NIRA総合研究開発機構

概要 

 NIRA総研は、2020年2月5日にNIRAフォーラム2020「新たな国際秩序の形成と日本の政策ビジョン-知をつなぎ、政策を共創する場の形成-」を開催した。
 国際社会では米中対立が深まり、自由民主主義に基づく国際秩序が挑戦を受けている。国内では社会保障、経済、財政など、政治が結果を残さなければならない課題は平成の時代から積み残されたままだ。令和の時代、我々はこうした状況にどう立ち向かうべきか。第一線で活躍する学識者、実務家による講演、討論が行われた。
 第1部「日本の政策ビジョンの再構築」では、日本の戦略を考えるうえでは、グローバルな視点から、明確な対外方針、社会保障の持続可能性・経済成長・財政健全化について、大多数の国民と共有できる長期的な経済社会ビジョンを構築することが不可欠であることが示された。
 また、第2部「政策を共創する場の形成」では、代議制民主主義への信頼が低下するなか、市民社会が政策を自らの手で検証・提案し、場合によっては、政府に代替案を示す仕組みを市民社会に作らなければならないと括った。
 グローバル化やデジタル化などの進展により、政治、経済、社会現象が相互に連動し、国内の政策課題とも密接に関係するようになった。総合的、かつ長期的な視点から日本の戦略を再構築し、そして政策論議の場を形成することを急がねばならない*

INDEX

 NIRA総研は2020年2月5日にNIRAフォーラム2020「新たな国際秩序の形成と日本の政策ビジョン-知をつなぎ、政策を共創する場の形成-」を開催した。国際社会では米中対立が深まり、自由民主主義に基づく国際秩序が挑戦を受けている。国内では社会保障、経済、財政など、政治が結果を残さなければならない課題は平成の時代から積み残されたままだ。令和の時代、我々はこうした状況にどう立ち向かうべきか。第一線で活躍する学識者、実務家による講演、討論が行われた。

会場の様子

NIRAフォーラム2020登壇者


・井手英策 慶應義塾大学教授
・宇野重規* NIRA総研理事・東京大学教授
・小黒一正 法政大学教授
・工藤泰志 言論NPO代表
・古城佳子 東京大学教授(肩書当時)
・谷口将紀* NIRA総研理事・東京大学教授
・中西寛  京都大学教授
・永久寿夫 PHP研究所取締役専務執行役員
・柳川範之 NIRA総研理事・東京大学教授
・横江公美 東洋大学教授
*パネルディスカッション時のモデレーター
日時:2020年2月5日場所:東京国際フォーラム
場所:東京国際フォーラム

第1部 日本の政策ビジョンの再構築

 冒頭の基調講演では、東京大学教授でNIRA総研理事を務める谷口将紀氏より、以下の問題提起がされた。

 現在日本が直面している課題は、実を言えばすでによく知られたものばかりであり、ことさら目新しいものはない。にもかかわらずこれまでのところ課題に対する取り組みが十分に行われてきたとは言えない。問題は日本政治の争点化能力の低さにある。

 まずは、課題を整理するところから始めよう。

 世界の共通課題の1つ目は、国際政治経済の構造の変化である。アメリカと中国の対立は、現在表面化している貿易摩擦にとどまらず、テクノロジーひいては軍事的な覇権をめぐる対立にまで及んでいる。日本は、アメリカの同盟国かつ中国の隣国として、アメリカがアメリカ・ファースト、更には孤立主義に陥らないよう、なおかつ、中国が覇権主義を目指さないように振る舞う必要がある。さらに、今後数十年のスパンで見れば、人口の重心は、中国からインドへ、インドからアフリカへと移っていくことになる。そうした時、日本はヨーロッパ諸国とともに新しい世界秩序づくりにおいて主導的な役割を果たしていかなくてはならない。

 世界の共通課題の2つ目は、第4次産業革命、あるいはSociety5.0などと呼ばれる技術革新だ。中国は、ABCD+5Gでの覇権を狙っていると言われている(AはAI・人工知能、Bはブロックチェーン、Cはクラウド、Dはデジタル通貨、それに新しい通信規格の5G)である。情報・テクノロジーの国際競争はますます激烈なものになっていくが、日本は掛け声ばかりで後れをとっていないか。

 世界共通課題に加えて、日本が世界に先駆けて直面している課題もある。第1は、人口減少・少子高齢化だ。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、日本の総人口は、2015年の1億2,709万人から2065年には8,808万人に減少する。このときの老年人口割合(高齢化率)は38.4%、約4割に達する一方で、生産年齢(15~64歳)人口割合は51.4%でしかない。高齢化が進めば、医療・介護費用は大きく増加することになる。厚生労働省の試算によると、2018年に121兆円、GDP比にして21.5%であった社会保障給付費は、2040年には約190兆円、GDP比にして24%に上る。今後日本に必要なお金はますます増えていくにも関わらず、現役世代は縮小していく。

 第2の課題は、財政の持続性だ。これまでも保険料や消費税率を上げてきたわけだが、この間の社会保障費の増加を初めとする財政拡大の多くを賄ってきたのは、国債の発行である。政府債務残高は、GDP比で、2019年の段階で237%、主要先進国の中でも群を抜いた水準にある。

 これらの課題は独立して存在するのではなく、相互に関連している。だからこそ、現在の日本は、明治維新や戦争直後に匹敵をする、第3の歴史的な転換点、曲がり角に立っているとも言われるのである。

 こうした状況に対して政治の動きは鈍い。もちろん政府もアベノミクス、地方創生、一億総活躍、Society5.0、働き方改革、そして全世代型社会保障とさまざまな取り組みを行っている。しかし、手を付けただけ、いくつか成功例が生み出されただけで、すぐに次の課題へと移ってしまっている。ありていに言って、今の政治は、真正面から経済社会改革に踏み込んでいない。

 政治がこうなってしまっている要因は、2つある。

 第1の要因は、経済政策の原理原則をめぐる対立軸が、日本には存在しないこと。欧米における左右対立は、大きな政府(社会民主主義、リベラル)と、小さな政府(新自由主義)という理念の違いを指している。2020年の秋にはアメリカ大統領選挙が行われるが、トランプ大統領を擁する共和党は小さな政府寄り、対する民主党は大きな政府寄りだ。民主党の中にも、より大きな政府を志向する候補者と、中道寄りの候補者の対立がある。大きな政府と小さな政府の対立を基本として、ヨーロッパならばEUや移民の問題、アメリカであれば妊娠中絶や銃規制などが争点となる。

 これに対して、日本の左右対立とは、憲法改正や防衛力の強化、原子力発電の是非等々である。経済政策について個別争点をめぐる政党間の立場の違いは見られるが、論理一貫した原理原則はない。例えば、小さな政府を志向しながらも公共事業の拡充を目指したり、社会保障の充実を訴えながら増税には反対するといった具合である。

 第2の要因は、選挙の頻度があまりに高いことである。さらには、第二院(参議院)の権限があまりに強力であるために、与野党問わず常に次の選挙を意識せざるを得ない。イギリスは、今、Brexitをめぐる混乱で従来よりも頻繁に選挙が行われているが、2010年から5年間解散総選挙が行われなかった。これにより当時の保守党キャメロン内閣は、短期的な不人気に動じることなく大胆な財政再建策を推し進めることができた。一方の日本では、2012年に安倍総理が政権に復帰してからの7年余りで6回も選挙が行われた。さらに日本の場合は、自民党の総裁選も3年ごとに回ってくる。日本では、全ての選挙に勝ち続けなければ政権運営に支障をきたしてしまうため、長期政権であっても中長期的な政策課題に腰を据えて取り組むことができない。

 このような経済原則の欠如と選挙至上主義の相乗作用の結果、日本の政治は真の課題から目を背けてしまうようになった。短期的な経済政策のつまみ食いによって将来にコストを先送りすることを重ね、今や日本の社会保障と財政の持続可能性は風前の灯火になろうとしている。  

 これからの政治は、かつてのような果実・パイの分配ではなくして、負担・痛みの分かち合いになる。それを実現するためには、政治が争点化能力を回復させ、与野党それぞれがよって立つ価値観の違いは残しつつも、大きなビジョンを共有して政治全体として結果を出す、そのような政党政治に立て直さなくてはならない。そして、こうした政治の真摯な取り組みを国民がサポートしていく必要があろう。

以上の谷口氏の基調講演を受けて、パネリストによる議論が行われた。

第1部登壇者

不確実性を増す国際政治経済

 冷戦以降は、大国、小国を問わず国際社会の構成員である西側諸国の多くの国家が、開放経済や民主主義体制、そして多国間ルールに基づいた統治(ガバナンス)に合意していた。だが、今や国家間のみならず、国内の所得格差も拡大し、経済的自由が各国に共通の利益をもたらすという前提が揺らいでいる。また、民主主義国でさえも、自由や平等は誰にでも与えられるべきなのか、といった移民排斥の主張が声高に唱えられている。さらに大国すらも多国間の枠組みを批判して単独主義に走り、二国間交渉を多用するようになった。

 東京大学教授の古城佳子氏は、このように世界が国際秩序の行き詰まりともいえる状況に陥っているとの認識を示し、多国間主義への支持が近年低下していることに強い懸念を表明する。国際社会の構成員が多様化、増加したことで、かつての「自由主義的国際秩序」に対する懐疑が強くなっている。しかし、グローバル化した世界においては一国で解決できないグローバルイシューが増加しており、多国間の枠組みが欠かせない。国際的なサプライチェーンが分断されるようなことが起これば、経済的なダメージも計り知れないものになる。とりわけ日本は、資源がなく、大国よりも限定的なパワーしか持たないため、同様な価値観を持つ国々とパートナーを結ぶことが外交力を高めることにつながる。

 もっとも、従前のように多国間を理想として支持するのではなく、自由主義国際秩序を形成していた3つの合意に立ち返って課題が何かを考えることが必要だ。日本はどのような社会を目指すのか、国内政策の課題に対しても、世界共通の利益と個別の利益を一致させるような方策を実現できなければ、多国間制度への支持も得られない。経済的な自由が重要だとしても、経済をどこまで国際的に開放していくのかについても考えなければならないと指摘する。

 現在における国際秩序の不安定化の底流には、経済停滞によって労働分配率が下がり、熟練労働者と非熟練労働者の所得格差が広がったことで、どの先進国においても中間層は転落の不安を抱えていることがあると慶應義塾大学教授の井手英策氏はいう。日本も例外ではない。平成の間に日本の一人当たりGDPは世界4位から26位へ転落し、現役世代向けの公的給付も極端に少ないために、人々が将来不安を抱えていると指摘する。

 また、法政大学教授の小黒一正氏は人口減少と低成長、そして貧困化がセットで進展する日本経済の将来見通しは、決して明るくないとする。相対的な経済力低下は、日本の国際的な立ち位置の制約になるものである。中でも、多国間枠組みのチャレンジャーとしての中国。市場為替レートで比較しても、2010年に日本は中国に抜かされ、2018年では中国の世界経済に占めるシェアが16%であるのに対して、日本は5.9%でしかない(図1)。一人当たりのGDPでみても20年経つと日本とほぼ同水準になる可能性がある。勢力を拡大する中国や、インド、アフリカ諸国の台頭も視野に入れて、既存の多国間枠組みを変革していくことが日本の外交にとって重要である。

図1 世界経済に占める各国シェアの推移

注)市場為替レートベース
出所)小黒一正教授のNIRAフォーラム2020当日資料より作成

技術革新で日本が生き残るには

 米中の激しい対立は、貿易や軍事だけでなく、技術の覇権を巡る競争でもある。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)など民間企業が技術革新を牽引するアメリカと、政府主導・国家による監視の下で社会経済の効率化を限界まで進めようとする中国。対照的なスタンスを取る両者の間で、日本はどのような活路を見出すべきなのか。

 東京大学教授でNIRA総研理事の柳川範之氏は、技術革新は日本にとっても大きなチャンスであり、それを生かせていない意思決定と政策実行のメカニズムに課題があると指摘する。日本には、社会の仕組みをどうつくっていくかという大きなビジョンの検討と、「アジャイル」 的に政策を進めていくという発想が必要だという。社会も経済も変動し、何が正解かわからない中で、ある程度の失敗は許容しながら、少しずつ改革を実行していく。大きなビジョンを考えつつ、細かい具体的な政策を次々と実行していくことで初めて社会は動くのだと説く。

 また、現在のイノベーションを先導する日本のベンチャーにも苦言を呈する。日本のベンチャービジネスは、世界的な基準からすると圧倒的に規模が小さい。起業家もマザーズなどの市場に上場するとそれで満足してしまい、世界に羽ばたくビジネスを育てようとは考えない。日本から世界に目を転じ、市場拡大だけではなく、世界のQoL向上に貢献できるビジネスを日本でどうやって作っていくのか。政策や法律も含めて、考えていく必要がある。
 
 小黒氏は、GAFAや中国のBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)などとは違う日本の方策を提案する。かつて日本は、イギリスに続いて金融ビッグバンを進めた。金融ビッグバンでは、REIT(不動産投資信託)などに関する法律を整備し、不動産の証券化における物件管理をきちんと進めた結果、世界中から日本への資金の流れができた。データやアルゴリズムについても同様の取り組みを行うべきだというのが、小黒氏の提言である。データは単にデータがあるというだけで価値が生まれるわけではない。重複や外れ値等を修正する処理を行った高品質なデータやその関連のアルゴリズムを、資産として法的に保護しながら、データ同士をマッチングできる市場を作る。例えば、アメリカのKaggleというプラットフォームでは、企業や研究者が投稿したデータを、世界中の分析家が競い合って分析し、優秀者には賞金が出る。小黒氏は、Kaggleのような仕組みを取り入れて、データ金融革命を日本が世界に先駆けて行うべきだと提案する。

人口減少が進む中、財政を立て直すには

 新しい日本の社会経済を構築していく上で前提条件となってくるのが、少子高齢化に伴う人口減少であり、社会保障制度の再構築や財政健全化といった諸問題である。ポピュリズムに陥らずに、建設的なソリューションを導くにはどうすればよいのか。

 成長が無理であれば、いっそのこと諦めてしまうという議論は、貧しい人々の経済への依存をますます強めてしまうことになり、不毛である。この状況への対策として、井手氏が挙げるのは、イノベーションを原動力とした経済成長と生活保障をセットにした政策の重要性だ。特に、教育投資は、イノベーションの源泉と同時に、格差拡大を防ぐ有効な方策だという。こうした政策を実現するための方法として、再分配という概念の再定義が提案されている。富裕層に税金をかけて貧しい人に配るという負担者と受益者を区分する再分配の発想を転換することを求めている。一部の人を負担者にすることで租税への抵抗を醸成してしまうのではなく、貧しい人を含め全ての人が税を払う代わりに、全員が受益者になれるようにする(図2)。生活に必要なサービスを受けるときの自己負担を軽減する仕組みに変えるのだ。痛みを分かち合うことによって、一人一人を将来不安から解放し、同時に社会全体を将来不安から解放すべきと説く。

図2 すべての納税者に「ベーシックサービス」を

出所)井手英策教授のNIRAフォーラム2020当日資料「再分配を再定義する」より作成

 小黒氏は、改革には哲学が必要だと主張する。日本のGDP成長率はこの30年間で1%を切っており、ドーマー命題から推定すると長期的に債務残高は今の倍以上になる可能性がある。その一方、2040年までに生産年齢人口は1,000万人近く減少し、2054年には75歳以上人口がピークに達する。医療・介護費の増大はもとより、現在の生活保護受給者200万人のうち半分が高齢者であることをかんがみると、貧困の高齢者が増えていく可能性もある。こうした厳しいシナリオを前提に、財政と社会保障を再設計していく必要があると説く。小黒氏は、リスク分散機能と再分配機能を切り分ける、すなわち、年金の公費投入を廃止し、公費の使途を再分配機能に限ることで、本当に必要で困っている人に公費を集中投下することを提案する。イギリスやドイツは住宅ローン減税をやめ、住む場所に困っている人に住宅手当を出す仕組みに切り替えつつあるが、こうした制度の見直しを日本でも徹底的に行うべきだという。

 現在の日本では、将来への不安から過剰な貯蓄に走る人が多い。過剰貯蓄は、マクロで見れば過小消費につながる。増税は経済の衰退と捉えられてしまうことが多いが、過剰貯蓄を税を通じて取りだし、毎年度予算化して使っていくことができれば、中長期的には景気の刺激につながると井手氏は説く。医療や介護にせよ、教育にせよ、個人のニーズを満たすためにはお金が必要だ。このニーズのために、自己責任で貯蓄を続けていくのか、あるいは税金を払って貯蓄が減る代わりに、医療、介護、教育等の心配をしなくていい社会を作るのか。高度経済成長期をとうに過ぎた日本では、自己責任で将来に備えることが難しい人々が増えてきている。税を通じて大勢の人が将来不安から解放される方向性を目指していくべきだというのが、井手氏の主張だ。

 第1部の議論を踏まえて、谷口氏は、大多数の国民と共有できる長期的な経済社会ビジョンを構築することが不可欠と指摘する。流動化する国際政治経済の中で明確な対外的な方針を持ち、また国内にあっては社会保障の持続可能性・経済成長・財政健全化の全てに見通しが得られたときに、初めて人々は安心して消費に向かい、経済も安定した成長軌道に乗るのではないかという。自由主義国際秩序が不安定化するなか、民主主義的なルールに基づく多国間による統治が、正当性のある国際秩序の形成に寄与することを日本は主張していく一方で、国内的には、どこまで対外的に開放していくのかについての議論を深めていくことが重要だ。同時に、技術革新によって日本の競争力のみならず、生活の質を高めていくことで世界にどう貢献していくのか。加えて、社会保障についての考え方を明確にして国内でのコンセンサスを得ていかなければならない。他方、古城氏の発言にあるように、「社会保障の定義を曖昧にしたままだと、アメリカの国際政治学者のロバート・ギルピンが指摘したように、福祉国家というのは望ましいものではあるが、国際的にみると排外的な対立を呼ぶ原因にもなる」という点は熟考に値するだろう。

 経済成長により財政が健全化されるといった楽観的な成長信仰や、政治にとって不都合な事実に積極的に向き合わない政局運営では立ち行かない。むしろ、国民が感じている現実との乖離が大きくなり、将来不安と政治不信が増幅されるだけだろう。今、我々に必要なのは、国民の将来不安を払拭する令和改革ビジョンだと谷口氏は総括する。

第2部 政策を共創する場の形成

 冒頭の基調講演では、東京大学教授でNIRA総研理事を務める宇野重規氏より、以下の問題提起がされた。

 フランシス・フクヤマ “Political Order and Political Decay”(邦訳『政治の衰退』)、Levitsky & Ziblatt “How Democracies Die”(邦訳『民主主義の死に方』)、Yascha Mounk “The People vs. Democracy”(邦訳『民主主義を救え』)といった書籍でも描かれているように、現在の民主主義はさまざまな危機に直面している。なかでも深刻なのは、代議制民主主義そのものへの信頼が大きく低下していることだ。

 「世界価値観調査」によれば、アメリカのミレニアル世代(1980年代以降に生まれた世代)のうち、「民主主義の下で生きることは重要である」と答えた人は3分の1。残りの3分の2は、「民主主義の下で生きることは重要でない」と答えている。同じ質問項目に対して、1930年代生まれの世代は7割が「民主主義の下で生きることは重要である」と答えているのと対照的である。言論NPOの「日本の民主主義に関する世論調査」でも、同様の結果が出ており、「代議制民主主義を信頼しているか」という問いに対して、肯定的に答えた人は20代、30代では3割程度にすぎない。

 実は、代表制民主主義、あるいは政党、政治家に対する信頼の低下は昨今始まったのではなく、長い期間を経て進んできた現象である。日本に関して言えば、明治以来、欧米をモデルとするフォローアップ型の近代を経験してきたが、高度経済成長が終わりを迎える中で、非物質的な価値、多様な価値観が芽生え、今後の日本の政策が目指すべき道のりはどこにあるべきかが問われ出した。国外にモデルはなく、自分たちの足元から政策をいかに形成していくかについて問題意識が高まったのが、1970年代だと言えよう。にもかかわらず、将来の日本の指針はいまだ結論が出ず、十分な議論もない。それが政治に対する不信の根底につながっている。

 1970年代の終わりには、大平正芳首相によって非常に大規模な研究会が実現された。総理主導のもと、学者・文化人など210人(多くが30代、40代であった)が参加して、「田園都市構想」「文化の時代」「環太平洋連帯」「家庭基盤充実」などを議論した。研究会で議論されたテーマは、それから30年以上経った今でも大きな課題として残ったものばかりである。1980年に大平首相が急死したため、この研究会の成果は政策的に実らなかったが、日本の国家的課題を模索したという意味で記念碑的な意義を持つ。こうした研究会が今日改めて必要なのではないか。

 日本政治史を専門とする三谷太一郎は、著書『日本の近代とは何であったか』において、明治の日本がさまざまな問題を抱えつつも、政党政治や立憲主義的な政治を一定程度実現できたのはなぜかを問うている。私が興味深いと感じたのは、政治というものは、必ずしも政治を担うエリートだけによって論じられるべきではない、という三谷の指摘だ。政治を仕事としない人々の間において議論がなされ、そこで政策が論じられていく。このような広い意味での公共圏、これがあってこそ初めて、政治における議論が充実する。森鴎外の著作に江戸時代の学者の評伝『渋江抽斎』があるが、幕府官僚や維新政府の人々以外でも、文芸を論じ、さらには社会の在り方を論ずる人々がいた。そのようなコミュニケーションやネットワークがあってこそ、江戸時代の「公儀」から、「公議」「世論」の時代へと移行することが可能になったと三谷は強調する。

 この文脈において、シンクタンクや政策研究機関の目的は2つあると、私は考える。1つは、日本の市民社会が、政策を自らの手で検証し、政府に提案し、場合によっては代案を突きつける能力を持つようにすること。もう1つは、政策に関する日本のアイデアを世界ととともに共有し、日本の経験を世界に伝えていくことである。

 シンクタンクは基本的にアメリカで発展したモデルであり、それをそのまま日本に導入できるわけではない。質・量ともに充実したアメリカのシンクタンクと比べて、日本ではシンクタンクはその機能を果たしていないと言われる。これは、日米におけるシンクタンクの位置づけの違いに起因する。日本においては、霞が関という官僚制が非常に有力なシンクタンクとして機能してきた。その一方、アメリカでは政権交代のたびに官僚トップの多くが入れ替わる。彼らは与党のときには政権入りし、野党のときにはビジネスや大学などの他の場所で活躍する。このような仕組みを「回転ドア(リボルビング・ドア)」や「スポイルズ・システム」などというが、各政党は優秀なシンクタンクを抱えておかなければ、政権に就いても政策を行うことが困難になる。  

 日本に固有のシンクタンクというものがあり得るならば、それはどのようにして実現可能だろうか。また、シンクタンクの需要はどこにあるのだろうか。いずれにせよ重要なのは、政策はシンクタンクだけが考えればいいというものではないということだ。国会などで政治のプロが議論をすることは極めて重要だが、そこだけで議論が完結することは望ましくない。その外に分厚い議論のネットワークをつくらねばならない。シンクタンクは、そこで重要な役割を果たすべきであろう。企業、NPO、1人1人の市民とともに政策を共創し、民主主義に対する信頼感を回復させていく。これが我々シンクタンクの 目指すべき最終的なゴールと考えている。

 以上の宇野氏の基調講演を受けて、パネリストによる議論が行われた。

第2部登壇者

政策決定過程の課題をどう解決するか

 京都大学教授の中西寛氏は、日本においては、この数十年課題に対してさまざまな改革提案が示されたものの、残念ながら結果を出すことができなかったと振り返る。たとえば教育に関して、つめこみ受験競争への批判としてゆとり教育が導入され、今度は学力低下批判であっさりと脱ゆとりに転換し、最近では、大学入学共通テストに記述式問題を取り入れるというように、二転三転して混乱を招いてきた。こうしたことは、教育に限らず、政治、経済、社会などあらゆる分野で起こってきた。

 中西氏は、令和の政策形成は、急場しのぎの改革と挫折のサイクルから抜け出さねばならず、そのためには、個々の分野ではなく、より包括的な観点から考えるべきだという。モデルとして中西氏が紹介したのは、エコノミスト大来佐武郎が戦後直後にまとめた研究と、70年代末の大平正芳首相による研究会である。終戦後、大来は「日本経済再建の基本問題」という報告書を作るに当たり、幅広い分野の専門家や官僚を集めて40回以上の議論を重ねた。戦後日本の生存戦略として経済を優先すべしと設定し、その上でアメリカ主導の支配体制、国際的相互依存の深化、経済の民主化という状況を分析。生活基本財を輸入しなければならない日本が輸出振興によって経済を再建するというビジョンを打ち出し、政策の提言を行った。もう1つの大平の研究会は、与党自民党の方針と結論が異なっても、長期的・総合的な視点で考えるという大平の指示のもと、若手官僚を学者と並んで研究メンバーに登用し、9つの政策研究会を発足。メンバーが研究会をまたがるようにするなど、各研究会が相互連関性を持つように考えたことに特徴があった。

 これに対して、中曽根政権以降は官邸主導型で政策形成が進められるようになっている。首相の政治権力に直結していることもあって、諮問委員会での決定事項は実現される可能性も高く、メディアや世論の関心も高い。その一方でこうした現在の諮問委員会には、各分野の権威が集められ、短期間の間で十分な議論ができず、すぐに実行できそうな案が採用される。また、首相直結のため官僚が反対意見を表明できない等々の問題点があると中西氏は指摘する。

 株式会社PHP研究所の取締役である永久寿夫氏は、政権が政策形成とその遂行に強いリーダーシップを発揮したいと官邸の機能強化を図ってきてことが、一方で、政策を議論しようとするエネルギーを弱めてしまったのではないか、と指摘する。トップダウンの政策決定それ自体は評価すべき点もあるが、その結果、政策当局者の外で活発な議論がしにくくなったとも感じている。

 現在の日本の政治は、低成長下における利害分配という機能をまったく果たしておらず、多くの日本国民が将来を不安に思っていると説明するのは、言論NPOの工藤泰志氏である。そして国民は、政党、政治家、知識層だけではなく、日本の統治システムや代議制民主主義を信頼しなくなっているという。工藤氏は、こうした危機的状況において、政策形成に関わる人たちは、政策共創の前に覚悟を固めるべきだと主張する。民間が政府とは違う視点で、何が日本にとって必要かということのアジェンダを自ら設定し、競い合うことが重要である。その延長線上に政府との役割分担や、政策の共創の姿があるのではないかと指摘する。例えば、尖閣諸島において日中が緊張した時には、民間の立場でNPOが言論外交を行った。偶発的な事故から戦争が起こらない仕組みを作る、という市民の大きな願いを汲んで対話を進め、その後、政府OBらの協力もあってアジアに地域の信頼醸成のための機構「アジア平和会議」を設立できたという。

シンクタンクはどうあるべきか

 政府に対して政策を提案する上で、政策研究機関、いわゆるシンクタンクは重要な役割を果たすと期待されている。アメリカでは政権がシンクタンクの提案をベースにして政策を進めていくが、こうした仕組みは日本でも可能なのだろうか。

 東洋大学教授の横江公美氏によれば、シンクタンクには、「ジャーナリスティックな視点を持つ研究者」の資質と「アカデミックな視点を持つジャーナリスト」の資質が必要とされる。すなわち、社会に対する問題意識が圧倒的に明確であることと同時に、提案を伴った研究を実施することが肝要であると説明する。この資質が、学術部門と一線を画すという。研究をふまえた提言を行うことで、シンクタンクは政治家や市民に研究を知らせる啓蒙活動の延長として、メディアにも貢献する。

 また、政策を議論する環境を提供するため、シンクタンクが持つべき機能として、データベースの構築を第1に挙げる。政策提案を行うためにはデータを元にした研究が必要であり、こうしたデータは公文書や政府統計がベースになる。例えば、アメリカでは選挙資金はすべて公開情報になっているが、個人レベルで1つひとつ検証していくのは困難な情報だ。そこで、政治資金を始めとした公文書をデータベース化したサイトを開設することで、エビデンスをもとにした研究を可能にしたシンクタンクの取り組み例を紹介した。

 資金面では、アメリカのシンクタンクはほとんど寄付によって運営されており、同様の仕組みを日本で実現するのはかなり難しいという。アメリカにおいてもシンクタンクの浮き沈みは激しく、政権と関係の深いシンクタンクに資金が集まる一方、そうでないシンクタンクが倒産の憂き目に遭うことも少なくないということだ。大切なのは、シンクタンクが運営を続けていけることであり、アメリカ型シンクタンクという形式にこだわらず、シンクタンク的機能を備えた経済的に安定する組織を増やしていくことを提案する。その担い手はNPOや企業、政党、経済団体など何でもかまわないという。また、シンクタンクは研究で政策に影響を与えて貢献することが仕事であり、一番重要なのは研究であると主張する。

 永久氏は、いわゆるマニフェスト政治が失敗し、民意を政治に反映する新たな政策形成プロセスが模索されるなか、シンクタンクのありかたも変化が求められていると述べる。マニフェスト政治は、政治家が将来を予測してビジョンを描き、選挙の中で国民的な議論を行い、審判を得るプロセスであり、政権獲得後も政策の改善を重ねていくものだ。2003年の統一地方選挙と総選挙をきっかけにマニフェスト選挙が脚光を浴び、民主党が政権についた2009年から2012年にかけて、曲がりなりにも理想形を実現する試みが続いた。シンクタンクや専門家も、マニフェストを検証する形で関わってきた。しかし、結果的に多くのマニフェストは実現されないままになってしまった。その原因を、永久氏は、全体的なビジョンに基づいて政策を作ったのではなく、各政治家の利害関係や有権者から出てきた「あれもやりたいこれもやりたい」という要望を、実現可能性をきちんと検証しないままマニフェストにしてしまったからだとみている。うまく行かない時には、有権者の側も原因や改善策を議論しながら、よりよい政策にしていく必要があるという。

 マニフェスト政治が弱まったことにより、永久氏自身の活動も、地方に根付いた活動に着目し、実質的な成果を出すことに貢献することに力点が移っていると説明する。これから政策シンクタンクは、マニフェスト政治に立ち返って活動を展開するのか、地方で具体的な案件に取り組んでいくのか、いずれにしても過渡期にあるという見方だ。

これからの市民との政策共創のあり方

 パネリスト達に共通するのは、これからの政策提案は一部のエリートだけが行うものではなく、大勢の市民とともに行うべきという考えだ。では、市民が政策に関与するために必要な枠組みとはどのようなものだろうか。

 宇野氏は、そのキーワードを「デザイン思考」と「アブダクション」とする。ここでいうデザインとは表層的なものではない。例えば、iPhoneは優れたデザインによって世界にインパクトを与えたが、それは人々に「これを使えば世界に繋がる」「自分の生活を変えられる」と思わせることに成功したからだ。同様に政治においても、「これなら自分も政治に参加してみたい」、「政策を作るのに加わってみたい」と市民が感じる、使いやすいプラットフォームをいかにしてデザインするかにかかっている。そしてアブダクションだが、これはアメリカの哲学者パースが唱えた考え方で仮説形成などと訳される。我々は答えのない時代に生きている。ひたすら客観的なデータを集めてくれば自動的に政策が出てくるわけでもないし、公理から政策を導き出せるわけでもない。既存の帰納的、演繹的な方法論がもはや通じなくなってきている。アブダクションではまずデータを元に仮説を立て、実際に実行してどの程度その政策が機能するかを試す。当然、失敗することもあり得るが、そうした失敗をもとに改善を行っていくというのが、アブダクションの基本的な考え方だ。

 中西氏は、市民の側も長期的・総合的な視点を持ち、政府に短期的な対応だけを求めないようにする心構えが求められるとする。英語ではDefine the momentと表現されるが、今という瞬間を、長期的なビジョンや政策にいかに結びつけるかがポイントと説く。新型コロナウイルスへの対応も今日明日の対応が求められるが、短期的に対応するものと、より大きな方向性とどう結びつけるかが政策に問われている。また、市民と政府が政策を共創する上では、議論の場やタイミングも重要だが、中西氏はシンクタンクに市民と政府の調整役になってほしいという期待もにじませた。

 第2部の議論を受け、宇野氏は、代議制民主主義の信頼の低下の中で、政治のプロの外に分厚い議論のネットワークを作ることが必要だと唱える。国外に政策モデルを求めることのできない時代においては、トップダウンの政策形成だけでは不十分である。市民社会が政策を自らの手で検証し、提案し、場合によっては代替案を政府に示す仕組みを市民社会に作らなければならない。そうした流れを通じて、市民が社会のあり方を自ら決定していくことができるようになり、民主主義の基盤が形成される。短期的な視点に立つばかりではなく、長期的なビジョンにつなげていくためにも、市民が政策論議を行うためのプラットフォームの構築や、それを政治や行政につなぐための仕組みづくりが必要となる。その機能をシンクタンクが担っていかなければならない。それが、令和の時代の政策形成の大きな課題である。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総研(2020)「新たな国際秩序の形成と日本の政策ビジョンー知をつなぎ、政策を共創する場の形成ー」NIRAオピニオンペーパーNo.50

脚注
* 本稿は2020年2月5日に開催したNIRAフォーラム2020「新たな国際秩序の形成と日本の政策ビジョン-知をつなぎ、政策を共創する場の形成-」での発表及び議論の内容をとりまとめたものである。本稿の編集は、NIRA総合研究開発機構 研究コーディネーター・研究員の井上敦・北島あゆみ・関島梢恵、および山路逹也が担当した。

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