翁百合
日本総合研究所理事長/NIRA総合研究開発機構理事

概要

 少子化や人手不足が深刻化する中、女性の潜在力を発揮し、希望する働き方を実現できる社会の構築が急務となっている。しかし日本では、出産・育児に伴う非正規化やいわゆる「年収の壁」、男女間の賃金格差など、構造的な課題が依然として残されている。NIRAフォーラム2025テーマ別会合「女性活躍と年収の壁男女賃金格差をどう縮小するか」(20252月開催)では、女性活躍を促すための具体的な手法と、社会的な合意形成のあり方について、官民学労言の多様な関係者が集い、議論を行った。
 女性の潜在力を発揮するための鍵となるのは、「短時間正社員制度」の普及や「第3号被保険者制度」の見直しなど、諸制度の改革と整備である。制度が女性のキャリア形成を阻害している現状を打破するためには、同時に企業文化の変革や男性の育児・家事参加への促進も不可欠である。また、地域における格差是正には、地方自治体や中小企業の制度整備と、首長をはじめとするリーダー主導の意識改革が求められる。さらに、制度改革を社会全体で進めるには、メディアによる正確な情報発信、政府による明確なビジョンの提示、若年層を含む多様な主体の参画による合意形成が重要である。制度と意識の両面での変革を通じて、少子化の急速な進行を防ぎつつ女性の潜在力が発揮できる社会の実現を目指す必要がある*

INDEX

NIRAフォーラム2025テーマ別会合「女性活躍と年収の壁―男女賃金格差をどう縮小するか」参加者

・植松利夫  財務省主税局審議官
・岡林佐和  朝日新聞経済部記者
・翁百合   NIRA総研理事/日本総合研究所理事長
・駒村康平  慶応義塾大学教授
・小安美和  Will Lab代表取締役
・寺井公子  慶応義塾大学教授
・中村英正  こども家庭庁長官官房長
・深澤祐二  JR東日本会長
・前田裕之  学習院大学客員研究員/文筆家
・安河内賢弘 連合副会長/JAM会長
・矢田稚子  内閣総理大臣補佐官
・山崎史郎  内閣官房参与
(敬称略・五十音順、フォーラム開催時点の肩書を記載)

はじめに

日本社会において、女性の就労は着実に拡大しており、夫婦世帯では共働き世帯の数が専業主婦世帯を大幅に上回るなど、働き方や家族のあり方は大きく変化している。しかしながら、出産・育児に伴う非正規化やキャリア形成の阻害、さらには男女間の賃金格差といった構造的課題は依然として解消されておらず、女性の潜在力が十分に発揮されているとは言い難い。

女性が希望どおりに働き、その潜在能力を十分に発揮できる社会の実現は、日本経済の成長のみならず、個人の人生における選択肢を広げ、生きがいを持って生きることのできる社会につながる。また、このような環境の整備は、男性のライフスタイルの見直しも伴うものであり、日本が直面する少子化の深刻化を軽減し、日本社会の持続可能性にも寄与するはずである。

そこで、NIRAフォーラム2025テーマ別会合「女性活躍と年収の壁―男女賃金格差をどう縮小するか」では、現状の課題を踏まえた上で、女性活躍を促すための手法はどのようなものか、また、人々の合意を得るために何をすべきかについて、政府関係者や経済界、労働界、研究者、メディア関係を一堂に会し、議論を行った(注1)

1.女性の就労拡大における課題

冒頭の基調講演で、内閣総理大臣補佐官※(賃金・雇用担当)矢田稚子氏は、女性活躍の現状と政府の取り組みを次のように紹介した。(※はフォーラム実施時点)

「L字カーブ」問題と「年収の壁」

 日本の労働市場において人手不足が深刻化する中、女性の就労は、量と質の両面で労働力供給を拡充させる上で重要な要素である。また、女性の所得の増加は消費や投資の拡大を通じて経済全体の需要を喚起する効果が期待される。しかしながら、女性の就業構造には依然として大きな課題が残されている。その代表例が、「L字カーブ」問題―20代後半をピークに女性正社員の割合が減少していく現象―である(図1)。出産や育児を機に一旦、正社員を辞めると、復職した際には非正社員での就業になってしまうことを示している。いわゆる「年収の壁」の範囲内で働くケースが最も多い。

図1 女性の就業率と正社員割合(L字カーブ)

図1 女性の就業率と正社員割合(L字カーブ)

(出所)矢田氏提供。総務省「労働力調査(基本集計)」により作成。

 女性を保護する目的で作られた税制や社会保障制度が、女性の就労意欲や働き方の選択に影響を与えている。「年収の壁」とされる課税、税控除、社会保険料の制度が複雑に存在しており、配偶者控除や手当の喪失を避けるために就労を控える要因となっている。

 内閣府の調査によれば、現在の就業状況に満足せず、より多く働きたいと希望する女性は約290万人に上る。これは、女性の労働供給が、本人の就労意欲に反して制度によって抑制され、女性が潜在力を発揮できていない実態を示している。

男女間の賃金格差

 男女による賃金格差を見ると、日本では、女性の賃金は男性の約78%にとどまり、欧米主要国と比べて格差が大きい。これは、女性は非正規雇用で働く割合が高く、非正規雇用の賃金が、正規雇用の6~7割程度にとどまっていることと深く関係している。

 また、女性の大学進学率が男性とほぼ同水準に達しているにもかかわらず、大卒女性の36%が年収200万円未満にとどまっている(図2)。女性のスキルや専門性が十分に社会に還元されていないことを示している。

図2 有業者の年収分布(35~44歳、有配偶者)

図2 有業者の年収分布(35~44歳、有配偶者)

(出所)矢田氏提供。総務省「就業構造基本調査」により作成。

 こうした現状を踏まえ、政府は、女性活躍推進法に基づき、企業に対して男女の賃金格差の開示を義務付けた。また、「年収の壁」については、課税の壁(103万円→123万円)や扶養控除(150万円まで)の見直しを令和7年度税制改正大綱に盛り込み、社会保険料の壁(106万円、130万円)についても法案審議を進めている。

「扶養内就労」の意識とその背景

続いて、矢田氏は、女性の就労の選択によって、生涯可処分所得がどう異なるのか、具体的な数値を示すことで、女性の意識改革を促していることを紹介した。

 「103万円の壁」を超えることで手取りが減るという誤解や、扶養内にとどまることが「賢明な選択」とされる社会通念が、就労抑制の一因となっている可能性がある。内閣府は、出産後の働き方による世帯可処分所得の差異を試算し、年収の壁を超えて働くことの経済的メリットを可視化した。官邸や厚生労働省のホームページで格差分析ツールを提供するなど、正確な情報の発信や広報・啓発活動を通じた理解促進に努めている。

 内閣府の試算によれば、出産後も正社員として働き続けた場合、専業主婦となった場合と比較して世帯の生涯可処分所得は1億6,700万円高くなる(図3)。このようなデータを活用し、「扶養内就労」が必ずしも得策ではないという事実を広く共有することが有効だと考えている。

図3 女性の出産後の働き方別世帯の生涯可処分所得:試算結果

図3 女性の出産後の働き方別世帯の生涯可処分所得:試算結果

(出所)矢田氏提供。内閣府試算。

地方における女性就業の実態と構造的課題

さらに、矢田氏は、地方において女性活躍の場が限られていることが、女性の都市部への移動を促しており、地域間での格差是正が重要な課題であることを指摘した。

 地域によって格差の程度にばらつきがある。特に、格差の大きい地域では女性の流出が顕著である。地方における女性の就業環境は、都市部と比べて依然として厳しい状況にある。若年女性の大都市圏への流出は深刻であり、一部地域では未婚者の男女比に著しい不均衡が生じ、少子高齢化や人口減少の加速が懸念されている。背景には、地域ごとの産業構造や雇用慣行、ジェンダーに対する意識の違いがある。

 男女間の賃金格差、勤続年数の差、管理職に占める女性の割合など、地域によって女性の就業状況には大きなばらつきが見られる。こうした格差が、地方で暮らす女性にとっての「生きづらさ」となり、より高い所得やキャリア形成の機会を求めて都市部への移動を促している。

 地域ごとの賃金格差の要因分析を通じて、課題の可視化を進めることが重要だ。地方でのヒアリングから、産業構造や雇用慣行といった地域特有の要因が女性の就業に大きく影響していることが明らかになった。各地域で制度整備を展開するためには、都道府県レベルだけでなく市町村レベルでのデータ分析を進めて、それを基にした政策を立案する必要がある。そこで、内閣府では、産業別・地域別の格差データを集積・公表している。地域における課題解決に向けては、「地域働き方・職場改革サポートチーム」を発足し、手上げ方式で自治体と連携しながら、地域ごとの要因分析と支援を進めている。

短時間正社員制度の導入と企業文化の変革

矢田氏の基調講演を踏まえて、内閣官房参与の山崎史郎氏からは、人口が減少する中、少子化対策の視点からも働き方の改革が重要であり、中でも「短時間正社員」を普及させるべきとの提案がなされた。

 「短時間正社員」は、無期雇用契約の下で、フルタイム正社員と同等の待遇を受けつつ、所定労働時間よりも短い労働時間で就労する社員である。

 本来、企業は「多様な正社員」の一類型として短時間正社員制度を導入できるのに、企業の活用は進んでいない。その背景には企業の雇用慣行や意識がかかわっている。この制度の導入は企業が就業規則に明示すれば可能であるにもかかわらず、『短時間は非正規』というステレオタイプの考え方や正社員だから長時間労働は普通だという思い込みがあるのではないか。こうしたマインドが変わらない限り、実効性ある働き方改革には至らない。

 女性就労が出産・育児を機に非正規雇用中心となっていくことを象徴しているのが「L字カーブ」だ。若い世代にとって出産・育児が「経済的リスク」と捉えない社会を実現するためには、短時間正社員を含めて「雇用の正規化」を推進するとともに、仕事と育児が両立可能な「時間の柔軟性」を備えた働き方の整備が不可欠である。少子化対策の観点からも女性就労のあり方をはじめ雇用政策としてのアプローチが求められている。

マミートラックの解消と配偶者控除の見直しを

慶応義塾大学教授の寺井公子氏は、企業の雇用慣行も影響しているが、同時に税制の見直しが必要だと指摘した。

 配偶者控除の場合、配偶者が働き方を抑制することで夫が得をする構造になっている。このため妻がより働きたいという気持ちを自己抑制している可能性もある。ここに潜在的な夫婦間の意識の問題が介在する。

 長時間労働を前提とする正規雇用制度の下では、育児と仕事を両立できる女性は「スーパーウーマン」に限られる。すべての女性がそのような働き方を選べるわけではなく、より多くの人が育児と並行しても無理なく働き続けられる制度の整備が求められる。

連合副会長の安河内賢弘氏は、短時間正社員制度の日本への導入のための工夫の必要性を述べた後、女性のキャリア選択と就業抑制にかかわる問題として、「マミートラック」に言及した。

 短時間正社員制度は欧州では広く普及しており、ドイツでは専門の時間管理担当者が配置され、柔軟な勤務体制が実現されており、日本と彼我の差がある。

 また、男女平均賃金格差は縮小傾向にあるが、「マミートラック」の影響は依然として見られる。育児休業の取得が女性に偏ることで、復職後の昇進・昇格が遅れ、結果として男女間の賃金格差が拡大する。JAM(ものづくり産業労働組合)としても男女別に個別賃金水準の歪みと格差を確認し、是正に臨んでいる。

「マミートラック」の問題に関しては、財務省審議官の植松利夫氏からも、キャリア志向の女性にとって将来への不安要因となり、結婚や出産の時期を意図的に遅らせる判断にもつながっている可能性があるとの懸念が示された。この問題の解消には、男性の育児参加の促進も重要であるとの意見である。加えて、JR東日本会長の深澤祐二氏からも同主旨の発言があった。企業内の評価制度や昇進基準の見直しといった先行事例も参考に、企業等の意識改革と制度改革を同時に進めることが求められるとの主張である。

地域社会における「制度改革」「意識改革」の必要性

矢田氏が指摘したように、地方における女性の就業環境は、都市部と比べて依然として厳しい状況にある。地域における男女間の就業格差が、若年女性の地域間移動に影響を及ぼしているという指摘がある。地方における制度整備と意識改革による格差是正の必要性を指摘したのは、Will Lab代表取締役の小安美和氏である。

 地域の中小企業や自治体による制度整備が不可欠である。地方企業が抱える課題として、「制度」と「意識」の両面がある。大手企業では制度は整備されていても運用面で無意識の偏見が残り、中小企業では制度そのものが存在しない場合も多い。このような状況に対応するためには、企業の規模や業種、地域特性に応じたセグメンテーションを行い、課題に即したアプローチを講じる必要がある。

 また、制度整備と並行して、地域社会全体の意識改革も重要である。地方では首長を含むトップ層ですら、男女間格差の是正に対する意識が十分に共有されていない。制度改革を進めるには、まず地域のリーダーが課題を正しく認識し、変革の必要性を住民と共有することが求められる。

以上のように、女性の就労拡大に向けた課題は、「L字カーブ」や「年収の壁」に象徴されるような就労抑制をもたらしている制度的な制約に加え、企業内の制度や文化、地域社会の意識の問題が複雑に絡み合っていることが明らかになった。それを打開するには、雇用の正規化を「短時間正社員制度」など柔軟で持続可能な働き方を整備する方向で普及すること、「マミートラック」を解消する企業内制度改革や企業文化の醸成への労使の協力、男性の育児・家事参加の促進、地域の首長のリーダーシップなどが求められている。

2.第3号被保険者制度に起因する「年収の壁」への対応

これらの課題を助長し、女性のキャリア形成や就労意欲に影響を与えている制度の1つが、第3号被保険者制度に起因する「年収の壁」である。本セッションでは、この制度の問題点が掘り下げられ、制度改革に向けた具体的な方向性が示された。慶応義塾大学教授の駒村康平氏は、賃金格差を縮小させる上でも、第3号被保険者制度を廃止することが望ましいと述べた。

 第3号被保険者制度の見直しの議論では、負担の公平性や就業調整の観点からの指摘が多いが、キャリア形成に対する悪影響も考える必要がある。第3号被保険者制度は、低年金受給となる専業主婦に対する救済措置として導入されたが、実際には、その制度があるために女性の労働参加が抑制され、働く女性の約2割が結婚を機にキャリアを変更する。辞める女性が多ければ、企業側も女性は投資に見合わないと統計的に判断し、女性へのキャリア形成に資源を割かなくなる。これが、ジェンダー・ギャップの再生産につながっている。出産後の賃金低下や就業継続の困難さから、女性が「保険」として高収入の配偶者を求める傾向があることはデータを見ても明らかである。第3号被保険者制度の恩恵を受けられるのは、高収入の男性と結婚した限られた層にすぎない。

 これらの点を踏まえ、第3号被保険者制度は廃止すべきと考える。そのためには、保険料の応能負担を徹底し、一定の所得以下の人から保険料を徴収しないゼロ保険料加入者とし、基礎年金給付を半額とするという案が考えられる。他の案としては、応益負担として、所得の有無に関係なく国民年金保険料を徴収する案も考えられるが、それよりもゼロ保険料の案の方がよいと考えている。

 第3号被保険制度を廃止するというと、「働けない専業主婦をどうやって守るのか」という意見が聞かれる。しかし、単身者や自営業者の配偶者の中にも働けない人はいる。それは別の制度で手当すべきである。年金制度の中で特定の人だけを保護し、しかもジェンダー・ギャップを再生産する仕組みを維持することは理解が難しい。

制度改革に向けた提言と国民的理解の醸成

3号被保険者制度の廃止に向けた議論は、労働界や財界でもすでに始まっている。安河内氏は、社会保険制度改革に関する連合の基本的な考え方を紹介した。

 連合は、働き方に中立的で就労を阻害しない制度とするために、第3号被保険者制度を、時間をかけて廃止することを求めている。第3号被保険者制度は、被保険者の大半を女性が占めており、女性のキャリア形成を阻害し、男女間賃金格差を生む原因の1つとなっている。2030年までに制度の大幅な縮小と廃止方針の明示を行い、被扶養基準や所得制限などを段階的に見直すことで、2050年を目途にすべての被用者に中立的な制度の実現を目指すべきと考える。

また、深澤氏は、経済同友会が提言する2段階の年金制度改革案について説明した。

 第1段階では、第3号被保険者制度を廃止する。5年間の猶予期間で、段階的な移行や支援措置を講じつつ、現行の複雑な制度を見直す。第2段階では、基礎年金を税財源で賄う仕組みへ移行し、保険料負担の軽減と制度の持続可能性、そして国民にとって分かりやすい制度の構築を図る。

 こうした改革の背景には、「サラリーマンと専業主婦」という「昭和モデル」から、共働きや単身世帯を前提とした「令和モデル」への転換が不可欠であるという認識がある。現役世代の過度な社会保険料負担を是正し、年金制度の持続可能性を確保するためにも、簡素化と公平性の確保を目指した抜本改革が急務である。

第3号被保険者制度は、女性の就労意欲やキャリア形成に制約を与えており、それが、ジェンダー・ギャップの再生産といった深刻な課題を生んでいる。参加者の多くから、制度の廃止や応能負担の徹底、段階的な移行措置を含む改革案への賛同が示され、現代の多様な家族・就労形態に対応した制度設計への転換が必要との認識が共有された。

3.社会的合意形成に向けて:情報発信とビジョンの形成

女性の活躍に影響を与えている諸制度の見直しは、現役世代および将来世代への社会保険料や税の負担の公正性を確保する方向で是正し、年金制度の持続性と国民の納得感を高める上でも重要である。本セッションでは、こうした制度改革を社会全体で進めていくために必要な情報発信のあり方や、合意形成に向けたビジョンの共有について議論が行われた。

メディアの役割と情報アクセスの課題

年収の壁、第3号被保険者制度をめぐる議論が混乱を招く背景には、制度そのものの複雑さと、国民が正確な情報にアクセスしにくい現状がある。朝日新聞記者の岡林佐和氏は、東京大学教授の近藤絢子氏の「年収の壁」などに関する見解を紹介した。

 「103万円の壁」や「106万円の壁」といった言葉は広く知られているが、その内容が正確に理解されているとは限らない。103万円を超えても手取りが減るわけではないにもかかわらず、多くの女性がその手前で就労調整を行っている実態がある。これは、過去の制度設計に基づく「思い込み」が根強く残っている可能性を示唆している。

人々の意識形成に大きな影響を与えるメディアにも課題がある。岡林氏は、国民民主党が主張した「103万円の壁」をめぐる議論を振り返って、以下のように述べた。

 当初は課税最低限の引き上げのターゲットが主婦パートなのか、大学生バイトなのか、また、理由がインフレ調整なのか、昭和モデルからの転換なのか、議論は混乱していた。こうした状況に自身がフラストレーションを抱えながら「103万円の壁」について上述の近藤氏の研究と見解を伝える記事を掲載した際には、「古い家族観に縛られていたことに気づいた」「社会構造の歪みを感じた」といった読者の反響が多数寄せられた。これは、正確な情報が人々の意識に変化をもたらす可能性を示唆している。

これに関連して、植松氏は、諸制度に対する正しい理解の難しさが「年収の壁」解消の大きな障壁となっている現状を指摘した。

 「年収の壁」の問題は、社会保険と税制にまたがることもあり、当事者にとって正しく理解しにくいものとなっている。このため、個々のケースに応じて、配偶者のケースなのか、学生のケースなのか、扶養する側の負担の問題なのか、扶養される側の負担の問題なのかも含めて、整理して理解を求める努力が必要となる。

 あわせて、例えば、配偶者控除制度については、従前から壁解消のための見直しを重ねてきているにもかかわらず、なぜ「年収の壁」として認識されるのか、エビデンスやデータに基づき分析することが重要である。こうした観点からも、国・地方トータルでデータ連携を図り、タイムリーに政策を前に進めることができる環境整備が必要となってくる。

政策担当者であるこども家庭庁長官官房長の中村英正氏は、制度改革を進めるにあたって、データに基づく政策形成の重要性を指摘した。

 第3号被保険者にせよ、配偶者控除にせよ、社会の基礎的なインフラをどのように実情に合わせてアップデートするかという問題であり、政府内でもしっかりと連携して、社会全体で議論するモメンタムを作る必要がある。制度が作られた当時から社会背景が大きく変わっている事実を基礎的なデータから客観的に把握することで、イデオロギーにとらわれずに議論を進められるのではないか。

学習院大学客員研究員の前田裕之氏は、国民が日常的に制度情報に接する機会が限られていることを問題視する。

 制度は複雑だが、データを示すことで誰もが理解できることは多い。普通の人が日常的に情報に接して、吸収できるようにするには、データがどこにまとまっているかが明確であることが重要である。また、国民民主党による「年収の壁」のアジェンダセッティングもあることがきっかけに大きな政治問題となったが、それほどの価値があるテーマかどうかは、議論の余地がある。政策の議論には様々な人が関係するが、個別対応していても反対意見が噴出するだけなので、議論を標準化することが必要ではないか。

トップ主導による意識改革と広報戦略

一方で、小安氏は、単にデータを提示するだけでは不十分であり、現場での対話や共感を通じたアプローチの必要性を強調した。

 データを見るだけで意識が変わる人は少ない。「データがこれだけあれば、誰もが納得するだろう」という考え方から脱却しなければならない。意識を変えるには、まずトップ層が課題を正しく理解し、社会のあるべき姿を明確に示すことが重要である。それが徐々に波及していくことになる。はじめから情報波及にはグラデーションがあることを前提に取り組むべきだ。

さらに、行政の立場から山崎氏は、問題と自分とのかかわりについて認識することが重要だと述べた。

 女性活躍の成否は、企業にとって「自分事」になるかどうかだと思う。人手不足の中で、企業にとって女性活躍が企業の存続にかかわると思えば変わってくる。「自分事」であることをどう説明して納得してもらうかが決め手となる。

「意識改革」に関連して、矢田氏は、政府のトップが「こうしたい」というビジョンを一貫して発信することの意義を強調し、地方においても首長が率先して意識改革を主導すべきであると述べた。

 総理は、年初の所信表明で、「若者や女性に選ばれる地方をつくります」と述べた。そうした地方を実現するために精一杯努力している。政府部内で現在、データ分析を進めながら絵を描いている。各地方で展開していくことが重要だ。チームが一体となって、課題意識を共有化して社会を変えていかなければならない。

 また、従来の「産官学」連携に加え、「産官学金労言」といった多様な主体の連携によって、より広範な合意形成を図ることが求められる。

若年層の参画と意思決定プロセスの開放性

さらに、中村氏は、制度改革を進めるにあたって、政策の合意プロセスが重要であり、若者の政策形成への参画が不可欠であることに言及した。

 制度の複雑さを解消し、国民が正確な情報にアクセスできる環境を整備することが重要である。加えて、制度の見直しが特定の層に不利益をもたらすとの誤解を避けるため、丁寧な説明と合意形成のプロセスが不可欠である。

 特に、制度の整合性を取りながら見直そうして、政府部内で自己完結的になり、議論が見えにくくなってしまう。各省庁間の調整も周りからみえるようにして議論を提起していくことが重要ではないかと考えている。

 最近の動向をみていると、若者の意見が政策決定に反映されないことへの不満が、社会の閉塞感につながっているようにみえる。審議会の構成に若者を積極的に登用するなど、意思決定プロセスの開放性を高める必要がある。

年収の壁や第3号被保険者制度などの女性の就労抑制をめぐる議論を社会全体で前進させるためには、制度の複雑さを解消し、国民が正確な情報にアクセスできる環境を整備することが不可欠であるとの認識が共有された。メディアの役割や政府の広報戦略における情報発信の工夫、データに基づく政策形成の重要性が指摘されるとともに、トップ層によるビジョンの発信や、若年層を含む多様な主体の参画による合意形成の必要性が強調された。単なる制度改革にとどまらず、社会全体の意識変容を促すための丁寧な対話と情報発信のあり方が問われている。

おわりに

現在、出生率が急速に低下する一方、人手不足が深刻化しつつある。こうした中で、女性の就労が拡大し、共働き世帯が多数派となった現代においても、出産・育児に伴う非正規化、マミートラック、男女間の賃金格差といった構造的課題は依然として残されている。このため、「女性の潜在力の発揮」と「共働き・共育て」の環境整備はまだ緒についたばかりといえる。

本フォーラムでは、短時間正社員制度の導入促進や第3号被保険者制度の見直しや配偶者控除制度の課題、地域における格差是正、また、制度改革を実現するための情報発信とビジョンの形成のあり方など、多角的な視点から改革の方向性について検討した。これらの取り組みは、いずれも「制度改革」と「意識改革」の両輪によって初めて実効性を持つものである。

制度面では、働き方の多様化に対応した柔軟な雇用制度の整備と、第3号被保険者制度の見直しは、ジェンダー平等や女性の年金も含めた生涯収入の向上に向けた重要な1歩となる。今後、女性の就労抑制の是正や子育てしやすい環境を両立するためには、さらに政府内で連携して諸制度の総合的な見直しへのモメンタムを作っていく必要がある。一方、意識の面では、性別役割分業に基づく固定観念を打破し、誰もが自らの意思で働き方を選択でき、「共働き・共育て」社会を目指す意識を広げていくことが必要となる。

さらに、社会的な合意を形成しながら、制度改革と意識改革を進めていくには、メディアによる正確な情報発信、トップ層による明確なビジョンの提示、そして若年層を含む多様な主体の参画が不可欠である。今回のフォーラムには、多様な分野からの人々が集まり、広範な視点からの議論が行われたが、この課題は若者層を含む関係者が連携して取り組み、制度と意識の双方における変革の必要性を、対話によって社会全体に浸透させることが必要となる。

新たな時代を切り拓く原動力となるのは、制度の変革、そして人々の意識の変化である。女性の潜在力を生かし活躍できる社会を本気で実現し、希望する人が安心して子どもを産み育てられる社会にできるのか―人手不足が本格化し少子化が加速している今、日本は、社会の持続性にかかわる岐路に立たされているといえる。その行く末は、官民学金労言が危機感を共有して広範な合意形成を作り、社会全体を動かしていけるかにかかっている。

翁百合(おきな ゆり)

翁百合(おきな ゆり)

NIRA総合研究開発機構理事、日本総合研究所理事長。京都大学博士(経済学)。著書に『金融危機とプルーデンス政策』(日本経済新聞出版社、2010年)など。政府税制調査会会長。財務省財政制度等審議会会長代理、金融審議会委員等を務める。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)翁百合(2025)「女性活躍と年収の壁―女性の潜在力発揮と少子化対策を両立する社会へ―NIRAオピニオンペーパーNo.81

脚注
* 本稿のとりまとめは、NIRA総研主任研究員の関島梢恵が協力した。 * 本稿のとりまとめは、NIRA総研主任研究員の関島梢恵が協力した。
1 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「女性活躍と年収の壁―男女賃金格差をどう縮小するか」は2025年2月1日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。 1 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「女性活躍と年収の壁―男女賃金格差をどう縮小するか」は2025年2月1日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。

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