わたしの構想No.77 2025.06.05 トランプ2.0の実相を理解し、戦略を立てよ この記事は分で読めます シェア Tweet 米国のトランプ政権が打ち出した高関税政策が世界を揺さぶっている。この政策はどのような背景の下で生まれたのか、日本はどう対応すべきなのか探った。時事性に鑑みて、2025年5月より順次先行公開する(5月13日、5月21日、5月30日、6月5日)。 PDF(日本語) ABOUT THIS ISSUE企画に当たって トランプ2.0の実相を理解し、戦略を立てよ 米国が突き付ける難問の背景を読み解く 谷口将紀 NIRA総合研究開発機構理事長/東京大学公共政策大学院教授 第2次トランプ政権が発足して数か月が経過し、「トランプ2.0」の内実が明らかになってきた。政権のとった政策の中でも広く国際的に衝撃を与えたのは高い関税である。同盟国ですら標的とした高関税はいったいどのような理念に基づくのか。背景にはどのような政治過程があるのか。また、トランプ政権の高関税による負の影響を最小限に抑えるために、日本はどのような戦略をとるべきだろうか。米国の政治、経済、外交をよく知る専門家に話を聞いた。 EXPERT OPINIONS識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 平松彩子東京大学大学院総合文化研究科附属グローバル地域研究機構アメリカ太平洋地域研究センター准教授 志賀俊之株式会社INCJ代表取締役会長(CEO) 橋本努北海道大学大学院経済学研究院教授 大橋弘東京大学大学院経済学研究科教授 峯村健司キヤノングローバル戦略研究所主任研究員 インタビュー実施:2025年4月~5月インタビュー:河本和子(NIRA総研主席研究員)、竹中勇貴(NIRA総研研究コーディネーター・研究員) データで見る トランプ関税をめぐる動き 米国の各国・地域に対する追加関税率・相互関税率と2024年の輸出入比率 米国の貿易赤字の対名目GDP比とその国・地域別内訳(1985-2024) トランプ関税に対する米国内での評価 企画に当たって トランプ2.0の実相を理解し、戦略を立てよ 米国が突き付ける難問の背景を読み解く 谷口将紀 NIRA総合研究開発機構理事長/東京大学公共政策大学院教授 KEYWORDS トランプ2.0の発想、相互関税、政府内政治 「トランプ2.0」が世界を席巻している。気候変動対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱、世界保健機関(WHO)脱退、「性別は男性と女性の2つ」とする方針など、大統領令や新方針が矢継ぎ早に打ち出され、国内外の人々に大きな衝撃を与えている。 なかでも注目を集めたのが、4月2日に発表された「相互関税」である。貿易相手国の関税率や非関税障壁を考慮して(とされる)、米国が関税を引き上げるというもので、日本には24%、EUには20%、中国には34%(3月までに課していた別の追加関税と合わせると、一時、累計で145%に達した)の関税が課されることになった。ただし、本稿執筆時点(5月)では、各国との交渉を行うとして関税の発動は一時停止されている。 およそ経済合理性を欠いた、このような対外経済政策の背景に、トランプ政権はいかなる発想を持っているのか。そして、日本はこの動きにどのように応じるべきか――。『わたしの構想』第77号では、「トランプ2.0の実相を理解し、戦略を立てよ」というテーマの下、5人の識者にうかがった。 政策の背景にある思想、大統領の支持基盤の起源 東京大学の平松彩子准教授は、次々と非常識とも思える政策が実行に移される背景として、共和党保守派が「大統領こそが米国民の声を一元的に代表し得る唯一の存在である」とする発想の下、大統領個人への権限集中を進めている点を挙げる。その結果、トランプの耳に届いた単純な政策アイデアが、議会の審議を経ることなく大統領令として発動される事態が続いている。トランプは秩序の混乱や不確実性そのものを交渉の材料と見なし、それによって相手から譲歩を引き出そうとする。したがって日本には、拙速な対応を避け、米国の出方を慎重に見極めた上で、戦略的に立ち回る姿勢が求められるという。 INCJの志賀俊之会長と北海道大学の橋本努教授が共通して指摘しているのは、トランプ政権および共和党の政策の重心が、これまでのウォール街(大企業・金融界)から労働者や中小企業へ移っている点である。この変化は、各国との関税・通商交渉を主導するベッセント財務長官も明言しており、ヴァンス副大統領やルビオ国務長官に近く、今回の関税政策にも関与したとされる政策アドバイザーのオレン・キャス氏も、こうした方向性を強調する。 志賀氏は、グローバル市場と株主ばかりを重視してきた企業の姿勢が、国内の雇用創出や納税といった社会的責任の軽視を招いたと指摘する。その結果、米国では製造業からIT産業への転換に成功したものの、労働者の一部はその恩恵から取り残され、「米国第一主義」を掲げるトランプ政権の誕生を後押しした。日本もこの教訓を踏まえ、現地調達を重視したサプライチェーンの構築や、株主ではなく従業員・取引先・地域社会といった多様なステークホルダーを重視する企業文化への転換を進めるべきとする。 橋本氏によると、トランプの根底には、新保守主義に基づく「勤勉な労働者が国を支える」という倫理観がある。その実現のため、たとえ商品が割高になっても高関税を導入し、製造業の国内回帰と白人労働者階級の再建を図る。そして日本は、保護主義を超えた「あるべき関税制度とは何か」という理念を提示し、法の支配の下での自由貿易を促進しつつ、非民主主義国に対しては高関税を課すことによって民主化へのインセンティブを与える国際的枠組みの議論を主導すべきだと述べる。 トランプ1.0から先鋭化した自国優先主義、変化する対中政策 第1次トランプ政権との異同について、継続的な側面に注目するのが東京大学の大橋弘教授であり、変化に着目するのがキヤノングローバル戦略研究所の峯村健司主任研究員である。 大橋氏によると、トランプ政権の経済政策は、自国主義とその手段としての産業政策の復権という世界金融危機以降の流れを受け継いでいる。高関税を振りかざし、米国第一を唱えるトランプ政権を前に、ナイーブな自由経済主義は国益を守ることを困難にする。日本は、アジア各国で米国離れが進む現状を好機と捉え、現在の取り組みを加速して多様な関係国に経済基盤を作るべきだ、というのが同氏の主張である。 一方、峯村氏は、第1次トランプ政権を主導した「(中国共産党)体制転換派」は政権を離れ、現在は「優先順位派」が影響力を持っていると説明する。優先順位派は、もはや米国が唯一の超大国ではないという現実を直視し、中国のアジア覇権の阻止に国家資源を優先的に投入すべきだと考える。こうした状況の中で、日本は関税問題にとどまることなく、対中戦略の最前線に位置する国として、台湾有事の回避に向けて何ができるかを主体的に検討し、安全保障面での具体的な貢献を示していく必要があると説いている。 前出のキャス氏によれば、トランプ政権は現在、さまざまな集団の利害が一致したり、対立したりしながら、連合を形成する途上にあるという。「トランプ政権は」と、単一の主体として語るのではなく、政策が複数のアクター間の駆け引きの結果として決定される「政府内政治」に目を凝らしたい。 2025年6月5日Web公表 識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 暴走する大統領権限、政策の不確実性を見極めて中期的な対応を 平松彩子 東京大学大学院総合文化研究科附属グローバル地域研究機構アメリカ太平洋地域研究センター准教授 KEYWORDS 『Project2025』報告書、単一執行権理論、多様で健全な政策議論の封殺 トランプ大統領の関税政策は、政権でアドバイザーを務めている経済学者、ピーター・ナヴァロの発想に起源がある。保守系シンクタンクであるヘリテージ財団から2023年4月に発行された『Project 2025』報告書で、ナヴァロは、これまで米国が主導してきた多国間協調や自由貿易体制を全否定している。「他国は搾取的で相互の互恵性に欠き、米国の貿易赤字を不当に押し上げている」という認識だ。とりわけ製造業に関して、中国をはじめとする海外に流出して失われた雇用を、国内に戻して再興することが米国の国防強化にもつながると主張する。しかし関税を引き上げることが唯一の効果的な方策であるとなぜ言えるのか、またなぜ日本やカナダなど同盟国にも高関税を課すのか、理解に苦しむ。 非常識とも言える政策が採択された背景には、大統領個人に権限を集中させようとする動きがある。共和党保守派は合衆国憲法の大統領の執行権に関する条項の解釈をめぐり、単一執行権理論(unitary executive theory)と呼ばれる議論を展開してきた。連邦政府の省庁や議会は米国民の声を十分に代表しておらず、大統領こそがその声を一元的に代表し得る唯一の機関であるので、すべての権限を集中させ、大統領個人の意志を優先しようとするものである。 この理論を前面に押し出しているのが第2次トランプ政権である。単純化された政策アイデアがナヴァロからトランプの耳に入り、それを大統領令などで実行するという決定プロセスになっている。もっとも、議会の多数はトランプの政策に批判的である。しかし、表立って批判すれば、トランプ支持者から不快なハラスメントを自身や家族が受けるかもしれないという恐怖があり、多様で健全な政策議論が封殺される状況が生まれている。 トランプ政権が引き起こす不確実性の高い状況は、少なくとも2026年11月の中間選挙まで、長ければ任期が完了する2029年1月まで継続するだろう。仮に中間選挙で議会が民主党多数になったとしても、トランプが議会の閉鎖や選挙の中止を求めたり、2029年以後も大統領の座に居座ろうと画策する可能性は否定できない。トランプは秩序の混乱や不確実性そのものを交渉材料として、米国にとって有利な譲歩を引き出そうとするだろう。少なくとも日本は「これは短期決戦ではない」という構えで、米国の政策の不確実性を丁寧に見極め、対応策を練っていくことが求められる。 2025年5月21日Web公表 平松彩子(ひらまつ あやこ) 専門は現代アメリカ政治。20世紀後半以後のアメリカの政治動向について、連邦議会や政党改革、投票権保護など多面的な視点から分析を行ってきた。2016年、ジョンズ・ホプキンズ大学よりPh.D.取得。南山大学外国語学部講師を経て、2021年より現職。アメリカ学会評議員、日本比較政治学会理事などを務める。主な論文として、「共和党におけるトランプと支持派の今後―連邦議会予備選挙における資金の供給源」『国際問題』(2023年)、「アメリカ政治における自由と参加―民主化後の政治代表」『アメリカ研究』(2024年)など。 識者が読者に推薦する1冊 Stephen Skowronek, John A. Dearborn, and Desmond King.〔2021〕Phantoms of a Beleaguered Republic: The Deep State and The Unitary Executive. Oxford University Press. 識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 個別交渉でなく国際的な議論を、企業は脱・株主至上主義を 志賀俊之 株式会社INCJ代表取締役会長(CEO) KEYWORDS 株主至上主義、自国への貢献、国際的な議論の場 トランプ大統領が高関税政策を掲げた背景には「米国が戦後、自由貿易で市場を開放し、世界中からさまざまな製品を受け入れた結果、米国の製造業が空洞化し、巨額の貿易赤字が生じた」との主張がある。これにはもっともな面があるが、製造業が空洞化した真の原因は、経営者に株主至上主義が蔓延まんえんしたことであろう。グローバルな市場と株主である投資家のみに目を向け、自国外から製品を安価に製造・調達することを選んで節税に励み、国内の雇用と納税という自国への貢献を軽視した。その結果、米国は1990年代に製造業からIT産業へ産業構造の転換に成功したが、国内の衰退産業の就業者は置き去りにされた。 経営者を選ぶのは株主・投資家だが、政治リーダーである大統領を選ぶのは国民である。その内訳をみれば、IT産業で富を得た者より、産業構造の転換で救われなかった労働者の方がよほど多い。後者の力が「米国第一主義」のトランプ政権を誕生させた。トランプの目的は、高関税で製造業を支援することによって、「グローバリゼーション下での利益重視の企業経営」と「米国内への貢献」との間にある根本的な矛盾に対応することである。関税は長期的には米国の産業競争力を削そぐ可能性が高いが、トランプはこの政策で米国の根深い問題に対処しようとしているのであり、簡単には撤回できないと考えるべきだ。 株主至上主義がもたらした矛盾の解消には、日本も取り組む必要がある。まず、最も安価な部品を世界中から調達する世界規模での最適調達を見直す。そして、生産地で調達できるものはそこで調達するという、現地化優先のサプライチェーンを構築し地元に貢献すべきだ。また、企業経営文化を転換し、株主優先からステークホルダー優先の価値観を浸透させるべきだ。投資家にも、目先の株価よりも、製品を消費する国でこそ生産するという「地消地産」の考え方を取り入れた、ステークホルダー重視型の経営者を評価する視点を求めたい。 日本がこの理不尽な経済政策に対抗するには、不利になりかねない個別交渉ではなく、G7やG20、WTOといった国際的な議論の場で是正を求めるべきではないか。その場で、米国の政策だけでなく、米国が脅威を覚える、「中国製造2025」に象徴される中国の過剰な生産能力による輸出攻勢、不正な補助金などへの規制も働きかけるべきである。議論を通じて、米、中を組み込んで自由貿易を守り、協調体制を作り上げていかねばならない。 2025年5月21日Web公表 志賀俊之(しが としゆき) 元日産自動車最高執行責任者(2005~2013)。カルロス・ゴーン氏とともに、グローバル展開する日産自動車の経営を担った。就任中、円高が進行する中で、国内生産100万台維持を掲げ、九州工場を分社化して競争力を向上。1976年日産自動車入社。インドネシア進出、ルノーとの提携締結などで活躍。2005年に最高執行責任者(COO)に就任。2013年に代表取締役副会長。2015年より現職。日本自動車工業会会長、経済同友会副代表幹事などを歴任。共著に『知識ゼロからの人を動かす「聞く力」』(幻冬舎、2014年)。 識者が読者に推薦する1冊 Jusuke J. J. Ikegami, Harbir Singh, and Michael Useem.〔2024〕Resolute Japan: The Leaders Forging a Corporate Resurgence. Wharton School Press. 識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 自由民主主義国と連携、新たなグローバル関税戦略の提示を 橋本努 北海道大学大学院経済学研究院教授 KEYWORDS 新保守主義、関税構想、グローバルな正義 トランプ大統領は貿易赤字の解消を掲げ、世界各国に対し高い関税率を課すことを打ち出した。政権の後ろ盾となっている起業家のピーター・ティールやイーロン・マスクは関税政策に反対だが、トランプはそれを否定してでも高い関税政策を推進している。彼の思想の基盤にあるのは、「勤勉な労働者が国を支える倫理」を米国に取り戻すという、新保守主義(ネオコン)の理念である。目的は、たとえ商品が割高になっても、高関税を課して製造業を米国内に呼び戻し、白人労働者階級を復活させることである。新保守主義は米国で1970年代以降、形を変えて続いており、トランプの思想もその1つに位置づけられる。これは新自由主義の思想に似ているが、新自由主義が個人の倫理観の多様性を認めるのに対し、新保守主義はプロテスタンティズム的な勤労道徳を重視するのが特徴である。 高関税による製造業の復活というトランプのシナリオは、4年の任期内ではおそらく実現できず、10〜20年という時間を要する。トランプは長期的なことをやろうとして、引き戻せない政治をつくることを狙っているのではないか。一方、資源がなく、貿易依存度が高い日本にとって、トランプの関税政策による影響は大きい。しかし、トランプの言動1つひとつにあたふたしては常に劣勢に立たされる。日本は「あるべき関税制度とは何か」という構想の議論を仕掛けて、着地点を探ることが必要である。 その構想とは、関税政策を活用して、法の支配の下での自由貿易と、それによる世界平和の実現を目指すというものである。21世紀のグローバル化で、経済的に負けたのは自由民主主義国であり、勝利したのは中国などの権威主義国である。これらの国に対して、法の支配や民主主義の実現を求めていかねばならない。しかし、直接的な内政干渉はできないし、独裁などを理由に貿易を断交するのも戦争のリスクを高めるため望ましくない。そこで、非民主主義国に対しては高関税を課し、法の支配や民主主義の実現の状況に応じて関税率を引き下げ、インセンティブを与えていくのである。 それがグローバルな正義にかなった関税構想であり、米国が優位に立てるグローバル戦略でもある。そのことを、日本は他の自由民主主義国とも連携し、米国に主張していく必要がある。 2025年5月13日Web公表 橋本努(はしもと つとむ) 専門は政治哲学、社会学、自由主義、経済思想。「自由」をキーワードに長年思索を重ね、多くの著作を発表。「テック起業家たちのイデオロギー―イーロン・マスクとピーター・ティール」(『世界』2025年5月号)では、トランプ政権の背後にあるイデオロギーを分析。東京大学総合文化研究科相関社会科学専攻博士課程単位取得退学。博士(学術)。北海道大学大学院経済学研究科専任講師、同准教授を経て、現職。シノドス国際社会動向研究所所長も務める。最新著書は『自生化主義―自由な社会はいかにして可能か』(勁草書房、2025年)。ほか、著書多数。 識者が読者に推薦する1冊 橋本努〔2007〕『帝国の条件―自由を育む秩序の原理』弘文堂 推薦理由:この本で私は、自由で民主的な世界を築くための関税構想案をデザインしました。 識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 トランプの経済政策を好機として、新たな関係国の多様化を進めよ 大橋弘 東京大学大学院経済学研究科教授 KEYWORDS 産業政策の復権、自国優先主義、アジア大の経済圏 トランプ政権における経済政策は、その政策運営や発信の仕方に稚拙さの印象は拭えないものの、世界経済の大きな転換点となった2008年秋の世界金融危機からの流れを受け継いでいるように見える。この転換点を形作るのは、自国主義と、それを支える手段としての産業政策の復権である。世界金融危機では、わが国でも日本航空に対する支援などがみられたものの、当時の各国首脳は、世界大恐慌の苦い経験からの教訓を踏まえ、産業政策が保護主義につながることの回避に努めた。 その後、2017年に発足した第1次トランプ政権は、むき出しの自国優先主義を打ち出す。2国間交渉の方が有利な条件を引き出せるとして、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)から離脱。知的財産の侵害を理由に中国に対して制裁関税を課した。新型コロナウイルスの感染拡大では、類似の動きが他の自由主義国にも広がった。例えば80を上回る国々が医療用防護服などの輸出規制を実施するなど、グローバルなサプライチェーンが分断され、自国優先・自前主義の動きを前に、わが国でも、経済安全保障に対する制度整備が行われた。 米国の産業支援へのシフトはバイデン政権で強化され、国内産業向けの補助金政策が積極的に打ち出された。現トランプ政権における、関税を手段として製造業を中心にした国内投資促進策の推進も、自国優先主義による産業政策をさらに先鋭化したものだ。 経済学でいう完全競争が成立しない現実では、自由貿易は貿易国間の信頼関係のなかで成立する。高関税を振りかざし、自国優先を唱える大国の前で、ナイーブな自由経済主義は自国の利益を守ることを困難にする。エネルギーを含めて資源が乏しく、市場規模も縮小するわが国は、戦略的な関係国と結びつきを見出しながらも、経済的な自立性と関係国にとっての不可欠性を確保する必要がある。 日本は、長すぎる経済停滞を経て、産業構造の転換と新たな付加価値創出が待ったなしだ。脱炭素化への取り組みを名目に、日本でも新たな機軸を基礎とした産業政策が進められている。そこでは、アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)を中心に、日本がアジア大の経済圏を形成する取り組みも含まれる。米国離れがアジア各国で進む現状を、わが国が多様な関係国に経済基盤を作る好機と捉え、ぶれずに現在の取り組みを加速するべきだろう。 2025年5月30日Web公表 大橋弘(おおはし ひろし) 専門は産業組織論、競争政策。企業行動や消費者行動を産業組織論の観点から分析し、競争政策や産業政策の評価・検証を行っている。ノースウェスタン大学Ph.D.取得。ブリティッシュ・コロンビア大学経営・商学部助教授、東京大学大学院経済学研究科准教授を経て、2012年より現職。また、2022年より副学長を務める。2014年に日本経済学会・石川賞、また、著書『競争政策の経済学―人口減少・デジタル化・産業政策』(日本経済新聞出版、2021年)にて日経・経済図書文化賞を受賞。 識者が読者に推薦する1冊 大橋弘〔2021〕『競争政策の経済学―人口減少・デジタル化・産業政策』日本経済新聞出版 識者に問う トランプ大統領の高関税政策の背景は何か。日本はどのような戦略をとるべきか。 経済と安保は連動、日本は主体的に戦略を構築しパッケージで提案を 峯村健司 キヤノングローバル戦略研究所主任研究員 KEYWORDS 中国のアジア覇権拒否、日米同盟のアップグレード、対中デカップリング トランプ政権は、1次と2次の両方とも対中強硬政策をとるが、考え方は異なる。第1次政権では、中国共産党打倒を目的とする「体制転換派」が主導していた。しかし、彼らは現政権にいない。今の政権では「優先順位派」が重要な位置を占める。優先順位派は、米国がもはや超大国ではないとの認識に立ち、中国のアジア覇権を拒否することにリソースを優先的に注ぐべきだと考えている。理論的支柱は国防総省のナンバー3、コルビー国防次官だ。彼は、台湾侵攻を防ぐために、日本を中心にフィリピン、オーストラリアなどと反覇権連合をつくろうと考えている。コルビーの影響を強く受けているのがヴァンス副大統領である。ヴァンスは、国際問題から米国が手を引くべきだという立場にも近いものの、中国の脅威に向き合う必要性を感じており、対中対応を優先する姿勢を見せる。トランプ政権の重要課題は優先順位派の意向に基づく対中抑止と見るべきだ。 対中強硬路線をとる米国との交渉で、日本は関税だけに気を取られてはいけない。トランプ大統領の対外政策の特徴は、経済と安全保障を連動させることにある。こうした中での日本との関税交渉を担当しているベッセント財務長官が「日本は先頭」と発言したことは、米国が欧州や中東の優先順位を下げ、アジアに、なかんずく日本に高い優先順位を与えたことを意味する。米国にとって、対中最前線にある日本の重要性はいまだかつてなく高い。日米同盟は、日本にとって対中対応のバックアップであり、日本の重要度が上がったこの機に同盟のアップグレードを図りつつ、自国の防衛力を強化すべきだ。 ゆえに日本は主体的に戦略を定め、包括的なパッケージを構築して、米国と交渉しなければならない。すなわち、国防費をますます増大させる中国の脅威を日本は自ら評価し、台湾侵攻を含む台湾有事を起こさせないために何ができるか、何が足りないのかを吟味する。そのうえで、米国に何を補ってもらうかを明確にしなければならない。こうした安全保障部分での貢献を積極的に示す姿勢は、関税交渉を円滑にする。 さらに未来を展望するならば、米国が対中デカップリングに突き進むとき、日本はどのような関係を米国、中国それぞれと持つのか、主体的に選択しなければならなくなるだろう。安全保障は米国、経済は中国という虫の良い時代は終焉しゅうえんを迎えつつあるのだ。 2025年5月13日Web公表 峯村健司(みねむら けんじ) 米国および中国での長年にわたる調査・取材に基づき、両国の政治・外交事情に精通、精力的に分析を行っているシンクタンカー。1997年、青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業、朝日新聞社入社。中国総局(北京)特派員、米州総局(ワシントン)特派員、編集委員(外交・アメリカ中国担当)を務める。2022年より現職。北海道大学公共政策大学院客員教授。中国の安全保障政策や情報政策に関する報道で「ボーン・上田記念国際記者賞」を2011年に、LINEの個人情報管理問題のスクープと関連報道で新聞協会賞を2021年に受賞。 識者が読者に推薦する1冊 橋爪大三郎・峯村健司〔2024〕『あぶない中国共産党』小学館新書 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)NIRA総合研究開発機構(2025)「トランプ2.0の実相を理解し、戦略を立てよ」わたしの構想No.77 シェア Tweet データで見る トランプ関税をめぐる動き 注)青は株価の動き、オレンジは米中関係に関するできごと。出所)日本経済新聞、毎日新聞、朝日新聞の各紙、および日本貿易振興機構(JETRO)のウェブサイトよりNIRA作成。2025年6月5日Web公表 △ トランプ関税をめぐる動き 注)青は株価の動き、オレンジは米中関係に関するできごと。出所)日本経済新聞、毎日新聞、朝日新聞の各紙、および日本貿易振興機構(JETRO)のウェブサイトよりNIRA作成。2025年6月5日Web公表 米国の各国・地域に対する追加関税率・相互関税率と2024年の輸出入比率 注)横軸は、2024年における米国の各国・地域に対する輸出入比率(Export/Import Ratio)。縦軸は、各国に対する米国の追加関税率・相互関税率の合計(4月2日時点)。出所)中国の追加関税を20%に引き上げる大統領令(2025年3月3日)、カナダに対する追加関税に関する大統領令(2025年2月1日)、メキシコに対する追加関税に関する大統領令(2025年2月1日)につきWhite Houseのウェブサイトより、追加関税につきWhite HouseのXアカウント投稿(2025年4月2日)より、輸出入比率につき米国商務省経済分析局のデータより、NIRA作成。2025年6月5日Web公表 付表 △ 米国の各国・地域に対する追加関税率・相互関税率と2024年の輸出入比率 注)横軸は、2024年における米国の各国・地域に対する輸出入比率(Export/Import Ratio)。縦軸は、各国に対する米国の追加関税率・相互関税率の合計(4月2日時点)。出所)中国の追加関税を20%に引き上げる大統領令(2025年3月3日)、カナダに対する追加関税に関する大統領令(2025年2月1日)、メキシコに対する追加関税に関する大統領令(2025年2月1日)につきWhite Houseのウェブサイトより、追加関税につきWhite HouseのXアカウント投稿(2025年4月2日)より、輸出入比率につき米国商務省経済分析局のデータより、NIRA作成。2025年6月5日Web公表 付表 米国の貿易赤字の対名目GDP比とその国・地域別内訳(1985-2024) 出所)赤字額につき米国商務省国勢調査局より、GDPにつき同省経済分析局より、NIRA作成。2025年6月5日Web公表 付表 △ 米国の貿易赤字の対名目GDP比とその国・地域別内訳(1985-2024) 出所)赤字額につき米国商務省国勢調査局より、GDPにつき同省経済分析局より、NIRA作成。2025年6月5日Web公表 付表 トランプ関税に対する米国内での評価 注1)調査はGallupが2025年4月2-15日に18歳以上の成人2,036人を対象に実施した。注2)図中の数値は四捨五入したものであり、合計が100%にならないことがある。出所)Gallupウェブサイトより。2025年5月19日最終アクセス。2025年6月5日Web公表 △ トランプ関税に対する米国内での評価 注1)調査はGallupが2025年4月2-15日に18歳以上の成人2,036人を対象に実施した。注2)図中の数値は四捨五入したものであり、合計が100%にならないことがある。出所)Gallupウェブサイトより。2025年5月19日最終アクセス。2025年6月5日Web公表 関連公表物 経済・社会文化・グローバリゼーションー第8章 アメリカー 西山隆行 米中対立をどうみるか 翁百合 待鳥聡史 中西寛 川島真 細川昌彦 マーティン・ウルフ トランポノミクスと日本 翁百合 グレン・ハバード 吉川洋 木村福成 橘川武郎 岡本行夫 ©公益財団法人NIRA総合研究開発機構神田玲子、榊麻衣子(編集長)、河本和子、山路達也※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ