合い、自分の価値観を言葉にしながら「質の高い暗黙知」を育んでいく。
 職場にとって大切なのは、そのような経験を可能にする環境を整えることだ。それが新しい価値創造の出発点となる。未来の職場は成果を競う場ではなく、社内外の知性が交差する「知の実験室」となる。そこでは「飛び地」で得た価値観や暗黙知を持ち寄り、本気でぶつけ合うことが奨励されるだろう。2050年の日本が、世界に先駆け「誰もが問いを生み育てられる社会」のモデルとなることを夢見る。1人ひとりが好奇心を羅針盤に未知へ踏み出し、多様な経験を携え対話を重ねて新しい価値を紡いでいく。そんな未来が実現すれば、「働く」も「学ぶ」も、今よりずっと自由で人間らしい喜びに満ちた営みになるはずだ。

田中 修 強国化した中国にどう対応するか

田中 修

拓殖大学大学院経済学研究科客員教授

 今世紀初め、中国は2つの100年目標を掲げていた。1つは党創立100周年に小康(いくらかゆとりのある)社会を全面完成させること、もう1つは建国100周年に国の現代化を完成させることである。第1の目標の期限は2021年であり、この年、習近平総書記は「農村の脱貧困を成し遂げた」と高らかに宣言した。しかし、李克強総理(当時)は、まだ6億人の相対的貧困層がいることを示唆し、貧困撲滅の道のりはなお遠いとしている。
 第2の目標の期限は2049年であったが、2017年の第19回党大会で、習近平総書記はこれを2035年に前倒して、2049年には社会主義現代強国を完成させ、「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」を実現するとした。大国化路線から強国化路線への転換である。これを契機に、米国は中国に対する警戒心を強め、本格的な米中対立が始まった。
 では、「中華民族の偉大な復興」は何を意味するのだろうか。清朝の全盛期には、中国のGDPは世界の3分の1を占めていたとされる。この経済規模を取り戻すというのであれば、さほど難しくはないかもしれない。しかし「華夷秩序」を復活させるのであれば、話は異なる。20世紀初頭に中国では「国恥地図」が刊行された。これは帝国主義に蚕食される前の中華帝国の理想的版図を示したものであるが、もしこれが復活するとなると、北東・東南・中央アジアのかなりの部分が中国の勢力下となる。これは地域秩序の全面改変である。
 中国が日本よりはるかに強大であったときにも、日本は「華夷秩序」に組み込まれることはなかった。戦後国際秩序が激しく動揺している今、日本は東アジアの共同繁栄・幸福を目指した志の高い新秩序構想を提起すべきである。

谷口 直嗣 2050年における日本の美術系大学の生存戦略

谷口 直嗣

京都精華大学特任教授/女子美術大学非常勤講師

 私は京都と東京の2つの美術系の大学で主にゲームについて教えており、大学は会社よりも一足先に人口減少の波が来ていると感じている。実際に閉鎖が決定した大学などのニュースも耳にする。大学は社会のインフラの面も持ち合わせており、そこの経営が揺らぐ事は社会の基盤が揺らぐ事につながる。
 現状のペースで人口減少が進めば、18歳人口は現在の100万人程度から6~7割になると試算されている中で、日本の大学はそれを見据えた生存戦略を立てる必要がある。さまざまな未来への取り組みが考えられるが、ここでは3つ挙げてみる。
 1つ目は、社会人にリスキリングの場を提供して18歳以外に学生の年齢層を広げる事。ビジネスから離れた環境で自由にテーマ設定、表現活動を行い、必要な事は経験が無い事でも自分で取り組んで小さなプロジェクトを完成させて、評価を受ける事によって成長の機会を与える。そのためには現在の大学では4年間で卒業のスケジュールで学位を与えているが、プロジェクトベースで入学する学生に単位を与えることにして、そのような単位授与が可能な学部と大学院の制度を作る必要がある。
 2つ目は、アートやデザインを社会の課題解決と接続する事。例えばヘルスケア、介護などとアートやデザインの組み合わせをプロジェクトベースで行ったり、創作活動のワークショップを提供するなどして、創作を通じてのケアを提供する場となる。
 3つ目は、世界をリードする文化を作れる場となる事。例えば民藝運動のような日本の文化の中から美を発見して、それを生活の中で体系づけて生まれる新しい価値観をテクノロジーと接続をして、ゲーム等のエンターテインメント産業までつなげられるような人材を育てる実験の場となる。
 人口減少は避けられない現実だが、発想を転換すれば新しい教育や創造の形を開く契機にもなる。美術系大学が社会と世界をつなぐハブとなる未来を見据え、私はこれからも挑戦を続けていきたい。

谷本 有香 2050年 超AI時代、問われる人間の「意志」

谷本 有香

Forbes JAPAN 執行役員 Web編集長

 禅の大家といわれる鈴木大拙は、禅の教えの中にある「不立文字ふりゅうもんじ」の重要性を唱えました。それは、言葉や文字で表現されるものではなく、体験ということを通して何事も会得することが大切であるという考えです。人間が五感を通して、感じ、考え、アクションを起こす。生成AIの台頭によって、私たちは「物理的動物だからこそできうる」という、それらの価値をあらためて思い知らされているのではないでしょうか。
 2050年の未来には、AIをはじめとする技術という技術がさらにそろい、進化改良され、人間に残されるのは想像・創造力になるでしょう。そんな中で、テクノロジーの役割は、人の利便性を支えるものではなく、人間の尊厳や想像・創造性を引き出し、自然を含めたすべてのステークホルダーたちとの共存共栄を手助けする「社会的な存在」になっているのではないでしょうか。
 先の鈴木大拙の言葉を借りれば、私たち人間の本性、人間が生まれつき持っている衝動は「慈悲と創造性」だと言っています。AIという便利なテクノロジーができたからこそ、その道具を私たち人間は、未来をより良き方向に導くために使うという、尊い「意志」が求められます。
 いつの時代も、私たちの意思決定の積み重ねが未来を作る。であるなら、いかに技術、自然、そして、国境を超え、人々というすべてのステークホルダーを「調和させる」ためにリーダーたちが意思を共有し、実行できるか。
 ひとりの未来を作る担い手として、常に自身が未来の分岐点に立っている自覚と覚悟のもとに、社会に向き合う。それが一層問われるのが2050年という時代なのではないでしょうか。

田畑 伸一郎 垣根のない世界経済

田畑 伸一郎

北海道大学名誉教授

 まずは、私の専門であるロシア経済について、2050年の理想形を考えてみた。第1に、石油・ガスへの依存がなくなり、脱炭素に対応した経済になっていることが望まれる。国土が広大なロシアには、再生エネルギーの莫大ばくだいなポテンシャルがあり、水素などの次世代エネルギーの可能性も大きい。第2に、広大なロシアが炭化水素以外の鉱物資源や農林資源に比較優位を有することは変わらないので、これらに付加価値を付ける産業が発展していることが理想形であろう。こうした産業は、ロシアと世界の最先端の技術によって進歩し、ロシア人だけでなく、多くの外国人労働者によって支えられる。2050年にロシアがこうした産業において世界をリードしていれば素晴らしいと思う。その果実は、世界中の人々が享受する。
 このようなことが実現するためには、第1に、世界中で脱炭素が進んでいる必要がある。第2に、労働、資本、モノの国境を越えた移動が大幅に自由になっていることも必要であろう。特に、いずれの国においても国籍の取得が現在よりも格段と容易になっていることが望まれる。
 言うまでもなく、このような夢の大前提は、国家間の戦争がなくなっていることである。そのためには、各国の指導者が真に民主的に選ばれ、権力が1人あるいは少数者に集中しないような政治体制が各国において築かれていることが重要であろう。また、国家への忠誠ではなく、人権や個人の自由がより尊重される社会になり、特に、国家によって人殺しを強制されることのない社会に少しでも近づいていることを期待している。

玉木 林太郎 未来は良くなると信じるという夢

玉木 林太郎

公益財団法人国際金融情報センター理事長

 2050年までの四半世紀でどれだけ世の中は変わる、あるいは変えられるだろうか。今から四半世紀前の2000年にはロシアでプーチン大統領が誕生し、すでに反グローバリゼーションデモが行われていたのだから、大きな潮流の変化は無いという見方もあるだろう。しかしこれはわれわれの世代ができなかったというだけのことなので、次の世代に期待しよう。
 2050年といえば温室効果ガスの排出ネット・ゼロは必達の目標だから夢などと言ってはいけないかもしれない。パリ協定から10年って特段の技術的飛躍は無く、化石燃料の利用を減らしていく一種地道な努力(実は巨大な社会経済システム変革)を続けるしかない。「現実的」と言いながら緩慢な対応しかできなかった先行世代のツケが将来大きな不幸となって降りかからないよう祈りたい。
 もう1つ、これはかなり夢に近いが、出生率の低下が反転し子どもがたくさん生まれてくる世の中になってほしいものだ。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という生物としての自然な摂理(異論はあるかもしれないが)に人々が背を向けている理由は何だろう。高齢化・労働人口減少による経済成長や社会保障などへの影響という次元にとどまらない不気味なものをそこに感じてしまう。これまで出生率向上のための政策努力がほとんど実を結ばなかったのは、この事象の背後に何か集団的無意識の働きがあるためだ、と考えてしまうのは悲観的過ぎようか。もしそうなら、きっと未来は良くなる、と人々が信じる(そして多くの子どもたちに未来を託す)ようになるのが夢ということだ。

垂見 裕子 2050年への教育政策ビジョン―格差是正と国際協力

垂見 裕子

武蔵大学社会学部教授

 2050年の日本社会は、生まれた家庭環境にかかわらず、すべての子どもが質の高い教育を受けられ、自らの選択肢や夢を広げられる社会であることが期待されます。そのためには、社会経済的に不利な子どものニーズに応じた支援策を柔軟に設計・実施する制度が欠かせません。例えば、経済的に厳しい家庭の子どもが多く在籍する学校には、教員や予算を重点的に配分すること。外国ルーツの子どもには、体系的な日本語教育と日本の文化や教育に関する情報の提供を制度化し、それを担う人材を養成すること。多角化する大学入試では、課外活動実績だけでなく、家庭背景や生活経験も評価対象とすることなどが求められます。こうした一律ではなく状況に応じた資源配分を通じて、社会経済的に不利な子どもにこそ十分な支援が届く包摂的な教育と、それを支える寛容な社会の実現を願っています。
 さらに国際社会においては、武力や対立ではなく協力と相互理解を基盤に課題を解決しようとする姿を展望します。そのためには、教育制度の中に異なる背景や文化を持つ人々が出会い、互いに対話し、学び合う機会を組み込むことが不可欠です。こうした経験を通じて、人々は他者の状況に思いを寄せ、多様な視点を理解する力を育み、社会をよりよく変えていけることを実感できるでしょう。大学は、国際的な知の共有や世界規模の課題解決のための協働が当たり前に行われる場となることが期待されます。教育が平和構築のための価値を育み、国際協力の基盤を支える不可欠な役割を果たしている社会を展望します。

Jonathan Chaloff/Ana Damas de Matos Japan as part of increased global migration flows

Jonathan Chaloff/Ana Damas de Matos

Senior Policy Analyst, International Migration Division, Directorate for Employment, Labour and Social Affairs, Organization for Economic Co-operation and Development (OECD)

Ana Damas de Matos

Senior Policy Analyst, International Migration Division, Directorate for Employment, Labour and Social Affairs, Organization for Economic Co-operation and Development (OECD)

 By 2050, Japanese society will see immigration as a structural phenomenon related to sustainable growth, not just as a way to fill immediate labour needs, or a response to demographic decline.
 Japan, like many other East Asian economies, will be more firmly anchored in the ties of migration which link countries globally. More educated people will be studying Japanese language, culture and workplace practices in order to have a chance to work and live in Japan for a period. It is likely that there have never been in history so many people who worked in Japan and returned home; a Japanese traveler is likely to meet Japanese-speakers even in remote villages across Asia and perhaps even around the world.
 In 2050, Japanese residents will know more about the migrants who live in Japan than ever before, thanks to modernization of the immigration system and improved data collection. Decades of monitoring and evaluation will have improved labour migration channels and made job matching more efficient. Advances will have been made in how Japan identifies domestic labor shortages, matches them with appropriately skilled foreign workers, and ensures their smooth integration into society.
 Academic researchers will have produced a substantial body of literature, which influence policy design of integration programs and ensure that migrants and their families can thrive economically and socially. Workers’ families, and the spouses who are granted labor market access, will no longer be unusual, and will fill jobs across the economy. Children of immigrants will be fully integrated into the education system, with mandatory enrollment and tailored support to ensure academic success.
 Japan will not be the only country to compete for talent, but Japan’s capacity to create stable migration channels for different types of skills and its proactive approach to policy mean that by 2050, immigration has a strong chance to be a well-managed, inclusive, and dynamic force driving Japan’s prosperity and innovation.

<日本語訳 文責NIRA>
ジョナサン・チャロフ/アナ・ダマス・デ・マトス 世界的に拡大する移民の流れの中の日本

経済協力開発機構移民課チーフ政策アナリスト/経済協力開発機構移民課チーフ政策アナリスト

 2050年までに、日本社会は、移民を、単なる当面の労働力不足の解消手段や人口減少への対応策としてではなく、持続可能な成長に結びついた構造的な現象として捉えるようになるだろう。
 日本は、多くの東アジア諸国と同様に、移民によって結ばれる国際的なつながりの中に、いっそう強く結びつけられる。より多くの高学歴者が、一定の期間、日本で働きそして暮らすため、日本語や日本文化、職場慣行を学ぶようになる。日本での就労経験を持って母国に帰る人々の数は、史上かつてない規模となり、日本人旅行者は、アジアの地方の村々で、さらには世界の遠隔地でも、日本語話者に出会うようになるだろう。
 2050年までに、入国管理制度の近代化とデータ収集の改善により、日本の住民はこれまで以上に在留外国人について理解を深めるだろう。数十年にわたるモニタリングと評価により、労働移民の経路は改善され、求人と求職のマッチングはより効率的になる。国内の労働力不足を特定し、適切な技能を持つ外国人労働者と結びつけ、社会への円滑な統合を保証する手法も進歩する。
 研究者は膨大な文献を蓄積し、それらは統合プログラムの政策設計に影響を与え、移民とその家族が経済的にも社会的にも安定した暮らしを送れるよう支える。労働者の家族、そして労働市場へのアクセスを認められた配偶者はもはや珍しい存在ではなく、経済全体で職を得るようになる。移民の子どもたちは教育制度に完全に統合され、就学が義務付けられ、学業の成功を支えるための個別支援も提供される。
 人材獲得競争に参入する国は日本だけではない。しかし、多様な技能に対応した安定した移住経路を構築する日本の能力と積極的な政策アプローチにより、2050年までに日本の移民制度は、繁栄とイノベーションをけん引する、適切に管理された包括的で活力ある原動力となることだろう。

津上 俊哉 大災難を生き抜ける日本

津上 俊哉

日本国際問題研究所客員研究員/現代中国研究家

 「2050年の夢を語る」のお題に困惑している。「今世紀の人類は文明のリセット(大災難)に遭遇しそうだ」が私の持論だからだ。
 われわれがこれまで普遍的なものだと信じていた民主主義、自由の理念、あるいは自由貿易体制などの国際秩序は急速に溶解しつつある。2025年はその感触が一層強まり、世界秩序を主導してきた米国の力が衰えた影響がいよいよ顕在化し始めたのだと感じた。
 一方、中国も長期的には衰退が避けられないので、米国に取って代わる覇権国にはなれそうにない。結果として、世界は指導国不在の中、強い国が周辺を支配、割拠しようとする時代を迎えそうだ。
 人間が馴化じゅんかできる速度を超えて進化するAIやロボットは、経済社会にどのようなインパクトを及ぼすのか。進化の前線に立つテックリーダーたちは「AIの進化を規制しろ」と言ったり、「ヒトは労働から解放される」と言ったりしている。よく分からないが、彼らは私には見えない何かが見えているのだろう。
 さまざまな環境が激変する気配におびえながら、1日また1日と2025年が過ぎていったが、10年、20年後に振り返れば「あの頃が世界の転機だった」と思うだろう。
 そんな中で2050年の日本に何を願うか。
 少子高齢化が深刻だが、今後技術の進化が大量失業を引き起こすのなら、日本は無意識のうちに「計画減産」に踏み切っていたことになる。大災難に遭遇すれば社会がカオス化し、殺人や強奪が蔓延まんえんするのが世界の常だが、最もそうなりにくい国が日本だ。和をもって貴しとなす集団指向の国民性が非常事態でも秩序を保つ助けになるだろう。
 人類史が何度も経験したように、大災難の後には復興期がやって来る。そのとき最も早く立ち上がれる国が日本であることを願う。

 識者 な行

中川 一史 学びの主体が子どもに手渡される年に

中川 一史

放送大学教授

 令和3年に中央教育審議会から公開された「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)によると、「学校では『みんなで同じことを,同じように』を過度に要求する面が見られ、学校生活においても『同調圧力』を感じる子供が増えていったという指摘もある。」としている。教師差配の授業から学びの主体を子どもにという議論は、さまざまな観点から中央教育審議会でも現在まで議論されている。
 しかし、学びを子どもに委ねる営みは一筋縄ではいかない。
 日本の教育は、これまで良くも悪くもきちんと行う文化が浸透していた。例えば、児童生徒1人1台端末環境が整備されてかなりたつが、一斉に出して一斉にしまう。ある子がネットで調べたいことがあったとしても自分だけさりげなく使うことも許されない場合が多い。また、枠という意味では、ワークシートが実によく使われている。これ自体、全てダメということはないのだが、ワークシートは構成・構造は教師から降ってくる。子どもは決められた枠に情報を埋めていく。しかし大人が講演会でメモする際には枠などないスペースに書いているはずである。いつからメモの構成を決める活動は許されるのか。このように、教師が良かれと思って子どもが逸脱しないように枠やタイミングを提示してきた。しかし結果としてそれが子どもの主体性を奪うことも少なくない。
 国、地域、学校、教師、保護者が一体となって、子ども主体の学びを実現し、学校では教師が伴走する。そのような仕組みや方向性を確立しているような2050年であってほしい。

筆者参考文献
D-project

中川 雅之 大都市化が進んだ国土構造へのソフトランディング

中川 雅之

日本大学経済学部教授

 これまで日本は大きく、急激な人口増加のみならず、都市化を進めることで、高い経済成長とそれに基づく生活水準の向上を成し遂げてきた。
 将来はどうだろう。1965年と2050年の日本の総人口は1億人程度である。それでは人口の分布も1965年当時の日本に回帰するのだろうか。総人口が1億人程度に回帰しても、明らかに大都市化が大きく進んでいる国土構造が、国立社会保障・人口問題研究所の推計によって示されている。これまでに強い政策介入によっても日本の大都市化をとめることはできなかったし、今後もさらなる進行が予測されているのは、大都市という環境が高い生産性、豊かな生活を支えるものであるからだろう。
 大都市化が2050年の豊かな市民生活とそれを支える高い生産性の維持のために必要だとしても、それに伴う2つのフリクションは軽減されなければならない。
 1つは人口流入を受ける側の大都市に求められる課題である。世界的にも、スーパースター都市と呼ばれる大都市への集中による住宅のアフォーダビリティ(注)の低下は大きな問題として認識されている。大都市への集積の人為的な抑制ではなく、それを全ての人に対して開かれたマッチングの場とするために、大都市圏の住宅市場のアフォーダビリティの向上に向け、住宅取得支援も含めたさまざまな方策を検討すべきであろう。
 もう1つの課題は、人口流出を経験する地方の側の不動産をどのように扱うかであろう。人が住まなくなった地域でも一定の管理は必要だろう。そのためには、一定の管理を効率よくできる主体への負の価格での売買が、法制度でも鑑定評価体系においても正面から認められる必要があろう。

 (注)住宅の取得可能性、手ごろな価格で購入できること

中西 寛 2050年への希望―「人間らしさ」への問い

中西 寛

京都大学公共政策大学院教授

 世界が正常さを失いつつある2025年という時に25年先の時代への希望を語るのは難しい。実際今後戦乱が拡大し、近い将来に大規模な破壊が生じる可能性すら否定できない。しかしえて2050年の人類を語るなら、人類は何とか現在の危機を克服しているだけでなく、より長期的な課題に対してもそれなりの正解を見つけていると期待できる。
 人類にとっての基本課題は、(1)気候変動に代表される人間活動に伴う自然への影響の調節、(2)2050年頃には総人口が100億に達するとみられる一方で急速な高齢化と人口減少を経験する社会と人口増を経験する社会が共存するという人口動態への対応、(3)人間間の意思疎通媒体として急速に普及している電子情報に適応した社会秩序の発見、(4)テクノロジーの発達による人間の人工化への適応、といったことが主になるだろう。いずれも人類全体の共通課題であるが、人類の生物的性質として数十億人からなり、対外的に結束する対象もない政治秩序は経験がなく、作れそうにない。一定数の小集団を積み重ねる形で分散して生きることしかできない人類が人類全体の課題に共通して取り組むことができなければ2050年の未来は暗いものとなっているだろう。
 仮にその課題を克服しているとするなら、人類は人間らしさという問いに対して新たな答えを発見しているかもしれない。もちろんその答えは想像する他ないが、私はヨハン・ホイジンガが指摘した「遊び」が重要な役割を果たすのではないかと思っている。そうなれば生活の中に「遊び」を活かしてきた日本人の生き方も世界にとってより大きな意味を持つはずである。

中村 潤 第1次所得立国への転地:「投資×運用×金融」で稼ぐ戦略

中村 潤

中央大学国際経営学部教授

 日本は自動車をはじめとした貿易立国であったものの、これまでの長期トレンドでみれば生産拠点のグローバル化に伴い貿易収支は下降傾向にあり、サービス収支はマイナスの状態が続いている。一方、対外金融債権による利子・配当金である第1次所得収支は安定的に漸増の傾向にある。すると、2050年に向けては、(1)貿易で稼ぐ、(2)海外投資で第1次所得を厚くする、(3)新技術を核にサービス等の運用で稼ぐ、の3つの選択肢があるとすれば、日本のものづくりの強さを基礎におくサービス化、すなわち重心は(2)(3)と考える。
 では、どういった分野への投資やサービスに軸足を置くべきであろうか。かつて私が勤務していた総合商社も貿易から投資へのシフトは鮮明であり、例えば、LNG/アンモニア等のエネルギー転換やデータセンターなどのデジタルインフラ、生活・医療・都市の下流事業への投資がそれである。例えば、分散化が進んだ再生エネルギーを運用で束ねたDXで稼ぐエネルギー・物流インフラ運用サービス、医療コールドチェーンや遠隔Quality Controlを1本化させて品質保証を含むライフサイエンス製造・流通サービス。さらに、半導体の設計IPと量子QaaS = Quantum-as-a-Service(量子計算“サービス提供”)を束ねる先端デジタル知財・計算基盤。そして全体を支えるのが、需要を先に固め投資に与信を与える長期オフテイク等のファイナンス/契約プラットフォームである。
 資本は米国1極ではなくアジア・アフリカ、とりわけ資源以外の分野に向けて、生成AIで手順化と品質監視を標準化すれば、遠隔でも「投資×運用×金融」を輸出できる。要は、ものづくりの強みをサービス化し、継続課金と配当でグローバルに稼ぐ国へ、である。このためにも、学会で提唱されているダイナミック・ケイパビリティ(注)が必須であると考える。

 (注)環境や状況が激しく変化する中で、企業がその変化に対応し、自己の資産・能力や企業内外の資源を再構成して、自己を変革する能力

西尾 素己 日本よ、サイバー空間においては独立国たれ

西尾 素己

多摩大学大学院特任教授

 2010年、米国政府は政府調達におけるサプライチェーン保護を大義名分に、米商務省配下のNIST(national institute of standards and technology)が米国IT企業と共に開発したサイバーセキュリティー基準を、国境を超えて適応すると宣言した。それから15年、わが国を含め世界の各国は米国基準を受け入れざるを得ない状況となり、その要件を満たせる米国製品が飛ぶように売れ、関連銘柄は急成長した。この動きに対し欧州はさまざまな打ち手を講じ、欧州産の基準/製品での同等性担保に乗り出したが、わが国においては政府機関を含め受容した形だ。
 2025年には、能動的サイバー防御に関する法律が制定され、日本政府はサイバー攻撃者に対して、実質的なサイバー攻撃を含む先制的な無害化処置をするとした。しかし、実働部隊である警察、自衛隊にそのような多大なる負担を掛ける判断をするとは思えないし、官民含めてみても能力面からも難しい。法律の文面を眺めていると民間委託が可能になっていることが見て取ることができ、「類似施策で先行する米国企業への委託をすることになるに違いない」と直感した。
 基準も取られ、実務までも取られれば、わが国は、サイバー版の“核の傘”の軍門に下ることとなるだろう。安全保障、産業育成の両面から見ても、われわれはサイバー空間における主権を取り戻し、わが国なりの向き合い方を模索すべきである。2050年には、欧米に「右へならえ」ではない独自基準との同等性担保と、サイバー攻撃への対処能力の獲得のため、国内産業への投資や国外関連企業の誘致を加速させるべきである。

二宮 正士 2050年になっても日本の豊かな食を享受する

二宮 正士

東京大学名誉教授

 インバウンドの評判を待つまでもなく、日本人は豊かで多様かつ高品質な食を享受している。しかし、その背後には40%にも満たないカロリーベース自給率という現実がある。2050年の全世界の食料需要は、グローバルサウス中心の人口増加と所得向上に起因する需要の急増で、2010年比で1.7倍となる。一方、日本では、人口減で食料需要は縮小する。ただ、地政学的リスクや世界の経済成長による需要増を考慮すると、今のままではわが国の食料安全保障は極度に脆弱ぜいじゃくな状況であり続ける。耕地の40%は大規模化が難しい中山間地に位置し、生産性が低くなりがちな環境保全型農業が求められる中、反収たんしゅう(10アール当たり収量)の大幅な向上は期待しにくい。その上、農家数は激減する。
 2050年の日本の大規模農業は専用ロボット化、中山間地小規模農業は汎用はんようヒューマノイドによる栽培支援で農地を最大限有効利用する。その上で、人口減で余剰する空きビルなどを活用する完全ロボット化人工光型植物工場による穀物自給率の大幅向上を行う。植物工場では制御された最適条件による作物生産能力の最大化、通年栽培による超多毛作などで、コムギ反収は現在の60倍(注1)、ダイズは基準成人の年間必要タンパク供給が20m2で栽培可能(注2)という報告もある。垂直農業で10階層化すればそれぞれ600倍、2m2で栽培可能になるという圧倒的な効率化が期待できる。完全閉鎖型の植物工場では農薬は不要で、水の浪費も無く、肥料や温室効果ガスの環境への排出も無い。また気候変動に無縁でフードマイレージも小さいという利点がある。政府が目標とする2050年ゼロカーボンが実現しエネルギー的課題は小さいという仮定は必要だが、日本の豊かな食を守りながら、持続性を担保し自給率の向上をはかる唯一の道に思える。現行の穀物備蓄の代わりに植物工場で通年生産を行う選択肢もある。その実現には大幅な技術革新に加え、超高齢化対策なども含むフードシステム全体の再設計と変革が伴う。

 (注1)Senthold Asseng, Jose R. Guarin, Mahadev Raman, Oscar Monje, Gregory Kiss, Dickson D. Despommier, Forrest M. Meggers, and Paul P. G. Gauthier, "Wheat yield potential in controlled-environment vertical farms," PNAS, vol.117 no. 32, 2020.
 (注2)Isabella Righini, Luuk Graamans, Mark van Hoogdalem, Caterina Carpineti, Selwin Hageraats, Daniel van Munnen, Anne Elings, Rick de Jong, Shuna Wang, Esther Meinen, Cecilia Stanghellini, Silke Hemming, Leo FM Marcelis, "Protein plant factories: production and resource use efficiency of soybean proteins in vertical farming," Journal of the Science of Food and Agriculture, vol.104 issue 10, 2024.

野村 進 ふたつの見えない“帝国主義”を解体せよ

野村 進

ノンフィクションライター

 昭和30年代生まれの“鉄腕アトム世代”なので、子どもの時から未来を夢想するのが大好きだった。
 小学校高学年の頃、現在のカラオケと同様の機械を思いついた。中学時代には、日本語のタイプライターも着想している。両方ともいつのまにか商品化されてしまったが、もし自分自身の手で実現させていたら、私はいまごろ火星旅行に旅立っていたかもしれない。
 2050年には、ぜひとも実用化されていてほしいものがある。それは、多言語かつ高度な同時通訳機だ。ウェブの同時翻訳のレベルアップを見るにつけ、現在進化中の自動文字起こしの技術を掛け合わせれば、2050年までには日の目を見るにちがいない。
 私は、世界中で英語が当たり前のように最優先される現状を、「英語帝国主義」と呼んで批判的に見てきた。ハイレベルな同時通訳機の誕生は、英語帝国主義の崩壊を告げるのではないか。
 もうひとつ、2050年までには人間と他の生物との同時通訳機が開発されていたら、どんなにすばらしいだろうかと夢見ている。
 近所の公園で小鳥たちのさえずりに耳を傾けていると、天敵に関する情報や、食べ物、求愛、縄張りといった話題をやりとりしているらしいとは推測できる。もし各種の“鳥語”との同時通訳機が完成すれば、もっと微妙なニュアンスまでわかり、わくわくするような会話が可能になるはずだ。
 他の動物や虫や魚や、さらには植物たちとも、同時通訳機で語り合ってみたい。かくして“人間帝国主義”が徐々に解体すれば、すべての生き物がもっと暮らしやすい地球になっていくだろう。
 このように考えてみると、私は少年時代からずっとコミュニケーションのあり方にかれてきたのだと、いまさらながら気づかされた。

 識者 は行

橋本 努 世界貨幣の自生的な創造に向けて

橋本 努

北海道大学大学院経済学研究院教授

 拙著『帝国の条件』(弘文堂、2007年)で、私は2つの未来構想を描いた。
 1つは、独裁国よりも民主国に有利な国際関税制度である。関税率の変更をルール化し、独裁国に民主化のインセンティブを与える仕組みである。具体的には、人間開発指標や民主化指標などを用いて、各種指標の総合ランクに応じて、各国の関税率の範囲を絞る仕組みを構想した。
 もう1つは、何らかの機能をもった(フルスペックではない)世界政府を樹立するために、世界貨幣を自生的に創出するプロセスである。世界政府の財源は、最初は、各国通貨に対する微率のトービン税(為替取引税)によって賄うことができよう。しかしこの課税を回避するために、人々はビットコインなどの代替通貨を利用するかもしれない。すると各国の通貨は次第に衰退するだろう。けれども世界政府は、今度は支配的になった代替通貨を「準公的貨幣」に認定し、これにトービン税を課すことができるのではないか。この税を逃れる方法は、世界の人々がこの支配的な代替通貨を共通に用いることである。およそこのようなプロセスを通じて、世界通貨が自生的に生まれるのではないかと考えた。
 むろん貨幣は、重層的で複数存在することが望ましい。それでも世界貨幣が生まれると、私たちは日々の生活で、国際的な公共財の必要性をいっそう理解するようになるだろう。世界市民が存立するための下部構造は、世界貨幣である。私はそのような共通の貨幣が、温室効果ガスの排出量削減に裏打ちされた炭素通貨であってほしいと願っている。気候変動は、世界共通の課題である。この課題にふさわしい仮想通貨を創出することが人類の課題だ。

長谷川 敦士 ビジョンを獲得する社会

長谷川 敦士

株式会社コンセント代表取締役/武蔵野美術大学教授

 1人ひとりに多様な選択が委ねられる社会において、最も重要になるのは「自らのビジョンを獲得すること」である。
 近い未来、テクノロジーやAIの発展によって社会の最適化は自動的に進み、20世紀の産業革命を基盤とした分業社会は緩やかに崩壊していくだろう。分業は人に役割と責任を与える一方で、1人ひとりを社会の歯車にしてしまう側面も持っていた。
 AIが日常の課題解決を担い、最適化を推し進める社会では、従来の「社会で必要とされる能力を獲得するための教育」から、「社会を理解し、主体的に関与するための教育」への転換が求められる。そして何よりも個々人に必要となるのは、自らの生き方のどころとなるビジョンを見いだす力だ。
 このビジョンは、放っておいて自然に得られるものではなく、また無理に作り出せるものでもない。自分が面白いと思えること、意義を感じられることに向けて1歩を踏み出し、試みを重ねることから始まる。その過程で生まれるのが「アブダクション(仮説的なひらめき)」である。直感的な思いつきや小さな試行錯誤の積み重ねが、新しいビジョンを形づくる。
 2050年に向けて社会に求められるのは、このアブダクションを誰もが行えるようにするための基盤づくりだ。人々がそれぞれのビジョンを獲得し、それを持ち寄り、響き合わせることこそが、よりよい未来を築くためのデザインとなる。

早川 真崇 2050年に向け「信頼資本ガバナンス」と「構造知」の実装を

早川 真崇

弁護士法人瓜生・糸賀法律事務所パートナー

 2050年の社会において、AIと共生し、異なる価値観や多様な視点を尊重し、協働しながらグローバルな課題に向き合い、いかに持続可能性を確保するのか。この問いに対し、私が提唱しているのが「構造知」と「信頼資本ガバナンス」である。
 「構造知」とは、課題を制度・文化・心理・情報といった多層の「構造」として捉え、それらの相互作用を理解し、本質的な問いを立てる知性である。これにより、部分的な対応にとどまらず、複雑な課題の根本に迫ることができる。先例やデータだけでは合意形成が難しい複雑な社会課題においても、異なる価値観や利害対立等も背景を踏まえて理解し、人間が果たすべき役割を支える知性となる。
 「信頼資本ガバナンス」とは、その問いに対して課題解決を図る枠組みである。「信頼」を目に見えないが社会の基本となる資本と捉え、説明可能性・一貫性・公正性・実行可能性・透明性の5要素を基盤に、複雑な社会課題の解決策を設計・実装する。信頼は人と人、組織と社会をつなぐ基盤であり、人間だからこそ時間をかけて積み上げ、育て、社会の中で活かしていける資本である。AIの進化や技術革新によって社会が急速に変容するからこそ、信頼を中心に据えることが欠かせない。不確実性が高まり先例やデータだけでは合意形成が困難となる場面、組織に働く目に見えない力や価値観・倫理観の対立、制度のひずみなどに直面する際に、特に有用と考える。
 こうした「構造知」と「信頼資本ガバナンス」を社会に実装することで、持続可能な解を導く道を見いだし、人間とAIが調和し、グローバルな課題に向き合う未来を、次世代とともに着実に築いていきたいと思う。

林 いづみ 生成AIの学習データを通じた情報漏洩(ろうえい)リスクに備える

林 いづみ

桜坂法律事務所弁護士

 日本社会においても、仕事や生活において生成AIの利用が急速に普及しつつある。しかし、その陰で、すでに、米国をはじめとする各国で(日本でも)、生成AIの学習データとして、他人に無断で著作物、肖像や声を使用することに対する訴訟が次々と提訴されている。それだけではなく、生成AIの学習データに営業秘密や個人情報が含まれる場合、AIへ入力したデータは、他のユーザーへの応答生成に使われる可能性があるため、他人(他社)または自己(自社)の情報漏洩のリスクが非常に高まる。特にクラウド型AIでは、入力データがサーバーに保存・学習される危険があるため、プロンプトに機密情報を入力しないことが大原則であるが、さらに、アクセス制御や暗号化、API連携などを活用して情報流出リスクを軽減する必要がある。
 有料の企業向け生成AIサービス契約においては、これらの点をカバーする設計がなされつつあるが、仮に契約上の手当がなされている場合でも、安全な運用にはユーザー側の従業員教育が欠かせない。加えて、AIが出力する回答は事実誤認が含まれていたり、既存の著作物や営業秘密の無断利用(侵害)が起こる場合もあるため、人によるファクトチェック・権利確認体制の構築が必須である。
 今後、わが国において情報保護と生成AI利活用を両立させていくためには、利用ツールごとに、組織的なガイドライン整備(管理基準や公開・非公開ルールを策定し、個人情報・技術情報・営業秘密の利用について明確に制限すること)と継続的な監督・改善が重要であることを、広く周知する必要がある。

林 幸秀 科学技術大国・米中両国と適切な科学技術関係を構築すべき

林 幸秀

公益財団法人ライフサイエンス振興財団理事長/国際科学技術アナリスト

 2050年の世界の科学技術情勢は、米中両国が突出している現在の状況が変わらないであろう。米国は、圧倒的な経済力、安全保障への確固たる考え方、優れた人材獲得・活用システム、科学技術基盤の巨大な蓄積を背景とし、今後とも科学技術の優位性は揺るがない。中国は、21世紀に入っての爆発的な経済発展こそ期待できないが、それでも経済規模の大きさ、製造業やITの国際競争力、人材の多さなどで米国に続くであろう。欧州主要国は、EUをベースに米中と対峙たいじしようとしているが、ロシアとの関係などから米中ほどの力量は想定できない。
 日本は、経済規模の相対的低下、緊縮財政の常態化、少子高齢化などを考えると、単独で米中欧に科学技術面で対峙するのは困難である。経済や安全保障面での距離感を勘案し、米中両大国と科学技術協力を進めていくべきと考える。日本の安全保障や経済発展が米国と切り離して成立するとは当面考えられないので、米国との協力は今後とも極めて重要である。しかし、トランプ政権のような自国第1主義的な政策が今後ともありうると考えると、近年の経済安全保障を最優先とし中国との協力を断念するとの考えは、日本の科学技術の発展を大きく阻害する可能性があることに留意すべきである。すでに中国が米国とともに世界の科学技術をけん引していることを率直に認め、体制の違いを念頭に緊張感をもって対峙しつつ、協力を強化していく必要がある。日本は、有史以来2000年近くにわたり中国と交流しており、先人たちの苦労、失敗、努力、知恵などを十分に活かすべきである。

原田 悦子 「いつまでも働き続けられる」ための社会、コミュニティーの夢

原田 悦子

筑波大学名誉教授/(株)イデアラボ・リサーチディレクタ

 超高齢社会の中、「誰もがいつまでも主体的に」働ける社会を目指すプロジェクトに取り組んでいる(SIP3ポスコロ(注))。当初は情報基盤技術(あるいはsociety 5.0)でいかに実現するかとの研究課題だったが、「誰もがいつまでも働ける」ことの実現は技術やシステムだけでは不可能と気づき、「働く」とは何なのかずっと考えている。
 あらためて認知科学すなわち「人の頭の中」のとらえ方から考えると、「働く」は必ず社会を前提とする。就労は社会学での交換に基づき、交換には相手が存在するためである。このため(1人で作業していても)「働く」限りは「社会との相互作用」があり、働く機会が奪われると「社会から断絶されたと感じる」。現代社会での主たる「働く」イメージは、時間と経済的報酬の交換である会社等との契約に基づくことから、人が「いつまでも」働くことは随分と難しく感じられる。しかし例えば農業などでは、年齢や心身の状態に応じて「その時できる仕事」をしながら「いつまでも働ける」のはなぜか?そうした活動を他の産業領域で実現することはできないのか?
 いくつか「高齢者が働き続ける」現場を見せていただくうちに、共に働く人々のコミュニティーがあり、そこで生み出される価値を市場経済での交換に供する媒介者がいるという二重構造という枠組みが見えてきた(例:労働者協働組合)。そこに契約に縛られないコミュニティーがあるからこそ人は自分に合った形で働き続けられる。同時にそこで主体的な就労Happy Workingを可能とするために、「いわゆるゲマインシャフト的ではない」コミュニティー創出が必要なのではないか。2050年そんな夢が実現していることを期待したい。

 (注)戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第3期ポストコロナ時代の学び方・働き方を実現するプラットフォームの構築「誰もがいつまでもhappy work可能なバーチャル空間構築

平井 伸治 生成AI版「首の仕替え」は御法度~子どもを守る~

平井 伸治

鳥取県知事

 上方落語「首の仕替しかえ」のはなし。女にモテたい男が横丁の先生に頼み、お気に入りの顔に替えてもらう。先生から手術代を請求された男は、「代金は前の首からもろとくなはれ」。
 時は現代。いまや生成AIアプリ等で、写真から顔入れ替えや脱衣等を施し「性的ディープフェイク」が生成できる。このため、子どもの画像を加工し本人の顔で性的画像が作られ、SNS等で拡散する事態が社会問題化している。卒業アルバムを悪用する例も。思い出の写真から性的画像を作られた子どもに、一生癒やせない傷を負わせかねない。子どもが作成側に回る危険も。
 児童ポルノ法は実在する児童を保護しており、このような行為も当然取り締まり対象と考えられるが、実際には「表現の自由」との抗弁を恐れてか摘発が進んでいない。米英韓など規制にかじを切っているのに、日本は「及び腰」。これでは子どもが犠牲になるばかりだ。
 子どもを被害者にも加害者にもさせない。
 そう決意を固めて、鳥取県青少年健全育成条例の改正へ乗り出した。今年(2025年)2月と6月、議会に相次いで改正案を上程し、鳥取県独自に、生成AIで県内青少年の容貌を加工して作成した画像であっても、容貌の忠実な描写と認識できる性的姿態なら児童ポルノに該当するとし、その作成・製造を禁止し、違反行為に行政罰や廃棄命令等を課すこととした。さらに、相談窓口を設け、学校、警察、行政等で協力し、問題発生時に速やかにプロバイダーへの削除要請等各種対策を講ずる。
 対応が遅れる政府も、8月のワーキングでネット利用を巡る青少年保護方針をまとめたが、子どもを守るため実効性ある法的措置を速やかに講じるべきだ。
 鳥取県では、AIによる児童の性的「首の仕替え」は御法度だ。

平島 健司 政党政治の成熟

平島 健司

東京大学名誉教授

 衆院第1党の自民党総裁が交代し、しくも四半世紀を超えて連立政権を支えてきた公明党が連立からの離脱を決定した。本格化する多党制の下で政治の混迷と政策の停滞が危惧されている。しかし、過去25年間を振り返れば、小泉「構造改革」に続いて野党民主党による政権交代が実現されたし、大震災からの復興支援や近くは新型コロナ危機への対応も試みられた。これらは確かに多くの課題を積み残したとはいえ、日本の政党政治が何の成果ももたらさなかったとは言えないだろう。
 これからの25年間、どのような形の政権が構成されようとも、政党政治が過去の経験から積極的な教訓を引き出し、社会や経済の新たな課題の解決に向けた試みを粘り強く続けることが期待される。当面の危機対応にあっても、少子高齢化や気候変動などの長期的な諸問題への取り組みを忘れず、大衆迎合的な主張をいさめ、財政の持続可能性を前提にした政策を競わせる。さらに、行政の適切な情報公開などを通じ、SNSにも客観的事実に基づき科学的検証を踏まえた議論を広め、政治への健全な関心を有権者の間に喚起する。こうした実践を重ねて国際的協調を回復する起点となり、法の支配や基本的人権の擁護など、民主主義の基本的な価値の再認を対外的にも広める、そういう政治が営まれる日本であってほしいと思う。

福島 弘明 iPS細胞を活用した再生医療と創薬

福島 弘明

株式会社ケイファーマ代表取締役社長(CEO)

 「既存の治療では治せない患者を治すための治療法の確立は、医学の使命であり、治せない患者がいなくなるまで、その営みに終わりはない」(注)。医学の最も根底には、社会への貢献の精神があり、それは2050年も変わることはない。有効な治療を受けたいと思うのは、患者や家族の大きな希望であり、人類の切なる願いである。
 2050年、最先端医療への取り組みは、さらに加速し、生体機能の回復治療である再生医療、特にiPS細胞から作製した特定の細胞、また人工的に製造した臓器、等の移植が一般治療として行われている。細胞移植によって、心臓の機能が回復し散歩ができる、視力がよみがえり会話の相手が見える、脊髄損傷患者が自身で歩けるようになる、また臓器移植によって腎透析を必要としない生活ができる、等々、再生医療の実用化が鮮明になっている。われわれは脊髄損傷や脳梗塞等、脳神経領域の再生医療をグローバルに展開している。2050年、再生医療の世界市場は38兆円規模と予測される。日本が世界の再生医療をけん引している。
 2050年、iPS細胞を活用した創薬(iPS創薬)で発見した筋萎縮性側索硬化症(ALS)治療薬を世界中のALS患者が服用している。症状進行を抑制し、有効な延命効果を示す。もはやALSは難病ではない状況になっている。iPS創薬を踏まえ、前頭側頭型認知症やハンチントン病等、神経難病に有効な治療薬が提供されている。iPS創薬は、これまで治療法がなかった疾患の治療薬を生み出し、アンメットメディカルニーズを満たす役割を担う。2050年、新たな治療法の確立は止まることはない。

 (注)塚崎朝子(2013)『iPS細胞はいつ患者に届くのか―再生医療のフロンティア』岩波科学ライブラリー218

藤垣 裕子 日本発コンセプトの発信とアジェンダ形成リーダーシップ

藤垣 裕子

東京大学大学院総合文化研究科教授

 2050年の日本に期待する力は、「アジェンダ形成リーダーシップ」あるいはコンセプト生成によって世界をリードする力である。日本にはそのような潜在的能力がある、と私が考える根拠を以下に示す。
 1960年代に富山県で多くの患者がでたイタイイタイ病について、1968年に発表された厚生省(当時)見解「イタイイタイ病に関する厚生省の見解とその付属資料」は、同病をカドミウム慢性中毒とし、その発生源を神通川上流の三井金属鉱業神岡工業所から排出されたものとした。見解の執筆者として厚生省公害課初代課長の橋本は、「科学的不確かさは半分近く残っているが、すべてが明確になる見込みはまずないので、それを待ってから行政としての判断と対応をするのでは、水俣みなまた病を二度繰り返すようなとりかえしのつかない大失敗をくりかえすおそれがある。したがって、最善の科学的知見にもとづいて行政としての判断を今後の対応を宣言したものであり、科学的究明は今後も積極的につづけなければならない」と後に自ら評価している。
 この考え方はまぎれもなく「事前警戒原則」の考え方であり、1992年のリオ宣言(リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議」における宣言)と同じである。同宣言第15原則には、「人の健康や環境に深刻かつ不可逆的な影響を及ぼすおそれがある場合、科学的に因果関係が十分に証明されていないということが、対策を延期する理由として使われてはならない」ということが書かれている。つまり、1992年のリオ宣言よりも24年も前に、日本では事前警戒原則の考え方が取られていたのである。
 日本からのコンセプトの世界への発信が活発になされ、アジェンダ形成リーダーシップを発揮する。それが実現されていることが、私の2050年の夢である。

藤原 佳典 持続可能な多世代共創コミュニティーの実現に向けて

藤原 佳典

東京都健康長寿医療センター研究所副所長

 少子高齢化・人口減少が進行するわが国では2050年に向けて限られた人的資源やテクノロジーをいかにして有効に活用できるかが社会の存続にかかわる。
 その心理学的理論基盤に次世代継承への行動・意志を示す「ジェネラティビティ(generativity)」(Erikson, E. H, 1950)がある。高齢者にとって次世代継承とは、職域における経験、技術であったり、地域コミュニティーにおける祭り・風習といった文化や自然環境の保全など人それぞれである。筆者らの大規模追跡調査から「ジェネラティビティ」の活発な高齢者ほど、その後の生活機能が維持されやすいことが分かった。
 一方、筆者らの実践研究から、多世代交流は若い世代にとっても恩恵があることも分かった。例えば、地域・学校では高齢者ボランティアが子どもたちへ絵本の読み聞かせを用いた伝承活動を継続することで、子どもの情操教育や保護者世代の地域への信頼感の醸成に寄与することが示された。また、職域においても深刻な人材難に窮する介護現場では無資格の高齢者が介護助手としてパート勤務し、準備、整理整頓といった周辺業務を担うだけで現役介護職員の心身の負担を軽減することを証明した。
 さらには、高齢者と関わり、助けてもらった経験のある若い世代が、今度は高齢者を助けるようになる。逆に、若い世代を助けてきた高齢者ほど、いざ自分に助けが必要になった際には、スマートに援助を受ける側に回れる、いわば「恩返しの連鎖」が期待できる。
 このような風景には、昭和のノスタルジーの感があるが、自然発生的には再現できるものではない。多世代がつながり「恩返しの連鎖」が創生するような仕掛けや仕組みづくりにこそ、アナログの関係づくりに加えてテクノロジーも活用したハイブリッド型コミュニティーが求められよう。

古田 大輔 偽情報時代の混乱を越えて築くデジタル民主主義

古田 大輔

ジャーナリスト/日本ファクトチェックセンター編集長

 20世紀前半、人類は2度の大戦を経験し、破壊と混乱ののちに平和と民主主義の拡大を手にした。戦後の数十年は、歴史的に見れば、相対的に国際協調と安定の時代で、日本も経済成長とともに民主的制度を根づかせてきた。
 だが、21世紀に入り、権威主義の台頭や分断の深まりによって、私たちは「民主主義の後退」を目にしている。背景の1つには、インターネットによる情報環境の激変がある。かつて権力や大手メディアが握っていた情報の独占は崩れ、誰もが発信できる社会が生まれた。自由で多様な声が広がる一方で、偽・誤情報や排他的な言論が氾濫し、民主主義の根幹である事実の共有すら難しくなっている。
 日々、ネットで拡大する毒性の強い情報に絶望的な気持ちすら抱くが、人類は危機のたびに新しい秩序を模索してきた。今こそ、データやテクノロジー、そしてAIを賢く活用し、健全な情報空間を築き直すときだ。AIはディープフェイクを際限なく広げる脅威にもなる一方で、誤情報を検知し、事実を裏付け、公共の議論を支える新たな力となり得る。そして、市民社会もまた、情報を批判的に読み解きつつ、互いの違いを尊重する力を育んでいく必要がある。
 2050年の日本と世界に望むのは、民主主義を再定義することだ。単なる制度としての民主主義ではなく、多様な声の収集や分析を技術的に可能にし、一部の政治家や権力者だけでなく、より多くの市民の政治的参加によって合意を形成していく新たな民主主義だ。過去の戦争から平和を築き上げたように、私たちは情報生態系の混乱の中から秩序を再構築し、より強靭きょうじんで開かれたデジタル時代の民主主義を創造できるはずだ。そこにこそ、希望がある。

 識者 ま行

待鳥 聡史 AI革命の先にある「無用の用」としての政治

待鳥 聡史

京都大学大学院法学研究科教授

 将来を見通す作業は容易ではない。しかし幸いなことに、2025年を生きる私たちには、25年後に決定的な影響を及ぼすであろうという「手応え」を与える変化を目撃し、体験している。人工知能(AI)の急速な発展である。
 AIの出現によって、科学研究は既に革命的変化を経験しつつある。先行業績の把握や外国語での執筆など、従来の研究活動の基礎とされていたものは、もはやAIを使えば済むと言い切れる直前まで来ている。
 従来は人手を多く要していた物流や医療なども、今後25年の間にはAI技術を応用した自動化が進むに違いない。同じような動きとその効果は、経済全般に広がるはずだ。
 政治にも、この変化の波はますます強く及んでいくであろう。AIによる政策立案や政策評価は当たり前になり、それに影響を及ぼそうとする悪意との戦いは、絶えるどころかますます激しくなると予想される。
 だが、ほんとうの政治の出番はそこからかもしれない。人間同士が考え、議論して行う判断の余地を残しておくことで、私たち自身が決めたことであるがゆえに、私たち自身が責任を負うという、民主主義の根幹が守られるからである。AIを武器にしつつ、その回答を超える議論ができる政治家が、新しい時代の論客になるかもしれない。
 それは「無用の用」だが、公共的な判断は自由人が自由意思で行うべきだというのは、古代ギリシャからの理想であった。自由民主主義体制とは無駄が必要な体制であることが共通了解になるならば、AI革命後の世界は明るいはずである。

松岡 亮二 データで教育格差と向き合う日本社会に

松岡 亮二

龍谷大学社会学部准教授

 子ども本人に選択できない初期条件(「生まれ」)によって学力や学歴といった教育の結果に差がある傾向を「教育格差」(注)と呼ぶ。主な「生まれ」の1つは、保護者の職業、世帯所得、学歴といった社会・経済・文化的な有利不利を統合した概念である出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status=SES)である。
 例えば、出身家庭のSESによる学力や最終学歴による格差は、2000年代以降だけではなく戦後に育ったすべての世代において存在してきた。このSESと学力の関連の強さは他の先進諸国の平均程度にすぎない。また、2012年と2022年を比較すると格差の大きさは変わっていない。日本は「凡庸な教育格差社会」であり続けている。
 このような傾向を個人が実感するのはなかなか難しい。あくまで社会全体を俯瞰ふかんすると見られる現象であって、自分や身近な人々に必ずしも当てはまるわけではない。教育格差が縮小したかどうかは、個人のエピソードをいくらかき集めても実証できないのである。あくまでも社会全体を対象とした定期的な調査データで、「生まれ」と教育の結果の関連に変化があったのかを確認する必要がある。私たちにできることは、こういった指標を経済成長率や失業率のように扱い、常に政策課題の中心に据え置くことだ。
 政治や行政を含め多くの人にとって不都合で不愉快な指標かもしれない。しかし、かなり意図的な政策介入をしなければ、「生まれ」によって多くの子どもの人生の選択肢が実質的に制限されている実態は変わりそうもない。2050年までには、データから目を背けない日本社会を築いていけるよう、一研究者として力を尽くすつもりである。皆さまのご理解とご協力をお願いしたい。

 (注)松岡亮二(2019)『教育格差:階層・地域・学歴』ちくま新書

松里 公孝 トランスナショナリズムはこのまま後退し、新国家主義の時代が来るか

松里 公孝

上海外国語大学特聘教授

 1971年、ロバート・コヘインとジョセフ・ナイは、論文集『トランスナショナル関係と世界政治』を出版して、世界政治においてトランスナショナルな非国家主体(多国籍企業、国際的な社会運動、宗教組織)の活動が活発化し、国家の役割が相対的に下がっていることを指摘した。21世紀が始まったとき、この世紀はトランスナショナリズムの世紀になると多くの者が予想した。ところが、多国籍企業が先進国の産業を空洞化させ、一部の地域・階層に破局的な影響を与えていることは、米副大統領J. D. ヴァンスが『ヒルビリー・エレジー』(邦訳:光文社、2017年)で描いたとおりである。トランプ政権は、関税という古色蒼然そうぜんたる方法で、国家の経済主権を回復しようとしている。
 ロシアではロシア正教会が、トルコでは宗務局(ディヤネト)が、政府・外務省の政策には拘束されない二重外交を展開してきた。しかし、現在の露ウ戦争においては、モスクワ総主教が将兵を鼓舞し、2016年クーデター未遂事件以後のトルコでは、エルドアンのイエスマンがディヤネト議長になった。私たちは、国家がトランスナショナル主体に逆襲する時代に生きているのである。
 しかし、この逆襲は長くは続くまい。生産拠点をアメリカ国内に呼び戻しても、インドや中国並みのコストで半導体を生産するのは無理だろうし、教会が国家の宣伝機関になれば、信者は結局離れていく。2050年までには、国家が自分の力の限界を自覚し、トランスナショナル主体と協定を結び、役割上の棲み分けをするようになるだろう。なお、国際的な緊張から近年の国家の逆襲が始まったとも言えるので、緊張緩和はトランスナショナリズムの復権にとって不可欠の条件である。

松原 実穂子 ウクライナの教訓から学ぶ日本の台湾有事への備え

松原 実穂子

NTT株式会社チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト

 日本が2050年になっても平和を享受し、アジアで有事が発生しないことを切に願う。バーンズ米中央情報局長官(当時)によると、中国の習近平国家主席が人民解放軍に対し、2027年までに台湾に侵攻する用意をするよう命じたという。
 台湾有事は日本有事と安倍晋三元首相は喝破した。米シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」の調査では、2022年に日本の輸入の32%、輸出の25%が台湾海峡を通過している。軍事侵攻になれば、台湾近傍の先島諸島が戦闘地域になり、日本の物流に大打撃が及ぶ恐れがある。また台湾が中国に併合されれば、中国の軍事脅威が日本に向かって前進する。
 2022年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻で危機感を抱いた日本政府は、同年12月に安保三文書を策定、2027年に向けて日本の国防力強化を促進してきた。日本の安全保障を脅かしかねないサイバー攻撃に国家として取り組むため、2025年5月に能動的サイバー防御関連法を成立させたのも、この国防力強化策の一環である。
 まだ手付かずなのが、国家としての重要インフラの戦時下における事業継続計画策定だ。大国ロシアの軍事侵攻から3年半以上ウクライナが持ちこたえられているのは、電力・エネルギーや通信、金融、運輸などの重要インフラ企業がサービス提供を続け、国民の命と経済を支えているからだ。
 日本の国家防衛戦略では、「重要インフラに対する攻撃に際しては実効的な対処」を行うと定めているものの、官民が協力して防護策や事業継続計画を国家レベルで見直すまでに至っていない。有事になる前に今こそ日本はウクライナから国防とレジリエンスの教訓を学び、包括的な国防力強化に着手すべきだ。

松本 紹圭 2050年:「間違う豊かさ」を知る社会へ

松本 紹圭

僧侶

 現代世界は、かつてなくつながりながら、深く分断されています。この矛盾の根源は、共通項の欠如ではなく、過剰な「正しさ」にあるのではないでしょうか。個人も、組織も、国家も、繋がりながらも自らの視点に固執し、互いの声が届かない無数の壁を築いています。
 私が夢見る2050年の社会は、この膠着こうちゃくを、新たなテクノロジーや正義で乗り越えるのではなく、むしろ「間違う豊かさ」の中に、人間が古来持つ叡智えいちを再発見した未来です。
 ここでいう「間違う」とは、単に誤ることではありません。自らの視点が決して世界のすべてではないと知る、謙虚で勇気ある自覚。それは、かつて親鸞が自らを「凡夫」と呼んだように、私たちの不完全さや限界は、克服すべき欠陥ではなく、他者から学び、世界と繋がり続けることを可能にする根源的な条件であることを受け入れることです。これこそ、これから必要とされる「ヒューマン・リテラシー」ではないでしょうか。
 この謙虚さは、私たちの社会のOSを書き換えます。例えば、人間のAIとの向き合い方も根本的に変わるでしょう。私たちはAIに、自らの視点を強化するフィルターバブルを生み出してしまう予定調和的なリアクションを求めるのではなく、自己を省みる「鏡」として使います。AIに「私はどのように間違っている可能性があるか」と問いかけるのです。
 自らの確信を疑う実践が、深い対話と協力を生み出します。そのとき私たちは初めて、他者と、他の生命と、そして未来の世代と、真に「ともにある」ことができる。それは、遠い理想ではありません。昨日の正しさを手放し、日々新たに出会い直す。そのささやかな実践の先に、未来は開かれています。

眞鍋 淳 Well-being Society先進国としての日本

眞鍋 淳

第一三共株式会社代表取締役会長

 2050年を展望し、私が強く願うのは「Well-being Society」の実現です。
 世界人口が100億人に達し、医療の進歩によって高齢者を含む多様な人々が社会の担い手として活躍する時代が到来します。特に少子高齢化の最先端を進む日本において、人々が心身の健康を保ちつつ自らの役割を果たし続ける姿は、人類共通の課題を先駆けて克服するロールモデルとして、世界に希望を示すことになるでしょう。
 その日本の未来を支える原動力は、高度の教育のもと継続的に生み出されるイノベーションです。近い将来、最先端技術やAI・ビッグデータの活用により、1人ひとりに最適化されたヘルスケアサービス(HaaS: Healthcare as a Service)が実現します。その一環として2050年には、医療は「治す」から「未然に防ぐ」段階へと飛躍します。命を授かり、全うするまでの”Whole Life Journey”において各個人に対する最適の”Life Care Solution”が提供されます。
 革新は心にも及びます。脳とAIが接続され、感情や思考を共有できるようになれば、相互理解は飛躍的に深まります。誤解や分断は減少し、争いの芽は小さなうちに解消されるでしょう。科学技術が人類の心を調和させ、共感を広げることで、持続的な平和が築かれるのです。
 2050年の日本が「幸福な生き方」を追求する「Well-being Society」先進国として、病の悩みが限りなく減少し、心豊かで争いのない、愛に満ちた世界を切りひらく姿は、人類の希望となり、世界を平和でより良い方向へと導くに違いありません。私はその実現を願っています。

三日月 大造 2050年、三方よしで紡ぐ地球の未来

三日月 大造

滋賀県知事

 2050年、私たちは、気候変動、国内の人口減少、技術の革新など、自然、社会、経済が想像を超えて変容する、経験のない未来を歩む。変わる世界と日本の未来に向き合うとき、リアルを生きる私たちの行動や考えの源、原点をどこにおくかが肝要だと考えている。
 特にいま、世界では自国優先、過度な排他的主張が際立っている。今こそ私たちは、G7、G8のみならず、グローバルサウスの国々はじめ、あらゆる国々・地域を含めて、時間がかかっても議論し、連帯していくことが重要だ。ここで世界に通じる近江商人の「三方よし」の精神を生み、中庸を重んじてきた日本と私たちが果たす役割は大きいと考える。
 私自身、生きるもの全ては、命の源である地球が営む自然の一部であると強く意識し、例えば伝教大師最澄の「忘己利他」、雨森芳洲先生の「誠信の交わり」、「三方よし」の哲学のように、人と社会の幸せを願う先人の教えを行動の原点におくことが、「持続可能な未来」への道標みちしるべにもなると伝えたい。
 また、モノやカネ、自分だけでない「豊かさ」と、1人ひとりの「幸せ」を希求し、対話、共感、協働で未来を創ることを現場で実践し、日本、世界へ伝えたい。そして、全ての生老病死に寄り添い、平和と人権、多様性を尊び、水、食、エネルギー、経済が循環する社会を手繰り寄せる、よき祖先でありたい。
 2050年、私たちの志(パーパス)である、「琵琶湖(水と生態系)とくらしを守る、三方よしで笑顔をひろげる、豊かな未来をともにつくる」が、世界の共通言語の1つになっている夢を見ている。

三神 万里子 成熟社会の開発者、日本

三神 万里子

ジャーナリスト

 2050年、世界は人口縮小に転じる。四半世紀早くからその経験を重ねる日本は、質的成長と安定を両立するビジネスモデルとガバナンスを構築し、成熟社会の開発者的な立ち位置になる。限られた資源と人口下で、制度・技術・資源・信頼を精密に組み直す社会運営知はソリューションとして追随する他国に輸出し、日本は静かに文化・哲学的な影響を世界に巡らせる。
 思考の基礎を支える科学、現実解に落とし込む技術、そして安全を支え歴史や文化を築く実働者の貢献度は測定可能になり、正当な報酬を配分する公正なシステムが整う。量的露出や強権による富の偏重は是正される。自然と共存するエコシステムを持つ都市では疑似家族的な信頼と共通の文化資本で集まるコミュニティーが無数に形成され、大家族のように子どもたちを育てる。2020年代には女性の多くが「理想は2人だが経済的に困難」と回答したが、2030年前には望む出生数が可能になり、2050年に日本の人口は、総数で縮小はしても再生可能な人口構造に辛くも健全化している。
 日本史上最後の厚みを持つ団塊ジュニア層は70代後半に突入するが、労働市場から棄民のように排除された前半生と同じ扱いは許されない。エイジフリー的復権が社会的に整い、第2の知的競争期を経て彼らの冷ややかな洞察力はさらに熟成、政治や社会の軽薄化にくぎを刺す制御弁のようになるだろう。
 調律的な文明発信源としての日本。縮小への恐怖から世界は混沌こんとんと無秩序に暴走しうるが、そこに道筋を与える原型が2050年には完成されていることを願う。

峯村 健司 2050年:AIが世界にもたらすリスクと希望

峯村 健司

キヤノングローバル戦略研究所上席研究員/北海道大学公共政策大学院客員教授

 人工知能(AI)が人間の知能を上回り、自律的に進化を始める「シンギュラリティー(技術的特異点)」。多くの研究者が2030年代から2045年頃に到達すると予測している。筆者が懸念していることは、安全保障面での影響である。ロシアによるウクライナ侵攻で明らかになったように、戦争の趨勢すうせいを決めるのはAIを使ったドローンなどの無人機だ。中国人民解放軍は早くからその可能性に目を付け、無人機開発のほか、軍の司令部機能にも導入を進めている。
 「戦場のシンギュラリティー」が到来すると戦争のやり方は大きく変わるだろう。高度な自律型ドローンやAI戦略システムにより、攻撃や報復の判断が高速化・自動化すれば、人間の抑制が利きにくくなり、紛争のエスカレートにつながる。AI兵器は人的被害を伴わない分、政治的コストが低いため、開戦を躊躇ちゅうちょするハードルも下がる。短期的には、AIの軍事利用が各国間の緊張を高め不安定化を招くリスクが顕在化するだろう。
 一方、こうした懸念は急速に国際社会で高まっており、各国の協調の機運が出ている。
 2023年に英国で開かれた「AIサミット」では、米国や中国を含む主要国が初めてAI安全に関する国際宣言に署名し、AIリスクに対処するための協力ネットワークづくりで合意した。人間の知能を大きく上回る「スーパーインテリジェンス(超知能)」の開発禁止を求める米非営利団体が呼びかけた書簡には、第1次トランプ米政権で首席戦略官を務めたスティーブ・バノン氏や英国のヘンリー王子の妻メーガン妃らが署名した。これには、インターネット検索大手の百度(バイドゥ)元総裁の張亜勤氏ら中国人研究者も数人加わっている。
 対立を深めている米中間でも、AIの制御に対する共通認識はわずかに出始めている。2050年の世界では、AIの暴走を防ぐために、これまで対立していた国家同士がかつてない連携を深めるのではないか。人類の良心と英知を信じたい。

宮永 博史 素人発想・玄人実行で日本にイノベーションを、世界に平和を

宮永 博史

東京理科大学名誉教授

 カーネギーメロン大学ロボット研究所長を長らく務められた金出武雄先生に『素人のように考え、玄人として実行する』(PHP研究所、2003年)という著書がある。イノベーションを妨げるのは「玄人発想」だ。いい発想ほど専門家はできない理由を掲げてつぶしてしまう。もちろん素人発想だけでイノベーションは実現できない。実現するには「玄人実行」も必要だ。
 神戸大学で教鞭きょうべんをとられた吉原英樹先生に『「バカな」と「なるほど」』(PHP研究所、2014年復刊)という著書がある。ヤマト運輸の小倉昌男さんが構想した「宅急便」は業界の常識ではあり得ない「そんなバカな」サービスだった。しかし小倉さんは綿密な調査研究と熟考の末、宅急便が事業として成り立つ「なるほど」と言える仕組みを考え、宅急便が日常となる世界を実現した。
 高度経済成長期の日本は、追いつき追い越せで、一時は世界のトップに立ち、Japan as No.1と称賛された時代もあった。平家物語ではないが永遠にトップでいることは難しい。競争力が落ちたと言われて久しい日本において、今まさにイノベーションが求められている。その第1歩こそ、「素人発想」であり「そんなばかな」と思われる製品やサービスを構想し、「玄人実行」で「なるほど」という仕組みで実現する力だ。
 この考えをビジネスの世界だけに閉じ込めておくのはもったいない。日本は戦後80年、平和な時代を生きてきた。世界から戦争をなくそうというのは、どうみても「素人発想」だろう。しかし、その「素人発想」がなければ平和な世界は永遠に訪れない。2050年の実現は難しいかもしれないが、それでも世界の平和を本気で信じる日本でありたい。

宮永 径 設備投資リバイバルの時代へ

宮永 径

日本政策投資銀行執行役員設備投資研究所副所長

 2050年の世界は、企業が新たな投資を競う時代となろう。戦後の日本経済は、40年にわたり物理的な設備投資によって復興・成長したが、バブル後の30年間は設備過剰の整理に追われた。設備投資により構築した資本ストックのGDP対比である資本係数は、2000年頃に始まる低下基調を現在も脱しきれていない。設備投資に古いイメージを持つ人もいるが、近年議論される競争強化策の多くは、広く設備投資/資本形成(capital formation)に包含される。
 まず、経済の高度化、サービス化が進む中で、古くから暖簾(のれん)と呼ばれてきた顧客基盤やブランド価値に加え、ソフトウエアや研究開発、知的財産、今後GDP統計に加えられるデータベース構築などの無形資産への投資が設備投資に占める割合が高まっている。非財務情報であるESGへの取り組みを含め、今後も無形資産への投資は拡大するだろう。
 また、人口減少は、労働者1人あたりの資本ストックである資本装備率、ひいては労働生産性を高める一方、既存の資本ストックは、先行整備された有形資産を中心に陳腐化が進み、社会インフラと同様に更新投資が欠かせない。さらに、人口以上に労働力が減少する局面は続き、省力化のための有形資産投資が欠かせない。
 無形資産投資においては、適切なリターンを得るための戦略的かつ専門的な取り組みが一層重要となっており、物量の印象が強い「設備投資」で測ることのアナクロ感はあるかもしれない。しかし、国内外との競争においては、有形資産であれ無形資産であれ、依然として投資規模が重要となってくる。将来、大国でなくなった日本が存在感を発揮しているなら、必ずや設備投資リバイバルによって国内事業が輝きを増しているに違いない。

三輪 卓己 多様なゴール、自由なプロセスのキャリアを実現する

三輪 卓己

桃山学院大学経営学部教授

 2050年には、私たちのキャリアは長期化し、50年に及ぶことも珍しくなくなるだろう。そしてその長いキャリアは、変化と不確実性に富んだものになると思われる。
 人口の高齢化や、IT、AI等の発展がその背景にあるのだが、これからの社会では、仕事の価値や需要が急速に変化し、それによって報酬が大きく変わる人や、場合によっては仕事を失う人も出てくるだろう。そしてその不確実性による将来への悲観や絶望は、昨今憂慮されている社会の分断にも深く関わるものと思われる。
 不確実な環境で長く働くには、キャリアのイメージを刷新し、もっと自由なキャリアを実現することが必要になる。キャリアのゴールは、いわゆる成功や昇進だけでなく、もっと多様な形で捉えられるべきだろう。
 またキャリアのプロセスももっと自由であるべきだ。成熟産業から成長産業へと労働力が移動し、そこでのやり直しや再挑戦が当たり前のことになれば、将来を悲観する人は減少するだろう。そしてそのための新しい学びがいつでも始められ、その成果を試す機会が積極的に与えられる必要がある。中高年の学生がいることが当たり前となり、育児や介護をしている人が自宅で学べる機会が充実する社会が求められる。
 キャリアのゴールの多様化は、特に成功に縛られてきた男性にとって重要なことであるし、やり直しができるキャリアのプロセスは、特にキャリアの中断を経験しやすい女性にとって重要になると思われる。特定の成功のモデルやルートに縛られないキャリア、やり直しがきくキャリアが実現すれば、働く人々に希望が与えられ、社会の分断が避けられるものと思われる。

村井 良太 歴史をめぐる東アジアの夢、世界の夢

村井 良太

駒澤大学法学部教授

 歴史は世代を超えた和解の手掛かりとなるのか、それとも国家による分断の道具でしかないのか。2050年の夢として東アジア地域での平和の夢、歴史認識共有の夢を語りたい。第2次世界大戦終結80年、日本にとっては先の大戦での敗戦80年を機に、原彬久『戦後日本を問いなおす』(筑摩書房、2020年)を再読した。同書は戦後75年、先のトランプ政権下に出された。
 特に興味深いのは、「9条的日本」が「9条的世界」の創出を主導できなかったことで、「安保条約的日本」にますます依存していったという指摘である。「9条的日本」は占領下で国際社会、特に米国に再び敵せず侵略性を除去する仕組みであったが、地域の戦争被害国の強い願いでもあり、敗戦国民にとってもそう生きられるなら素晴らしいという夢でもあった。しかし世界は大戦を経ても戦争を放棄せず、冷戦が始まると「安保条約的日本」によって日本の安全と日本からの安全を図ることになった。希望は「9条的日本」が「9条的世界」に広がることであったが、自らを修めることで世界が変わるという修身斉家治国平天下的世界ではなかった。
 そこで歴史認識である。日本政府は1995年、戦後50年を機に村山富市首相談話を発し、過去の植民地支配と侵略を謝罪した。国会決議は争いとなり、閣議決定したものである。敗戦国民にとって戦争の総括は苦しい。それをおこなった。
 いまだに戦勝国を自認するのであれば、その国の矜恃きょうじと責任はいずこに。国境を越えた一方的な軍事作戦は支持できるのか。かつて世紀転換期には、国民ごとの歴史はあっても未来に向けた歴史共有への希望や取り組みがあったように思う。今は見えない。しかし村山談話的世界をまず地域からと思う。

室田 昌子 2050年の住まい方

室田 昌子

東京都市大学名誉教授/横浜市立大学客員教授

 住まい方は、働き方・仕事場、家族関係、出生地、価値観、政策、地域の環境、移動手段、テクノロジー、教育や健康などの多くの要因によって決定づけられる。2050年の住まい方を考えると、要因の多くが大きく変化していると想定される。
 まず、エネルギー、上下水道がテクノロジーの発展により各住宅で自立して確保できると考える。さらに空飛ぶ車が実用化されればインフラの必要性がなくなり、1世帯でどこでも居住可能となる。仮想空間で離れた人と仕事も交流も可能であり、医療や教育も受けられると、好きな場所に住むことができる。
 一方で、リアルなつながりも重要でありコミュニティー重視の住まい方が発展する。AIや仮想空間が進むと孤立化を招く恐れがあり、特に、子育て・高齢・単独世帯で多様な交流や体験の共有、相互の協力ができる住まい方が進化する。都市部から郊外、地方集落などのさまざまな場所で発展するだろう。
 また、先端的なリアル体験重視の住まい方が進化する。文化芸術・テクノロジーなどを実体験し享受したり、刺激しあって自己の仕事や活動に生かす住まい方である。多くの文化芸術・イベント・商業施設・実態オフィスに近接する都心部での住まい方となる。
 以上の3タイプを移動して享受する住まい方や、年代に応じて住み替える住まい方が一般化する。ただし、災害危険性の低い安全なエリアでの居住が基本であり、危険区域は居住禁止になるだろう。住まい方は今後さらに、(1)安全な住まい方、(2)心身ともに健康的な住まい方、(3)自分や家族の価値観に応じて働きやすく生活しやすい住まい方、(4)家族全員の自己実現の図りやすい住まい方が求められ、1人ひとりの幸福につなげることが追及される。

森川 博之 賢明な失敗と挑戦する遺伝子

森川 博之

東京大学大学院工学系研究科教授

 AI分野を中心に、巨額の投資が加速している。「投資をしないリスクは、過剰投資のリスクよりはるかに大きい」という世界観が背景にある。挑戦を続ける市場には新陳代謝が起こり、次の主役が自然と生まれる。M&Aや企業分割、新興企業の育成など、資本市場を梃子てこにしたダイナミズムが動いている。
 鍵となるのは「賢明な失敗」を許容する文化である。挑戦には失敗がつきものだが、それこそが次の成長につながる遺伝子となる。期待されるリターンが失敗のコストを大きく上回るのであれば、ひるまずに挑戦すべきだ。結果を恐れてバットを振らなければ出塁することはできない。失敗を否定してしまえば、新しい挑戦の芽は早々につみ取られてしまう。
 トーマス・エジソンの「私は失敗したことがない。1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」、トーマス・J・ワトソンの「成功は失敗の向こう側にある」といった言葉が示すとおり、失敗の中に学びがあれば成功の確率は確実に高まる。
 スペースXの大型ロケット「スターシップ」打ち上げ失敗時の社内映像は象徴的だ。たとえ爆発という結果に終わっても、社内には歓声があがった。失敗を次の成功に変えようとする強い意思がそこにある。いまや安全な乗り物となった飛行機も、初期の挑戦は危険と隣り合わせだった。その積み重ねの先に今日の当たり前がある。
 一方、日本社会には行政を中心に「誤りを許さない」という無謬むびゅう性への強い要求が根強く存在する。しかし、変化が常態化した時代に無謬性を前提にすること自体が最大のリスクになる。賢明な失敗を許容し挑戦を肯定する姿勢を、政治や行政や企業が持ち続けられるかどうかが、2050年の日本の景色を決める。

森下 哲朗 2050年の日本に求められる力

森下 哲朗

上智大学法学部教授

 地球規模の相互依存が進む現代において、日本はとりわけ他国とのつながりによって支えられている国である。2050年、どれだけ技術が発展しても、食料やエネルギーの自給率が大きく改善し、内需で経済を支えることはできない。2050年の日本にとっても、他国との良好な関係と活発な交流・取引が国家の繁栄の基盤であることは間違いないだろう。そうした時代の日本に求められる力は何か。どうやって他国から尊敬され、共に歩みたい魅力ある国としての地位を維持できるか。
 最近の科学研究に用いられている予算や研究者の厚みなどを考えると、日本が高度な科学力で世界をリードすることは残念ながら期待し難いように思われる。むしろ、日本が大切としてきた価値観、すなわち、人間中心の社会、自然との共生、曖昧さ、間、あそびなどを尊ぶ境地等を活かし、技術に振り回されるのではなく、高度な技術を真に人間の幸福のために活かすための知恵を世界に輸出することで世界に独自の価値を提供することが、日本の生きる道ではないだろうか。
 日本の良さに自信を持ち、大切にするとともに、世界中にファンを増やすことが大切である。そのためには、若い頃からの人の交流は欠かせない。また、日本の良さの発信が一方的な押し付けにならず、広く受け入れられるためには、深い教養、誠実さ、そして、他国の異なる文化や価値観を尊重する姿勢が大切であり、加えて、相手を理解し対話を重ねる力が求められる。
 国としてこうした力を備えるために重要なのは人であり、人を育てる教育である。ただ、現在の教育はそうした未来を見据えたものとなっているだろうか。残念ながらそうは思えない。2050年の明るい未来のために、教育に携わる者全ての責任は重い。

森信 茂樹 意思決定はAIではなく人間が行う「デジタル民主主義」の構築を

森信 茂樹

東京財団シニア政策オフィサー

 台湾の初代デジタル大臣を務めたオードリー・タン氏は、SNSの膨大で多様な意見を収集し、AIを活用して分析・可視化することにより政策を作る「ブロードリスニング」という手法を提唱する。これにより、これまでくみ上げられなかった若者や少数者の多様な声が反映でき「デジタル民主主義」として新たな地平を開くと主張する。
 一方AIを「社会的破壊兵器」と呼ぶ哲学者ユヴァル・ハラリ氏は「デジタル民主主義」には以下のような問題があると主張する。
 SNSには、人間を偽装したBotによる偽情報があふれている。SNSの意見を集めれば真実に近づくという見方はナイーブだ。いまやAIは自律的に意思決定できる存在に変わりつつある。アルゴリズムも、真実性とは無関係に過激な情報を拡散しやすく設計されており、社会の分断や偏見、憎悪を加速する可能性がある。AIは、民主主義の基盤である相互監視や相互検証機能を弱め、民主主義そのものを脅かす存在となりつつある、と。
 2050年が前者になるためには、SNSに多くの専門家の意見を反映させ偏りを減らすとともに、自律的に進化し判断するAIの負の側面を抑制し、われわれのデジタルリテラシーを高めていくことが重要となる。
 分水嶺ぶんすいれいに立つ今、AIに人間ファーストの原則を刷り込むことが重要だ。AIはあくまで人間の補助者、パートナーで、価値判断や優先順位の決定は人間の役割と責任だ、との共通認識ができれば優れた「デジタル民主主義」が構築できる。

 識者 や行

矢ケ崎 紀子 世界を旅し、世界から人々を受け入れる日本へ

矢ケ崎 紀子

東京女子大学現代教養学部経済経営学科教授

 人類はその誕生以来、さまざまな目的で旅を続けている。近年では、旅が国・地域、企業・産業、地域、人々にもたらす効能が認識され、持続可能な観光地域づくりが進められている。しかし、自然災害、感染症、景気後退、テロや戦争、酷暑等の気候変動によって手控えられるのも旅である。自然災害や感染症を止めることは2050年でも難しいと思うが、四半世紀先には、人が起こす災いが激減し、人々が世界の各地に安心して行くことができ、旅先の異文化や自然を尊重しながら人々と交流することが普通のことになってほしい。こうした経験を通じて、既成概念や過去の成功体験から脱却し、不確実性の世の中を生き抜く力や寛容性が養成される。
 特に、わが国では、次世代を担う若者や現役世代を中心に国内外を旅行してもらうことが大事だ。現時点では、国民の年間旅行経験率は5割程度であり、海外旅行が伸び悩んでいる。子どもの頃に記憶に残る楽しい旅行を経験した人は、自分の子どもにも同様の経験を与える傾向にあるので、旅の拡大再生産を促進すべきだ。
 インバウンドについては、特定地域への過度な集中が緩和され、全国津々浦々で、その地域らしい魅力によって多様な国・地域からの外国人旅行者を受け入れるようになっていたい。このためには、観光産業が地域の基幹産業となるだけでなく、国も地域も観光の成長状況をマネジメントする力をつける必要がある。2050年には「観光をうまく活用したおかげで、わが地域は、人口や雇用が維持され、住みやすく、歴史文化資源や自然を良い状態で次世代に引き継げる」と考える人々が多数を占め、訪日や在日の外国人との共生が当たり前になっていることを願っている。

矢作 弘 日本よ、移民に寛容なモデル社会に!

矢作 弘

ジャーナリスト/龍谷大学名誉教授

 いろいろな来歴の人々が寄り添って暮らす日本社会になってほしい。
 どの社会にも「無言の了解ごと」が基礎にある。それを誤解して摩擦が起きる。20世紀末にヒトの越境が活発になった。国境が日々の暮らしのところまで近接し、皮膚感覚で外国を理解し、違いに寛容になると思っていたのだが。その後の日本は欧米に追随し、ヒューマニズムに逆走する社会になっている。
 それまで狭い共同体に収まっていた帰属意識は、国民国家が成立して以降、ナショナリズムに格上げされ、時に国威高揚のために政治的に利用されてきた。果たしてグローバル化の時代を迎えたが、地球規模に昇華することなく、いよいよ病的な排外主義に転じる風景が日常である。
 1992年にマイノリティーが蜂起し、互いに殺し合うロサンゼルス都市動乱があった。その時、移民たたきが激化し、移民の経済的損益を争う論争が起き、移民の経済的、および財税政面での貢献を評価する研究が多く発表された。
 参議院選挙(2025年7月)では、根拠の希薄な「移民の福祉タダ乗り論」などが闊歩かっぽしたが、その後、日本経済新聞および日本経済研究センターが47人の経済学者を対象に実施した調査の結果、66%が「在留外国人の増加は、日本の財政収支の改善に寄与する」と回答した(2025年7月31日朝刊1面)。ようやく日本も、移民の受け入れを経済的、さらには財政的な裏付けを持って積極的に語る段階に来たのか、という感慨を持って記事を読み通した。
 人口減少は止まらない。移民の受け入れは不可避である。その際、「日本人ファースト!」を叫ぶのはパラノイアに発する排外主義である。そうではなく逆に、人々が自由に越境する世紀に、経済的、政治的難民を含めて活発に受容し、日本が多文化共生社会のモデルになって世界に尊敬される国に飛躍することを望む。

山崎 史郎 日本が“若返っていく”

山崎 史郎

内閣官房人口戦略本部・全世代型社会保障構築本部事務局総括事務局長

 私の「2050年の夢」は、日本が“若返り”はじめること、すなわち高齢化率が低下しはじめることである。そんなことが可能なのだろうか。これまで日本は高齢化は進む一方だったし、今後も高齢化率(29.1%、2023年)は年を追うごとに高まり、いずれ40%を超えるだろうと予測されているのだから、疑問を持つのも当然だ。しかし、私たちが講ずる少子化対策が功を奏して、出生率が高まれば、それも可能なのである。
 私も参加した「人口戦略会議」は、2100年に総人口が8,000万人で安定するケースを独自に試算した。この人口定常化ケースの試算では、高齢化率は2054年頃に36%でピークを迎えた後に低下しはじめ、2100年には30%を切るところまで低下することが見込まれている。まさに日本は“若返り”の経路に入っていくのである。そうなると、日本の経済や社会保障をとりまく状況は一変する。労働力や消費の水準は年々高まり、1人当たりの社会保障負担水準も軽減していくだろう。かつて日本が謳歌おうかした「人口ボーナス」の状況が再現するような時代を迎えると言える。
 もちろん、そのためには一定の条件をクリアーしなければならない。出生率が2040年に1.6、2050年に1.8、2060年に2.07(人口置換水準)にまで上昇することである。それが容易ではないことは筆者も理解している。しかし、かつてスウェーデンは1.54(2000年)から1.98(2010年)にまで回復したし、ドイツも1.39(2011年)から1.60(2016年)にまで5年間で回復した好事例がある。人口問題を社会を構成する人々が「自分事(じぶんごと)」として捉え、社会経済構造を変革していく動きが広まるならば達成は可能であると考えている。少子化対策は、ある意味で“究極の高齢化対策”でもあるのだ。

山田 勝治 デモクラシーの復権―学校は民主主義の「ゆりかご」―

山田 勝治

大阪府立西成高等学校校長

 1920年代、今から100年前、日本には「大正デモクラシー」と呼ばれる時代があった。当時はデモクラシーが教育とマスメディアは並走して成長していた。しかし、その数年後、日本のデモクラシーは大恐慌などの経済事情の前にあっけなく沈黙を余儀なくされた。100年後の今日、デモクラシーのゆりかごである教育とマスメディアはどちらもが危機に立っている。
 「バブルの崩壊」とともに若年層の投票率が急落し、政治と市民の距離はますます広がった。打開策として2015年からは選挙権年齢が18歳に引き下げられた。このことはデモクラシーにとっては大きな変化の節目となるべきはずであった。しかし、2015年の山口県の高校で見られた事案(「安保関連法案」についての学習や模擬投票)が政治的中立を欠く内容であると非難されるなど、本来育まれるべき学校でのデモクラシーの芽は摘まれ続けている。「政治的なるもの」や「民主主義」という言葉にさえ拒否感を生み出している現状は市民のWell-Beingを実現する社会ではない。忖度そんたくのない報道によって政府への批判や制度への批判が健全なデモクラシーの種子になることは間違いない。こうした種子を学校というデモクラシーの「ゆりかご」で育むことでしか、2050年の新しいデモクラシーの精神とシステムを模索し獲得することはできないだろう。100年前の危機は、デモクラシーの復権の重要なヒントである。

山田 美和 日本は世界における人権尊重のリーダーたれ

山田 美和

日本貿易振興機構アジア経済研究所新領域研究センター上席主任調査研究員

 基本的人権への信念を再確認した国連憲章のもとで戦後80年にわたり築き上げられてきた国際秩序が今、危機にひんしている。25年後の2050年に願うのは、人権の普遍的価値が日本および世界で共有され続けていること――切に願うのはそれだけだ。
 第80回国連総会一般討論演説で石破前首相は、健全で強靭きょうじんな民主主義は人権尊重と健全な言論空間によって支えられると述べた。同氏の言葉を引くまでもない。事実にもとづいた情報を得ることは、われわれ1人ひとりが自らの選択による意思決定を行い行動するために不可欠であり、知る権利が守られるためには報道の自由はなくてはならず、それが健全で強靭な民主社会の根幹を支えるのである。
 国際NGOである国境なき記者団(RSF)による世界の報道自由度指標は、2002年の測定開始以来、2025年は世界180カ国の60%超でスコアが低下する最悪の数字を記録した。ジャーナリストへの暴力や脅迫という直接の脅威に加え、2020年代は経済的政治的脅威が拡大している。メディアの所有の集中やデジタルプラットフォームの広告収入の寡占、標的を狙い撃ちする立法措置や政府要職の発言等、そしてフェイクコンテンツ産業の台頭だ。同指標における日本の順位は、2010年に12位につけた以降下落し、2015年には61位、2025年には66位となり、G7諸国中では最下位、「問題のある」カテゴリーに属している。
 一方、ビジネスと人権に目を転じれば、ジェトロの2024年度日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査では、人権デューディリジェンスを行う理由として約8割の企業が、人権尊重は企業の社会的責任と認識しているからと答えている。人権を尊重する企業が勝てる市場を日本は世界各国とともに構築しなければならない。
 世界各地で人権が脅かされている今こそ、日本は自らの価値として人権尊重を掲げ、国際社会からの信頼を高めるべきだ。日本の報道自由度指標が2025年をボトムに上昇し、2050年にはトップ10に入っている日本社会であってほしい。

山本 健兒 故郷と異郷とのつながりを認識するために

山本 健兒

九州大学名誉教授

 2050年までには地球上から戦争がなくなり、気候変動の改善への歩みが明瞭になってほしい。そのためには、社会の成り立ちが場所と深く関わっていることを認識できる人へと誰もが成長することを必要とする。社会と場所には、家族、近隣地域社会、地方自治体、複数の地方自治体から構成される地域、国など、大中小さまざまな規模と次元の違いがある。これら規模を異にしかつ包含関係にある諸社会間の関係は、個人と社会との関係に類似する面がある。それは自身の自律性の確立と維持、他者(他社会)との協力、必要な場合の支援といった用語で表現しうる。
 現代世界の戦争は依然として自民族優先主義を根に持つナショナリズムと密接に絡んでいる。それをなくすためには、他者に関する正しい理解と違いを認め合う関係を築くことが基礎となる。そのためには、個人と社会、および諸社会間の関係、場所間の関係に関する深い思索と望ましい姿を明確に描き、その理想に近づくための行動の仕方を考え、実践することが必要であろう。そうした能力を身に着けるためには学校教育が重要な役割を果たすであろうが、さまざまなレベルでの日常生活から学ぶことも多々ある。
 今後、ますますバーチャル空間での体験による能力獲得が重きをなすと考えられるが、それだけでなく、現実の大地の上に構築されている物理的構造物や農地も含めた人間の営みによる自然の利用、そしてこれらを取り囲む自然界の動きに鋭敏になることによって得られる能力も重要である。そして他者や他地域、他国を理解し、協働することによって初めて解決できることがあると認識するためには、故郷から遠く離れた他地域や外国に、若い時に親元から離れて生活者として居住することが有効であろう。異郷から学ぶべきことが多いと認識するようになると期待されるからである。
 自身が故郷とみなした場所で自身の生活を豊かにするとともに、その故郷の文化を豊かにするためには異郷から学ぶべきことが多い。ここで言う故郷には大中小さまざまなスケールの場所があり、これらが包含関係を成しているので、表面的には異郷であっても故郷と認識することがありうることにも注意したい。

山本 英生 計算資源の爆発の先にある金融の未来

山本 英生

NTTデータ金融イノベーション本部ビジネスデザイン室ビジネスイノベーション統括部長

 2050年の金融のあり方を決める要素は計算資源の爆発であると考える。人工知能の進化が継続し、量子コンピューターが実装される未来では、これまでには想像もできなかった計算資源を前提にさまざまなことが起こるだろう。
 予測が「ほぼ当たる」世界では、金利や保険の中に内包されていた不確実性プレミアムが激減する。オープンになっている情報をベースとした裁定取引の機会も「ほぼゼロ」になるだろう。こうした状況での金融の価値というのは、一定の不確実性に値段をつけるということから契約内容の合意形成とその確実な履行のサポートということになる。具体的には回収や清算、流動性の保証、ステークホルダーとの合意形成と突発事項に対してのレジリエンス設計などがこれにあたる。個人の資産運用は人工知能がライフイベントとマーケットを先読みし自動調整することで、結果的に金融商品の境界が薄れることになる。
 こういった流れを究極まで押し進めると金融のあり方以上にお金のあり方も変わってくるだろう。現在は個人の労働の対価をお金として受け取ったうえで必要なものを購入しているが、社会全体の財および労働の最適化計算が可能となるならお金を媒介する要素を減らすことも可能にはならないか。とはいえ、すべて予見できるかというといわゆる「ナイトの不確実性」(注)がなくなるわけではない。したがって完全に未来を予測できるわけではないことには留意が必要である。ただ、いずれにしても計算資源の爆発が金融のあり方を変える、という未来像はいずれ起こり得ると考えている。

  (注)事象が発生する確率分布が不明なこと。不確実性には、確率分布が判明している「リスク」と、確率分布が不明な「ナイトの不確実性」があるとされる。

吉川 絵美 新ジャポニズムが拓(ひら)く2050年の未来

吉川 絵美

京都大学大学院特任准教授

 パンデミック後、日本への関心は急速に高まっている。米国に20年以上住む私自身、ここまで頻繁に日本を称賛する声を周りで聞いたことはなかった。訪れたい国ランキングで日本は常に上位にあり、実際に訪れた人々は感嘆し、再訪を望む。この熱狂は19世紀末の「ジャポニズム」を彷彿ほうふつとさせ、新しいジャポニズムの到来とも言われる。
 国家ブランド指数を算出するAnholt Nation Brands Indexでは、日本は2020年の4位から上昇し、2023・2024年には2年連続で世界1位を獲得。名実ともに日本の国家ブランドは頂点に立っている。前回のジャポニズムでは浮世絵などのアートが関心の中心だったが、今回はアニメに加え、日本の精神文化への注目が高い。不安定な世界情勢の中、人々が新しい価値観を求めているからだろう。
 私は2050年の日本と世界が、この関心を一過性のブームで終わらせず、新たな価値観を普及させるパラダイムシフトを実現してほしいと願う。戦後広まった自由主義的思想の反動として、いま世界では排他的な傾向が強まりつつある。だが潜在的には、それに違和感を覚える人々が増えており、「人への尊敬」「和の意識」「今を生きる禅の思考」といった日本の精神文化にかれているのだと思う。2050年に振り返ったとき、世界がより平和で調和した社会を実現できたのは、新ジャポニズムを通じて日本の精神文化が広まったからだと言える未来であってほしい。

 識者 わ行

若林 整 量子・AI・半導体集積回路各技術協調による好奇心刺激社会

若林 整

東京科学大学総合研究院集積Green-niX+研究ユニット教授

 7,500億ドル/年を超える世界半導体市場に貢献する半導体集積回路(LSI)技術に関して、周知のムーア経験則を目標に、1次元微細化や2次元面積低減に続いて、3次元(3D)モジュール集積化が進められている。例えば2050年には、LSIモジュール当たりのトランジスタ数は千兆(1 Peta)個を超えると予測され、ナノメーターサイズのトランジスタが3Dで構成される超大規模半導体集積回路モジュールへ機能や知の集積がますます進むと考えられる。それをAffordableに実現・活用するには、大規模システム設計・管理・安定化技術、大規模ソフトウエア技術、高歩留まり3D LSI製造技術へ挑戦し続ける必要があり、人類の営みの効率化と同様にAI技術の活用が必須である。
 しかし、AIデータセンターの消費エネルギーが大きいことが重大な社会問題である。AIデータセンターに原子力発電所を併設するよりも、コンピューターの待機時電力を抑制しつつ演算効率(TOPS/W)を高くする必要がある。そこで演算速度を高めるために、データサーバー内ブレード上LSI間へも光通信が検討されているが、電気で動作するLSI間における電光・光電変換の効率が低いことから、LSI間近距離では光通信の情報伝達エネルギー効率は電気配線より低いことが大きな課題である。このままではAIのために日常でのエネルギー使用を制限される社会へ突入してしまう。情報処理には高エネルギー効率技術の統合が必須であることをあらためて表明する。
 そこで2050年に向けて、AIにも負荷の重い特定の情報処理を担う量子コンピューターと、放射線漏洩ろうえいなく高レベル放射性廃棄物を発生しない核融合発電の技術の実現に向けて、全人類と手を携えて邁進まいしんしたい。それらにより、量子/AI/半導体集積回路各技術協調による情報処理基盤を整備でき、互いの好奇心を刺激し合うことを基礎とした日々ワクワクする世界社会であり続けたい。声の大きいリーダー同士の承認欲求を満たすための競争による不安定な均衡ではなく、他者への優位性を主張しない平和が実現されることを切に願う。

渡辺 哲也 Japan in Asia

渡辺 哲也

ERIA(東アジア・ASEAN経済研究センター)事務総長

 東南アジアの経済成長は著しい。人口7億の市場が毎年5%で成長を続ける。GDPは東南アジア10カ国で3.8兆ドル。日本のGDPは4兆ドルだから、あと数年で追い越される。若い人口構成、勃興ぼっこうする中間層、拡大する消費マーケット、デジタル技術を活用して社会課題を解決するリープフロッグ型のスタートアップの輩出。都市インフラも驚くようなペースで整備が進む。さらに西のインドも人口14億の巨大経済圏が急速な勢いで成長を続ける。世界から投資が集中し、シリコンバレーでグローバルな経験を積んだ若いインド人が本国へ戻って技術革新、産業転換をリードする。グローバル・サウスの経済成長は、世界のパワーバランスを大きく、かつ、急速に変えている。
 私が勤務するERIA(東アジア・ASEAN経済研究センター)はアジアの政策協調のために設立された国際機関で、インドネシアのジャカルタに本拠を置いている。ジャカルタの街は経済成長の熱気とエネルギーに満ちている。今後、日本が、活力あるアジアの国々と連携を深め、経済活動のフロンティアを広げていくことができれば、日本経済の活性化の起爆剤にすることができる。次代を担う若い日本人にも活躍の舞台が広がる。日本のAI、半導体、量子、エネルギー転換、バイオ、宇宙など科学技術、成熟社会の経験、制度運営のノウハウは東南アジアやインドの経済発展に大きく貢献するだろう。日本への信頼感も強い。Japan in Asia. 2050年に向けて、日本は内向きに閉じていくのか、あるいは東南アジアやインドなど新興国との新しいパートナーシップを築いて自らを強くしていくことができるのか、今、大きな岐路に立っている。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2025)「2050年の夢」