NIRAオピニオンNo.82 2025.07.07 少数与党時代の財政リスクドイツの財政運営を参考に考える この記事は分で読めます シェア Tweet 柳川範之 東京大学大学院経済学研究科教授/NIRA総合研究開発機構理事 概要 日本の政府債務残高対GDP比は250%を超え、先進国で最悪の水準にある中で、少数与党体制下では短期的な政治的利益が優先され、必要な改革が先送りされる懸念が強まっている。また、SNSを中心としたネットメディアの影響拡大により、感情的な言説や断片的な主張が政策議論に影響を与える場面もみられるようになった。 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「少数与党時代における財政リスクについて」では、ドイツの「債務ブレーキ」制度や独立財政機関の事例を参考に議論を行い、日本の財政運営についての方向性が示された。 まず、財政規律を法律で明文化するなど短期的な政治状況に左右されない制度設計や政府の財政運営を監視・評価する独立財政機関の仕組みづくりは、日本においても検討すべき課題である。また、低金利依存の財政構造から脱却し、格付け低下リスクへの備え、有事対応の恒常的な財源確保、所得再分配による経済成長阻害の解消を急ぐ必要がある。 さらに、財政健全化の実現には、政府への国民の信頼回復と透明性向上が欠かせないことから、政府とメディアは財政の全体像やリスクを国民に明確に示し、「情報の空白」(信頼できる情報が不十分で、誤解や極端な主張が拡散する状況)を埋めていくことが重要である。加えて、若年層を含め、社会保障制度といった政策に関する教育の充実が不可欠である。 これらの取り組みを通じて、国民との建設的な対話を進め、財政政策に関する社会的合意形成を促進することが急務である*。 PDFで読む INDEX はじめに 1.日本の財政健全化を巡る状況と課題 少数与党下での財政運営 2.ドイツの財政規律の導入経緯と制度設計 ドイツの財政規律の経験 独立財政機関の役割 最近の動き:少数与党への転換と財政規律を巡る対立 スウェーデンとフランスの事例 日本への示唆 3.日本財政が抱えるリスクとは 低金利依存のリスク 格下げリスク 有事のリスク 再分配の拡大が経済成長を阻害するリスク 長期的視点の欠如と信頼構築の重要性 4.財政問題の伝え方と国民との建設的な対話の促進 財政問題の報道とSNSの影響 情報の空白を埋める情報発信 共感を得ながら正確な情報を発信する わかりやすい制度設計と理解促進 5.持続可能な財政のための対話と制度設計 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「少数与党時代における財政リスクについて」参加者・宇南山卓 京都大学教授・片桐満 法政大学准教授・片山健太郎 財務省主計局調査課長・菅野幹雄 日本経済新聞社論説委員長・瀬尾傑 スローニュース代表取締役社⾧・中空麻奈 BNPバリパ證券グローバルマーケット統括本部副会⾧・林いづみ 桜坂法律事務所創立パートナー弁護士/規制改革推進会議議長代理・平島健司 東京大学名誉教授・古田大輔 メディアコラボ代表取締役・柳川範之 東京大学教授/NIRA総研理事(敬称略・五十音順) はじめに 日本の財政は厳しさを増しており、長期的な持続可能性の確保が不可欠である。財政健全化の必要性は広く認識されているものの、少数与党体制の下では短期的な政治的利益が優先され、必要な改革が先送りされる懸念がある。近年は、SNSなどネットメディアの影響力が拡大し、感情的な言説や断片的な主張が政策議論に影響を与える場面がみられるようになった。特に、財政問題に関する議論が感情的かつ断片的にものになりつつある。こうした中、NIRAフォーラム2025テーマ別会合「少数与党時代における財政リスクについて」では、ドイツの財政規律を巡る取り組みを参考にしつつ、少数与党体制下での財政運営の方策、現在の日本の財政リスク、そして建設的な議論を行うためのメディアのあり方について、議論を行った(注1)。 1.日本の財政健全化を巡る状況と課題 少数与党下での財政運営 日本は現在、少数与党体制にあり、財政改革には野党の協力が不可欠だが、痛みを伴う政策の合意形成は容易ではない。短期的な政治的利害が優先され、必要な改革が先送りされるリスクが常に存在している。しかし、少数与党体制下であっても、日本の財政の持続可能性が喫緊の課題であることに変わりはなく、制度設計の見直しや合意形成の仕組みに工夫が求められる。日本の政府債務残高は、先進国で最悪の水準にある。今後も財政赤字が続けば、金利上昇時に利払い費が急増し、財政運営の自由度が大幅に制約されるリスクがある。一方で、日本経済はデフレを脱しつつあるものの、力強い成長には至っておらず、先行きの不透明性が増している。こうした状況下で、海外の財政規律に関する制度設計についての知見を得ることは有益である。特にドイツの「債務ブレーキ(Schuldenbremse)」制度は、財政健全化を図る手法として示唆に富む事例である。東京大学名誉教授の平島健司氏が、ドイツの財政規律の導入経緯と制度設計について紹介した。 2.ドイツの財政規律の導入経緯と制度設計 ドイツの財政規律の経験 ドイツは2度にわたる世界大戦後に深刻なインフレーションを経験し、財政規律の重要性を認識してきた。財政改革の大きな契機となったのは、1990年の東西ドイツ統一に伴い、旧東ドイツへの大規模な財政移転が必要となったことである。その後、約20年にわたり財政連邦制度の議論が続き、2009年に社会民主党(SPD)とキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の大連立政権下で、憲法(基本法)にいわゆる「債務ブレーキ(Schuldenbremse)」制度が導入された。 この制度は、「連邦政府および各州の予算を原則として借入なしで均衡させ、新規債務をGDPの0.35%以内に制限する」ことを憲法で恒久的に規定し、均衡財政を憲法上義務付けた点が特徴である(基本法109条・115条)。連邦政府は2016年から適用予定だったが、当時のショイブレ財務大臣(2009-2017)の努力により、2014年にはすでに新規債務をなくすことに成功した(図1)。ただし、この制度には例外規定があり、激甚災害や国家非常事態の場合には一時的な債務上限超過が認められる。実際にコロナ禍やウクライナ戦争、エネルギー価格高騰対策への対応として、2020年から2023年までは「債務ブレーキ」の適用が一時停止された。 図1 連邦政府の新規債務額の推移(2008年~2023年) (出典)Deutschlandfunk (2025) "Vor Regierungsbildung: Keine baldige Reform der Schuldenbremse in Sicht" https://www.deutschlandfunk.de/schuldenbremse-grundgesetz-reform-debatte-100.html(2024年6月5日閲覧) 独立財政機関の役割 ドイツでは2009年の財政改革により、憲法で「安定評議会(Stabilitätsrat)」が設置され、その下にそれを補佐する独立の「諮問委員会(Beirat)」が置かれている。安定評議会は連邦および州の予算を監視し、財政健全化の進捗を評価する役割を担っている。連邦と州の財政当局者から構成され、相互監視の機能を果たしている。また、この「諮問委員会」は、一般的に独立財政機関といわれるもので、独立した立場から均衡財政ルールの監視を行い、安定評議会に対して助言を行う。 また、「5賢人委員会(Sachverständigenrat zur Begutachtung der gesamtwirtschaftlichen Entwicklung:ドイツ経済専門家評議会)」も別途存在し、財政の安定に加え、経済成長も考慮した包括的な経済分析を行う組織として設置されている。この委員会は5名の経済学者で構成され、政府から独立した立場で国民経済に関わるデータを提供し、政策判断の透明性を確保する役割を担う。このようにドイツでは、独立した機関が政府に対して助言を行う仕組みが複数のルートで存在している。 最近の動き:少数与党への転換と財政規律を巡る対立 しかし、近年、ドイツにおいても、財政規律を巡り大きな転換が迫られている。2021年の連邦議会選挙後、中道左派の社会民主党(SPD)を中心に、緑の党、自由民主党(FDP)による「信号機連立(Ampel)」政権が発足したが、当初から財政規律を巡り政権内で緊張関係が生じていた。SPDと緑の党が社会的支出や気候変動対策のため財政支出の拡大を目指したのに対し、FDPのリントナー財務大臣は財政規律を厳格に維持する立場を堅持した。 2023年に入り、コロナ禍やウクライナ戦争による財政赤字拡大への対応を巡って、政権内の対立が表面化し、ショルツ首相(SPD)が、財政緊縮を主張したリントナー財務相(FDP)を解任し、FDPは政権を離脱した。これにより3党連立政権は崩壊し、ドイツはSPDと緑の党による少数与党体制へと移行した。現在、ドイツ経済の低迷を受け、インフラや教育投資の必要性が高まり、「債務ブレーキ」の見直しを求める声が強まっている。一方、財政規律を重視する保守派は制度維持を主張し、改革を巡る議論は続いている(注2)。 スウェーデンとフランスの事例 ドイツに加えて他の国の事例が、財務省主計局調査課長の片山健太郎氏から紹介された。 スウェーデンでは、1990年初頭の深刻な金融危機を契機に、「このままでは財政が破綻する」という強い危機感が国民の間で共有され、与野党が協力して財政再建を推進した。その結果、約5年で財政赤字を解消し、財政収支を黒字化することに成功した。この事例は、デフォルト危機が迫っていたからこそ国民が改革を受け入れ、超党派の合意形成に成功した事例として評価されている。 他方、フランスでは2022年の総選挙後、マクロン政権の与党が過半数を失い、財政健全化法案が議会で否決された。その後、政局の混迷により財政再建の見通しが不透明になったことを受けて、ムーディーズは2024年12月にフランス国債を格下げし、「少数与党のもとでは財政再建が進まない」との評価を示した。 日本への示唆 こうしたドイツや諸外国の事例は、日本の財政政策にも重要な示唆を与える。財政規律を法律で明文化し、短期的な政治状況に左右されない仕組みづくりは、日本においても検討すべき課題である。また、財政ルールを規定するには、超党派の合意形成が不可欠であることが伺える。加えて、独立した財政監視機関が客観的なデータを提供し、政府の財政運営をチェックする仕組みを構築することも、日本の財政健全化に向けた重要な課題となる。さらには、政府が財政再建の必要性を国民に分かりやすく伝え、短期的な政治的利害を超えた超党派の合意形成していくことは、持続可能な財政運営への信頼を高めるだろう。 3.日本財政が抱えるリスクとは 日本の政府債務残高対GDP比は約250%を超え、先進国で最悪の水準にある。プライマリーバランス(PB)の慢性的な赤字は、少子高齢化に伴う社会保障費の増大と相まって、財政の持続可能性を一層脅かしている。NIRAでは、日本の財政を巡るリスクについて、長期シミュレーションをもとに議論を行ってきた。その研究成果をもとに、メンバーである法政大学准教授の片桐満氏、京都大学教授の宇南山卓氏が、財政リスクについての問題提起を行った。 低金利依存のリスク 法政大学准教授の片桐満氏は、自国通貨建ての債務は通貨発行によって返済可能であるため、「債務を返せない」という形での財政破綻は起こらないが、その場合にはインフレを招くことによる経済に与える負の影響は甚大になると指摘する。 日本でのインフレ率の上昇が他国と比較して穏やかなのは、名目金利が名目成長率を下回る状況が続いていることが要因となっており、これが維持されているのは、この環境下では緩やかなインフレによる債務削減効果(インフレ税)が期待できるためである。実際、日本は長年にわたり低金利政策をとってきた。これにより政府の利払い費は抑えられ、財政運営の余地が確保されてきた。 このことは裏返すと、名目金利が名目成長率を上回った場合、財政負担が大きくなることを意味する。この点についてNIRAオピニオンペーパーでは、シミュレーション結果をもとに具体的な財政再建シナリオを提示している(楡井他, 2024)。現在、日本の政府債務残高対GDP比は250%を超えるが、2060年にプライマリーバランス(PB)を均衡させることを目標とした場合、機械的に毎年GDP比で0.12%相当の段階的な増税が必要になる。このPB均衡を目的とした増税は消費税率に換算すると、2060年時点で約20%となる水準である。この措置が実施されれば、債務残高対GDP比は180%程度まで低下すると試算されている。 ただし、このシミュレーションが示す債務削減効果は、金利が引き続き緩和的に推移することを前提としている。仮に国債金利が1%上昇すると、政府債務残高は再びGDP比250%まで跳ね上がり、これまでの国民負担増加による財政再建の効果がほぼ相殺される(図2)。これは日本の財政がいかに低金利環境を前提とした脆弱な構造になっているかを示すものであり、こうした財政構造の脆弱性を十分に認識しておくことが重要である。 図2 金利上昇のインパクト (出所)片桐満氏(法政大学准教授)の当日資料。 財務省主計局調査課長の片山氏は、懸念すべきリスクとして、金利リスクを挙げた。 国内金融機関の国債購入余力がバーゼル規制の影響で制約されているため、日銀が国債保有を減らしていく中、今後海外投資家の保有比率が高まる可能性が高く、日本の国債市場は国際的な投資動向に一層左右されることになりかねない。それに伴い金利が上昇した場合、利払費も増えることになる。現在の日本の政府債務規模を踏まえると、仮に国債金利が1%上昇した場合、政府の年間利払い費は約9兆円増加すると試算されており、財政運営に深刻な影響を及ぼす可能性があると指摘する。 格下げリスク 片山氏は、英国の「トラス・ショック」が示すように、市場が政府の財政運営に疑念を抱けば金利が急騰し、財政政策の選択肢が大幅に制約されることを挙げた。 日本においても、財政健全化の方針が明確で信頼されるものでなければ、国債格付けの引き下げや市場の動揺を招くリスクが高まる。これまでの低金利環境が変化した場合に備え、持続可能な財政運営の枠組みを構築することが急務である。 また、日本経済新聞社論説委員長の菅野幹雄氏は、議論を粘り強く続ける必要があると指摘した。 格下げリスクの指摘は繰り返され、おおかみ少年化している面もあるが、現在は状況が格段に変わりつつある。不都合な真実であっても明確に伝えるとともに、自分たちとは異なる立場の人々にも配慮し、相手に伝わるよう議論を進めることが重要だ。 有事のリスク さらに片山氏は、日本の財政が「非連続的な有事」による債務増加リスクを抱えていると指摘する。 過去30年間で、アジア危機、リーマンショック、東日本大震災、新型コロナパンデミックといった大規模なショックに対応するため、政府は大規模な財政出動を繰り返してきた。問題は一度拡大した財政支出はその後削減されることなく、債務は累積し続けていることだ。今後も台湾有事や南海トラフ地震などのリスクが指摘されており、こうした継続的な有事対応が可能な財政運営の仕組みの構築が急務となっている。 再分配の拡大が経済成長を阻害するリスク 京都大学教授の宇南山卓氏は、財政リスクを単に政府債務の持続可能性の問題として捉えるだけでは不十分であり、社会保障費の増大により政府の規模が拡大することで、市場原理に基づく所得配分の規模が制約されている点にも注目すべきだと指摘する。 現在、日本の国民負担率(租税と社会保険料負担が国民所得に占める割合)は約50%に達し、日本全体の所得の半分が政府を通じて再分配されている。しかも、この再分配は単純に「強者から弱者への所得移転」という構図ではなく、例えば年金給付額は過去の社会保険料の支払実績などに基づき決定されるため、市場の競争原理に沿った資源配分を妨げる要因となっている。結果として、民間投資の抑制や経済成長の鈍化を招き、活力ある経済は実現しない。これがもう1つの財政リスクである。このリスクを軽減させるには、社会保障制度の抜本的な改革と、所得再分配のあり方の見直しが不可欠である。 長期的視点の欠如と信頼構築の重要性 スローニュース代表取締役社長の瀬尾傑氏は、これまでに挙げられた財政リスクに加えて、日本の政策決定における長期的視点の欠如を指摘する。 財政の持続可能性に危機感を持つ政治家でさえ、選挙が近づくと短期的なばらまき政策を優先しがちである。これは、既存政治に対する市民のフラストレーションがあり、新たな「受け皿」となる人物や勢力が登場すると、一気に支持が流れる構造がある。このフラストレーションの一因として、所得再分配の機能不全があり、本来支援が必要な層に適切に支援が届くよう、公正な再分配の仕組みを整えることが、持続可能な財政を維持するためにも不可欠である また瀬尾氏は、こうした問題の解決には政府への信頼回復と透明性の向上が不可欠だと強調し、政府への信頼が低ければ財政に限らず重要な政策が国民に浸透せず、必要な改革が進まないリスクがあると指摘した。 4.財政問題の伝え方と国民との建設的な対話の促進 近年、財政問題に関する議論はSNSの普及により感情的な対立を生みやすくなっている。財務省がスケープゴート化され批判の標的となったり、財政規律を重視する大手新聞社が「オールドメディアの非常識」と批判される事例もあり、政府の財政政策への不信感が拡大している。 財政問題の報道とSNSの影響 日本経済新聞社論説委員長の菅野幹雄氏は、伝統的メディアとSNSにおける財政議論の乖離を指摘する。 全国紙の社説では財政健全化の必要性が広く共有されている一方で、SNS上では「財政規律は不要」「国債発行を続ければ問題ない」といった極端な主張が拡がっている。また、「国債は自国通貨建てであり、日銀が通貨を発行すれば返済は可能」と財政規律の必要性を否定する専門家も存在し、そうした説が実証的な論拠を欠いたまま、ネットを通じて拡散される傾向にある。 菅野氏は、世論調査を活用しSNS上の議論と国民全体の意見の違いを明確にすることが重要だと述べる。 例えば、「年収の壁」に関する調査では、「上限引き上げを」と考える人は45%いた一方で、「限定的に」(32%)、「拡大すべきでない」(14%)という人もいた。SNS上でいわれる主張ほど一方的ではない実態が明らかになった。メディアは、こうした多様な意見を可視化し、一部の意見に左右されない政策形成を促す役割を果たす必要がある。 こうした状況に関して、BNPパリバ証券グローバルマーケット統括本部副会長の中空麻奈氏は、多くの国民が十分な情報を持たないまま政策判断を迫られ、SNS上の感情的な議論に影響を受けていると指摘する。 例えば、「103万円の壁」は法的な就業規制がないにもかかわらず、「撤廃すべき」との誤解が広がった。これは国民の知識不足だけでなく、メディアの情報提供の不十分さにも起因している。財政問題についても、本来は適切な財政運営のバランスを取ることが重要であるにもかかわらず、「放漫財政 vs. 緊縮財政」という単純な対立構造で報じられがちである。また、「財政の健全化」という言葉自体が、「緊縮財政」と同義であるかのように誤解される場面も多い。しかし財政再建とは、経済成長とのバランスを配慮する考え方であり、政府の支出を削減する緊縮財政とは異なるものだ。紋切型の論調はこうした多様な視点の提供を妨げ、議論の本質的な理解を困難にしている。 情報の空白を埋める情報発信 ネット上での議論の問題点について、メディアコラボ代表取締役の古田大輔氏は、財政議論における「情報の空白」を指摘する。 これは、政府や公的機関が発信する財政情報がPDF形式など視認性や検索性の低い方法で提供されているため、人々が正確で信頼できる情報にアクセスしにくい状況を指す。新聞やテレビが十分な情報を提供していないことも重なり、人々はインターネットに情報を求めるが、検索結果やSNSのアルゴリズムの影響で極端な主張が優先される。この背景には、確証バイアス(自身の価値観に合う情報を信じやすい傾向)やフィルターバブル現象(類似の情報ばかりが提示される仕組み)があり、特定の主張が強化され、議論が極端化する。 この課題に対応するには、公的機関や専門家が、「情報の空白」を埋める発信を行うことが不可欠である。英語圏では、政府機関がコロナワクチンの情報を検索で見つけやすいQ&A形式で提供するなど工夫しており、日本の対応とは対照的だ。政府や公的機関も視認性の高い形で正確な情報を発信し、TikTokやYouTubeなど若年層向けプラットフォームでも積極的に情報提供を行うべきである。 また、明らかな偽誤情報が拡散された場合、表現の自由を尊重しつつも、公的機関による指摘は必要だ。もっとも、「自分たちと意見が異なるから」という理由でチェックすることは避けるべきであり、あくまで基礎的な事実の誤りに対してのみ対応することで、健全な議論の環境を守らなければならない。 他方、専門家から多角的な視点を、片桐氏は次のように指摘する。 財政や金融政策の議論は学者間でも意見が分かれ、正否を断定することができないため、単純なファクトチェックが難しい。SNS上では断定的な言説が拡散しやすく、慎重な議論がかき消される傾向があるため、極端な主張に流されず、多角的な視点があることを発信していくことが重要である。 共感を得ながら正確な情報を発信する 中空氏は、財政議論の偏りを是正するためには、単に情報を示すだけでなく、共感を得ながら正確な情報を発信する工夫が不可欠だと強調する。 政策が「誰にとって得か、誰が損をするのか」を具体的に示すことで、情報の受け手は自分への影響を意識するようになり、関心を高めて理解を深めることができる。例えば物価高や社会保険料負担の増加に直面する層に対し、単なる増税や減税の議論ではなく、その政策が自身の生活にどう影響するかを視覚的かつ具体的に伝えることが求められる。また、「若者はSNS、TikTok」といった単純な決めつけを避け、どの媒体が最も効果的かを分析し、最も適した媒体で正確な情報を提供する仕組みの構築が求められる。 また、宇南山氏は、政府から公開されている情報を、もっと活用すべきであると指摘する。 活用されにくいのは、専門用語が多く、学者とメディアの間に情報のギャップが生じているためである。これを解消するには、専門家とメディアの連携を強化し、わかりやすい形で発信することが求められる。その際、専門家として誰に解説を依頼するかが重要だ。 わかりやすい制度設計と理解促進 林氏は、特に財政リスクの理解を促進するには、簡潔で合理的な制度設計や若い世代の教育が不可欠だと指摘する。 年金制度は、明確なビジョンの欠如と断片的な修正の積み重ねにより、極めて複雑化し、透明性が十分に確保されていない。結果として、国民が制度の仕組みを理解しにくく、政策への信頼を損なう要因となっている。 諸外国では、高校の授業で税金や年金、社会保障制度を必修科目として学ばせる国や州も多く、実際に税申告書を作成するなど、実践的な教育が行われている。日本においても、若い世代が将来の生活に必要な知識を得るための教育を強化することが不可欠である。高校段階から財政や社会保障制度の基本を学ぶ機会を設けることで、国民の政策理解が深まり、持続可能な財政運営への関心が高まることが期待される。 5.持続可能な財政のための対話と制度設計 本日の議論を通じて、財政問題に関する情報発信の不足が改めて浮き彫りとなった。財政の持続可能性を確保するためには、日本でも、政治的な圧力に左右されにくい仕組みの検討が求められる。この点では、各国も同じ状況にある。各国は財政規律を維持するために工夫をして枠組みを導入しているように、少数与党の時代だからこそ、長期的なゴールを設定し、超党派の合意形成を進めることが重要である。また、現在の状況は、財政の仕組みやリスクを一般の人々に分かりやすく伝える仕組みが不十分であると言わざるを得ない。SNSやYouTubeなどのデジタルプラットフォーム上で正確な財政情報が埋もれ、極端な主張が拡散しやすい。財政の仕組みやリスクを適切に伝えるためには、SNSでの発信を増やすなど情報発信の手法を見直す一方、財政の全体像やリスクを明確かつ視覚的に示すことが不可欠である。組織や専門家が情報発信に慎重にならざるを得ない制約があるとすれば、その間をつなぐ主体であるメディアが、正確な情報を整理し、冷静な議論を促す役割を果たすことが求められる。最後に、あえて政策立案者の姿を見せるということである。政策当局が率直に課題を説明し、国民の共感を得る努力をすることが信頼構築の鍵となる。政策エリートといわれている人々が、持続的な財政を実現するために健闘している姿を人々に見せるのもよいだろう。今回の議論を出発点とし、財政の課題について国民とともに深く議論を重ね、持続可能な解決策を模索していくことが求められる。 柳川範之(やながわ のりゆき)東京大学大学院経済学研究科教授。NIRA総合研究開発機構理事。博士(経済学)(東京大学)。専門は契約理論、金融契約。経済財政諮問会議議員。 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)柳川範之(2025)「少数与党時代の財政リスク―ドイツの財政運営を参考に考える―」NIRAオピニオンペーパーNo.82 脚注 * 本稿のとりまとめは、NIRA総研主任研究員の井上敦が協力した。 * 本稿のとりまとめは、NIRA総研主任研究員の井上敦が協力した。 1 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「少数与党時代における財政リスクについて」は2025年2月1日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。 1 NIRAフォーラム2025テーマ別会合「少数与党時代における財政リスクについて」は2025年2月1日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。 2 2025年2月、連邦議会選挙が前倒しで行われ、中道両派の二大政党が新たに連立政権を組むことになった一方、極右政党が第2党に躍進した。その結果、新連邦議会での憲法改正の見通しが不確かとなったため、旧連邦議会において「債務ブレーキ」に関わる画期的な改正が3月に急ぎ実現された。ブレーキの適用外となる、新規の特別基金を通じたインフラ投資と国防費のさらなる増額が可能となった。安全保障環境の激変とドイツ経済のマイナス成長の連続がその背景にあった。 2 2025年2月、連邦議会選挙が前倒しで行われ、中道両派の二大政党が新たに連立政権を組むことになった一方、極右政党が第2党に躍進した。その結果、新連邦議会での憲法改正の見通しが不確かとなったため、旧連邦議会において「債務ブレーキ」に関わる画期的な改正が3月に急ぎ実現された。ブレーキの適用外となる、新規の特別基金を通じたインフラ投資と国防費のさらなる増額が可能となった。安全保障環境の激変とドイツ経済のマイナス成長の連続がその背景にあった。 シェア Tweet 関連公表物 NIRAフォーラム2025動画「伝わる政策、信頼できる政府をつくる」 NIRA総合研究開発機構 人口減少下の日本経済と財政の長期展望 楡井誠 宇南山卓 片桐満 小枝淳子 日本の財政に関する専門家たちの意見 NIRA総合研究開発機構 整合性のある政策論議を 小塩隆士 宮尾龍蔵 ©公益財団法人NIRA総合研究開発機構※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ