外山文子
筑波大学人文社会科学研究科国際地域研究専攻・国際公共政策専攻准教授

概要

 日本と同様に東南アジアで唯一の非植民地国であるタイは、民主主義の優等生と評され、宗教や民族における少数派に対しても、全て「国王の子どもたち」として、排除せずに平等に扱う配慮がなされてきた。国王を中心とした社会を基盤に、「国王を元首とする民主主義政体(タイ式民主主義)」という政治システムを通して、上から指導される民主主義が実践されている。この民主主義の原理は、冷戦時代にアメリカの支援によって形成されたが、長年続いてきたタイ式民主主義に、いま変化の兆しが現れている。
 本章では、国王や軍主導の政治から、新たに民主化へと転換しつつある現在のタイ政治の動向を探り、タイ式民主主義の特徴と問題点を整理した。2023年総選挙で大躍進を遂げて第1党となった前進党は、ポピュリズム的特徴を持ちながらも、政治改革を目指す姿勢が若者を中心とした有権者に支持された。前進党支持の背景には、国王や軍を始めとした既得権益層が自らの権威や特権を優先し、彼らと繋がりを持つ大資本家たちのみが富を得るという社会構造がある。長年に渡る「上からの支配」によるタイ式民主主義は、こうした格差拡大を助長し、人びとの声に耳を傾けないという問題点を内包していた。このタイ式民主主義に強く反発し、市民主体の民主的な政治を望む若者たちが、前進党と共に改革に乗り出したと考えられる。

アジアの「民主主義」
第1章インド―権威主義革命と「世界最大の民主主義国」の行方―
第2章シンガポール―シンガポール政治の変容と将来:緩やかに進む民主化への道―
第3章パキスタン―ポピュリスト政党後の政党連合政権、軍部の影響力―
第4章フィリピン―グローバル化とフィリピンの政治変動―
・第5章タイ―タイの今とこれから―

INDEX

はじめに

 東南アジアの民族問題において植民地統治による分断の影響が色濃く残るなか、唯一の非植民地国であるタイは、他のアジア諸国と比べて大きな抵抗もなく国民国家が形成された。しかし、日本と同様に植民地支配がなされなかった影響もあり、タイでは君主制が生き残り、現在に至るまで国王を頂点とする社会秩序が維持されていることも事実である。熱心な仏教徒の国でもあるタイでは、その擁護者としての国王は非常に強い権威を持つ。

 東南アジアは、宗教や民族における多様性が知られているが、多様性に富む社会といっても、それが深刻な社会的亀裂になるかどうかは、各国の歴史的背景により異なる。

 タイの場合は、深南部(パタニ、ヤラー、ナラティワート県)にイスラーム教徒が多く、彼らはマレー語を母語とし、バンコクのイスラーム教徒とは異なる独自のアイデンティティを持っており、1960~70年代には分離独立運動が盛んであった。1980年代以降は、中央政府の懐柔策などにより分離独立運動は落ち着いていたが、タックシン政権期(2001~06年)に武力闘争が再燃し、今なお治安面は安定しない。しかしより大きな問題にならないように、国王を中心として、国内で多数派となる仏教徒だけでなく、イスラーム教徒も同様に大切に思っているとのメッセージを発信し続けている。つまり父なる国王のもとで、全ての国民は「国王の子どもたち」として、排除せずに平等に扱われるとされている。また、バンコクなど都市部では比較的豊かな華人系が多数を占めるが、最貧困の東北部イサーンにはラーオ語を話す人々が多く、彼らは長い間差別され、タイ中央平原やバンコクに生じた発展の恩恵から排除されてきた。また東北部の南部では、クメール語を理解するタイ人も多い。華人系の第2世代、第3世代は、中国語の読み書きはできないものの、聞いて理解することはできると語る人々も多い。加えて北部の山岳地帯にはカレン族をはじめ多数の少数民族が居住しており、彼ら独自の文化を維持している。それほどまでにタイでは言語も民族も多様だが、仏教と国王を2大シンボルとしながら(石井 1973)、誰かが排除されることが無いよう配慮がなされつつ、文化的同化政策を通じて国民統合が進められてきた。

 しかし、多様性への理解や確保という姿勢は、最初から存在していたわけではない。事実、1930~50年代にかけて華人に対する排斥運動(同化運動)も行われていた(村嶋 2002)。本来は人口密度が非常に薄かったところに、多くの華人が移住し、20世紀初頭にはバンコクの人口の約3割を、華人の移民が占めるほどに比率が急上昇した。そのような状況下で、タイ元首相のピブーンは、強制的に名字をタイ式に変更させ、中国語での教育を禁止するなどの対応を行った。1950年代に著名な研究者であるスキナーが行ったタイの華人社会における研究によると、当時の華人社会では既に言語では中国語よりもタイ語が優勢になっていたことが明らかになっている(Skinner 1957)。強制力を伴う同化のための施策により、タイでは早い段階で他の民族が同化すると予想されていた。この点については、例えば、英国の植民地支配下に分断統治されていたマレーシアとは対照的で、タイにおいては植民地支配が無かったからこそ、現代にも残る「分断」という負の遺産を免れた側面がある。

 本章では、一定程度まで多様性が確保され、1990年代には東南アジアにおける民主主義の優等生と評されたタイで現在起きている政治の変化について確認する。ソーシャルメディアやマスメディアを通した各政党の選挙活動や若者の政治参加など、近年の社会変化とともにポピュリズム的側面を帯びるタイ政治の動向を探る。そして、君主制による国王の権威と、過去に幾度もクーデタを起こしてきた軍の政治的な影響を考察し、若者から絶大な支持を得て台頭した前進党と今後のタイ政治の行方をあわせて検討していく。

1.主要政治アクター、その動き

 2014年に起きたプラユット陸軍司令官による軍事クーデタ以降、軍主導の政治が行われてきたタイで、2023年5月14日で総選挙が実施された。これは、民政移管のために実施された2019年総選挙に次いで、2回目の総選挙となる。選挙実施後、約4カ月間にわたり連立政権樹立を巡る一連の騒動が起こったが、その裏側にはタイ政治の行方を決めるシナリオライター、つまり強い影響力を及ぼすアクターが存在したと指摘される。そのアクターとは、タックシン元首相(在職:2001~06年)、プラユット前首相(在職:2014~23年)、プラウィット元副首相(在職:2014~23年)、そしてワチラーロンコーン国王(在位:2016年~)である。今回の総選挙実施前から、王室や軍部を中心とする保守派の権益を守るために、タックシンとプラウィットとの間でディールがあったと噂されていたが、実際に総選挙で第1党となった前進党は連立政権を樹立することはできなかった。

 タイ政治には、常にシナリオライターが存在すると囁かれており、表向きの民主主義政治のシステムと、その裏側にあるシステムの二重構造になっているといわれる(Mérieau 2016)。軸となるのは王室、軍部、官僚である。以下、タイ政治史について概略を確認してみよう(表1)。

表1 タイ歴代政権

(出典)筆者作成
 注1)軍事クーデタは13回成功。本年表に記載しているクーデタは主なもののみ。
 注2)タイ愛国党、人民の力党、タイ貢献党は、いずれもタックシン派の政党。
 注3)プラユット政権は、当初の軍事政権から、2019年総選挙を経て民選政権に衣替えした。

 タイは、19世紀半ばから1932年までは絶対王政であった。タイの人びとは、ラーマ4世王や5世王の治世が、日本の明治天皇の時代とパラレルだと考えており、両国の開国から発展の初期の歴史が似ていると語る。タイでは、ラーマ5世王の下で国家の近代化が進められたが、イギリスやフランスに留学していた軍部や官僚の若手エリートらが人民党を結成して絶対王政を打倒し、1932年に立憲君主制へと変わった。

 その後は、人民党内部で権力闘争が起き、第2次世界大戦後には王党派が復権を遂げるなど、政局の混乱が続いた。立憲革命後には、人民党は憲法を制定して議会制民主主義を導入したものの、実質的には民主化しなかった。それというのも、王政を残したことで、王室と王党派が絶滅しなかったためである。王室、陸軍、海軍、そして官僚勢力の間で四つ巴の戦いとなって、長年にわたる権力争いが続いた。その間に、第2次世界大戦時の日本軍による支配や冷戦期のアメリカの介入という外的な要因も受けながら、権力闘争が継続した。一時期民主化の動きがあっても、最終的には軍や王室が強い力を維持した状態で、1990年代を迎えた。

 この基本構造が変わらないまま、表向きには1990年代以降、定期的に総選挙が実施され、議会制民主主義が定着する。つまり、一見するとタイが順調に民主化していくような時代を過ごすのである。1990年代には、タイは東南アジアにおける民主主義の優等生と評された。しかし、これは定期的に選挙が実施されていることに依拠しており、あくまでも表面的な話に留まる。

 2001年にタックシン・チナワット政権が誕生し、地方の農村部における貧しい人びとに向けた施策を実行した。このように社会的に周縁化された人びとに目を向けた政権は、実はタイではこれまで存在しなかったため、農村部などで非常に高い人気を博した。しかし、このようなタックシン首相の人気が、かえってタイの保守派層、特に王党派のネットワークとタックシンとの間に衝突を招くようになったと指摘される(McCargo and Ukrist 2005)。この結果、2006年と2014年の2回の軍事クーデタが発生したが、これはタックシン人気に対するバックラッシュだったといえる。このような経緯を経て最終的に誕生したのが、プラユット・ジャンオーチャー政権だった。それから9年間、プラユットは民主化の流れに抗いながらも保守派の権益を守り続け、その間に9世王から10世王の代替わりを無事に成し遂げた。2019年の総選挙では、親軍政党が辛うじて第2党につき、連立政権を組むことによってプラユットが首相として返り咲くことに成功した。しかし、その後のコロナ禍でタイの経済状況が著しく悪化したため、親軍政党やプラユット政権が異常事態に対応できていないとして、プラユット政権に対する国民の不満が高まった。

 そのため2023年の総選挙は、タイ政治の今後を示す重要な節目になると目されていた。以上のとおり、基本的には軍部と王室を中心とした保守派勢力が政権を握りながら、表面的には民主化が進んできたというのが、これまでのタイ政治の状況である。

2.どのような政党と勢力が結びついているのか:タイ民主主義の特徴とは

 次に、タイにおける「民主主義」の特徴について確認してみたい。前述のとおり、2023年総選挙の背後にはタイ政治の鍵を握るシナリオライターがいたと指摘される。そのうち、プラユット元首相とプラウィット元副首相との間に権力闘争があったといわれる。当時、副首相のプラウィットは、陸軍では後輩にあたるプラユット首相に仕えており、自身は次期首相になるべく、もう1人のシナリオライターであるタックシンと組み、新しい政権を作ろうと画策していたとされる。前年からプラウィットは「クーデタを行ったのはプラユットであり、自分が政権に呼ばれて副首相の役を務めただけだ」と繰り返すようになり、2者間に亀裂が存在することが明白になった。

 タイ政治の権力闘争においては、国王や王室との関係も重要となる。この2人と、ワチラーロンコーン国王とのそれぞれの距離感は異なる。プラユットは、2016年に崩御したプーミポン前国王の妻のシリキット王妃に強く忠誠を誓っていることで知られる。これに対し、プラウィットと王室との間には距離があると言われる。2023年総選挙後の状況を鑑みると、プラユットとプラウィットとの権力闘争は、最終的にプラユットの勝利に終わったと思われる。背後の具体的な駆け引きは不明であるが、国王の権威は、権力闘争においても強い影響を持つとされる。

タイ式民主主義

 このようにタイ政治における国王の影響力は絶大なものであるが、その王室の復権は1947年クーデタを契機に始まり、冷戦期に米国の軍事援助により大きく強化された。王室復権のきっかけとなった出来事は、1946年6月9日にラーマ8世王の怪死事件に遡る。同事件を受けて、当時未成年でスイス留学中だったラーマ9世王(プーミポン国王)が即位した。その後、プリーディー首相(当時)がラーマ8世王暗殺の黒幕だったという噂が広まり、辞任を余儀なくされる。翌年の1947年11月8日に、軍部がクーデタを起こし、成功させた。この一連の出来事の背景には、人民党のメンバーであったプリーディー首相が社会主義的な経済計画に関心を寄せていたことから、社会主義への動きを止めるために、王室の復権を目論む王党派と陸軍が結託したという事情が存在した。このクーデタの成功が王党派の復権にもつながり、枢密院の設置などが行われた。10年後の1957年9月、1958年10月にはサリット将軍がクーデタを実行したことで、人民党による支配が終了し、新しい統治体制を模索することになる。人民党は、絶対王政に対抗し、立憲主義や議会制民主主義の導入を進めていたが、このクーデタ以降は、立憲主義と議会制民主主義が否定される。

 サリット将軍は、王室を軍事政権による支配の正当性の根拠に位置づけ、王室の権威強化を図った。例として、1932年以降に廃止、縮小されていた国家儀礼の復活や、国王夫妻による外国訪問、大学の学位授与式など国民との触れ合いの機会を増加させるなど、王室の存在感を高めた。そして、約10年間、恒久憲法が無い状態で軍事政権が統治することとなり、首相が国家三権を直接的に掌握した。

 これは、「タイ式民主主義」「国王を元首とする民主主義政体」と呼ばれるシステムで、欧米式の民主主義とは異なり、上から指導される民主主義である。1950年代末から1970年代半ばまで続いた冷戦時代に、アメリカの支援を受けて、軍事政権により構築された民主主義の原理であり、同時期にインドネシアでもスカルノ、スハルト両政権が同様の民主主義観を導入している。当時の東南アジアでは、アメリカや日本の介入や援助を受け、各地で独裁政権が誕生し、政権(軍部、政府党、王室など)の権力基盤が強化されたが、民主主義と相反する独裁制の導入を正当化するために用いられたのが「タイ式民主主義」をはじめとする独自の民主主義観であった。反共政策を掲げた独裁政権に対するアメリカや日本の援助が背景にあり、表向きには民主主義の正統性を宣言しながらも、実際には独裁制を容認するために作られた都合の良い民主主義原理である。タイにおいては、実態としては王室と軍部による共同統治システムであるが、「徳」のある人物とされる王や軍人が、子供のような存在である国民を統治することが尊く、正統性を持つという考えに支えられたシステムであった。

 タイ式民主主義の定着には「国王神話」の存在も重要であった。1973年の学生革命をはじめとして、1992年5月の流血事件など、タイ政治に大きな混乱が起きた際には、プーミポン国王が介入して軍事政権に対して退陣を命じたり、軍によるデモ隊の虐殺を停止させるなどの調停役を担ってきた。また、1980年代には国王が直接的政治介入せず、政治的中立性を保つことで、議会制民主主義の安定に貢献したとされる。このような出来事を通して、政治的に中立で、国民を救う力を持つ、民主主義的な国王像、またはバランサーとしての国王像が誕生するのである(加藤 1995)。そして「王様は神様のように素晴らしく、徳を持っている万能の存在」といった国王神話が形成されていく。この国王神話が「タイ式民主主義」の考え方とセットになり、タイにおける非常に歪んだヒエラルキーが正当化されたのである。

タイ式民主主義の安定性

 国王の政治的役割が神話化する中で、公法学者や政治学者などからは、主権者は誰なのか、王権と主権はどのような関係にあるのか、といった問いが出るようになった。この問いに答えるため、1990年代以降になって、タイ式民主主義に関して法学的見地からの説明が追加された。著名な公法学者であるボーウォーンサックは、タイにおける主権について「主権は国王と国民が保有する。国民が主権者たる他国憲法と異なる」と説明し、そして「1932年に国王が主権と憲法を下賜したが、法的には国王と国民がともに主権の保持者である」と述べている。タイでクーデタが発生した場合は、国王に主権が一旦戻され、民政移管後に新たに国民に主権が戻されるという国王と国民の共同所有のシステムであると法的説明がなされている(外山 2016)。

 他の民主化途上国における民主主義原理と比較しても、時間をかけて慎重に組み上げられた「タイ式民主主義」「国王を元首とする民主主義政体」だが、最大の弱点として、その権威性の効果の範囲が挙げられる。前提としての国王神話が重要となるため、大規模な大衆デモが発生した際に、様々な価値観を持つ人が参加し、かつ暴力化すると、国王の「権威」が通用しない可能性が高まってくる。万が一、1度でも国王が介入したにもかかわらず、国王に対して大衆デモが一切従わないという事態が生じた場合には、国王神話が突如崩壊し、王室の権威も失墜しうる。ゆえに、1990年代以降の大衆デモの時代になると、この「国王を元首とする民主主義政体」に揺らぎが生じるようになった(外山 2020)。

 「国王を元首とする民主主義政体」の揺らぎや下降する権威を補強するかのように、代わりに新たなシステムが強化される。それが資本家とのネットワークである。元々、王室や軍部と華人系資本家とのネットワークは冷戦期から存在していたが、1990年代以降、特にタイの経済成長と相まって華人系大資本家が富を拡大するにつれ、こぞって王室に献金するようになり、献金額も増していった。国王が自らの裁量で献金を使用する一方、資本家たちは様々な特権を得て庇護を受けるという関係性が構築されるのである。この資本家ネットワークは、1980年代から徐々に拡大し、1990年代から2000年代に入っても更に増加している(Puangchon 2020)。

 この動きに伴い、資本家ネットワークとしてのタイ民主主義の側面も強化されている。実際のところ、寄付をする資本家は特定の大企業に集中し、国王を元首とする民主主義政体の地盤をしっかりと支えているのが、チャロン・ポカパン(CP)グループやバンコク銀行、サイアムモーターなどのタイ資本の企業や、トヨタ、京セラ、三井、ホンダなどの日系企業、新興資本のシン・コープ、セントラルなどである(Puangchon 2020:84-104)。そのため、思想としての正統性原理には陰りがみえるものの、資本家ネットワークによるタイ式民主主義は、利権も伴うため盤石で崩れにくいものとなっている。保守的な資本家たちは、2019年総選挙前に登場した親軍政党に対しても多額の献金をしたことで知られる。プラユット政権を支えてきた親軍政党「パラン・プラチャーラット」(Phalang Pracharat:邦訳は国民国家の力党)に政治資金を提供したグループとして、CPグループ、タイ醸造社、キングパワー社、ブンロート醸造、セントラルグループなどの名前が報じられた。

 しかし、王室自体の今後の行方は不透明とされる。現在大きな課題として挙げられているのが、後継者問題である。現在のワチラーロンコーン国王の女性問題などに端を発する不人気に加えて、現時点で次期後継者が確定しておらず、任命もされていない。継承順位も自動的に決まるものではないため、後継者不在の状態となっている。現在、王族籍にある子弟は3人であり、そのうち唯一の男児であるティパンコーンラッサミチョト王子(18歳)と、国王の長女であるパッチャラキッティヤパー王女(45歳)が有力候補と見なされていたが、2022年12月に王女が体調不良と報じられ、現在は動向不明である。また、王党派ネットワークも基本的には9世王時代に作られたものであるため、現10世王の下では機能不全に陥っているとも指摘される。それゆえに、王室への敬愛が薄い国民、特に学生たちの一部は、本音としては王室改革ではなく、王室廃止を求めるという声も多い。

 このような状況下で、2023年8月に王族の地位を剝奪された上でアメリカに追放されていたワチラーロンコーン国王の2番目の妻との間に設けた4人の子息のうち、次男と三男が、約四半世紀ぶりに1週間ほどタイに帰国した。無論、ワチラーロンコーン国王の許可を得ての帰国だと思われるが、2023年選挙における首相指名投票の直前というタイミングだった。この帰国に関しては、王室の今後の動きにも関係していると見られる。次男のワチャレーソーンは、同年12月にも再びタイに2週間滞在した。しかし、帰国が後継者探しに関わるのか、または王室の人気回復へのサポートのためなのかは定かではない。

3.直近の選挙

2023年総選挙

 様々な駆け引きが噂される中、タイ政治の今後の方向性を示す総選挙が2023年5月14日に行われた。クーデタ以降、2019年に続いて2回目の総選挙となる2023年の総選挙は、極めて重要視されていた。それまで約9年間にわたり政治権力を握っていた軍部が、この選挙によって遂に政権を手放す可能性があると予想されたためである。しかし、政権を手放したくない軍部を中心とする保守派勢力が、どのような抵抗を見せるのかが見どころの1つであった。

「予想外」の結果

 マスメディアや多くの研究者が、2006年のクーデタで失脚したタックシン・チナワットが実質的にオーナーの政党であるタイ貢献党(Pheu Thai Party)が第1党になると予想していた。タックシンが結成したタイ愛国党の流れをくみ、人民の力党を前身とするタイ貢献党は、2011年以降、第1党を維持していた。しかし、大半の予想を覆し、この総選挙で、第1党に前進党(Move Forward Party)が躍り出たのだった。これは2001年の総選挙以降、タイでタックシン派の政党が初めて第1党を逃すという衝撃的な事態でもあった。大多数の研究者やマスメディアが、前進党が第1党になったことに対して驚きを隠せなかったが、その理由として、前進党が王室や軍の改革、司法改革も含め、タイの社会や政治の基本構造自体を変えようとしている政党だったことが挙げられる。そのためタイでは、前進党は「過激」な政党と見なされる傾向があり、より保守派に対して妥協的なタックシンのタイ貢献党を有権者が選ぶだろうと予想されていた。

 タイ国内の世論調査を行う機関でも、選挙直前の4月までタイ貢献党やタックシンの娘であるペートンタンが首相候補として人気が高いという調査結果が出ていた。しかし、5月に入ると、前進党の人気がタイ貢献党を上回る状況が起きていた。総選挙前は、タイ貢献党が第1党となり、親軍政党と取引をして連立を組むだろうとの見方が強かった。ところが、第1党になった前進党が連立政権の樹立に向けて動き始めたため、タイ貢献党も8党による連立政権を樹立することに同意し、覚書(MOU)を締結し、前進党と共に記者会見を行っていた。前進党が首相候補として選出したピター・リムジャロェーンラット党首は、実業界出身の40代前半の若い政治家である。当初、タイ貢献党はピター政権樹立に協力すると繰り返していた。しかし、2017年憲法の規定により、首相選出の投票は、民選の下院議員500人と、2014年にクーデタを実行した国家平和秩序評議会(NCPO)により任命された上院議員250人を合わせた750人による投票によって決定されるとされる。ピターは上院議員からの票を十分に得ることができず、首相に選出されなかった。これにより前進党は連立政権の樹立に失敗した。総選挙から2か月が経った7月のことである。

 この後、3回目の投票が8月22日に行われ、タイ貢献党が首相候補として提示していた、実業家でありチナワット家のアドバイザーでもあるセーターが、上院議員の票も得て新首相に選ばれた。その結果、9月5日にタイ貢献党を中心とした11党による連立政権が誕生したのである。また、首相選出投票日の8月22日朝に、タックシン・チナワットが約15年ぶりにタイに帰国し、政界のみならずタイ国民にも衝撃を与えた。

 なぜ、タックシンが身の危険を冒してまで帰国に拘泥したのかという理由については、まだ完全に分かってはいない。水面下での様々な動きがあり、研究者やマスメディアもその動きを追っている状況にある。9月5日にセーター政権が誕生し、9月11日に施政方針演説が行われ、プラユット軍事政権から9年という歳月をかけ、ようやく非軍人であるセーター首相が率いる政権へと移行が完了した。しかし、実のところ、タイの国民がセーター政権に向ける眼差しはとても冷ややかである。ネット上で拡散されているセーターの写真には、セーター首相のファーストネームと、プラユット首相の苗字を合体させた「セーター・チャンオーチャー」との名前が書かれ、セーターの顔にはプラユットの顔とのコラージュがなされている。これは、連立政権がセーターとプラユットを混合したものであると揶揄しており、実質的にセーター政権の中にプラユット政権がそのまま入り込んでいるとして強く批判しているのである。

21世紀に入ってからの総選挙結果

 ここで改めて2001年から23年までの選挙動向について確認してみよう。21世紀に入ってからの総選挙の結果は、2001年にタックシンのタイ愛国党が第1党となってから2011年までは、基本的には2大政党制に近い状態が続いていた。タックシン派の政党(タイ愛国党→人民の力党→タイ貢献党)が、常に総選挙では第1党となり、第2党に保守的な政党とされる民主党がつけていた。ポピュリスト政党とも呼ばれたタイ愛国党が第1党、ソフトな保守派とみられる民主党が第2党につく状態が長年続いた。2014年の軍事クーデタを経て行われた2019年の総選挙では、タイ貢献党は第1党を維持したものの、軍部が親軍政党を設立し、政治家の引き抜きと票買いによって第2党につけた。これにより保守派の民主党は大きく議席数を落とした。

 ここで特筆すべきは、2019年の総選挙で革新派の新未来党が登場し、第3位につける快挙を成し遂げたことである。この後、新未来政党は解党されたが、すぐに復活し、前進党という政党として再出発を図る。これが前進党の歴史である。

 タイでは支持政党と地域性に強い相関があり、2001年と2005年にタックシンのタイ愛国党が高い人気を誇っていた時は、北部や東北部イサーンといった農民が多く貧しい地域では、タックシンへの支持が特に高かった。その一方で、南部では保守派である民主党の支持者が多く、バンコクでも民主党の人気が根強い状態が続いていた。この状況は2011年の総選挙まで続き、2019年総選挙では親軍政党が票を買収して議席を伸ばしたが、2019年総選挙では革新派の新未来党がいきなり第3党に躍り出た。新未来党は2020年に憲法裁判所により解党されたものの、後継政党である前進党への支持が強く、2023年総選挙では第1党に躍り出るという快挙を遂げた。

2023年の総選挙の結果とその特徴

 2017年憲法の下では、タイ下院は定数500議席のうち、比例代表が100議席、小選挙区が400議席となる。2023年総選挙の上位6政党は下記の通りであった。

第1党 前進党 151議席
第2党 タイ貢献党 141議席
第3党 タイ誇り党 71議席
第4党 国民国家の力党(Palang Pracharath Party)(親軍政党) 40議席
第5党 タイ団結国家建設党(United Thai Nation Party)(親軍政党) 36議席
第6党 民主党 25議席

 1991年クーデタ後に実施した1992年総選挙を最後に親軍政党の結成は控えられてきたのだが、2014年クーデタ後の2019年選挙から親軍政党が再び組織され、選挙戦を戦うようになった。しかし、タイでは軍が選挙結果までコントロールすることはできず、各地域に存在する有力者の影響力のほうが強いため、歴史を振り返っても軍が選挙で大勝することはなかった。タイの政党は基本的に短命であるものが多く、かつては政権を担うこともあった保守派の民主党だけが長年存続している。ただし、民主党も2008年以降、親軍派と組んだことが仇となり、現在は議席を急激に減らしている。

 なお、国民の政治意識という点においては、先進国と比較しても、タイの投票率は決して低い数字ではない(図2)。1997年憲法で投票が義務化されたが、それを差し置いてもタイ国民の政治に対する意識は高まりをみせており、右肩上がりで投票率も上がっている。2023年総選挙も投票率75%という数字がでており、日本人よりも政治に対する意識は高い。また、タックシン政権期に自分の1票で政治が変わるということも学習しているため、政治を何とか変えなければならないという意識を多くの有権者が抱いている。現在タイの人口は約7,000万で、ASEANの中でも比較的人口が多い方に入るが、有権者数はおよそ5,000万人である。この5,000万人の有権者数を世代別にした表がある。現在、注目されているZ世代(11歳~26歳)が760万人、最も多いのは働き盛りのY世代(27歳~42歳)の1,514万人、X世代(43歳~58歳)の1,609万人である(図3)。2023年総選挙の比例代表で、前進党が獲得した票数は1,400万を超えるが、Z世代だけでは全く足りない。つまり、Z世代以外でも、Y世代やX世代、そして団塊世代(59歳~77歳)や沈黙の世代(78歳~98歳)の中でも、革新派で王室改革も訴える前進党に投票している有権者が多く存在するのだ。タイの社会や政治の基本構造を変えることを掲げ、長年「過激」だと見なされてきた前進党に対して、今回の総選挙で4割の有権者が票を投じるようになった。この事実がタイ政治に最も衝撃を与えると共に、タイが変わる時期に来たことをはっきりと示した結果となった。

図2 下院総選挙の投票率と有権者数の推移

(出典)International IDEAのデータを基に筆者作成

図3 年代別の有権者数

(出典)Statistaのデータを基に筆者作成

 今回の総選挙の特徴で特筆すべきは、2023年の比例代表で、前進党がほぼ大半の地域で票を獲得している点である。小選挙区は地元の有力者が勝ちやすい特徴があるが、比例代表の場合は国民が政策で選ぶ傾向がある。そのため、政策に基づいて前進党を選ぶ人が増えていることが、2023年総選挙で明示された。それだけでなく、タックシン派の政党人気が絶頂だったときでさえ票を取ることできなかった民主党支持の地域で、2019年と2023年に新未来党・前進党が勝利していることも特徴である。その中でも、資本家ネットワークで王室を支える外国企業も出資し、多くの工場が存在する所得水準の高い東部や王党派や親軍派が多い南部で、王室改革という王室に批判的な主張を掲げる前進党が票を獲得している。

 この事実が何を示すのかというと、7割から8割の有権者が、前進党およびタイ貢献党に投票し、軍のクーデタによる統治に対して「反クーデタ」を掲げる政党を選択したということである。つまり、有権者の大半は軍に対する反対の姿勢を明確に示しているのだ。さらに、前進党が多数の票を獲得していることから、有権者の多くが王室改革についても賛成していることも明らかになった。これは、保守派にとって驚異的かつ脅威となる選挙結果だったといえる。なお、同じ「民主派」とは言え、タイ貢献党と前進党では、有権者の視点からは異なる性質を持つ政党であり、そういった意味でも全く新しいタイプの政党がタイ政治に出現したといえる。

 ただし、前進党のピターは首相に選出されず、政権樹立までは至らなかった。これは前述の通り、現在の2017年憲法の規定によるもので、下院500議席のほかに、上院の250議席があるが、後者は軍(NCPO)、つまりプラユットが任命している。プラユットが任命した上院であるため、元軍人でない議員も含まれるものの、基本的にはプラユットの関係者250人の議員が上院を占めている。また、2017年憲法下でプラユットに任命された第1期の上院議員に関しては、定数が本来200議席のところ、50議席を上回る250人が在籍しているだけでなく、第1期の250人の上院議員だけは首相指名投票への投票権を有している。そのため、トータル750議席のうち過半数の376議席以上を第1党が獲得しないと、政権を樹立できないことになっている。軍や保守派が、権力の維持を目的として憲法に記した規定によるものだが、その規程通りに376議席以上を獲得しようとすると、よほど下院で議席を取らない限りは、上院の協力が必須となるため、上院が認めない政権は樹立に至らない。この規定の狙いが2023年総選挙で効果を発揮し、タックシンが取引したセーター政権でないと樹立がかなわないという結果を招いた。

前進党の勝利の理由

 政権こそ奪取できなかったものの、前進党が選挙で勝利した理由は、彼らの提示した政策と選挙キャンぺーンの戦略にある。政策は冊子としてまとめられており、綿密にかつ明確に記されている。例えば、クーデタ発生を阻止するために、軍が定めた憲法を全面的に改正する方針を掲げている。また、政治的手段として使われた刑法112条の不敬罪も改正し、現在拘束されている学生を中心とした活動家を早急に釈放するとした。なお、前進党は拘束中の活動家への支援も行っている。そして、軍にもメスを入れる。軍改革を実施し、兵役廃止と文民統制を行うことを政権公約として掲げた。経済面では、元来の寡占状態がプラユット政権下で益々進行したタイ経済において、各産業界における独占の排除を行うことを約束した。現状の寡占状態では、一部の最富裕層のみが得をし、大多数の国民は利を得られない構造であるため、階級や所得にまつわる格差是正を目指すというのである。タイ貢献党を含むタックシン派の政党も、タイで初めてポピュリスト的な政策を取り入れて、健康保険制度や借金返済の猶予制度などを実施し、人気を博した。同時に経済の国際競争力を上げるため輸出を振興するなど、大企業にもメリットになる施策を行った。対する前進党は、業界ごとに企業数が少ない寡占状態を解消するために、各業界における自由化や規制緩和を推進し、中小企業が活躍できるような構造へと変えたいとしている。また、汚職などを排除し、政治の透明性を上げて、新しい政治を行いたいという強い意志がある。このように前進党はタイにおける政治、経済、社会構造を全て変えることを宣言した政策を打ち出したが、これはタイ貢献党にもない革新性があり、有権者は前進党の示す新たな変化に支持をしたのである。

 さらに、選挙キャンペーンでも、前進党の革新性の特徴が表れていた。FacebookやTikTokなどのソーシャルメディアを巧みに活用し、政党のグッズ商品化やキャラバン隊を組んで全国各地を回るなど、精力的にキャンペーン活動に取組んだ。特にTikTokは政党の中でも唯一キャンペーンに使用していた。それだけでなく、政治家のアイドル化を演出し、国民一人ひとりとの丁寧な対話を心掛けるなど、効果的な活動を行っていたのである。筆者は2023年9月10日に実施されたラヨーンでの補欠選挙で、前進党の選挙キャンペーンカーに同乗したが、第三者から見ても非常に丁寧に誠心誠意選挙活動を行っているという印象であった。Facebookのフォロワー数を見ても、前進党は137万人で、タイ貢献党の92万人よりも明らかに多い。前進党は、国民や有権者との対話を強調する写真を多く掲載しているが、タイ貢献党はステージ上で演説しているようなフォーマルな写真を多く用いており、有権者との距離感や政党の方針の違いがソーシャルメディア上でも見て取れる。また、政党スタッフや議員を含む前進党全体の年齢層が低く、20代から40代が中心となり活動している。他政党の有力候補者は60代から70代が多いため、ビジュアルや考え方などの違いが明らかなのである。首相候補だったピターも若く優秀で容姿端麗、かつアメリカで教育を受けていたこともあり、日本のアニメが高い人気を誇るタイでは、ピターをアニメのキャラクターに見立てて、戦略的に広報活動を行っていた。ポピュリズム的な傾向があることは否めないが、入念に練られた政策が国民の支持を得ていると見られる。

 前回の2019年選挙でも直前期に支持率が上昇したが、前進党の支持者の特徴としては、まず若年層(First votersやZ世代)が挙げられる。その他にも、タックシン派政党の元支持者や、「赤シャツ」の人びととされる。赤シャツは、タックシン派で民主主義を求めて路上で戦ってきた活動家であり、彼らが前進党支持に転向した場合や、小さな頃から親が赤シャツとして戦う姿を見て育った子どもたちが、民主主義的な考え方を持つようになり、前進党支持者となるパターンが少なからずある。または、より古参の民主化活動家である。1970年代に最初の民主化の波が生じたときから、活動家として運動していた古参の人びとが、現在は前進党を支持している。

 加えて、Thaksin haters(タックシン嫌い)と呼ばれる人々、例えば名門タムマサート大学やチュラ―ロンコーン大学の学生や、タックシン主導の麻薬討伐戦争により大量虐殺が行われた南部の人びと、そしてただ単にタックシンを嫌う人びとや、今回首相の座に就いた不動産王のセーターに対して反発する実業界の人びとも、前進党に投票したと言われる。また、まことしやかに囁かれている噂としては、若手を中心として、少なくない人数の軍人も前進党を支持したというものである。バンコクの海軍兵士なども前進党またはタイ貢献党に票を投じたと噂されている。さらに、従来は民主党を支持してきたSalimと称されるロイヤリスト系の保守派層も多様化が進み、一部では前進党を推すような発言が出ていることも指摘されている。このように多岐にわたる人びとが前進党を支持していることが分かる。

 それでは反対に、前進党を支持しない人は、どのような人びとか。プラユット政権下で恩恵を享受しているといわれる華人系の大資本家たちである。前述のように、CPグループ、タイ醸造社、タイの空港で免税品店を営むキングパワー社、ブンロート醸造、タイ最大のデパートであるセントラルグループが代表格とされ、これらの資本家たちは親軍政党への献金も行っている。

タイ貢献党の現在

 前進党以外に、もう1つの民主派政党として存在するタイ貢献党は、さまざまな良い政策が注目されてきたが、タックシンの個人政党であるため、政党としての未熟さがあることも否めない。従前は、法の支配や民主主義を訴えて軍と戦ってきたが、2019年の総選挙以降、タックシンの中で帰国を優先事項とし、恩赦を得るために軍や保守者との「妥協」を目指すようになった。その結果、タイ貢献党の主張にも変化がみられ、体制に対する批判も控えめになり、無難な内容や経済政策のみ言及するようになった。2023年の総選挙前には、ついにタックシンがプラウィット副首相と取引をしているとの噂が流れるほどで、民主派政党としてのタイ貢献党の立場が弱まってきている。

 2021年に大政党に有利な選挙制度へ変更がなされ、前述のように、総選挙の前年から、プラウィット副首相が「クーデタを実行したのはプラユット」であり、「民主主義政党と組む用意がある」と言い、タックシンが「2023年7月に帰国予定する」と発言していたことを鑑みると、タックシンとプラウィット、さらにはタックシンと国王との間で、何らかの取引があったことは明白である。しかし、取引内容については、いまだに全貌が見えてこない。取引の一部として、タックシンへの帰国許可と恩赦を引き換えに、タイ貢献党の支援を受けて親軍政党および保守派側の政権樹立で合意したとみられるが、他にもまだ取引内容があるだろうと推察される。

 また、タイ貢献党は、今でもタックシンおよびチナワット家の個人政党という色合いが強い。今回任命されたセーター新首相も議員の経験はなく、タックシンファミリーの顧問として政治活動していた人物であり、ここでもタイ貢献党の特徴が垣間見える。しかし、タイ貢献党の現状としては、前進党の登場に対して焦りと共感が入り混ざった感情を抱いているとされる。前進党への否定的な発言は少なく、むしろ政策上では一致しているところも多い。また、前進党を意識するかのように若く容姿端麗な候補者への勧誘を行い、若者が気軽にタイ貢献党本部に入場できるよう促し、新設した本部内のカフェでお茶を飲みながら歓談できるようにするなど、さまざまな試みを実施している。ただ、前進党と比較すると、ソーシャルメディアをはじめとする新時代の選挙戦に対応していたとはいえず、タックシン時代に農村部で絶大な人気を博し、その後も第1党時代が続いたため、「支持されている」という自負があったためと予想される。

 ただし、さまざまな努力もむなしく、2023年の総選挙には有権者から、「なぜ前進党のように政治的な問題や政治構造の根幹に係る問題に触れず、避けているのか」と激しく批判されていた。タイ貢献党への有権者のまなざしは、極めて厳しいものと考えられる。当初は、親軍政党と戦っていたタイ貢献党も、タックシンが帰国と恩赦への希望を強めたことで、方向性が変わっていく。そして極めつけには、親軍政党と組み、連立政権を樹立したことで、タイ貢献党が有権者を裏切り、民主主義を放棄したと見なされ、民主的な政党というイメージは失墜した。現在の連立政権は、手続き上では民選政権であり、民主主義に基づいた政権ではあるものの、前進党支持者を中心に多くの有権者からは、実質的には民主主義政権ではないという見方をされている。過去に軍との衝突で赤シャツの人びとが大勢亡くなっているにもかかわらず、急な方向転換を行ったタイ貢献党に対して、学生活動家を含め、憤りを感じる人も多く、長年タイ貢献党を支えてきた赤シャツのリーダーもタイ貢献党への不支持を表明している。このような流れがある中、タイ貢献党が次期選挙で勝つ可能性は低いと見られている。他方、前進党は依然として高い人気を維持している。タイ貢献党の今後としては、民主党のように衰退するか、または分裂して一部が前進党に合流することもありえる。

今後の前進党の動き

 政権を樹立できなかった前進党だが、そもそも前進党関係者たちも今回第1党になるとは予想していなかったため、当初から長期戦を見こした構えを取っていた。前進党が目指したのは、次の総選挙で大勝の末、上院に頼らず政権を樹立することだった。そして、政権樹立後に国家改造を実施することを見据えているのだ。そのため、政権奪取できなかった事は想定内と捉えており、次回の選挙で政権樹立を目指して準備を進めている。そして、社会の変化に目を向けても、今後は高齢者層との世代交代が進み、若者世代のニーズが増加することが見込まれるため、より前進党にとって有利になるとの見立てがある。

 しかし、すべてが順調というわけではない。実は現在、前進党は解党される可能性について危惧されている。前進党とピターが憲法裁判所での訴訟を2件抱えていたことに関連する。1つ目は、前進党が不敬罪の改正を求めて選挙活動を行ったことが、「国王を元首とする民主主義政体」の打倒をもくろんだとされる罪に問われていた。「国王を元首とする民主主義政体」の定義が非常に曖昧ではあるものの、タックシン派政党が過去に2度、この罪に問われ解党された経験がある。もし、前進党が有罪となった場合は、憲法裁判所によって前進党が解党され、幹部は10年間公民権をはく奪される。2つ目は、ピターのマスメディア株保有に関する訴訟である。この件で有罪になった場合、ピターは20年間公民権をはく奪されるため、ピターが前進党から除かれる可能性がある。しかし、タイの司法は政治的な影響を受けやすく、上層の判断に大きく左右される。この訴訟に関しても政治的裁判となるため、実際に解党とするか、ピターを有罪にするかは、国内政治状況を鑑みて憲法裁判所が判断するとみられていた。ただし、実際に前進党を解党する場合、非常に大きな国民の反発が予想されるため、判断には慎重を期する必要があった。

 ピターのメディア株式保有に関する訴訟は、2024年1月24日に憲法裁判所による判決が出た。ピターが保有していたのはメディア企業株とは言えず、従って同前党首が憲法違反で下院議員資格を失うことはないとの判決であった。ピターは、この裁判に関して下院議員の資格停止処分を受けていたが、停止処分も解除された。もう1つの不敬罪改正に関する判決は1月31日に下された。憲法裁判所は、前進党が不敬罪の改正を求めて選挙活動を行ったことは「国王を元首とする民主主義政体」を転覆する試みとして、違憲判決を出した。憲法裁判所は、ピターと前進党に対して、政党の選挙キャンペーンなどで刑法112条の改正を求めることを中止するよう命じた。現時点では前進党は解党されていないが、今後、もし国家汚職防止取締委員会に請願書が提出されて、同委員会が前進党の行為を倫理基準違反と判断した場合、最高裁判所は不敬罪改正法案を提出したピターを含む同党の44人の国会議員を終身政治参加禁止にする可能性がある。

 このような危うい局面にあっても、前進党の勢いに歯止めがかかるわけではない。万が一、解党されたとしても、新たに政党を作り直すのみとして、やる気が削がれるどころか、積極的に活動を行っている。先述した東部ラヨーンで実施された9月の補欠選挙視察の際にも、その勢いが感じられた。ラヨーンは、東部工業地帯に近く、経済的にやや豊かな地方だが、この第3区での補欠選挙では、前進党はソーシャルメディアでライブ配信を行い、有権者は前進党のキャラバン隊の位置をネット上で確認し、自宅近くに来ると黄色いTシャツと前進党グッズの帽子をかぶって外に出て、前進党の議員やピターと一緒に写真を撮ったり、応援の掛け声をかけたり、すれ違う車やバイクもクラクションを鳴らして支持を示すなど、大きな賑わいを見せていた。対抗馬の民主党のキャラバン隊に1度すれ違った際も、その勢いの違いが明らかであった。ただし、選挙の結果として、前進党が3万9,000票を獲得して第1党となるが、何もしていなかったように見えた民主党が2万6,000票を取っており、組織票を持つ保守派の強みが如実に表れていた。前進党の本音としては、大勝を狙っていたが、補選でもそこまでには至らず、保守派の根強い支持基盤があることが浮き彫りになったのが、今回のラヨーンの補欠選挙だったといえる(外山 2023)。

今後のセーター政権の行方

 前進党の活発な動きがある一方で、セーター新政権の今後の見通しは、特に就任からの1年間が注目される。上院議員の首相投票権は、2024年5月で無効となるため、前進党はそれ以降に再び政権奪取を見据えているともいわれる。他方、セーター政権は憲法改正の準備を進めているが、民主的な憲法改正ではなく、むしろ保守派層の権益を維持するための非民主的方向の憲法改正となる可能性もある。また、セーター政権にはプラユット前政権から9名が閣僚として入閣しており、さらに、親軍政党も含める11党の連立政権であるため、利権配分が重要となり、常に調整が発生する。人気取りのためにポピュリスト的施策を実施する可能性が極めて高く、統一的な政策実行は困難であると見られる。政権内部での統率も取れず、国民からの信頼も低いため、短命の政権になる可能性についても予想もされている。

 そのセーター政権が、実質プラユット政権であるとされる象徴的な出来事の1つが、セーターが首相就任決定後、すぐにプラユットを訪問し、あいさつをしている点である。前首相に次の首相があいさつに行くという行為は、タイでは非常に珍しいこととされており、タイ政治史の中で行われてこなかった。それは、政権交代が往々にしてクーデタや失脚を起因とすることが多かったためであり、また政治的な軸が変わると、無論、前の首相にあいさつに行くことなどなかったためである。そのため、民選政権の首相であるセーターが、2014年クーデタの首謀者であり、元軍事政権の首相であるプラユットの元にあいさつに行き、この様子をマスメディアに撮影させている時点で、両者の親密な関係性を示すものだと解釈された。

 そして、8月23日にセーターは国王の承認を受けて首相に就任した。その直後には、セーターはCPグループをはじめとする華人系の大資本家たちと会食を行ったことが広く報じられた。この大資本家たちは、プラユット政権下で富を拡大した人びとであり、セーター政権下でも引き続き恩恵を受け、各経済産業界の大資本家による独占状態が継続すると思われる。9月5日には国王を表敬し、内閣の就任宣誓を行った。これによりセーター率いる連立政権が誕生した。セーター政権が表向きは民主主義を掲げながらも、事実上はプラユット政権と変わりなく現状維持の運営になると予想される。短命と予想される政権がいつまで継続するかが注目される。

タイ政治の行方

 今後のセーター政権の行方はどのように予想されるのか。国王、軍、保守派政党を中心とする勢力に、これまで民主派政党として知られてきたタイ貢献党が加わったことで、現在のタイ政治の構図は、革新派の前進党と、タイ貢献党を含む保守派との対立に変化している。1990年代の政治改革運動へ経て制定された1997年憲法により、憲法裁判所や国家汚職取締機関などの独立機関が多数誕生した。これらの機関により、軍や保守派にとって都合の悪い政党を排除できるようになり、過去にはタックシン派の政党などが解党され、現在は前進党が標的とされている。しかし、幅広い地域・年齢層で多くの有権者に支持されている前進党の勢いを、軍や国王などの力でどこまで塞き止められるかは疑問が生じる。前進党の支持拡大には、コロナ禍のような苦境でも、大企業だけは無傷で成長していく、最上層の既得権益を支える社会システムが構築されたタイで、長年苦しい状況にあった普通の人びとが、改革派の前進党と共に声を上げたという背景があるためだ。例え影響力者たちによる確固たる政治体制が築かれていたとしても、今後の動きが彼らのシナリオ通りに進むとは限らない。その点において、タイは非常に先進国的な特徴を持つことを示すといえ、これからの動向にも注視が必要だろう。

 セーター政権またはタイ貢献党にとり、最大の強みであり、最大の弱点となるのが、タックシン元首相の存在である。タックシンは、汚職の罪や不敬罪のかどで訴追されていたが、長年海外に逃亡していた状態であった。2023年8月22日朝、セーターの首相指名投票の直前にタイに帰国し、それ以降は、収監されるのではなく警察病院に滞在していた。タックシンは、汚職の罪に関して懲役8年の判決が下っていたが、2023年9月に国王による恩赦で、刑期が1年に短縮されていた。2024年2月には、仮釈放の条件を満たしたとして、タックシンは仮釈放されて16年ぶりに帰宅した。タックシンの帰国は、保守派との取引の結果実現したと思われるが、多数の活動家たちが不敬罪のかどで拘束されている状況で、タックシンに対する特別扱いに対しては、国民の間から反発もでている。タックシンの不敬罪を起訴するか否かについては検察が検討中であるが、1人だけ特別扱いとなると、保守派の国民からの強い反発が予想される。

4.対外関係

 今後も大きな動きが予想されるタイ政治だが、これらが外交政策や対外関係にどのような影響を及ぼすのか。ここで最も重要なのは、タイをはじめ東南アジア諸国の世界観は、米国や日本など西側大国の世界観とは異なるという点である。日本も基本的にはアメリカを中心とした世界観を共有しており、ワシントン・バイアスがかかっているため、東南アジア各国が描く国際関係が見えていない部分もある。タイに限らず、東南アジア諸国全体が、アメリカ陣営に対して懐疑的な見方をする傾向もあり、中国寄りともいえる。これは東南アジア諸国が、植民地期や冷戦期を通じて、大国に「介入」された忸怩たる思いがあるためである。アメリカが冷戦期に介入したことで、タイのサリット政権やタノーム政権、インドネシアのスハルト政権といった独裁政権が各地で誕生した。そのため特にタイでは、大国から受けた支援により発展したという良い面よりも、介入されたことへの「負の記憶」が今も根強く存在していると指摘される(Sittithep 2021)。介入されることに対して強い抵抗感を抱いているため、1カ国に肩入れすることのない「バンブー外交」をタイでは行っている。あくまで自国の利益を守るために、バランスを取るという姿勢である。

 現在の状況として、アメリカに対しては必ずしも親米的な態度を取っているわけでなく、政治介入された過去の記憶から来る強い警戒感と不信感を抱いているとも指摘される。これは米軍が東南アジアから撤退してタイを置き去りにしたことが大きく、これ以降、タイは中国(中華人民共和国)と急接近し、真の敵であるベトナム共産主義から自国を守ることを重視してきた。

 歴史を振り返ると、東南アジアの中でも拡大志向が強かったベトナムは、積極的に他国への侵攻を行い、カンボジアに攻め込んだ。反ベトナムで誕生したポル・ポト政権後に、親ベトナムのヘン・サムリン政権が樹立したことにより、次はタイに侵攻するのではないかとタイ政権は強い危機感を抱いていた。東南アジア諸国から見ても、問題視されているベトナムの拡大志向を恐れたタイは、ベトナムへのけん制のために、1973年の米軍撤退以降は、対中関係を重要視した。アメリカ不在の今、ベトナムの進軍を止めるには、中国に助けてもらうしか道はなく、ベトナムを止める存在として、中国とのコネクションが重要となり、そのために王室も使い1970年代後半、密接な関係を構築している(Wasana 2022)。1990年代以降は、チャワリット元首相(元陸軍司令官)が創設したタイ中文化経済協会が中心となり、ビジネスのみならず、軍や警察も含めた両国の密接なつながりを維持してきた。また、タイは華人系タイ人が非常に多く、さまざまな言語グループごとに会館を持っているため、華人を通じたチャイナ・コネクションを強め、長年維持してきたのである。

 一方で、対日関係を見ると、タイの日本への感情も決して悪くない。子どもの頃から日本のアニメを観て育っており、例えば『一休さん』を大好きだという人も多い。文化や経済といった側面を通じて、日本への印象は極めて良好といえる。しかし、日本への好感度が高いことを念頭に、さらに投資を進め、より友好を深めてほしいと願ったとしても、タイにとっては中国より日本の優先度が上がることはない。強力なチャイナ・コネクションが存在することを理解したうえで、日本はタイへの対応を検討していく必要がある。また、前進党のピターに関しては、中国との関係性を切ることはないが、中国一辺倒ではなく他の国々との関係をバランスよく構築する必要があると述べており、日本への留学経験もあるため、今後のタイ政治における変化によっては、日本との関係性がより深まる可能性もあるだろう。

東南アジア市場と政策の影響

 経済的な側面で見ると、タイやシンガポールに拠点を持つ日本企業は多く、以前は東南アジア市場を取っていたが、今は中国企業に押されている。例えば、自動車業界でも、中国のBYDの勢いに押され、EV車にシフトしている動きがある。EV車と日本が得意とするハイブリッド車の関税率が大きく異なるため、日本企業は苦戦を強いられている。これはタイの政策がEVを推しているためであり、今後のビジネス展開を有利に進めるためにも、タイ政治家と交渉が必須であるが、政治家との強いコネクションがなければ、政策負けする。日本側も、重層的で強固な中国のコネクションに対抗する手段を考える必要があるだろう。日本がタイに工場を多く持っていることを有効活用し、東南アジア市場での挽回を図るための決断を、日本は今まさに迫られているだろう。

5.まとめ

 2023年総選挙での75%という投票率は、タイにおける政治意識の高さを物語っている。人びとの政治意識の高さに関しては、1997年憲法で義務投票が導入されたことを理由に挙げられることもある。しかし実際には、投票しなかった場合でも次期選挙の投票権を失う程度のもので、政治に関心がない人にとっては効果がなかったことが分かっている。

 では、人びとの政治意識の高さはどのように醸成されたのか。まず1つ目にタイの放送メディアは、軍が支配しており、不都合な事件は報道されないということが周知の事実であり、国民からの信頼度も低いことが挙げられる。その一方で、新聞などの紙媒体のメディアは、放送メディアよりは自由度が比較的に高く、多岐に渡る内容を報道しているため、庶民も屋台で食事をしながら新聞を読む人が多い。2つ目は、タックシン政権の末期以降の大衆デモ、特に2006年に登場した赤シャツが全国展開したことで、彼らの運動や発信するメッセージを通じて、タイの政治構造における問題点を多くの人が学んだ点である。放送メディアについても赤シャツが運営している衛星放送があり、他方、軍や保守派層がそれぞれ別に保有するテレビ局やケーブルテレビもあるため、人びとが自ら放送局を選んで情報を得ていた。2008年以降は、オンラインメディアやソーシャルメディアの発達により、情報の入手元が広がった。教育現場での政治意識の醸成に関しては、学校が社会のヒエラルキー構造を反映しているため、リベラルな政治教育が実施される可能性は低い。それよりも、若者の政治意識に大きな影響を与えたのは、例えば親が赤シャツであったり、直接デモや集会に行き学ぶ機会に多く恵まれたという背景が指摘されている。また、1970年代以降、民主化運動に携わってきた著名なタイの学者によって書かれた本が国内でも広く流通しているため、これらの本を通じて学習する人も多い。世代間による政治意識の違いは元々あったが、若い世代が政治的潮流の先を進み、彼らが親を説得することによって、親世代の考え方がさらに変わっていったというのが、最近のタイの傾向であるとされる。

 このように若者を中心に国民が政治に高い関心を持ち、社会構造の改革に積極的な姿勢を示し、志を共にする前進党と共鳴していく一方、軍による統制や強力な既得権益が問題視され、王室の存続も危ぶまれている今、タイ政治は分岐点に立つ。今後も「国王を元首とする民主主義政体」を維持するのか、それとも全面的な政治・社会構造改革への道に進むのかは、まだ先が見えていない。もし、前進党の改革志向がさらに多くの有権者から支持を受け、後者の道を辿ることになるのであれば、悲願の「民主化」が達成される可能性がある。しかし、より重要な点は、その後に安定した政権運営を行うことができるのかということだ。前進党は、年長者でも40代の若いメンバーで構成されていることが弱点になりうる。全員がビジネス界出身で、高学歴かつ英語も堪能であるものの、他の政党とは異なり、元官僚や元軍人がいない。通常タイでは、保守派が多い官僚が、定年退官後に政治家に転身し、現役時代に築いたコネクションを政界進出後に活用するケースが少なくない。そのため、前進党が政権を取ったとしても、政権運営に必要となる官僚とのコネクションが無いと立ち行かなくなる可能性がある。保守派の官僚と今後いかに関係性を構築できるかが、前進党の課題となり、そして民主化の安定性にとっての鍵となるであろう。また、現在の体制維持か、改革志向の前進党が政権奪取するかのいずれにしても大小の変化が見込まれることに違いはない。日本の社会や政治においても求められている次世代への変化を検討する上で、タイ政治の動向が示すものは重要な手掛かりとなるはずだ。

参考文献


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引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)外山文子(2024)「アジアの「民主主義」第5章タイ―タイの今とこれから―」NIRA総合研究開発機構

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